Facebook加藤隆行さん投稿記事 【幸せの定義いろいろ】
「それで本当に幸せなの?」──なんて、言われたことないすか?ボク、あるんです。
しかもけっこう何回も(笑)でもね、幸せって、超絶にパーソナルなもんなんですよ。
他人に理解されるかどうかなんて、ぶっちゃけどうでもいい。
あなたが「幸せだな〜」って感じてたら、それでもう120点満点なんです。
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なのに人って、つい比べちゃう。あの人はパートナーがいる、あの人は収入が多い、
あの人はキラキラしてる……とかね。
でも、その人の幸せは、その人のもの。こっちの幸せは、こっちのもの。たとえるなら、
みんな違う具のおにぎり食べてる感じ。「梅が最高!」って言ってる人に、「明太マヨの良さをわからせようとする」とか、わりと迷惑だから(笑)
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自分が何に幸せを感じるかって、ほんとに人それぞれなんです。だから、誰かの幸せのカタチに自分を合わせようとする必要もないし、「わたしの幸せってこうなのよ!」ってわかってもらおうとする必要もない。
むしろ、そうやって“幸せを証明しようとするモード”に入ると、不思議なことに、肝心のしあわせ感がどこかへいっちゃうんです。
せっかく感じてるなら、その幸せをただ味わえばいい。そのほうが、よっぽど豊か。
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もしちょっと誰かに自分の幸せをおすそわけしたくなったら、ただそこで笑っていればいいのです。そしたら「なんかあの人、いい感じだな〜」って伝わります。
するとあなたの周りに幸せになりたい人が寄ってきて「どうしたら幸せになれるの?」って聞いてきます。
そしたら「自分の好きな具のおにぎりを 食べるんだよ」って教えてあげる。
幸せ配るのって、案外カンタンです。
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社会の「こうあるべき幸せ」に自分を合わせようとすると、ほぼ確実に苦しくなります。
自分の価値は、自分が決める。自分の幸せも、自分が決める。あなたの人生の真ん中には、
いつだって「あなた自身」が座ってていい。堂々とそこにいていい。──というわけでボクは、「そんなのが幸せなの?」ってよく聞かれるたびに、けっこう得してるなって思うんです。だって、みんなと幸せがかぶらないってことは、競争率も低いし値上がりもしない。
誰も狙ってないところに、ボクだけの“宝物”が落ちてるってことだから。
……いいでしょ?(ニヤリ)だから今日も自分らしい、自分だけの幸せ、こっそりと大胆に、味わっていきましょう(^ω^)
【できなくてもOK】
「できたらご褒美」って、よくあるやり方ですよね。でもこれ、よく考えると──
「できなかったらあげないよ」ってことでもある。
つまり、“結果”が出たときだけOKという「条件つきの価値」しか認めてない。
「ちゃんとやれたかどうか」でその人の存在の価値を判断してる。
まるで“成果主義”でしか愛されない世界。こうなると、もはやこれは「信頼関係」ではありません。ただの“取引”なんです。やったら認める。できなきゃ認めない。それってつまり、
「愛」ではなく「契約」です。
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とはいえボクも、ずっと「出来たらご褒美」組でした。自分にもそう、他人にもそう。でも、ふと気づいたんです。これって、心が置いてけぼりになるなって。ご褒美って、ほんとは“やる気を引き出す”ためのもののはずなのに、あとまわしにされて、ムチのあとのニンジンみたいになってる。結果を出さないと認められない関係。それじゃあ、安心して頑張れない。
だからボクは、こう思うようになりました。ご褒美は──”信じて、先に渡すもの”なんじゃないかって。「あなたは、なにもしてなくても、 すでに価値があるよ。 きっと出来るから大丈夫だよ。」そう伝えるように、まず渡しちゃう。チョコでも、言葉でも、ひと休みでもいい。で、ご褒美を“先に”もらった人ってね、「そんなふうに信じてもらえたなら、 まあやるしかないよな」って、ちょっと腹が決まるんです。(ΦωΦ)フフフ
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でね、実は先にイイ気分になったほうが、いい仕事ができるんですよ。それは感覚的にわかるでしょ?やる気も、集中力も、創造性も。“心地よさ”から生まれるもの。「できたらホッとする」じゃなくて、“ホッとした状態”でやる方が、ずっと力が出る。なのに多くの人は、自分を追い込んで、ギリギリまで我慢して、やっとやり切って、最後にやっとチョコ。……それって健全?
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ボクらがほんとに欲しいのは、ムチのあとにくる“ご褒美”じゃない。最初から自分を信じてもらえる、その安心感なんです。だからまずは、自分にご褒美を渡してみよう。
「いつもよくやってるよ」「ちゃんとできるよ、大丈夫」「まずは、チョコ食べて 一息ついてからやろか」そんなふうに自分をゆるして、イイ気分にさせてあげること。
その方が、結局いちばん、前に進めるんだから。
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で、ですね。ここまで読んでも「とはいえ⋯それじゃあ⋯」って思う人、おるよね。
その人は、もしかしたら──自分も世界も、まだ信頼できてないのかもよ?
信じてみなよ。信じるものは救われるっペ(^ω^)
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-12885563114.html【ほめられることは自信の源泉】より
中野信子氏の心に響く言葉より…
脳には快感を生み出すことにかかわる部分があり、それらが刺激されると大きなよろこびを感じます。
自然科学研究機構生理学研究所の定藤規弘(さだとうのりひろ)教授の研究によると、なんとほめ言葉だけでも、現金を受け取ったときと同じようなよろこびを感じることがあきらかになりました。
しかも、これら脳のなかの「報酬系」が刺激されると、「ナチュラルキラー細胞」(ウイルス感染細胞やがん細胞を攻撃するリンパ 球)が活発になるため、健康にもいいことが別の複数の研究でもあきらかになっています。
別に他人にほめられなくても、自分自身でよい評価をするだけでも快感を得られることがわかっています。
このとき、脳では 「内側前頭前野(ないそくぜんとうぜんや)」 という部分が、「自分は素晴らしい」「自分はよいことをした」と判断しています。
ここに他人からの評価が重なれば、さらに強いよろこびを感じることができるというわけです。
つまり人間は、利己的に行動するよりも、利他的に行動した結果、 他人にほめられるほうがいい。
利他的に行動するほうが、より大きな快感や自己肯定感を得やすくなるのです。
仕事でも日常生活でも、まわりの人たちが利益を得られるように考えて振る舞っていると、他人から評価されることも増えていくはずです。
そして、そのときの評価や 「ほめ言葉」によって、さらに脳の「報酬系」が刺激されます。
あたりまえですが、利他的に振る舞っていると人間関係も円滑になりますから、ますますよい結果を生み出す環境をかたちづくっていけるのです。
《「ほめ言葉」はお金をもらうのと同じくらいうれしい》
『賢くしなやかに生きる脳の使い方100』宝島社
賢くしなやかに生きる脳の使い方100
利他な人は、人からほめられたり、認められたりする。
しかし逆に、利己的な人は、人からほめられたり、認められたりすることはない。
自己中心的でわがままな人をほめる人などいないからだ。
つまり、人から認められたり、ほめられたりする人は、利他的な行動をとっているということだ。
そして、我々はほめ言葉によって、どんな疲れも吹き飛ぶほどの幸福感を得る。
松澤萬紀(まき)氏のこんな話がある。
『毎回、数百人の聴講者を集める人気講師のY先生。
私が新人のころ、ありがたいことに、Y先生のアシスタントをさせていただいたことがあります。
講演がはじまる前に、「先生、なにかお手伝いすることはありますか?」とうかがうと、先生はほほ笑みながら「講演が終わったら、私をほめてください。ほめて、ほめて、ほめちぎってほしいんです」とおっしゃいます。
経験も実績も申し分なく、社会的にも認められているY先生でさえ、「ほめられることが自信の源泉なのだ」と知りました。
人は、年齢や性別に関係なく、いつまでたっても、ほめられると嬉しくなる生き物なんですね。
私が直接「Y先生、今日の講演はすごくよかったです!」とほめるよりも、「聴講者さんが『先生のお話はすごくわかりやすい』とおっしゃっていましたよ」「講演を主催された○○さんが、『Y先生にお願いしてよかった』と喜んでいましたよ」と、「第三者」を介してほめたほうが、ほめの効果が数倍アップします。
「まわりの人がそう言っていた」と伝えるほうが信憑性が増す、つまり、「お世辞じゃないほめ言葉」になるからです(心理学では、ほめ言葉によって学習や仕事への意欲を高めることを「強化」といい、第三者を介した場合を「間接強化」といいます)。
これを「三角ぼめ」といいます。』(100%好かれる1%の習慣/ダイヤモンド)
「ほめられることは自信の源泉」という言葉を胸に刻みたい。
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