https://miho.opera-noel.net/archives/3960 【第八百二十三夜 服部嵐雪の「むめ一輪」の句】より
いつもスーパーへ行くときでも、車で行ってしまう。娘からは、「歩きなさい! 大腿骨骨折の一番の療法は、太陽に当たることと、歩くことなんだから!」と、注意されている。夫もなかなか厳しい。犬の散歩は、家族が分担しているが、私の担当は今も夜である。夜空の星や月を眺めることが好きだから、ま、いいか!
玄関から数段の階段がある。この家に越してきたとき、80歳になっていた母のために、玄関と2階への階段に手すりをつけた。その手すりが今、私には有難い。
犬のノエルは、私を気遣ってくれているかのように、階段でも夜の散歩でも、私の足元を見ながらペースを合わせてくれる。
昨夜、気づいたが、散歩道から見える大きなお邸の、八重咲きの枝垂れ梅が、満開直前のじつに美しい姿を見せてくれていた。
今宵は、「梅」の作品をみてゆこう。
■
むめ一輪一りんほどのあたゝかさ 服部嵐雪 『ホトトギス 新歳時記』
(むめいちりん いちりんほどの あたたかさ) はっとり・らんせつ
句意は、梅の花が、今日一輪咲いた、気がつくと午後の陽にもまた一輪咲き出した。春の陽が照り、翌日も春の陽が照るが、昨日よりも今日の方が暖かく感じられる。ほんのわずかな暖かさの違いを、嵐雪は「梅一輪ほどのあたたかさ」であると捉えたのだ。白梅一輪でも紅梅一輪でもいい。一日ずつ、ほんの僅かずつ、昨日よりも今日はあたたかい、ということを嵐雪は詠みたかったのだ。
歳時記では「むめ一輪一りんほどのあたゝかさ」ではなく、「梅一輪一輪ほどの暖かさ」と表記している方が多い。「むめ」は「梅」のことで、万葉の表記では「烏梅」としている方が多いが、平安以降の仮名表記では「うめ」「むめ」のどちらも使っているので、後世になって与謝蕪村に「あらむつかしの仮名遣ひやな」と嘆かせたという。
私たちが現代の歳時記で見るのは、服部嵐雪の作品も「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の形で見ることが多い。いくつか歳時記を見比べたが、『ホトトギス 新歳時記』では昔のままの「むめ一輪一りんほどのあたゝかさ」で掲載されていた。
■
大仏の境内梅に遠会釈 高浜虚子 『六百句』昭和18年
(だいぶつのけいだい うめにとおえしゃく) たかはま・きょし
高浜虚子は、明治7年2月22日、愛媛県松山市の生まれ。この句を詠んだのは、昭和18年2月21日。古希の前日に、古希祝いを兼ねて家庭俳句会が鎌倉の南浦園で行われた。南浦園は料亭と思われるが、現在もあるかどうか調べがつかなかった。
大仏は、鎌倉大仏のこと。古希祝いの料亭へ行くときに鎌倉大仏殿高徳院の境内をゆくと見事な梅の木がある。その梅をとお眺めに会釈をして、虚子は、今日の家庭俳句会の会場の南浦園へ向かいましたよ、という句意になろうか。
掲句の大仏は、鎌倉大仏のことで、正しくは鎌倉大仏殿高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像である。4、5回は観に行っているが、見上げる度に圧倒される大きさである。1252(建長4)年に制作されたときには、鎌倉大仏を蔽う大仏殿があったというが、さぞ巨大であったろう。現在は露坐の大仏である。疵もあり染み(シミ)もあるが、人は、大仏が年輪を重ねた御顔であり御姿であるところに惹かれるのであろう。
https://note.com/merci5977/n/n2baf721e31d9 【【梅一輪 一輪ほどの 暖かさ】の句をやっとひも解く】より
【梅一輪 一輪ほどの 暖かさ】 服部嵐雪
この句は、私が高校生の時に先生から頂いた年賀状に書かれていた俳句です。
唯一書かれていた言葉を覚えている、年賀状です。
受験シーズンであまり深く考えていませんでしたが、まるで歌のように覚えやすかったので、何かの拍子に思い出されるのです。
今になって、どんな意味だったのか気になり少し調べてみました。
=作者 服部嵐雪(はっとりらんせつ)について
【作者】服部嵐雪(はっとりらんせつ)
江戸時代前期の俳諧師 生年:1654年 没年:1707年 出身:江戸湯島
流派:松尾芭蕉の高弟、雪門の祖 お墓:本教寺(東京都豊島区) 芭蕉十哲の一人
禅の修行を続け、内向的で柔和な温雅さな人柄が句にも表れ、質実な作品が多い
嵐節の門(雪門)からは優れた俳人が輩出し、大島蓼太の時代には勢力を著しく拡大した
1692年(元禄5年)松尾芭蕉に「草庵に桃桜あり 門人に其角嵐雪あり」と言われた
服部嵐雪と宝井其角(たからいきかく)は松尾芭蕉没後、江戸俳壇を二分していたといわれる
京都通百科事典より
ちなみに「おくの細道」で有名な松尾芭蕉は生年:1644年 没年:1694年なんと50歳で亡くなっていたのですね。(70歳くらいまで生きて全国を旅していたのかと勝手に思っていました)
=季語や意味について
【梅一輪 一輪ほどの 暖かさ】の季語や意味について
この句だけを見ると、区切り方で意味が変わってしまうようです。
<その1> 「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」は
梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる
<その2> 「梅一輪一輪ほどの 暖かさ」は
梅の花が1輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっている
しかし、この句が読まれる前に詞書(ことばがき)があり、そこに「寒梅」という冬の季語が用いられているため、この句の季語は「寒梅」となるそうです。
解釈としては、<その1> が正しく冬の句となっています。
詞書がわからない場合、<その2>のように「梅」が春の季語なので、春の句と勘違いされたようです。
詞書(ことばがき)の意味
・和歌や俳句を作った日時・場所・背景・動機などを述べた前書き。
・絵巻物で、絵の前後にある説明文
まるで国語の時間のように調べてしまいました。
=私なりの解釈
寒い中でも一輪の梅が咲く姿を、受験直前の私にも重ねて頑張れと言う意味も込めて、書いて下さったのかもしれません。
一輪の梅のかすかな暖かさが、高校卒業して新しい未来の扉へとつながるイメージも湧きます。
調べる前は、どんな梅の花も一輪一輪花を咲かせていけるよ。寒い厳しい冬(人生)の中でも強く生きよう!
などと思い続けていました。
この俳句が、自分への応援歌となっていたとも思っています。
=先生へ
先生、今頃この年賀状の俳句をひも解いています。
何気なく書かれた俳句だったかもしれませんが、心の中にずっと残っていたのです。
先生の功績は素晴らしかったと、今になって思います。
勉強の内容は覚えていなくても、この俳句だけは何十年も覚えているのですから、教えるという事は深いですね。
お元気かどうかもわかりませんが、一言お礼を言いたいです。
心に梅一輪を灯し続けて下さって、本当にありがとうございました。
0コメント