風薫る明神の水ふふみけり 五島高資 — 場所: 宇都宮ニ荒山神社

https://adeac.jp/takanezawa-lib/text-list/d100010/ht002450 【宇都宮社壇】より

 平安末期の永万元年(一一六五)六月の『神祇官諸社年貢注文』(「永万文書」)に、「下野国 宇豆宮上馬二匹」の記載がある。この史料は、同年の六条天皇の即位に際して地方の神社が神祇官へ進上した年貢を注記し、神祇官の下級職員から神祇伯へ報告された文書であるが、この「宇豆宮」は「うつのみや」と呼称する神社の名称の初見である。「宇豆宮」はすなわち今日の宇都宮二荒山神社のことを指し、中世においては「宇都宮明神」と呼ばれた神社である。

 現在の宇都宮二荒山神社の主祭神は崇神天皇の皇子豊城入彦命を祀ると伝えられ、この豊城入彦命は古代に下野を支配した下毛野氏の祖とされるという。そうした神社の起源については史料の制約から社伝によるほかないのであるが、現在の二荒山神社の社名の起源は、延長五年(九二七)に成立した『延喜式』に基づいている。すなわち同書の中で、全国の神社と神名、社格などを明記した「神名帳」という項目に、下野国内の一二の神社の中で「河内郡一座 大 二荒山神社 名神大」と記載されている。「大」という社格は下野国内の第一位に位置づけられていることを示すもので、河内郡の二荒山神社が今日の宇都宮二荒山神社であるという根拠となっている。(ただし、この『延喜式』の二荒山神社について、日光の二荒山神社と考える説もあるが、河内郡と明記してあることが強い根拠となっている。)

 しかし、冒頭に紹介したように少なくとも平安末期ごろからは二荒山神社という呼称を示す史料は確認されず、一般には「宇都宮」若しくは「宇都宮明神」などと呼称されていたようである。そして、信仰の性格としては、戦勝や武人を加護する神として崇敬されていたと思われる。

 例えば、『平家物語』の有名な扇の的を射る場面で、那須与一宗隆は「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願わくはあの的の真ん中射させてたばせ給え」と祈っており、武神として広く武人に信仰された八幡大菩薩とともに祈願の対象となっている。また、鎌倉期には宇都宮一族の私歌集である『新○和歌集』(○の部分には当初「式」の文字があったが、なんらかの理由で「式」の文字を除去することになり、保留の意味で○の表記をあてている。)に「東路や多くの蝦夷平らげて、叛けば討つの宮とこそきけ」と詠まれているように、「宇都宮」と「討つの宮」とをかける発想も見え、武神的性格をもつ宇都宮明神の信仰を物語っている。

 こうした宇都宮明神の性格は、祭祀に際して捧げられる神饌(供物)の形態からも考えることが出来る。例えば、承久元年(一二一九)に成立した『続古事談』では、宇都宮明神の神饌について「狩人鹿の頭を供祭物にすとぞ」と記しており、弘安六年(一二八三)に無住が著した『沙石集』の「生類を神に供る不審之事」の条で、「信州の諏訪、下野宇都宮、狩を崇ぶとして鹿鳥なんどを餉る」とあるように、諏訪明神と同様に、鹿・鳥などの動物を神饌として奉ずることが宇都宮明神の特徴として知られていたようである。

 このように生類を供物として捧げることは狩猟神の信仰にもつながることであり、同時に弓矢を重んじる武士の信仰とも結びつくものであるといえよう。(『宇都宮二荒山神社誌』宇都宮二荒山神社発行)

 ところで、中世においてこうした宇都宮明神の祭祀を司るうえで中心的な役割を担ったのが宇都宮氏であった。宇都宮氏と宇都宮明神の関係の始まりを示す史料は必ずしも十分なものではないが、『吾妻鏡』の元暦元年(一一八四)五月二四日の条で、宇都宮朝綱が「伊賀国壬生野郷地頭職」を与えられている記事が見えるが、そこでは補足説明として、これは「宇都宮社務職」は従来からの宇都宮氏の権利として当然のことであるから、それとは別に新たに「新恩」を加えたものである旨を記している。このことは、宇都宮社務職という所職が、宇都宮氏の本拠地に関わる権利として最も重要なものであると認められたことを示すものであろう。

 そして宇都宮の社壇(神社を構成する組織全体)は、源頼朝による武家政権の発足にともない、その重要度も増すことになった。文治五年(一一八九)源頼朝は奥州遠征の途上、宇都宮に奉幣して戦勝を祈願し、成就の暁に捕虜一人を神職として奉ることを神前で誓い、奥州藤原氏平定後の帰路にその約束に従って社領を寄進した上で、捕虜の樋爪俊衡一族を宇都宮社の職掌としている。

 そしてこの頼朝の奉幣は「順道の御参詣に非ず、偏に御報賽の為なり。(単なる道すがらの参詣ではなく、祈願成就に報いるためのものである。)」とわざわざ断っている(『吾妻鏡』)。

 このように宇都宮明神は、武人の崇敬する神を祀る社壇として重きをおかれることとなり、その社壇の名を名字とし、社務を司る御家人宇都宮氏は、自ずと宇都宮明神と切っても切れない関係をもとにいわば「神官御家人」として発展していったのである。

4図 中世期の宇都宮明神の図(『日光山并宇都宮明神縁起絵巻』より 愛媛県大洲市宇都宮神社蔵)


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神明鳥居(しんめいとりい)と明神鳥居(みょうじんとりい)は、日本の神社において特定の神や宗教的な信仰対象を表すための鳥居(神社の門)の異なる種類を指します。以下に、それぞれの特徴と違いを説明します。

神明鳥居(しんめいとりい)

神明鳥居は、主に神明(しんめい)と呼ばれる神を祀る神社に設置される鳥居です。神明は、一般的に広く信仰される神であり、神社全体を通して一般の信仰を表しています。鳥居の上部には、横木(なんぎ)と呼ばれる横材があり、これが特徴的な形状をしています。

明神鳥居(みょうじんとりい)

明神鳥居は、特定の明神(みょうじん)を祀る神社に設置される鳥居です。明神は、特定の功績や功徳があるとされ、そのために尊崇されている神です。一般的に神社全体でなく、特定の神を祀るためのものです。鳥居の上部には、横木がなく、単純で簡潔な形状が特徴です。

これらの鳥居は、神社ごとに異なる場合があり、地域や信仰対象によっても変化することがあります。一般的な傾向として説明されていますが、厳密な規則があるわけではありません。


https://teamearth.hatenadiary.com/entry/shrine-torii 【【神社の不思議】なぜ鳥居には色んな形式が存在しているのか?】より

こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

神社参拝に行くと、入口には必ずと言ってよいほど、鳥居が立っていますよね。

それこそ、はじめて訪れる神社では、目印になって助かりますが(笑)実際、鳥居は「ここには神社があるぞ!」という威厳(いげん)を保つ目的⛩ さらには、神様の世界と人間の世界を分け隔てる結界のような役割も果たしています。つまり、鳥居をくぐることは、日常生活で知らず知らずに溜まった自身の罪やケガレを清浄し🚿神様へ挨拶に行く前に、身だしなみを整える場所でもあるのです。

そんな神社にとって、重要な役割を持つ鳥居には、なぜか色んな形が存在していますよね?

今回は『なぜ鳥居には色んな形式が存在しているのか?』についてわかりやすく解説したいと思います。鳥居の種類を知ることで、参拝する神社がどんな神様なのかを理解できて面白いので、よかったら最後までご覧くださいね😌

鳥居に色んな形式が存在する理由  色んな鳥居

鳥居の形式は、大きく二種類に分類することができます。

それが"神明(しんめい)系"の鳥居と"明神(みょうじん)系"の鳥居⛩ 個性的な形をした鳥居も、神明系か明神系、どちらかの鳥居を基盤にして作られています。

神明系鳥居は、皇祖神"アマテラス"に関係する神社に多く見られる鳥居🌞歴代天皇が祀られている神宮や天の神様(天津神)を祀った神社にも、神明系の鳥居が立っていることが多いです。神明系鳥居は、インド仏教や儒教(じゅきょう)・アカ族の村の門など、海外に起源を求める説もありますが、はっきりしたことはわかっていません🤔ただ、社殿が建てられる以前から存在しており、古代の信仰形態の一つということは間違いないでしょう。

明神系鳥居は、神明系よりも新しく建てられたもので、仏教建築の影響が大きく反映されていると考えられています。

元々、地域を守っていた氏神(国津神)、菅原道真や徳川家康のように神格化された偉人は、明神系の鳥居であることが多いですね🗡

さらに、平安時代以降に"神仏習合(神道と仏教の融合)"の影響を大きく受けていた神社も、明神系鳥居に変更されている可能性があります。

といった感じで、鳥居の代表的な形式は、神明鳥居と明神鳥居の二種類⛩

神明鳥居はアマテラス関係の神様が多く、明神鳥居は氏神や仏教の影響を大きく受けているものが大半ということでした。

ここからは、そんな神明鳥居と明神鳥居の構造について、わかりやすくお話していきます。

神明系鳥居の構造

神明系鳥居の構造は、古代の信仰形態であったことから、すっごくシンプル✨

最上部を「笠木(かさぎ)」、その下部を「貫(ぬき)」と呼び、それぞれが一本ずつで成り立っています。ほとんどの貫は、縦の「柱(はしら)」を突き出ないものが多いですね。

神明鳥居に関しては、笠木・貫・柱がすべて丸くなっているのも特徴といえるでしょう。

伊勢鳥居

ちなみに"伊勢神宮"の鳥居は『伊勢鳥居』と呼びますが、一見すると神明鳥居と変わらない構造に感じます。しかし、よーく見ると「笠木」が五角形、「貫」は四角形で作られているのがおわかり頂けるでしょうか?このように、神明系鳥居の中でも、独自の特徴を持つ鳥居が存在します😌

黒木鳥居

神明系鳥居の中でも、「笠木・貫・柱」を丸太材で構成した超シンプルな鳥居は『黒木鳥居』と呼びます。この黒木鳥居は、木の皮を剥がさず組み立てた原始的な構造で、日本最古の鳥居としても有名😳現在では、京都の"皇大(こうだい)神社"と"野宮(ののみや)神社"の二社にしか存在しない、とても貴重な鳥居です。

明神系鳥居の構造

明神系鳥居は、仏教建築の影響を大きく受けており、神明系の鳥居より複雑な構造をしているものが多いです。最上部は「笠木」と「島木(しまぎ)」の二重構造になっていますね⚙️

「貫」も神明系鳥居と違い、「柱」を突き出ているのが特徴(中山鳥居など一部例外を除く)

また、真ん中には「額束(がくつか)」を取り付けられていることが多く、社名や神名が記されている場合もあります。

両部鳥居

明神鳥居とほとんど変わりませんが、「島木」の下に輪っかが付いているものを『台輪(だいわ)鳥居』台輪鳥居の構造に「控柱(ひかえばしら)」と呼ばれる補助が付いているものを『両部(りょうぶ)鳥居』と呼びます。控柱は、海や湖の波から鳥居を支える役割を担っていたと考えられ、両部鳥居がある神社は、本来水辺に面していたのかもしれません🌊

山王鳥居

"日吉(ひよし)大社"系列の神社に見られる、明神鳥居の上に山のような形の装飾が取り付けられたものを『山王(さんのう)鳥居』と呼びます。その姿は、まるで人の手が合掌しているように見えることから『合掌鳥居』とも呼び、神仏の習合を意味しているそう🙏

日吉大社は、古くから"比叡山延暦寺(えんりゃくじ)"の守護神として信仰されており、その特色が鳥居にも表現されているのでしょう。

まとめ

教祖や教義などが存在しない神社は、様々な文明の良い所をうまく取り入れながら、現在の信仰形態に至りました。鳥居は、そんな神社の歴史や神様の物語を伝える存在でもあるのです📚例えば、神明系の伊勢鳥居は、最高神アマテラスを祀る神社であることが容易に判断できますし☀️黒木鳥居のある皇大神社は、アマテラスの八咫鏡(やたのかがみ)を祀っていた元伊勢神社。野宮神社に関しては、伊勢神宮に仕える斎王(さいおう)が身を清める場所であったとされ、皇族と関係の深い神社だということが窺(うかが)えます。

明神系の台輪鳥居は、稲荷(いなり)系神社に良く見られる形式で、秦氏(はたうじ)など渡来人の信仰があったこと🏝

両部鳥居は別称で権現(ごんげん)鳥居と呼びますが、権現には仏や菩薩(ぼさつ)の仮の姿という意味があり、仏教の神様と習合していたことが考えられます。

山王鳥居も、山王権現と呼ばれていたように、山の神と延暦寺の菩薩が習合したものだと想定できますね⛰

新しい知識を学んだ後は、世界の見方が変わる。なんてことも、あると思います😌

普段何気なく通っている鳥居を観察すれば、人生を変えるような面白い発見が見つかるかもしれません。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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