信頼

https://www.makuya.or.jp/nagahara-863-sakamu/ 【この人に聞く 西澤真美子さん「詩人・坂村真民の世界」】より

長原眞

「『生命の光』誌の読者に、坂村真民(しんみん)という秀(すぐ)れた宗教詩人があります。この人の多くの詩を魅せられるように読んだこと、幾たびでしょう」(手島郁郎)

〈1972年『生命の光』259号より〉

   タンポポ魂

  踏みにじられても  食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない その根強さ 

  そしてつねに 太陽に向って咲く その明るさ わたしはそれを  わたしの魂とする

               真民

   二度とない人生だから

  二度とない人生だから  一輪の花にも  無限の愛を そそいでゆこう

  一羽の鳥の声にも  無心の耳を かたむけてゆこう

               真民

坂村真民(1909~2006年)

真実一路に生きた詩人の言の葉に、心が揺すられます。私は、真民先生の詩に親しむうちに、こんなに人の心を打つ詩は、どういうところから生まれてくるのだろう。坂村真民という詩人は、どんな人なのだろう。そんな思いをもつようになりました。そして、いつの日か愛媛県砥部町(とべちょう)の「坂村真民記念館」を訪ねたい、と願ってきました。

昨年、機会を得て、記念館を訪れました。そこには坂村真民先生の三女の西澤真美子さんが、和服姿で出迎えてくださいました。

真言碑「念ずれば花ひらく」

長原眞 今日は、わざわざ時間を割いてくださって、ありがとうございます。

実は、私は1週間前、北海道の稚内(わっかない)を訪れました。その時、知人の案内で、大徳寺というお寺に建てられている、「念ずれば花ひらく」という坂村真民先生の真言碑と、その元になった直筆の書を見せていただきました。その書からは、あふれる生命を感じました。

西澤真美子 父は練習しないで、全身全霊、念を込めて書いたと思うんです。生きた字であって、それを石に彫ったら、それが生きる石になるのですね。

長原 そのお寺の住職さんが、「檀家(だんか)には、樺太(からふと)から引き揚げてきた人たちが多いです。この海の向こうは樺太です。望郷の想いを抱きながら亡くなられた方々の弔いのために、この碑を建てました」と言われます。

西澤 そうですか。父は若い時に朝鮮へ渡り、高等女学校で教えていました。

向こうに骨を埋(うず)めるつもりでしたが、日本が戦争に敗けたので帰ってきました。ですから、そういう人たちの気持ちは、きっとわかると思います。

真実の人間になるため

長原 真民先生の詩は、だれにもわかるような言葉で、しかもとても深い心が感じられます。「そうだ、私もそう生きよう」という力を与えられます。

西澤 父は、最初は短歌に打ち込んでいました。でも、短歌に親しんでおられるのは、ある程度、教養のある方々です。そういう短歌に満足できなくて、父の表現では、普通のおじさん、おばさんが見てくれるようなもの、そして、生きる力を与えるような詩を書きたい、と言っていました。

長原 私が感動し、教えられるのは、真民先生の詩作へのひたぶるな姿勢です。詩が生まれる前の、根源の世界に迫ろうとする気迫です。私も『生命の光』誌の編集に携わっています。及び難いことですが、少しでも根源の世界から霊感を汲みたい、と心がけています。

西澤 父は午前3時ごろ起きて、近くの重信川の川辺に下りて、お日様の出るのを見ながら祈るのです。教師を辞めて詩一筋になった65歳以降は、0時に起床していました。朝日の光を吸ってエネルギーをもらう、これが長生きできた大切なことだったと思います。

父はよく、「夜が明けて詩を作る人はたくさんいるけれど、ぼくの詩は未明混沌(こんとん)の中から生まれてくる」と言っていました。すべてが生まれ出る前の未明混沌の世界を、大切にしていたのだと思います。

最初のころに出版した詩集の扉に、「真実の人間になるために詩を書く」と記しています。詩人になるためではなく、真の人間になるために詩を書いてきた。

私が小さい時に見た父も、95、96歳の晩年の父も、変わらないですね。変わらないというのは、見ている先が変わらないからでしょう。

父の詩の中で私が好きなのは、最初の詩集『六魚庵天国』の「六魚庵箴言(しんげん)」です。

   その一 

  狭くともいい 一すじであれ  どこまでも掘りさげてゆけ  いつも澄んで

  天の一角を見つめろ

   その二

  貧しくとも   心はつねに 高貴であれ  一輪の花にも  季節の心を知り

  一片の雲にも 無辺の詩を抱き  一碗の米にも 労苦の恩を思い 一塊の土にも

  大地の愛を感じよう

               真民

いのちの光をかかげて

長原 手島郁郎との出会いについてですが、真民先生が友人から紹介されて『生命の光』を読んだ時の驚きを書いた手紙が、私たち幕屋の機関誌に載りました。

「私は『生命の光』を拝見して、こんな光と生命に満ちあふれたものは今までに読んだこともなく、触れたこともなく、全く感動いたしたのであります。

私は、仏陀(ぶっだ)の道を歩んできた者でありますが、私が大詩霊さま、と呼んでいるのは釈尊であり、イエス・キリストであります。そういう意味で、私は世間一般の仏教徒とは違った道を歩いてまいりました。

大詩霊としてイエス・キリストの光を仰ぎ慕う者であります。”生命の光” こそ、私の祈願であります。

私の詩誌『詩国』は地上の天国であり、神仏の念願である『平和の国』であります。『生命の光』と同じ意味であります。

  火の国の火を受け継がむ  わが願ひ 導きたまへ光かかげて  詩人」

坂村真民先生も手島郁郎も同じ火の国・熊本の出身です。2人の親交は、最初の出会いからお互いを尊び合い、最後まで続きました。

西澤 私も『生命の光』を読ませていただいていますが、手島先生は仏教にも造詣(ぞうけい)が深いですね。それこそ宗教宗派を超えてのお交わりだったと思います。

多くの人のために祈りつづけてきた父の晩年に、天から臨んだ啓示は「大宇宙大和楽」という言葉でした。生きとし生けるものすべてが和楽する平和な世界、それが父の目指した究極の世界だったと思います。色紙に「すべてに愛を」と書いて人に差し上げていました。

長原 今日は、貴重なお話を伺い、ありがとうございました。

記念館には、坂村真民先生の詩や、発刊された詩集、評論、自筆の書が、年代順に陳列されており、多くの若者や親子連れの来館者でにぎわっていました。

来館者の感想を記すノートには、「かつて人生に行き暮れていた時、真民さんの詩に出合って生きる希望と力を得ました」といった、感謝の言葉が多くつづられていました。

真美子さんから頂いた真民先生の詩集の扉に、こう書いてありました。

  体のなかに

      光をもとう

            父にかわり

真美子

坂村真民記念館

「人はどう生きるべきか」の心が伝わる詩や墨書を展示。2025年3月2日まで企画展「真民さんとタンポポ」が開催されている。愛媛県伊予郡砥部町。


Facebook相田 公弘さん投稿記事

仏教詩人の坂村真民さん、「念ずれば花ひらく」は、36才で未亡人になり、女手一つで5人の子供たちを育てた坂村真民さんのお母さんの、念仏といってもよい自己激励のことばでした。 坂村真民さんは、母をテーマにした詩も多く書かれています。

「念ずれば花ひらく」 坂村真民

念ずれば  花ひらく  苦しいとき  母がいつも口にしていた  このことばを

わたしもいつのころからか  となえるようになった  そしてそのたび

わたしの花がふしぎと  ひとつひとつ  ひらいていった

「昼の月」  坂村真民

昼の月を見ると  母を思う  こちらが忘れていても  ちゃんと見守って下さる

母を思う  かすかであるがゆえに  かえって心にしみる  昼の月よ

お母さんに大恩を感じ、報いたいと念じで生きてきた真民さんの気持ちが、詩に、にじみでています。

「二度とない人生だから」 坂村真民

二度とない人生だから  一輪の花にも  無限の愛を  そそいでゆこう

一羽の鳥の声にも  無心の耳を  かたむけてゆこう

坂村真民さんは、「詩国」という詩集を無料頒布されていました。

「一隅を照らせ」と良く言っていました。

自分のいる場所で、一隅を照らせば、それで良いのですよと、言っていました。

「生きてゆく力がなくなる時」  坂村真民

死のうと思う日はないが  生きてゆく力がなくなることがある

そんな時お寺を訪ね  わたしひとり  仏陀の前に坐ってくる

力わき明日を思う心が  出てくるまで坐ってくる

真民さんは言います。

「病気よし、失恋よし、不幸よし、失敗もよし、泣きながらパンを食うもよし、大事なことは、そのことを通して、自分を人間らしくしてゆくことだ。

人のいたみのわかる人が、本当の人間なのだ。」また、真民さんは言います。

「二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、生きねばならぬ。その力を信仰から頂かせてもらうのだ。わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。」

「南無の祈り」  坂村真民

生きがたい世を  生かしてくださる  南無の一こえに  三千世界がひらけゆき

喜びに満ちてとなえる  南無の一こえに  この身かがやく  ありがたさ

ああ  守らせ給え  導き給え

「ただいま」  坂村真民

行ってきますといって  出ていった子が  ただいまかえりましたといって

学校からかえってくる  小学校一年生の女の子の  こえの美しさ  そのひびきの好さ

坂村真民は、自分と他人を励ますための詩を、平易な言葉で書きました。

現代詩の詩壇とは、全く無関係でした。現代詩壇から言わせると、真民さんの詩は、「簡単すぎる」、「技巧が無い」ということになるでしょうが、真民さんは、そんな事は、気にもかけていなかったでしょう。自分を励まし、人を励ますための詩作を、自分の生涯の使命として、

詩集を無料頒布していましたから。数点、紹介します。

今を生きる  坂村真民

咲くも無心  散るも無心  花は嘆かず  今を生きる

大恩  坂村真民

三つの時の写真と  七十三歳の写真とを  並べて見ていると  守られて生きてきた

数知れないあかしが  潮のように迫ってくる  返しても返しても  返しきれない

数々の大恩よ

赤ん坊のように 坂村真民

どうでもいいという  人間からは  なにも生まれてはこない  そういう生き方からは

なにも授かりはしない  祈るのだ  願うのだ  赤ん坊のように  いのちの声を

はりあげて  呼ぶのだ

希望  坂村真民

漫然と生きているのが  一番いけない  人間何か希望を持たねばならぬ

希望は小さくてもよい  自分独自のものであれば  必ずいつか  それが光ってくる

そして  その人を助けるのだ

鈍刀を磨く  坂村真民

鈍刀をいくら磨いても  無駄なことだというが  何もそんなことばに

耳を借す必要はない  せっせと磨くのだ  刀は光らないかもしれないが

磨く本人が変わってくる  つまり刀がすまぬと言いながら  磨く本人を

光るものにしてくれるのだ  そこが甚深微妙の世界だ  だからせっせと磨くのだ

ほろびないもの 坂村真民

わたしのなかに  生き続けている  一本の木  わたしのなかに  咲き続けている

一輪の花  わたしのなかに  燃え続けている  一筋の火

ものみなほろびゆくもののなかで  ほろびないものを求めてゆこう

人それぞれになにかがある筈だ

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日本語は、あしたという言葉を“明るい日”と書くんです。あしたが明るい日になるかどうかなんて、誰にもわかりません。雨が降って日が差さないかもしれない。雲に隠れて月だって出ないかもしれない。でも「明日は明るい日だ」と、昔の日本人は決めたんです。

この前向きさが日本人です。あしたは明るい日にしなければならない、希望を持って明日を迎えるんだという日本人の決意です。

明るさは光です。あしたを明るい日にするには、光を見つけ出さなければいけません。「光を運ぶ」と書いて輝くです。待っていても光は見えてきません。自分で運んでいくしかない。自分の力で光を運んでいって、あしたを明るい日にする。そして明日になったら、その明日のためにまた運ぶ。それが運命ということなんです。

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「あっ!命の授業」ゴルゴ松本 著廣済堂出版より

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ゴルゴ松本さんの少年院で行われた授業がYoutubeにあり、とても感動しました。

漢字には深い意味があります。日本語にも深い意味があります。代々受け継がれてきたこの言葉には、まさしく「魂」が宿っているのでしょう。「喜」や「嬉」という漢字を見ると、細胞ごとワクワクしている気がします♪「苦」や「悲」という漢字を見ると、やはり気分が沈みます。普段使う言葉もそうでしょう。よく、「天国言葉」と「地獄言葉」とも言います。

「天国言葉」

・ついてる・愛しています・うれしい・楽しい・感謝してます。・しあわせ・ありがとう・ゆるします

「地獄言葉」

・ついていない・不平不満・グチ、泣きごと・悪口、文句・心配ごと・ゆるせない

「天国言葉」を使う人の所には、人が集まります。「地獄言葉」を使う人の元からは、人が去っていきます。そして、一番近くで聞いている、自分自身が影響を受けてしまうのです・・・

よい言葉を心がけ、よい影響を与える人でありたいですね(*^_^*)※魂が震える話より

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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