facebook公益財団法人 ニッセイ緑の財団 投稿記事《森の植物の歳時記》 [167]【シャガ(射干 著莪)】より
人家の近くで、湿り気のある、やや日陰に群生することが多い植物です。古い時代に中国から渡来したとされています。
シャガの名前はヒオウギ(檜扇)の漢名「射干」を日本語読みしたものといわれ、葉がヒオウギに似ているところから間違って名付けられたという説があります。
中国では結実するものもあるようですが、日本で生育しているシャガは結実しません。根茎から長い匍匐枝(ほふくし)を伸ばして繁殖します。種子繫殖ではありませんので、繁殖は人為的に移動させたと考えられています。したがって、シャガが繁殖しているところは、かつて人が住んでいたことがあると推察できます。
根元から伸びる葉は、斜めに出て、片面を上に向けて伸び、上面だけに艶があります。これは、葉が伸びる際に重力の影響を受けて、二次的に裏表が生じているとされています。
白地に黄橙色の斑点が入る花を多数咲かせます。斑点は虫を誘う目印、蜜標(ネクターガイド)と言われており、虫を誘います。蜜はないのですが、看板に騙される虫が出入りしています。
花は一日でしぼみます。
https://sikiya.net/info/syaga/ 【野草の花 シャガ(著莪)】より
■シャガ(著莪) ■アヤメ科 アヤメ属 ■花言葉:「反抗」「抵抗」「決心」「私を認めて」
■別名:コチョウカ(胡蝶花)
■名の由来:ヒオウギの漢名「射干」を日本語読みしたものといわれ、葉がヒオウギに似ているところから。
中国原産の植物で、古くに日本に渡来してそれが野生化したと言われてる。
日本各地の、低地や人里近くの、湿ったやや薄暗い林の下などに生えてる。
草寸は30cmほど、冬でも葉の枯れない常緑性の多年草花期は4~5月。大きさは5cmほどで淡い紫色。表面にオレンジ色の突起物ができ、その部分を囲むように青紫色の斑点が入る。花は短命で一日でしぼむが、次々と新しい花を咲かせる。
薄暗い中で咲く、真っ白な花は、輝くように目立つ。
種子も球根も作らない種(不稔性)なのに、どうやって中国 ⇒ 日本全国に広がったのか?と言われる。
https://blog.goo.ne.jp/yonyonsama7/e/47ca4da3d9b977a2dd6cd804a2bae67f 【シャガ(著莪)の花】より
シャガ(著莪)はアヤメ科アヤメ属の多年草,学名はアイリスジャポニカだそうである.
日本に古くからあるか,古くに渡来した植物と思われる.木陰などやや湿ったところに群生する.どういうわけか,シャガは生殖細胞内に同じ染色体3セットが存在するいわゆる3倍体植物である.染色体が偶数セットでないと,細胞分裂か生じないので,シャガは種子が発生しない.種なしブドウ,スイカなどは,この3倍体に改良することによって種なしにして,食べやすくしている.
したがって,シャガの繁殖は根茎が横に広がることによりなされる.群落で見られることが多いのはこのためである.通勤路に北斜面の崖がある.道路脇にいろいろな植物を植栽しているのだが,そこだけは日当たりが悪く,植物が育たない.
しかし,シャガだけは毎年花を咲かせ,年ごとに群落を大きくしている.今年も,4月10日ごろから花をつけはじめ,いまはほぼ満開である.日当たりが悪く,やや湿ったところに咲くため,地味で隠微な印象を持つ花だが,花をよく見るとけっこう華やかである.
花びらのギザギザ,白地に橙色と青紫色の精緻な模様.別名がコチョウカ(胡蝶花)と言われるように,美しい蝶のようにも見える.
著莪の花日陰にありて華ありき
https://ameblo.jp/masanori819/entry-12669160059.html 【2021.4.18 一日一季語 著莪の花(しゃがのはな《しやがのはな》) 【夏―植物―初夏】】より
武蔵野の湧水池はや著莪咲けり 吉野さと
今年の著莪の花の開花は、桜と同時に、著莪の花も咲いているのを見ます。この句のような、はや咲けりの状況のところが多いようです。
武蔵野三大湧水池というそうです。
井の頭公園の井の頭池、善福寺公園の善福寺池、石神井公園の三宝寺池の三カ所。これらは、古くからある湧水池だそうです。三カ所とも近くに縄文遺跡が存在し、そのまれな風景の価値を縄文時代人も感じていたのかもしれません。
【傍題季語】
著莪の花(しゃがのはな《しやがのはな》)
【季語の説明】
アヤメ科のシャガ(射干、著莪)は、別名コチョウバナ(胡蝶花)とも呼ばれ、古い時代の中国からの帰化植物です。白や薄紫色の花を咲かせる常緑の多年草。雑木林の木陰など、明るい日陰の湿り気のある場所に多く自生していて日本各地でも見ることができます。花は、朝開いて夕方には萎(シボ)みますが、たくさんついた蕾がつぎつぎに咲きます。
【例句】
高僧と一つ食堂著莪の雨 柴田由乃
あれこれと裏目続きや著莪の花 師岡洋子
著莪咲くや湖畔に旧りし道祖神 上田尚義
花著莪や寝て一畳の流刑小屋 稲田節子
板塀の節穴に見る著莪の庭 安藤久美子
【著莪の花の由来】
日本のシャガ(著莪)はタネをつくることはせず、長い地下茎を伸ばしてどんどん増えて次々と花を咲かせます。そんな独特の生態を選ぶ決断をしたというイメージから「決心」という花言葉が付けられたそうです。また、シャガ(著莪)があまり日当たりが良くない場所に自生して美しい花を咲かせることから「私を認めて」という花言葉が付きました。
シャガ(著莪)の名前は、似ているヒオウギ(檜扇)と間違われてヒオウギ(檜扇)の中国名である射干(she gan)と呼ばれたことに由来していると言われています。射干を日本語読みしてシャガ(著莪)になったという説があります。
https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12496083579.html 【著莪の花すきなく咲ける木陰かな】より
著莪の花すきなく咲ける木陰かな ( しゃがのはな すきなくさける こかげかな )
著莪(しゃが)の花は、4月初頃から咲きだしたが、今も方々で見られる。群生すると、そこら一面が白い波のように見え、何とも涼しげに見える。
本日の掲句は、その著莪が、植物園の森の木陰で群生しているのを見て詠んだ句である。まさに隙間なく密集して咲いていた。「著莪の花」「花著莪」は夏の季語。
*「木陰(こかげ)」は、夏の季語かどうか迷うところだが、はっきりと確定していないようである。尚、同義の「夏木陰」「緑陰」「木下闇」は夏の季語。
ところで、密集して咲く花は八分咲きぐらいが一番美しいと言われるが、それは、満開が過ぎると萎れた花や欠けた花が目立ち始めるからであろう。
著莪についても、そのことは当てはまり、こちらでは4月中~下旬ぐらいが最も美しい時期だったと思う。
著莪の花が夏の季語なので、投稿は立夏が過ぎるまで控えてきたが、数日前に確認したところ、やはり花が萎れて散ったものも多かった。従って、写真の方は、4月下旬のものを主に使用した。
因みに、著莪については、過去に以下の句を詠んでいる。
【関連句】
① 花もようエキゾチックに春のシャガ
② シャガが咲きシャガールの絵を思い出す
③ 布きれで造りし花か著莪の花
①は、花の色と模様が、中近東、北欧辺りの民族衣装をイメージさせ、そのことを「エキゾチック」と詠んだ。また、立夏前に詠んだので下五は「春のシャガ」とした。
②は、名前のシャガからフランスの画家シャガールを思い出したことをそのまま詠んだ。彼は、シュール(超現実的)な空想画や無意識世界のユーモアと幻想の絵、詩的な絵を描いた。
③は、花を仔細に見た時、花弁も萼も雌蕊もみんな布きれが千切れたようになっていることに気づき、その印象をそのまま詠んだ句。
著莪(射干とも書く)は、アヤメ科アヤメ属の常緑多年草。花の形はアヤメに似ており、同じ仲間であるということは十分頷ける。原産地は中国で、かなり古くに日本に渡来したとのこと。花期は3月末~5月初め。
著莪の花は、六弁の花のように見えるが、模様のある3枚は外花被(萼)、内側の先端が二つにくびれたものは内花被(花冠)。先端がひげ状になっているのが雌蕊。雄蕊は雌蕊の裏側に隠れている。
「著莪の花」「花著莪」の句は結構多く、以下にいくつかの句を選定し掲載した。(過去に掲載したものは除く。)
【著莪の花の参考句】
みよしのゝ百花の中やひそと著莪 (及川貞)
庭山や薪積みたる著莪の中 (松本たかし)
かたまつて雨が降るなり著莪の花 (清崎敏郎)
うねうねと続く著莪から例の猫 (岡田史乃)
大和には淡き交り著莪の花 (田中裕明)
https://note.com/sakiko_suzuki/n/nf47c73f2d9bd 【著莪(しゃが)】より
譲ることのみ多き日々著莪の花 塙 義子
気づけば、著莪(シャガ)の咲く頃になっていました。毎年、近くの神社にある藤棚の紫が下がるころ、足元に著莪の群生がひろがるのですが、今年もすでに。白地に紫と黄色、あやめにも似た清楚な花です。
いえ清楚、とは言葉を選びました。地を覆うほどの咲きっぷり、多少の条件の悪さなら、所えらばず花をつける様を見ると、清らかよりも強かさ、反骨ともみえる厳つさ、花の気概を感じます。ゆえに小さな花ですが、見合わぬおっかなさがあり、つまりあまり好きではありません。
けれど、雨に濡れそぼつ著莪に限っては、いらぬ騒がしさも失って、色もにじんで美しく、いい花だなと思います。勝手なことをいいますが。きっと今朝の雨にも似合うでしょう。
今日もいちりんあなたにどうぞ。シャガ 花言葉「反抗」
https://blog.goo.ne.jp/aiken12/e/9b493ade14d9920d160a3ef0eed256ef 【・シャガは不思議な花だ】より
・シャガは不思議な花だ
今を盛りと咲き誇っている花の中で、特に「異彩」を放っているものといえばシャガ(著莪)かもしれない。私はこの時季にこのシャガを見るたびに「美しい」というイメージの前に、その「奇妙」な風姿と外花被の不思議な模様に「変な花」だなあという印象を持ってしまうのだ。
これはアヤメ科アヤメ属の多年草で、シャガは漢字で「著莪」と書く。この漢名からして奇妙で不思議な印象を与える。シャガは漢字では「射干」とも書く。別名を「胡蝶花」「胡蝶蘭」ともいうが、私はシャガよりも別名の方が気に入っている。
ところが、本来「射干」はヒオウギの漢名の「シャカン」のことで、扇形の葉のつきかたが似ているので、誰かがシャガをヒオウギと間違って「射干」の字を充ててこう呼ぶようになってしまったのだろう。
間違って命名した上に、まともな「漢字」力では読めないような難読語を充てられた後の世の私たちにとっては「いい迷惑」な話しである。
学名はIris japonica Thunbで「日本のアイリス」という意味である。アヤメ属をあらわす「Iris」はギリシャ語の「虹」の意味で、Iris属の植物は、花色の変化が多く美しいので、ギリシャ神話の虹の精「Iris」の名をもらったといわれている。しかし、学名の「日本のアイリス」とは真っ赤な「ウソ」である。もっと私がシャガに好感を持っていたら、きっと、この「ウソ」を暴かないだろう。
奇妙な花の印象は、私にこの花の「秘密」を語らせるのである。シャガは中国の原産である。れっきとした「外来種」なのだ。ジャポニカではない。これは「種子や球根」ではなく、遠い昔に誰かが生きたままのものを中国から海を渡って持ち込んだものなのだ。
当時は、生きては帰れない覚悟で、いわば「命がけの航海」であった。そのような時代に、一体誰がどんな目的で、生きたままのこの花を日本に持ってきたのだろう。こう思うと、ますますこの花が奇妙で神秘なものに見えてくるのである。
人の手で日本に持ち込まれた花だからだろう、竹林や杉林、神社やお寺の境内など、人の手の入った場所によく生えるが、人の手の入らない「自然林」などではあまり見かけないことも頷けるのである。
高さ30~60cmの茎の先に直径5~6cm程度の白地に「紫と黄橙の絵の具を垂らしたような」妙な紋様のある花を数個つける。
花期は季節感的には春なのだが、俳句の季語では夏である。晩春も初夏も、移ろいにはっきりした「区切り」などないのだから、それでもいいだろう。
花びらは六枚あるが、緑色の萼はない。外側の三枚が萼に相当する外花被(片)で、この三枚に「紫と黄橙の紋様」がある。紋様のない内側のものを内花被(片)と呼ぶ。この花びらの相当している花片の並び方も奇妙といえば奇妙である。
奇妙なことはまだ続く。
日本のアヤメの仲間ではシャガだけが常緑である。葉は剣型で長さは30~60cm。肉質で光沢がある。しかも、この葉は裏表のないように見える。まるで、紙を折るように内側に折られて、表面同士がくっついてしまって一枚の葉になっているのだ。こういう造りの葉を「単面葉」という。「ネギ」も単面葉だが、葉は折りたたまれているのではなくこちらは「円筒形」になっている。
だが、よく見ると表・裏の区別があり、表の方の方の「つや」が濃い。長い葉は一方に傾く。上を向く面は表皮細胞の「クチクラ」が厚くなり、肉質で光沢が出てくる。こちらが「生態上の表」で、もう一方の下面には「気孔」が多く見られることから「生態上の裏」であると言えそうである。
新緑が夏緑に変わる頃、久渡寺の長い石段の脇や境内の「日陰」で沢山のシャガの花が見られるようになる。「日陰」で見られることも奇妙なことだろう。しかも、日陰の花というとイメージは、「日陰の女」など「薄幸の女性」というイメージと同化して、あまりよくない。…などと「歌謡曲・演歌」の世界がちらつくのだが、しばらく立ち止まって丹念に見てみると「ほの暗い木陰だから清楚感が目立つ」ことに気づくのである。明るい陽光に燦々と照らされては「存在感が薄く、短命」というイメージが強まるかも知れない。
短命というと、シャガはそのとおりなのだ。朝から夕方までしか咲かない「一日花」なのだ。だが、眺める私たちは、あまりそれに気づかない。それは、繁殖力の強い花で群生し、日ごとに咲き変わり、まるで「常時」咲いているように、目を楽しませてくれるからである。
一日花であることは、茎ごと数本切り取ってきて、「生け花」として飾ってみると、よく分かる。朝にしぼんだ数輪が沢山落ちていることに気づくだろう。
奇妙なことはまだ続く。花は咲くのだが、受粉もしないし、実をつけない。それでは雌しべや雄しべはないのかというと、ちゃんと子房を持ったものが「ある」のである。
子房の先にある花柱は上部で三本に分枝して花柱枝(花柱分枝)をなし、分枝は花弁状で裏側(外側)上部に柱頭があり、その先はさらに二分し、さらに細かく裂けた状態になっている。
私は、再三言っているが「植物」の専門家ではない。素人である。だから詳しいことは分からない。詳しいことが分からない人は「幸せ」である。それは、自由な発想や想像が許されることだ。今の私がそうであり、勝手にあることないことを「想像」に任せて書いている。
シャガは「受粉」による生殖機能を早々と「放棄」した植物なのであろう。しかし、進化の過程で形成された「雌しべや雄しべ」の形質をまだ残しているのだ。
シャガは種子ではなく、根茎から匍匐枝を伸ばして株分けし、増殖する。染色体が三倍体なので受粉せず、実をつけないのでコピーで増える、つまり、クローンなのだ。奇数の染色体だと、半分がキチンと分裂できず、種(実)にならないのである。
桜のソメイヨシノと一緒で、種から子供をつくることは出来ない。ヒガンバナ(彼岸花・別名、曼珠沙華・マンジュシャゲ)も同じで、染色体が三倍体で実が出来ない。球根で増えてきたということは、ヒガンバナはみんなクローンで、有史以前に中国から持ち込まれた個体が延々と生き続けて、日本で咲いているヒガンバナは中国からきた「一株」から分かれたとされている。
シャガには個性がない。みな「同顔貌」であり、兄弟も親もすべて、「自分」なのである。「自分」の周りで沢山咲いている花々がすべて自分なのである。私たちの周囲にいるものが、すべて「自分」と同じ「顔貌」をしているとしたら、それは恐怖だろう。
だが、そのような「国民」を育てるもくろみが、この日本でも「密かに」行われている。「花」どころではない。
自分ばかりのコピーが、いつも横にいるのは、淋しいを越えて「絶対」の孤独の中にいることだろう。シャガの花に漂う「わびしさ」はそこから生まれるものかも知れない。
花言葉は「友人が多い」と「反抗」の二種類あるようだが、これも奇妙なことではある。
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