一輪の花を咲かせる

facebookあいことば投稿記事【一輪の花を咲かせる】

渡辺和子氏の心に響く言葉より…

ある人が送ってくれたその詩は、英語で「Where God has planted you, you must bloom.」という言葉で始まっていました。その人の自作なのかどうか、いまだにわかりません。

神が置いてくださったところで咲きなさい仕方がないと諦めてでなく「咲く」のです。

「咲く」ということは自分が笑顔で幸せに生き周囲の人々を幸せにするということです。

「咲く」ということは周囲の人々に、あなたの笑顔が私は幸せなのだということを

示して生きるということなのです。

“神が私をここに置いてくださったそれは すばらしいことでありありがたいことだ”とあなたのすべてが証明することなのです

「咲く」ということは他の人の求めに喜んで応じ自分にとって ありがたくない人にも決して嫌な顔 退屈げな態度を見せないで生きることなのです。

その頃の私は、若くして思いがけず与えられた管理職の重みに耐えかねて、口には出さずとも「今の仕事さえしなかったら、今の立場にさえ置かれていなかったら」と、心の中に呟(つぶや)くことの多い日々でした。

人間は一人ひとり花です。

小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどり店頭に飾られ、買われてゆくのもあれば、ひっそり路傍で「花の一生」を終えるのも多いでしょう。

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて優劣を競うこともなければ、どこに置かれるかにもなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。

それは決して「迷い」のないことを言っているのではありません。

もっと日当たりの良いところだったら、もっと風当たりの少ないところだったら、もっと広々としたところだったらと、嘆くことがあってもよい。

そんな思いを抱いてもいいのだけれども、それにのみ心を奪われて、みじめな思いで一生を過ごすのではなく、置かれたところで精いっぱい、それも詩の中にうたわれているように「咲く」こと、それがいつしか花を美しくするのです。

《人の使命とは 自らが笑顔で生き、周囲の人々も 幸せにすること。》…自分にしか咲かせられない花を、どこに置かれても、精いっぱい咲かせよう。

『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所

中国の明末の書 「酔古堂剣掃(すいこどうけんそう)」の中の一節にこんな言葉がある。

《野花艶目 不必牡丹 村酒酔人 何須緑蟻》

『野花も目に艶(あで)やかなり。必ずしも牡丹(ぼたん)ならず。

村酒も人を酔わす。何ぞ縁蟻(えんぎ・美酒の異称)を用いん』

“野に咲く花も目にあでやかである。必ずしも牡丹(中国の代表的な花)でなければならないことはない。村の地酒も人を酔わせる。何も銘酒でなければならないことはない”

野にひっそりと咲く花も、また美しい。人も同じで、無名であっても有力な人もいる。

逆に、有名であっても無力の人もいる。花は花として、自分の花を精いっぱい咲かせる。

置かれたところで…自分独自の花を咲かせたい。


facebook赤塚 高仁さん投稿記事

「稼げるかどうか」「需要があるのか」「人に使われる」「キツイ」そして、「世間体が悪い」などという評価があっても、本人が我を忘れて、誰かのために命を使っていれば最高の人生です。

日本人は、他人の評価など気にせず、やるべきことに打ち込める民族だったはずです。

人に何を言われようと、お天道様がみてくれていると。

人が見ていなくても、必要以上に真心をこめて仕事に精を出したのです。

https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12902630141.html?fbclid=IwY2xjawKQHt9leHRuA2FlbQIxMQBicmlkETF4VnE0ZDY4Q3JMSjlPNmY3AR7jlnQI_vczTlviwMPSbdju6ebrNNgAwceVPn7RYWXv6yjkcCgVyvMsjHGK5g_aem_p_uyyo_tb9pT_tnWu2h31g 【いまここのすべて、自分で決めたわけだから。】より

家が建築屋さんだから、稼業を継いで私も建築の仕事に就きました。30年間も社長をやりました。高校の頃、建築科に進もうと理科系の勉強をしたところが、まったくついてゆけませんでした。関数などわかりませんでしたし、今でも三角関数もわかりません。

どれだけ補習をしても、ついてゆけませんでした。完璧な落ちこぼれです。

ところが、国語と日本史、そして美術はよくできて、現代国語は全国模試でひとケタに入ったこともありました。ふつう、進路を決めるとき自分の能力によって考えますよね。

人間それぞれ、得手と不得手があるわけですから。

10数校の受験をし、ことごとく失敗して、東京に行き浪人していた頃の私に会って言ってやりたいものです。「お前はいったい何がやりたいの? 本当に好きなものは何?得意なことは?」 進学校と言われた私の高校では、東大、京大、地元三重大にいって医者になるというのが優秀な連中で、あとは、教師になるものも多かったですね。

高校生なのに目標があって、進路がはっきりしていて、必死に勉強してました、みんな。

とりあえず大学には行かなければいけないような風潮でしたから、何をしに行くというよりも、人に聞かれて「ええ学校」に行くことが大事だったわけです。

基準はただ一点、 世間体 です。就職も大手有名企業であることが、必須条件でした。

 戦後の日本は、「競争社会」「格差社会」あるいは「弱肉強食」という言葉が普通に語られるような、「人と比べて自分の優劣を判断する」世界になってしまったように思えます。

みんなちがって、みんないい。みんなつながっている。大きな和をもって尊しとする、古来ヤマト人が最も大切にしてきた思想でなく、比較し、競争し、勝たなければならない、力の世界、西洋の思想に感化されてしまったのかも知れません。

 欧米の思想は何でも素晴らしく、日本の考えは古くて劣っている。それが、戦後の我が国の姿であり、国家全体が過度の競争社会になってしまっているように思えます。

人間にはそれぞれ、得手不得手があります。それを比べて、一喜一憂することには意味がないのではないでしょうか?

「稼げるかどうか」「需要があるのか」「人に使われる」「キツイ」そして、「世間体が悪い」などという評価があっても、本人が我を忘れて、誰かのために命を使っていれば最高の人生です。日本人は、他人の評価など気にせず、やるべきことに打ち込める民族だったはずです。人に何を言われようと、お天道様がみてくれていると。

人が見ていなくても、必要以上に真心をこめて仕事に精を出したのです。

私にも、日本人のDNAが刻まれています。スイッチがオンになりさえすれば、日本人気質で仕事に対する気合も入るはずです。 しかし、どうして日本人らしくない日本人の世界になったのでしょう。

社会の利益の前に、自分の利益を求めるといった、競争結果落ちてゆく人がいてもかまわず、

人と共に生きるのではなく、まず自分が生きることを優先する、我欲に満ちた世界は、まさに西洋文明社会ではありませんか。

 私は、自分の闇を見据えてみてよくわかりました。自分の心の根底に 「自分を否定する感情」があるのです。自分を否定し続けると、外からの影響で容易に変えられてしまいます。

とりわけ、その劣等感を揺さぶるような相手に出会うと、自己否定が起き、屈服し服従し、そして依存が始まるのです。これは、仕事に責任感が持てない気持ちと同じです。

自分への自信のなさの裏側には、人からの評価の奴隷になっている自分があるのです。

人からどう思われているのか? 気になって仕方がないのです。私たちの救いは、日本に天皇陛下がいらっしゃるということです。

誰に何を言われようが、誰が何を言おうが、お天道様が願ってらっしゃることをただひたすらやる。迷わずにやる。お役目を果たすという姿を、一切の説明なしに見せてくださっている天皇陛下は世界の光です。どんな闇も、光には勝たないのです。

 三角関数はいまだにわかりませんし、現場では足手まといの社長でしたが、私には私にしかできない家づくり、街づくりをしてきました。

これからも日本のお役に立ち、天皇陛下が喜んでくださるような仕事をします。

まわりに幸せな人がいることが、私にとっての幸せの定義です。 

 いまここのすべて、自分で決めたわけだから。


facebook斎藤一人さん投稿記事

人生とは不思議なもので、「何をやってもつまらない」と言っているような人でも、人を喜ばせる人生を歩き始めた途端に、大きく景色が変わってくる。人を喜ばすってね、難しいことじゃないよ。「いつもありがとう」「おいしかったよ」って、伝えるだけでいいんです。

ひとり

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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