facebook加藤隆行さん投稿記事【制限をはずす】
カウンセリングしてるとですね、画面の向こうのクライアントさん、みんなちゃんと座ってるんです。姿勢よく、落ち着いて、しっかりお話ししてくれます。
通常はぐらぐらもしないし、ゆらゆらもしない。気が散ってチロチロ外見たりしないし だいたいピシッと、ちゃんとしてる。……すばらしい!
けど、ボク、ふと思ったんです。「あれ? これってもしかして “自己否定”のひとつかも?」
というのも──「ちゃんとしなきゃ」「しっかりしなきゃ」っていう思い、これって、小さい頃からず〜っと教え込まれてきた“しつけ”ですよね。
朝礼ではまっすぐ並ばされ、教室ではじっと座らされ、気が散ると「集中しなさい!」って怒られた。
でもね、本来、子どもって……いや、人間って、もっと自由に、もっと勝手に、動いてたんですよ。
実際に、ママのカウンセリングしてると、後ろでお子さんが走り回ったり、おしりプリプリさせたり、手をひらひらさせたりしてる。もう自由も自由、好き勝手ワールド全開!
猫もよくカウンセリング中に登場する。気まぐれに歩いて、急に止まって、毛づくろいして、
「私ですけど、なにか?」みたいな顔してくる(笑)でも、大人だけが──ぴしっと静かにしてる。これって、ちょっと不自然だよね。
つまり、ボクらは、「理性」っていう名の「そのままではいけない」という ”自己否定” の枠の中で、じっとしてるのが当たり前になってるんです。
でもね。たまには、その枠、はずしてみるといいですよ。
人に見られないようひとりのときでいいんです。部屋でこっそり、誰にも見られないところで好き勝手動いてみる。ぐにゃぐにゃしてもいい。ゴロゴロ転がってもいい。手をひらひら、足をバタバタ、思いついた動き、動きたいように動かしたいように全部やってみていい。
理性の枠の外に、ちょっとだけ身体を解放してみる。これ、10分やるだけでも、もんのすごく、自由になります。超すっきりします。
無意識に背負っていた大リーグ養成ギプスを外すみたいなもんです。
じつはある種のダンスや舞踊って、そういう「自由に動くこと」を表現してるアートでもあるんですよね。アートとはその人の内的なイメージ、感情や感覚、想いを創造的な表現を通じて表出するもの。だから見ている方も感情が動く。こうやって自由に動いてみるって、それだけで感情が出る。出てくるってことは、ちゃんとそこに、あったということ。
あなたもぜひやってみて。思いきり、ひとりで自由に身体の赴くまま動いてみてください。
無邪気に。「大人であること」を、一瞬だけ脱ぐのです。
ひと皮もふた皮もムケますよ。くれぐれも近所の人に見られんように。みられてもいい人はむしろ見せて(^ω^)
facebook長岡 美妃さん投稿記事
マンネリにハマると世界が色褪せてくる。子供の頃、あんなにも世界は冒険に満ちていた。
自転車で隣町まで漕いで行くと、そこには見知らぬ風景に見知らぬ人たちがいる世界が広がっていた。冒険の帰りは少し大人になった気分になって、誰も見ていないのに一人胸を張って自転車を漕いでいた。
しかし大人になり世界に慣れてくると、あれだけ新鮮だった日常は変わり映えのない日々に変容していく。隣町は見慣れた風景になり、人との出会いは定型文の授受となる。躍動感に満ちていた世界は色褪せた世界になっている。「なんとか平穏無事に過ごせればいい」というのが口癖になり、未知の世界に飛び込む冒険心は影も形もなくなっている。
なぜあんなにもキラキラとしていた世界がこんなに変容を起こすのだろう。
それは一言、マンネリにハマるということだ。長い年月人間社会に居れば、大体において機械的条件反射はできるようになる。大前提を土台にして、AならばB、BならばC、、、と順を踏んでいけば程々の社会生活は可能となる。その生活に馴染んでいけば、マンネリの罠にハマっていることすら気づかなくなっていくのだろう。
子供の頃、自分の手を見つめながら「これ何?」と思ったこと。おばあちゃんが亡くなった時に「悲しみって何?」と考えたこと。「当たり前でしょ!」と叱られた時に当たり前が理解できずに泣きそうになったこと。角砂糖を図で表せと言われ全く理解できずにパニックになったこと・・・世界はわからないことだらけだった。だからマンネリにハマる暇は一瞬たりともなかった。しかし、だからこそ世界は冒険ストーリーのようにワクワクしたものだった。
当たり前を当たり前と思ってしまったら、この世界は面白くもなんともない。
大前提を疑うからこそ、世界は揺らぎをみせてくる。その揺らぎは新しい世界の扉となり、私たちを世界の深淵まで連れて行ってくれる。それはまるで子供の頃に自転車を漕いで隣町に走って行ったころのワクワクと同じである。
そして一番上位にある大前提「存在がある」を疑ってみた時・・・世界は有るまんまで無くなった。世界がガラガラと崩れ壊れていき、その壊れゆく音を観ていた。。。と次の瞬間、綺麗さっぱり世界が消えて無いのに目の前に立ち現れる「世界」は有る。その「世界」は今ここ新鮮な輝きを宿しているのだった。
この体が世界に有るうち、私はマンネリにハマることはない。
わからないことばかりだった子供の私に伝えてあげよう。「なにもわからないことを知るのが真の智慧だよ。」と。だからこそ、世界は新鮮なまま美しくあれるんだ。と。
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