『紙の上の い の り』

https://tirnanog-tokyo.com/exhibitions/2025/%e9%a6%ac%e5%a0%b4%e5%81%a5%e5%a4%aa%e9%83%8e-%e7%b4%99%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ae-%e3%81%84-%e3%81%ae-%e3%82%8a/ 【『紙の上の い の り』】より

2025年4月18日(金) - 5月4日(日)

作家故郷の長崎で訪れた明治・大正時代の小さくも美しい教会群。素朴で純粋な祈りから霊感を受けて製作された珠玉の新作をご覧ください。新作の油絵、ドローイング(オイルパステル)をご紹介します。

紙の上のいのり

2006年 イタリア北部の街トリノで、冬期オリンピックが盛り上がっていた頃

私は、同じく北部の都市ミラノで16世紀のキリスト教絵画の技法を研究していた。多くの画家たちが油絵具を使い始めた頃の画面の質感に惹かれたからだ。

数多くの壁画や教会を見て回り、そしてアパートに籠って当時の技法を再現し

テンペラの上に油彩を塗り重ね、見え方や絵の具の状態を試行錯誤する日々を送った。現代の私の表現と結びつけようと試みていたのだ。

とても貴重な時間だった。

帰国し何年も経って徐々にあの時間をうまくふりかえる事ができるようになってきた。技法の研究は今でも好きな仕事だが、肝心の宗教絵画の内容には今ひとつ踏み込めず、権威的なカトリックの教会の記憶がどこか異世界のようにも感じてきていた。そんな2024年の秋。僕は生まれ故郷の長崎市から車で2時間ほどの平戸方面に小さな旅行に出かけた。途中、隠れキリシタンの里、外海町(そとめちょう)を巡り、キリシタン弾圧から解放された明治期から大正期に建築された小さく素朴な教会群を見てまわった。そこには、日々の暮らしの中に祈りがあり質素な佇まいの小さな教会は、どれも丁寧な作りで美しかった。こんなふうに絵を描きたいと思った

私も毎日何も願わず、父親の遺影がわりの若い頃の写真に手を合わせている。

こんな当たり前のことのように。手をあわせるように。紙の上にドローイングを描こうと思っている。そんな小さな展覧会にしたいと思っています。

2025年 4月 馬場 健太郎


https://note.com/ayush_mari/n/n1aacf6805c15 【祈りは、日々の暮らしの中にある〜見えないものへの敬意とともに】より

日常の中で祈りが息づいているということ

神社に参拝したり、平和を願って手を合わせたりすること。それも「祈り」のひとつのかたちですが、私はそれ以上に、祈りとは日々の暮らしの中に息づいているものだと感じています。

例えば、朝起きたときに空を見て「今日もありがとう」と思えること。誰かの幸せを願って心の中でそっと祈ること。身のまわりを整え、目の前のことを丁寧に行うこと。それらすべてが、目に見えない何かへの敬意と感謝であり、祈りそのものなのだと思うのです。

自分自身が満ちていることが、祈りの土台になる

祈りとは、ただ「何かを叶えてほしい」と願う行為ではありません。むしろ、自分の心身が整い、日々の暮らしの中に感謝が満ちているとき、その静けさの中から自然と祈りが生まれてくるのではないでしょうか。

他力本願という言葉も、本来の意味は「他に頼ること」ではなく、自らが努力し、整えた上に、宇宙や自然の流れと調和しながら生きること。だからこそ、神頼みもまずは自分自身が満たされ、整っていることが大切だと思います。

暮らしの中にある、インドの祈りの文化

インドでは、祈りは暮らしの一部として自然に根付いています。それは「何かが得られますように」「うまくいきますように」と願うためのものではなく、神々への敬意と感謝を日々の暮らしの中で捧げる、そんな静かな時間です。

家庭や寺院では、毎日のようにプージャと呼ばれる祈りの儀式が行われています。朝夕にオイルランプを灯し、花や果物を供え、マントラを唱える。それは宗教的な行為を超えて、自然や宇宙、そして見えないものとのつながりを確認する時間でもあります。

また、私がインドで学んできた講義や研修の場では、学びが始まる前に必ずマントラを唱えて、神々やヴェーダの智慧を授けてくれた先人たちに感謝を捧げるという慣習があります。それは、学びそのものが「神聖な行い」であるという意識に根ざしています。

そうした環境で長く学んできた私にとって、祈りは特別なことではなく、日常の中に自然とある“当たり前の志”となっています。

教える前に、心を整える時間

その在り方は今も私の中に息づいていて、クラスの前には必ず、静かに心と場を整える時間を持つようにしています。

クラスが始まる時間よりも前に、空間を整え、たとえオンラインであっても、見えない場所の浄化を行い、静かに感謝の祈りを捧げる準備をします。

どんなに小さなクラスであっても、始まる前には必ず、グルや先人たち、神々への感謝の祈りを心の中で静かに捧げています。それは、自分自身を整えると同時に、その場に集う人たちと“見えないもの”との橋をかけるような、大切な時間です。

そしてクラスの冒頭には、必ず瞑想とマントラから始めます。この瞑想は、ただ心を静めるだけではなく、目の前にいる生徒さん一人ひとりのエネルギーを感じながら、この時間が平穏で、最善の学びが届けられますようにという願いを込めたものです。

マントラは、私がグルから直接授かったものを唱えます。それは、グルへの感謝の気持ちを込めて捧げるマントラであり、たとえ物理的に離れていても、その響きによってグルのエネルギーを感じ、それが私自身のベストな指導につながっていくと信じています。

この小さな“祈りの時間”は、私が指導を始めた当初から今に至るまで、一度も欠かしたことのない大切な習慣です。

結びに

祈りとは、行為ではなく心の姿勢。日々の暮らしの中で育まれ、整えられていくものです。

誰かのため、何かのためでもいい。でもまずは、自分自身の内側に静けさと感謝を満たすこと。その先に、自然と“祈り”が生まれてくるのではないでしょうか。

目に見えないものへの敬意と感謝を忘れず、今日という一日が、誰かの平和につながっていくように。そんな想いで、私はこれからも、祈りのある日々を大切に過ごしていきたいと思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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