facebook斉藤 一治さん投稿記事
太陽あってのわが命 日本は太陽民族です。
上古以前のはるか昔から、日本人は太陽を日の神として親しく仰いでいました。
太陽あってのわれらの命であることを、何万年も前から私たちの祖先は実感し、手を合わせて感謝を捧げてきました。
それが私たち日本人の遺伝子にしっかりインプットされていることを感じない人は、おそらくいないでしよう。
祖先は太陽に向かうたびに、「火球にして霊魂、日輪にして日の神、わが魂のふるさと」という、敬虔な氣持ちで祈りを捧げてきたものと思います。
ですから、太陽は日の神でもあり、ふだんは子どもたちも「お日さま」「おてんとうさま」と親しく呼んだのでしょう。
年をとってくると、太陽の動きと恩恵の尊さがしみじみと感じられ、何かにつけて「御天道様が見ていなさるから大丈夫」「御天道様に申し訳が立たない」と、日常生活の視えない中心に太陽を置いていたのです。
斉藤は、御天道様が顔を出す「日の出どき」に、「朝の務め」をしています。
「太陽様 ありがとうございます。どうぞ、斉藤を人のため、世のため、神様のため、お使いくださいませ」
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=2199&cityId=2 【大日如来と天照大神(平野の権現社)】より
大日如来を「マカビルシャナ」といい、真言密教では光明に輝く絶対の仏の意としている。金剛界大日如来(智法身)と胎蔵界大日如来(理法身)の二身があって、共に宇宙万物を育てる仏であるとされている。大日如来は高く髪を結い天衣をまとい、宝冠首飾り等をつけた美しい姿である。日本人は古来水の神、風の神、火の神、山の神等のように自然を崇拝してきた。民間信仰では日輪を仏としたのが大日如来で、神としたのが天照大神である。今なお朝起きて東方に向かい拍手して拝むのは日輪信仰の姿である。庶民の信仰の中の大日如来は疫病を退散させる本尊として祀られるようになった。大日如来の石仏、天照大神の石神は町内各所に見られ、平野の権現社境内には「天照大神宮 村中 寛文四年」の紀銘のある自然石が建ててある。地区によっては毎年4月28日「大日さん祭」又は「大日さんごもり」といって今もその祭りが行われている。戦前までは所によって伊勢講田を経営していた。応永のころから京都の公家貴族に始まり、時代が下るにつれ農村へと浸透していった。郷土でも天照大神信者による伊勢講が組織され、祭祀費や伊勢参りの資金作りに講衆によって共同稲作等が行われていた。
https://acorn.okamura.co.jp/topics/column/2018/12/21/taiyo/ 【太陽光というエネルギーの恵み——その1 「いちばん陽の短い冬至に太陽光の恵みについて考える」】より
自然共生
雲間から地上に光が差し込む光景は荘厳。昔の人はそれに神をイメージしたのだろう。
改めて知っておきたい太陽のエネルギー——ヒトや植物、地球への恩恵
季節が移り変わり、夕暮れの時間が早くなってきた今日この頃。一年でいちばん陽の短い冬至(今年は12月22日)ともなれば何となく太陽の光が恋しくなり、ふだん気にもしない太陽の恵みに思いが至るというものですね。日照時間の推移による気温の変化ばかりでなく、気候や気象、大気の流れ、海流の動きなど、地球上の自然の営みは太陽が源。さらに動植物の生育、そして太古の地球上に生命が誕生したのも太陽エネルギーが根源です。太陽の力で私たちは生かされている。そんな太陽と地球に暮らすヒトや生き物との関係について、改めて理解を深めてみませんか? 今回は、気の遠くなるほど膨大なエネルギーを放出し続けている太陽そのものについて探索してみます。
太陽光はすべての生命活動の根源
日照時間の推移による気温の変化ばかりでなく、気候や気象、大気の流れ、海流の動きなど、地球上の自然の営みは太陽が源。さらに動植物の生育、そして太古の地球上に生命が誕生したのも太陽エネルギーが根源です。今、私たちが直接感じる太陽の恵みについて、改めて振り返ってみましょう。その第一は、なんといっても昼間の明るさ。昔の人々は陽が昇ると活動を始め、陽が沈むとともに一日を終えるという生活を長い間続けてきました。そのサイクルは基本的に今の時代も変わりませんが、照明の灯りなどがなかったその昔、陽が沈んだ後は漆黒の闇。月灯りや星灯りがあったとしても、けっこう真っ暗な怖い世界が広がっていたのではないでしょうか。
日光の暖かさも肌で直接感じることのできる太陽の恵みのひとつ。太陽の光と熱が地球上の気象を動かし、樹木の光合成を生み、さまざまな生命を育んできました。
『旧約聖書』には、こんな一節があります。「神はいわれた。光あれ!」。なにもない闇のなかからこうして世界が始まったと、『旧約聖書』の『創世記』に記されています。この一説は神話ではありますが、現実に太陽の光(エネルギー)によって地球に生命が誕生し、私たちの世界が始まりました。また、太陽光によって地上のありとあらゆる生命活動が支えられているのも間違いありません。
だからこそ、昔の人はこうした太陽のありがたみに感謝と畏怖の念を抱き、太陽信仰なども世界各地で生まれていったのでしょう。
太陽と植物の連携で酸素が作られる
もうひとつ、直接的に肌で感じることではありませんが、太陽が地球上に及ぼす重要な作用として、植物の「光合成」は外せない要素です。植物(主にその葉っぱ)は太陽の光を浴びると化学変化によって炭水化物を作り出し、酸素を空気中に放出。簡単に言ってしまえばこれが光合成です。つまり植物と太陽の連携によって、酸素を必要とするすべてのヒトや動物は生かされているというわけですね。
太陽が地球上に及ぼす作用を突き詰めていくと、まだまだ奥深いものがありますが、その前に太陽そのものに注目してみましょう。そもそも太陽はなんで光っているの? そのエネルギーの正体とは?
太陽の誕生から現在の活動に至るまで、今日ではさまざまな研究が進み、多くの事柄が解明されています。昼間の太陽はあまりにまぶしく、私たちはなかなか直に見ることができませんが、太陽のプロフィールを天文学の世界からちょっとのぞいてみましょう。
なにもないと思われている宇宙空間にも、じつは極々薄いガスが漂っている。その集合したものが星になる。
太陽は空に浮かぶ自然界の超巨大原子炉
宇宙空間には、主に水素などの星間ガスと呼ばれる物質が漂っています。太陽が生まれる前、宇宙のある場所でひとつの星の寿命が尽き、超新星爆発を起こしました。その爆発の波動によって星間ガス密度の濃い部分(といっても人間的感覚ではとても薄い)ができ、自らの密度の重力で周囲のガスを引き寄せていきます。それはやがて巨大なガス雲となり、さらに成長して凝縮されていった結果、今から約46億年前に太陽が誕生したのではないかと考えられています。
太陽のような恒星の寿命は100億年くらいとされているので、46億歳の太陽は、人間にたとえるなら、まさに働き盛りの壮年といったところでしょうか。
太陽が輝いている理由は、内部の核融合反応にあります。太陽は、地球のように地面があって燃えているわけではありません。ガスの塊であり、その成分は水素92%、ヘリウム7%、残りの1%未満のなかに炭素や酸素、鉄などの物質があります。そして太陽の内部では、毎秒6億5,000万tの水素原子が激しくぶつかり合ってヘリウムに変化する核融合反応が行なわれ、中心部の温度は1,600万℃、気圧は2,500億気圧という超高圧を生み出しています。要するに、太陽は自然界の超巨大原子炉というわけなんですね。
太陽から放出されるエネルギーは、1秒間に水素爆弾数万個分の38億6,000万×1兆メガワットといわれ、そんな数字を示されてもなにがなんだかわけがわかりません。しかも、中心部でつくられるエネルギーはすぐに宇宙空間に放出されるのではなく、太陽内部で対流しながら数十万年(近年の研究では17万年とも)かけてじわじわ表層に届き、やっと光となって輝くのだそうです。
ということは、今私たちが見ている太陽の光は、はるか太古の昔に核融合でできたエネルギーということになります。
太陽の表面は「光球」と呼ばれます。ただし、太陽はガスの塊なので表面に明確な境界面はなく、光球の深さ(厚み)は300kmくらい。表面温度は約6,000℃で、黒点や白斑などの現象はこの光球で見られます。
光球の外側は、上空1,500kmくらいまでを「彩層」と呼び、さらにその外側の外層大気を「コロナ」といいます。光球から外に向かうにしたがって温度はどんどん高くなり、コロナでは約200万℃にも達します! 中心部より外側のほうがより熱くなるというのはちょっと不思議ですね。その理由はまだよくわかっていないそうです。
太陽外殻のオレンジ色の輪の部分がコロナ。温度は200万℃にも達し、フレアと呼ばれる炎が噴き上がることも。
太陽と地球の奇跡の関係
このようにとてつもない熱球の太陽ですが、太陽系のなかで地球との関係を見ていくと、地球は太陽との距離が絶妙。それが地球上に生命が発生し、生き延びていける奇跡の理由のひとつといわれています。
地球が生まれたのは太陽ができてから数千万年後。太陽が生まれた後、周囲に残ったガスや塵が凝縮しながら太陽を回り始めます。そうしてできていった岩石(金属成分)の塊が衝突し合い、長い年月をかけて惑星としての水星、金星、地球、火星が形成されていったのではないかと考えられています。
宇宙のなかで生命が生まれ、生息できる領域のことを「ハビタブルゾーン」と呼んでいます。太陽のサイズと地球のサイズ、そして距離の関係は、まさにそのハビタブルゾーン真っ只中というわけですね。太陽の大きさや地球との距離に関するデータを少しばかり紹介しましょう。
【太陽のデータ】
■質量:1.98892×1030 kg(地球の約33.3万倍)
■直径:約139万1,000 km(地球の約109倍)
■地球との距離:1億4,959万7,870km(299,792km/secの光の速さで約8分20秒かかる)
『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉著/世界文化社刊)という、太陽と地球の関係などを知るのにとてもわかりやすい本があります。それによれば、100cmの地球から見て太陽は12km先の東京ドームほどの大きさ。また、光のエネルギーは東京ドームに100w電球を140億個つけたくらいの明るさに相当するのだそうです。ちなみに、月は直径30cmのビーチボールほどの大きさで、100cmの地球から30mくらい離れたところをクルクル回っていることになります。
太陽エネルギーは宇宙空間の四方八方に飛散し、約1億5,000万km離れた地球に届くのは、太陽が発する全エネルギーのわずか22億分の1。それでも1秒間に42兆kcalというエネルギーが地球表面に到達しています。42兆kcal/secという数値の意味するところはなかなか理解しにくいですが、例えば1秒間に全世界の人類が石油や石炭、電気などで消費しているエネルギー量と比べると、その2万倍以上になるといいます。
このエネルギーが地面や海水を温め、水蒸気をつくり、雲となって雨を降らします。また空気を動かして風を起こし、水を循環させ、大気層は一定範囲内の気温を保ち続け、植物の光合成を促進させて地球上の生命活動を支えています。
太陽に近い水星や金星になると、地球のようなワケにはいきません。受ける太陽エネルギーが大きすぎ、高温で水が観測されず、生物は生まれません。また木星以上に太陽から遠ざかってしまうと、今度は到達エネルギーが小さすぎて、地表はマイナス100℃以下の低温。水があっても凍ってしまい、やはり生物が生存していくには困難な環境となります。
22億分の1にまで減った太陽のエネルギー量と地球のサイズが、命が育まれていく絶妙な分量だったということになるのでしょうか。
ただ、火星あたりの距離とサイズはなかなか微妙かもしれません。生き物がいる可能性がないわけではなく、ということは火星もハビタブルゾーン内なのでしょうか? 今後の火星探索にも注目したいところですね。
今回は主に太陽のプロフィールを紹介しました。今後、地球と生命の誕生における太陽エネルギーの影響ついて、もう少し詳しく触れていく予定です。
facebook人の心に灯をともす投稿記事【晩晴を貴ぶ】
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
《天意夕陽(ゆうひ)を重んじ 人間晩晴(ばんせい)を貴(たっと)ぶ》(渋沢栄一)
九十一年の生涯に、約五百の企業の創設や育成に関わり、約六百の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力したことから、日本資本主義の父と称される渋沢栄一翁。
その渋沢翁が晩年、好んで揮毫(きごう)したのが上記の言葉です。
一日を懸命に照らし続け、西の空を茜色(あかねいろ)に染めて沈んでいく夕陽の美しさは実に感動的です。
それは天が夕陽のような生き方を重んじていることの表れに他なりません。
その夕陽のように人間もまた、若くして才があり、もてはやされながら、晩年は見る影もないという早成の人生ではなく、年とともに佳境(かきょう)に入り、晩年になるほど晴れ渡っていく、熟成していく人生を送ることが貴いのだと教えてくれています。
渋沢翁のみならず、明治の実業家は晩晴の一語を愛したようです。
彼らが見事な生き方をしたことと、この言葉を愛したことは無縁ではないでしょう。
現代に生きる私たちも目指したい境地です。
『生き方心得帖』致知出版社 https://amzn.to/4kpF0PW
晩晴とは、夕方になって空が晴れることだ。
また、「夕日」は夕方の太陽で、「沈む太陽」そのものを言う。
「夕陽」は本来は「せきよう」と読むが、沈む太陽の光や、それによって照らされたまわりの物をいう。本書の中にこんな言葉があった。
『「老驥(ろうき)、櫪(れき)に伏すも志、千里に在り。烈士(そうし)暮年(ぼねん)
壮心已(そうしんや)まず 」
老いた駿馬(しゅんめ)は厩(うまや)に繋がれていてもなお、千里を走らんという志を持っている。同様に、男らしい男は人生の晩年になっても志に生きんとする情熱、気概が尽きることはない。「三国志」の英傑・魏の曹操が詠んだ詩の一節です。』
いくつになっても、学ぶことをやめず、少しでも向上する。そして、人から必要とされる人になること。「晩晴を貴ぶ」という言葉を胸に刻みたい。
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