大人立つ

facebook田中 宏明さん投稿記事

例えばあなたが「世界平和」について考えるとしましょう

あれこれと頭の中でたくさんの思いや閃きが生まれては消えて行きます

そして必ず最終的に辿り着くのは「結局どうすればいいかよくわからない」という感覚だと思います^ ^ だからこそ人はまず行動することが大切だと言われます

平和にしろ 環境問題にしろ わたしができる 小さな事から始めるしかないんだとまぁ、皆さまも なんとなくそんな落ち着きどころがあるのではないでしょうか?いやーよくわかります^ ^ で、実際のところ行動を始めた人もいれば なんとなくええなぁ、そやなぁで終わった人もいるでしょう 僕自身もフッとそういうことを考える時があります

他にも教育のことや環境のこと、暮らし方のこと生きていれば様々な課題のようなものがたくさんあります はいでもそれは「幻」ですあ、、、。言っちゃった^ ^

まぁ、怒らないで 読んでくださいね これはそういった問題への「無関心」ではないんです

むしろ一番ダイレクトな解決に繋がると僕は思っています

仮にあらゆる「考え」は幻だと見抜く事が出来れば「問題」は生まれません

そして「問題」が生まれなければ後はあなたが「どうしたい」かだけが残ります^ ^

わかりますか?肩に力の入った問題解決に対する「使命感」や「正義感」というものこそがあらゆる「争い」の根底にあるわけです 平和を求めて「殺し合う」というギャグみたいな話しを人類の長い戦争の歴史が証明しています というよりその争いは「あなた自身」の中にあるはずです あなたが ヴィーガンでヒッピーで 世界に自由と平和を 求めているなら

それ以外の世界は 全てあなたにとって「あなたに反するもの」になるでしょう^ ^

水や空気を汚し食べ物を添加物や農薬まみれにして餓鬼のようにただ利益を貪り続ける愚かな社会 ほらね^ ^腹が立って来るでしょう?(笑)

そんな 社会システムと 例え物理的に争わずとも 否定に値する十分な条件が整っています

そしてそこにまた新しい「怒り」が生まれ 新しい「正義」が生まれ新しい「争い」が生まれます

この「繰り返し」の愚かさをもし人類の多くが見抜く事が出来た時もはやそこに「争い」は生まれません^ ^

その「怒り」や「争い」に使っていたエネルギーを地球や自分にとって心地良い方へと導くエネルギーに使い始めるからです^ ^

つまり「考え」を超えるということはハートを生き始めるということです

それはつまり「社会」を超えて行くということです

国家でも政府でもなく自分自身が「自治区」となって生き始めるのです^ ^

それが僕が思う本当の「平和」であり「自由」です 「争い」はその社会と同じ地平に

いるからこそ起こります^ ^

それを超えていくだけの明晰な意識さえあればあなたや地球の問題は勝手に消えていくでしょう そのためには何よりもまずあなたを怒らせたり不安にさせたりを繰り返し続けている

「思考」に気づくことです^ ^ 思考は幻です来ては去っていく塵のようなものです

それに力を与えないこと^ ^それが世界を変容する唯一の方法だと僕は思っています

とまぁ何かが伝わった人もよくわからなかった人もどうかごきげんな一日をお過ごしください😊ワハハ🌈らぶ💓


facebook大覚院 真観さん投稿記事

鈍感力という能力

瞑想などを行じて感覚が研ぎ澄まされてくると五感、即ち、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚が鋭くなり、普段何気なく見過ごしていた中に、様々な ”気づき “の断片が散りばめられていることが分かってきます。

また、相手の立場や出来事の背景なども瞬時に洞察が可能となります。

しかし、これまで何度も述べてきたように、物事は表裏一体になっているため、研ぎ澄まされた感覚は、悪い面でも機能し始めます。

例えば、見たくない人の正体や心の裏側、どうでもいい些細な雑音も耳に入るようになり、鋭くなった分だけ悩みも増します。

また、普通の人なら考えもしないことで悩むことも起きます。

そこで、役にたつのが「鈍感力」です。

「鈍感」なんていうと、「のろま」だとか「空気が読めない」等と否定的に捉えられがちですが、繊細な感性から他人の言動を気にしてしまう人や、鋭くなり過ぎた故に「考えすぎてしまう」人には ”耳栓 “のように役立ちます。この能力は歳月を重ねると自然と身につきます。


facebook人の心に灯をともす投稿記事 【笑いながら走る】

斎藤一人さんの心に響く言葉より…

時々、生き急ぐかのように、いつも何かに追い立てられている人がいます。そういう人って、人生が1回しかないと思っているんだろうね。短い生涯だから、あれもしなきゃ、これもしなきゃって。まるで追い立てられるように生きている。でもね、人間は死なないんだよ。

肉体は寿命がきたら死ぬけど、魂は永遠に生き続けるんです。

何度でも生まれ変われるんだから生き急ぐ必要はないし、今世できなかったことは来世ですればいいんだよね。魂は永遠に生き続けるから、死ぬことだってたいした問題じゃないの。

だったらいつ死んでもいいんですかって、そんなわけない(笑)。この世には楽しいことがいっぱいあるから、俺は少しでも長生きしたいんです。一人さんはいつも動いていて、1秒たりとも歩みを止めません。会社の商品でも、お弟子さんや社員がびっくりするくらい、俺はヒット商品を次々生み出しちゃうんです。だけど、全然生き急いでいるように見えないの。

ほかの人が俺と同じように1秒も歩みを止めないでいると、生き急いでいるように見えるのに、俺の場合はすごくゆとりがあるんだよね。なぜそんなに違いがあるのかというと、俺は人生を楽しんでいるからだよ。それと、いつも笑顔だから。例えば同じように走っていても、必死の形相で走っているのと、笑いながら走っているのとでは、見る人の印象は全然違うでしょ?それと同じです。俺の場合、いつも楽しんでいて笑顔なの。笑顔で楽しんでいるから、どんなにスピード感のある人生でも、決して生き急いでいるように見えないんだ。

こういう俳句があるんです。「くすの木千年 さらに今年の若葉なり」

樹齢千年の楠(くすのき)と聞けば、普通はもう葉をつける元気もないと思うかもしれないけ ど、昨年と変わらないばかりか、さらに勢いよく若葉が萌えている。そういう歌なんだよね。

生きるって、成長することなの。樹齢千年の木ですら、まだまだ成長している。

一人さんが歩みを止めず、成長し続けるのだって、命ある存在として当たり前のことなんです。それを、年を取ったとかどうとかって歩みを止める方が、逆に苦しくなるの。

成長を止めるって、自然の摂理に反しているんだよね。あの縄文杉だって、まだまだ大きく成長し続けているんです。俺たちだって、魂はどこまでも成長し続けるんだ。

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「人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。そして齢をとるほどそれが凄まじくならねばなるまい」と言ったのは森信三先生。

そして、「年を取るほど俊敏に動かなければならんのだ」、「年を取るほど講演は立ってやらねばならん」という言葉を残している。(致知出版Web版より)

樹齢千年の木ですら、まだまだ成長し、若葉をつける。年齢を重ねば重ねるほど、我々は勉強し、成長し続ける必要がある。しかも、それを楽しんで、余裕を持ってすることだ。

楽しんで生きている人のまわりには、笑顔の人が多く集まる。人生を笑いながら走っていきたい。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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