生薬

https://sugamo-sengoku-hifu.jp/medicines/shakuyakukanzoto.html 【筋肉・関節痛の漢方薬68「芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)」】より

芍薬甘草湯とは

芍薬甘草湯

「芍薬」と「甘草」だけで構成されているシンプルな漢方薬です。痛み止めの頓服薬として多くの用いられています。

出典は傷寒論(しょうかんろん)です。中国・漢代の医学書に載っている処方で、比較的、即効性があることで知られています。急激に起こる筋肉のけいれんをともなう痛みに対してよく用いられ、こむら返りの薬として知られています。急性の腰痛・腹痛などにも使用されるような処方です。

こんなときに芍薬甘草湯が役立つ

運動時に起こる筋肉のけいれんを伴う筋肉痛に効果を発揮しますので、けいれんするとスコアに影響が出てしまうゴルフなどのスポーツの前に飲まれる方もいらっしゃいます。また就寝中で足がつってしまう場合などにもおすすめです。

芍薬甘草湯にはアンチ・ドーピングの禁止物質等は含まれてはいませんが、アスリートの方ですと不注意による「うっかりミス」であっても制裁の対象となるため、各競技のルールをご確認いただきますようお願いします。

オンライン診療対応可能

当院では、初診からオンライン診療にて漢方薬の処方を行っております。通院なしで薬剤をお送りすることが可能です(送料無料)。アプリのインストールは不要で、システム利用料も徴収しておりません。よろしければご利用ください。

芍薬甘草湯の特徴

芍薬甘草湯は以下の生薬が含まれます。

芍薬(シャクヤク)

甘草(カンゾウ)

芍薬甘草湯の効果

(効能効果)

急激におこる筋肉のけいれんを伴う疼痛、 筋肉・関節痛、胃痛、腹痛

芍薬甘草湯の対象患者さまについて

(使用目標)

急激に起こる筋肉(おもに下肢)の痙攣性疼痛ならびに腹部 疝痛を訴える場合に用います。 頓服あるいは他の処方と併用されることが多いです。

芍薬甘草湯の使い方

成人の場合、1日合計7.5gを2~3回に分割して食前もしくは食間に、水またはぬるま湯と一緒に内服します。なお用量は年齢・体重・症状により適宜増減します。また万が一飲み忘れてしまった場合は気がついた時点で内服して下さい。ただし次に飲む時間が近い場合は1回飛ばして次の分から再開しましょう。

芍薬甘草湯を服用する上での注意点

以下の患者様は服用が禁忌です。

アルドステロン症の患者さま ミオパチーのある患者さま 低カリウム血症のある患者さま

上記の疾患及び症状が悪化する恐れがあります。

副作用として過敏症(発疹、発赤、掻痒)、肝機能異常、消化器症状(悪心、嘔吐、下痢)、その他(低カリウム血症、浮腫、高血圧、動悸)などが報告されています。いつもと体調が違うと案じた際はご相談ください。

芍薬甘草湯の患者さま負担・薬価について

医療用とされている芍薬甘草湯としては「ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒(医療用)」が有名です。1日薬価は78.0円で1包(2.5g)あたり26円です。1日3包で30日分処方された場合、3割負担の患者さまでは702.0円の薬剤費となります(薬剤費のみの計算です)。


https://ameblo.jp/yanahimenomikoto/entry-12465146519.html 【金沢・尾山神社 お松の方とシャクヤク】より

加賀百万石の城下町・金沢。

この金沢には、加賀藩の藩祖である前田利家公とその正室・お松の方をお祀りする尾山神社がある。

尾山神社はギヤマンの珍しい神門や菊桜、楽器を模した神苑などで有名であり、観光客の参拝も多い神社だ。

そんな尾山神社のお松の方像の前にシャクヤクの花が咲いたとのことで、いそいそと行ってきた。

お松の方像の前にシャクヤクの気品ある花が咲き誇っている。

お松の方は先述のように加賀藩の藩祖である前田利家公の正室だ。

もともと利家公とは母親同士が姉妹であり、従兄妹の関係にあたる。若くして利家公の妻となり、加賀藩二代藩主の前田利長公や豊臣秀吉の養女となった豪姫らを産んだ。

利家公の糟糠の妻であり、豊臣秀吉の正室である北政所ねねと仲が良く、家族ぐるみの付き合いがあったと言われる。

学問や武芸を嗜む才女であったと言われ、利家公亡き後は芳春院と号し、徳川家の人質として江戸に赴き加賀百万石の危機を救った。

賢夫人の誉れ高い女性だ。

「尾山神社のシャクヤク」気品ある美しい花である。

シャクヤクは芍薬と書く。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という都々逸は広く知られている。

夫である利家公亡き後、徳川幕府によって江戸での人質生活を余儀なくされたお松の方の心を慰めたもの、それがシャクヤクであったという。

植える土から改良し、丹念に育てた株を金沢に残る家族にも分け与えていたそうだ。

江戸生活から解放され、金沢に戻った後もシャクヤクを育て続けており、お松の方が終生愛でた花がシャクヤクであった。

なお、この尾山神社のシャクヤクは、金沢大学医薬保健学域薬学類・創薬科学類付属薬用植物園で育てられた薬用シャクヤクの系統維持の手伝いとして植栽したものだそうだ。

以上、尾山神社のお松の方像のもとに咲く美しいシャクヤクについて紹介した。

お松の方の人質生活の苦労を偲ばせるこのシャクヤク、尾山神社の新しい名物になりそうである。

今後もその美しい姿を見せてくれることを期待したい。

参考:尾山神社のシャクヤクの案内板

https://www.chunichi.co.jp/article/903412 【シャクヤク 医学に使命 尾山神社 お松の像前で咲く】より

 加賀藩祖の前田利家と正室お松を祭る、金沢市の尾山神社で、純白のシャクヤクが見頃を迎えている。お松が生涯愛した花とあって、訪れた人たちの注目を集めているが、医学に貢献する隠れた使命を背負っているのだという。その使命とは-。(高橋雪花)

 境内のお松の石像前で、幾重にも広がる花びらが優美な雰囲気を漂わせる。24日には、地元の人や国内外の観光客らが足を止めて眺めていた。散歩で訪れた同市並木町の津田朝子さん(89)は「この白さ、散った花びらまでまことに美しい」と見とれた。

金大植物園移植 昨秋初めて生薬に

 実は、元々は薬学の教育や研究に使われる金沢大の薬用植物園(同市角間町)で育てられていた。園長を務める佐々木陽平教授(薬用植物学)によると、生薬であるシャクヤクの根には気持ちを落ち着かせる作用があり、更年期障害のほか、女性特有の不調に効く「当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)」などの漢方に使われている。尾山神社にあるのも薬用の品種で、観賞用と違い根が立派だ。

 最初に植えられたのは2016年。当時の同神社宮司が植物園を訪れ、佐々木教授に「お松の像の近くに園のシャクヤクを植えたい」と打診したのがきっかけだった。お松は江戸で幕府の人質生活を15年間送った際に、シャクヤクをめでて心を慰めたとされる。

 話を聞いた佐々木教授は「白い薬用シャクヤクの清楚(せいそ)なイメージがお松にぴったりだ」と思い快諾。万が一、園のシャクヤクが全滅する事態が発生した場合を想定し、種の保存を目的に4株植え付けてもらった。現在は学生と年に3回手入れしており、昨秋に初めて根を収穫、生薬に加工した。活用法は今後検討する。

 国内で生薬として使われるシャクヤクは、9割超が中国産という。佐々木教授は「この機会に貴重な国産の薬用シャクヤクに注目してもらえれば」と期待する。

https://www.youtube.com/watch?v=PIyKtCcvFAY

https://www.eisai.co.jp/museum/curator/mgm/030530g.html 【天下取りの健康法】より

 徳川家康といえば、江戸幕府の初代将軍として誰一人として知らない人はいない。家康は75歳の天寿(当時の平均寿命では抜群の長寿)を全うしたが、その陰には家康流健康法が大いに貢献した。今でこそ、健康ブームとかセルフメディケーションの時代といわれているが、家康はその先駆者だったのである。

 家康は知る人ぞ知る医薬の大家であった。3代将軍家光が3歳のおり大病を患い、医者も匙を投げたが、家康が自家製の紫雪(しせつ:硝石など鉱物性生薬を主とする)という薬で救ったことは、春日局が日光東照宮に奉納した「東照大権現祝詞」に記載されている。また、出陣にあたり、生薬を配合した「御笠間薬」を笠のうらに隠して持ち歩き、陣中薬の先鞭をつけた。李時珍の「本草綱目」を入手するために、わざわざ林羅山を長崎までつかわせたり、製薬器具の薬研(やげん)、乳鉢・乳棒などを身の回りに置いたり、宋の陳師文らが著わし、室町から江戸初期にかけての我が国の医学に大きな影響を与えた処方集『和剤局方』を熟読したり、薬草・薬木を栽培させたり(後の駿府御薬園)・・・とにかく医薬に対する熱意は半端でなく、また豊富な知識をもっていた。

 家康は薬ばかりでなく、健康維持にも気を配ったといわれている。天下人になってからも、麦飯と焼ミソの節食を貫いた。ケチであったからではなく、ダイエットが目的であった。最近、麦飯の効用が喧伝されているが、すでに家康の健康法に取り入れられていたのである。家康は馬術、剣術、水練、鉄砲など武芸の達人であり、絶えず体を鍛錬したという。70歳のころ、鉄砲で200メートル先の的に命中させたという逸話もあり、視力も衰えていなかったと思われる。また、早起きして野を駆け巡る鷹狩に精を出し、足腰の鍛錬のみならず、ストレス解消に努めた。現代風に言えば、さしずめ早朝シニアゴルフといったところか。家康は二妻十五妾をもち、十六人の子を残したほど、その道も達者であったが、それが健康維持に寄与したかどうかは知るところではない。

 「織田がつき羽柴がこねし天下餅 すはりしままに食ふは徳川」という狂歌がある。絵師歌川芳虎はそれと分かる絵を版行し処罰されたという。徳川300年の礎を築いた家康は、決してタナボタで天下を掌中したのではない。ただ、信長、秀吉より長生きしたことと無縁とは言えまい。

 酒にタバコ、運動不足に太りすぎ、ストレス・・・中高齢サラリーマン諸氏、天下取りの爪の垢でも。同じ三河の出身者として反省不足を反省。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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