菊水祭

https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/810061 【菊水祭350年祝い、復活の山車と屋台勢揃い プロジェクトのメンバーら万感胸に 宇都宮城址公園】よりトする

 【宇都宮】宇都宮二荒山神社の菊水祭350年記念祭に合わせ、市民有志でつくる「宮のにぎわい山車復活プロジェクト」によって復活した山車と屋台の計4基が29日、宇都宮城址(じょうし)公園にお目見えした。4基同時に披露されるのは初めて。12年間かけて復元された勇壮な姿を前に、プロジェクトのメンバーは万感の思いを募らせた。

 展示されたのは高さ約9メートルを誇る「火焔(かえん)太鼓山車」、赤い陣羽織姿の人形が特徴の「桃太郎山車」、ピンク色の花飾りが目を引く「旧大黒町花屋台」、日本(やまと)武尊(たけるのみこと)が竜と戦う様子を再現した「日本武尊山車」。

 プロジェクトが残存物を活用したり、写真を手がかりに一から作ったりして、2011年から順次、復元した。4基目となった日本武尊山車の復元は、新型コロナウイルス禍で作業が進まない時期もあった。

 この日は関係者ら約50人が、朝から山車と屋台を同公園の芝生広場に次々と運び込み、組み立てや飾り付けをした。

 午前11時過ぎ、完成した4基の前で「西原こどもお囃子(はやし)会」と「宇都宮駅東お囃子連」が演奏を披露。華やかな音色が会場に響き、訪れた人たちは4基が菊水祭で巡行していた往時に思いをはせていた。

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 午後2時40分ごろには、鳳凰(ほうおう)を飾り、同神社の祭神を乗せたみこし「鳳輦(ほうれん)」の渡御一行が市中心部を練り歩いた後に到着し、初めてのそろい踏みとなった。

 プロジェクトの岩本正男(いわもとまさお)事務局長(72)は「無事にお披露目できて良かった」と喜びもひとしお。一方で引き手の確保や組み立ての手間が課題となり、今回は巡行を見送った。「組み上がった状態で展示保存できる場所を確保し、次は4基で練り歩きたい」と岩本さんは力を込めた。

 菊水祭はこの日、同神社の鳥居付近で流鏑馬(やぶさめ)なども行われた。


https://www.tochigi-edu.ed.jp/koutoku/nc3/blogs/blog_entries/view/107/7f6be6b73fdd61254ab25844b2254848?frame_id=39 【日本武尊山車完成】より

 令和5年1月29日に西原小学校において「日本(やまと)武尊(たけるのみこと)山車」完成披露式がありました。

 「日本(やまと)武尊(たけるのみこと)山車」は日本武尊と龍の人形がシンボルで、明治初期に作成されて、宇都宮二荒山神社の菊水祭を彩りましたが、1934(昭和9)年を最後に巡行が途絶え山車も残っていませんでした。そのため山車の復活が「宮のにぎわい 山車復活プロジェクト」により数年前から進められておりました。

 そのプロジェクトから山車の波飛沫(なみしぶき)を本校生徒に作ってほしいという依頼があり、令和4年12月13日(火)に本校生徒会役員、生活デザイン部、伝統芸能部の生徒たちが「日本武尊山車」の波飛沫の作成作業を行いました。作成する山車の由来や飛沫作成の方法などの説明を受け、自分達が作る波飛沫が伝統ある山車に使われるとあって、熱心に作成に取り組みました。             

 菊水祭りで宇都宮市内を曳かれる日本武尊の勇姿を見るのが楽しみです。


龍淵に潜む山車小屋閑かなり  高資   菊水祭山車・伝馬町

日高見を開く囃子や菊水祭  高資   日の出鶴山車


手を取りて神のまにまに秋まつり


facebook宇都宮観光ナビ 投稿記事【宇都宮の伝統文化010】 菊水祭

菊水祭りの起源は、寛文12(1672)年、日野町から火災が発生したおり、風下の曲師町が幸いにも類焼を免れたため、町の人々は二荒山神社のご加護があったためと喜び、その年の12月の冬渡祭に、日野町と曲師町から子ども数人の踊りの奉納とともに高張提灯を出しました。翌年1月の春渡祭には、他の町々からも出し物が出て混雑したため、「秋山祭の付け祭りとして行いたい」と社寺奉行に願い出て許可されたものです。延宝元(1673)年、今から340年ほど前のことです。菊水祭の名前は、重陽の節句(菊祭)に行うようになったため菊水祭と呼ばれるようになりました。


facebook久保川 賢一さん投稿記事【菊水祭~きくすいさい】

きょうは日光ではなく、宇都宮の二荒山(ふたあらやま)神社の菊水祭でした。

菊水祭のおおもとは秋山祭(あきやままつり)と、呼ばれていたそうです。

西暦940年、日本の年号で言うと、「天が慶ぶ」と書く天慶(てんぎょう)3年、平将門の起こした天慶の乱が治まったのですが、この戦を一日でも早く勝利に導きたいと、当時のえら~いかたたちも神頼みをしたようです。その願いをかなえてくださったお礼に始まったのが秋山祭でした。

将門の時代から700年以上たった1672年、「くつろぐふみ」と、書いて寛文(かんぶん)13年、

秋山祭の付け祭として、女性や子供たちも参加できる菊水祭が生まれました。

流鏑馬(やぶさめ)は、菊水祭の恒例行事で、このお祭は北関東屈指のものだったと若いときに歴史の〃にわか勉強〃をしたものです。

私は、神明宮(しんめいぐう)という町内の小さなお社で、朝から草むりしやテントの組み立てを手伝いました。そのあと近所のみなさんとテントの下で芋煮会を楽しんだのです。

母も参加させてもらいました。午後はネクタイ姿に着替えて、神様の乗る輿と時代装束の行列をお待ちしたんですよ。

ほどなく町内の男性たちは、お祭の行列に加わり、隣の町内に橋渡しするまで歩いてお開きになりました。お馬さんも、私が子どものころには、大きな落とし物をして大変でしたが、近ごろはそんなことはありません。昼間からお酒を飲んでいる私よりずっとお行儀がいいのですね。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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