https://haiku.kohata.site/2021/02/497/ 【俳句で気持ちを伝えよう!挨拶句について】より
俳句は、すべての言葉が挨拶?
皆さんは、俳句を詠む時、どんな気持ちで言葉を選んでいますか?「春の小川」や「夏の夕暮れ」といった自然の情景を詠んだり、「喜び」や「悲しみ」といった心の動きを表現したりするのではないでしょうか。実は、俳句で詠むすべての言葉は、ある意味で「挨拶」のようなものと言えるのです。
自然を詠む場合は、自然に対して「美しいな」「心地よいな」という気持ちを込めて詠みます。これは、自然への挨拶のようなものです。また、日常の出来事を詠む場合も、「今日は良い天気ですね」「この花、きれいですね」といった、相手(人や物)への挨拶のような気持ちで言葉を選びます。
俳句には「挨拶句」というものがある
俳句の世界では、特別な場面で作る俳句を「挨拶句」と呼ぶことがあります。
挨拶句には大きく分けて2つの種類があります。
贈答の挨拶句: 句会に招待されたり、誰かの作品に接したりしたときに、その場や相手への感謝や敬意を表して詠む句です。
先人の句を継承する挨拶句: 古典や他の俳人の作品を参考にしながら、新しい句を作る場合、その作品や作者への敬意を表して詠む句です。
贈答の挨拶句は、例えば、ある場所を訪れた際に、その場所の自然や文化に触れて感じたことを詠み、その場所への感謝の気持ちを伝えるようなものです。
先人の句を継承する挨拶句は、昔の俳人の名句を参考にしながら、自分の言葉で表現することで、俳句の世界を広げていくことができます。
挨拶句を作るメリット
挨拶句を作ることは、俳句を詠む上での幅を広げるための良い練習になります。
新しい表現に挑戦できる: 贈答の挨拶句を作るためには、普段とは少し違った角度から対象物を見つめる必要があります。
相手の心に響く句を作れる: 相手のことを考えながら句を作ることで、より心に響く作品を作ることができます。
俳句の奥深さを知ることができる: 先人の句を参考にしながら、俳句の歴史や文化に触れることができます。
句会などで場が和む: 初めて参加する句会などに挨拶句を用意しておけば、読んでくれた人たちは喜びますし、句会の場が和むことにも役立ちます。
挨拶句を作る際のポイント
挨拶句を作るのは、少し難しく感じるかもしれませんが、大切なのは、心からの気持ちを込めて言葉を選ぶことです。
相手のことを考える: 誰に向けて詠むのか、相手はどんな気持ちでいるのかを考えましょう。
場の雰囲気に合わせて詠む: 場の雰囲気や状況に合った言葉を選びましょう。
季語を効果的に使う: 季語は、俳句に季節感を与える大切な要素です。
五七五のリズムを守る: 俳句の形式を守り、言葉の響きを楽しんでみましょう。
まとめ
俳句は、言葉を通して人と自然と繋がる、心の表現です。挨拶句を作ることは、俳句の世界を広げ、より深く俳句を楽しむための良い機会となります。ぜひ、あなたも挨拶句を作ってみてください。
https://jphaiku.jp/how/aisatu.html 【俳句は挨拶】より
明治生まれの文芸評論家、山本健吉は俳句は表現の特質から、以下の三要素に集約できると言いました。「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」引用・『挨拶と滑稽』昭和23年 山本健吉
俳句は存門の詩と言われます。 聞き慣れない言葉ですが、存門とは、安否を問い、慰問するという意味です。つまり他人のところに出かけていって語りかけること、挨拶のことを意味します。 実は、松尾芭蕉の時代から、俳句は挨拶を第一にして作られる物だったのです。
この頃の俳句は、俳諧連歌の発句(最初の句)にあたる部分に該当します。
そして、発句はイコール挨拶句でもあります。
句会の場所で、招かれた客が主に対して挨拶として発句を作り、主が発句の句柄に対応した脇句(第二句)を返します。
例として、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、最上川のほとりにある「一栄・高野平右衛門」宅の句会に招かれたときの「発句」と「脇句」を掲載します。
●発句 さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉
●脇句 岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄
この句会が開かれたのは、六月上旬の暑い時期で、芭蕉は旅の疲れを癒してくれた最上川の涼しさに感謝し、この景色を一望できる一栄宅を賛美しました。
これに対して、一栄は「いやいや我が家など、蛍を繋ぐための舟杭にすぎませんよ」と謙遜して答えています。
蛍とは芭蕉のことを指しており、解釈すると、「江戸の巨匠である芭蕉殿をお招きするために用意した家のようなものです」と、芭蕉を歓迎する意味になります。
たった、これだけの短い言葉のやりとりの中に、これだけの暗喩と意味を盛り込むとは、巨匠たちのやりとりは、さすがですね。
この発句は、松尾芭蕉の『奥の細道』に掲載されている「五月雨をあつめて早し最上川」の原形です。
芭蕉はこの後、最上川の水流の激しさは涼しいなどと呑気なことを言っていられるような状況ではなく、「早し」の方が適しているという考え、「奥の細道」に掲載する際には『五月雨をあつめて早し最上川』の形になりました。この名句も最初は、一栄に対する挨拶として作られたものだったのですね。
高浜虚子は、『虚子俳話』の「存門」の章で次のように語っています お寒うございます。お暑うございます。日常の存門が即ち俳句である。引用・朝日新聞『虚子俳話』 昭和31年12月29日
俳諧は、庶民たちが交流して楽しむ日常の文芸でした。 その発句は、芭蕉と一栄の句のように、自然と挨拶の要素を含むことになったのです。
「挨拶には一期一会とか無常感といった思いが基礎にあるのではないかと思う。そんなに何回も会えるわけではない。ここで対面のするのもこれで最初で最後かもしれない。
人間に対しても風景に対しても。そうした一期一会の無常の思いをいだいていることによって挨拶ができる」
『NHK俳句』選者・矢島?男
参考・『俳句とめぐりあう幸せ』好本惠/著 リヨン社
これはテレビ番組『NHK俳句』の選者をしていた矢島?男(やじまなぎさお)さんの挨拶句についての言葉です。
芭蕉と一栄も一期一会の思いを込めて、句会に臨んだのでしょう。その心が後世に残る名句を生んだとも言えます。
また、挨拶句の中には慶弔贈答の句もあります。 友人や親族縁者、俳句の師弟などの相手に祝意や哀悼などを述べる句です。
これよりは恋や事業や水温む これは高浜虚子が学校の卒業生に贈った句です。
彼らの明るい未来を祝福しています。
また、 たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏
これは芥川龍之介への哀悼を詠った句です。
「亡くなった人の魂が、秋の蛍のように儚く闇の中に消えてゆこうとしている」という句意です。こういった慶弔贈答の句には、前書きの一文が付き、第三者にもその意味が伝わるようになっています。
facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事『挨拶という灯火 …… 忘れられゆく日本の心』
近頃、ふと寂しさを覚えることがあります。それは「挨拶」が、静かに姿を消しつつあるということです。人とすれ違ったときの「こんにちは」、朝の光に添える「おはよう」、そして別れ際の「ありがとう」や「またね」。
こうした言葉たちは、私たちの心を繋ぐ細やかな糸であり、コミュニケーションのいちばん最初にあるもの……「基本のき」でした。
しかし、最近ではリアルの場でも、SNSの世界でも、その挨拶が随分と減ったように感じます。たとえ短い言葉でも、挨拶には相手を思う心が宿っています。
「あなたを大切に思っています」「ここにいてくれてありがとう」……そんな気持ちが、たった一言に込められていたのです。古来より日本は「和を以て貴しとなす」国でした。
礼儀を重んじ、互いを尊び、沈黙の中にも心を通わせる美しき文化を育んできました。
その日本の心は、今どこに向かっているのでしょうか。
「発信」ばかりが求められる時代において、「受け取る」という行為が、単なる傍観や無反応に変わってはいないでしょうか。言葉は、ただの飾りではありません。そして「いいね」の数もまた、本質ではありません。
大切なのは、心と心が触れ合うこと……その最初の扉こそが「挨拶」なのです。
もちろん、沈黙にも意味はあります。与えるばかりでも構わない、見返りを求めない優しさも尊いものです。しかし、受け取る側にもまた、礼をもって応える誠実さがあってこそ、「和」は生まれるのではないでしょうか。
そんな思いから、私はしばらく投稿を控えようと考えています。
言葉を発することの重みを、あらためて見つめ直したくなったのです。
そして、もう一度、挨拶という温かな灯火を胸に灯してくれる誰かとの出会いを、静かに待ちたいと思います。人の心に、小さな「おはよう」が届きますように。
その一言が、また誰かの今日を明るく照らしてくれることを願って……
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