愛は信頼

https://note.com/romantic5night/n/n654a0cf36e5f 【愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じることよ。-Rina side-】より

「愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じることよ。」マリリン・モンロー

私は数えきれないくらいの恋をしてきた。でもまだ人を愛したことはない。

恋は自分のため、愛は相手のため。恋は下に"心"があるから下心愛は真ん中に"心"があるから真心なんてよくいわれている。大人になるにつれて相手にしてあげたいことは増えたとはいえ、私はまだ自分が可愛い。まぁ愛は相手ありきだから相手がいなかったらそりゃあ自分を可愛がるしかないだろう。しかし今回のテーマは「愛とは信頼」だ。

冒頭で述べた"相手のため"とはまた少し角度が違う見方である。

この観点からいえば、私が今までお付き合いしてきた人たちのことは完全に信じきっていた。

というか私は信じれる人を好きになるんだと思う。本当に信じれる人かどうかは別として。

" 自分が信じたい人がどうか "が大事だと思ってるのかもしれない。

遠距離でも浮気してるのかなんて疑ったことがない。周りの友達に「絶対浮気してるよ。」と言われ続けたときも、私は信じていた。信じたかっただけかもしれないけど。

実際大人になってから考えてみると、浮気していた可能性は確かに高い。

これが「恋は盲目」ということだろうか。でも私は相手を信じれなくなってしまったら

その恋愛は終わりだと思っている。その彼とはその後、新潟から大阪まで高速バスで

「数ヶ月ぶりにやっと会える!」と思って半日くらいかけて会いに行ったのに

連絡がとれずドタキャンされて 梅田のネカフェで4日間過ごすというイベントが起こった。

そのときはさすがに愛想をつかして私はこの恋に終わりを告げた。

ドタキャンの連続、連絡が何日かごとに1回などの積み重ねもあり、もう信じられなくなったから。浮気とかではなく、その人自身を。今考えると酷い恋だなと自分でも思うけど、

それでもその時の好きだった気持ちは否定しない。私しか知らないその人の素敵な一面があったし、それは2人にしかわからない。友達に彼氏を否定されてよくありがちな理由だけど、事実その恋愛はその2人にしかわからない。

周りは関係ない。恋はきっと友達と恋バナしてきゃーきゃー言うのが楽しくなるもので、

愛はきっと誰かに話したくなるというより自分たちの世界を誰にも知られないところで永遠に。的な感じではないだろうか。夢見すぎ?でもマリリン・モンロー的にいえば

私は今までちゃんと人を愛せてきたのかもしれない。私が思うのは、一般的に"信用できるか、できないか"ではなく、その人を"信用するか、しないか"が愛なのではないかということ。それはその人の欠けている部分も全部含めて愛で包み込む覚悟があるかどうかということ。んー、やっぱりまだ自分が可愛い。アイワナビーアー 君のすべーて!!!!


FacebookPrem Sheelさん投稿記事

これが第一のことだ。恐怖は、愛のもうひとつの側面だ。もしあなたが愛の中にいたら、恐怖は消える。もし愛の中にいなければ、恐怖がやってくる、とてつもない恐怖が。恋人たちだけが、恐怖を知らない。愛の深い瞬間にだけ、恐怖は存在しない。

深い愛の瞬間、存在は私たちの家になる。あなたは異邦人ではない、あなたはよそ者ではない、あなたは受け容れられている。たった一人の存在によってでも、あなたは受け容れられている、何かが深みにおいて開く。実存の一番深いところで、花のような現象が。あなたは誰かに受け容れられ、価値を見出されたのだ。あなたは貧しくはない。あなたは重要だ、あなたには意味がある。もしあなたの生に愛がなかったら、あなたは恐れるようになるだろう。

どこもかしこも恐怖だらけになるだろう、なぜなら、どこにも友はなく、敵だらけだからだ。

そうしたら、存在全体が、宇宙人のように見える。自分は偶然ここにいるにすぎず、根を持たず、くつろぐ場所がない。たった一人の人間であっても、愛の中でそれだけの深いくつろぎat-homeness をあなたに与えることができるのだ。

それならば、人が祈りに達することができたときには、どれほどのものだろうか?

祈りは、最も高い愛だ。それはトータルさとともにある愛、全体性とともにある愛だ。

そして愛してこなかったものは、祈りに至ることはできない。

愛は最初のステップであり、祈りは最後のものだ。祈りとは、あなたは全体を愛し、全体があなたを愛するということだ。

ただ一人の個人によってそれほど深い開花があなたの内側で起こるのなら、全体があなたを愛していることを感じたときには、どれほどのものだと思うかね?

祈りとは、あなたが神を愛し、神があなたを愛するということだ。そしてもし、愛と祈りが

あなたの生にないのなら、そこには恐怖があるだけだ・・だから本当のところ、恐怖とは、

愛の不在のことなのだ。もしあなたが、恐怖が自分の問題だというのなら、

それはあなたが間違った側を見ているのだ、ということを私は教える。

愛が問題であるべきだ、恐怖ではなく。もし恐怖が問題であるならば、それはあなたが

愛を探しているということを示している。

もし恐怖が問題であるならば、実際には、その問題はあなたはもっと愛情深くあるべきであり、そうすることで誰かがもっとあなたに対して愛情深くあることができる、ということだ。

あなたはもっと、愛に開いているべきなのだ。しかし、これは難しい。というのは、恐怖の中にあるとき、あなたは閉じているからだ。

あなたはとても怖いと感じるので、人の向かって動くのをやめてしまう。

一人でいたい、と思う。誰かがそこにいるときはいつでも、あなたは神経質になる、

なぜなら、他人は敵のように見えるからだ。Osho - Yoga, The Science Of The Soul


Facebook田中 宏明さん投稿記事

あなたの一番奥にあるもの あなた自身の核とはなんだと思いますか?

想いでしょうか?心でしょうか?ハートでしょうか?あなたの「核」とは実は

今目の前にある全てなんです 街や人や山や海や 見上げた空や宇宙です

数えきれないほどの 星々や銀河や星雲であり 無限に展開する 無数の宇宙でありながら

たった一つのもの それがあなたの 核であり あなたを構成 しているもの

それを「言葉」に することは出来ませんが 僕はいつも それを「愛」と呼んでいますが

本当は言葉には出来ないのです我々の核はそんな神秘そのもの あなたも僕も神秘そのもの

まぁ、そんだけです(笑)ワハハ🌈らぶ💓😊

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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