昔の薫り立つ

https://orea.or.jp/gijutsu/odor-and-deodorant/1-kihon/ 【①においのキホン(生活様式の変化)】より

ホーム知識・技術資料においと消臭法①においのキホン(生活様式の変化)

室内の「かおり」「臭気」も多様に

生活環境にはさまざまな「におい」が存在します。屋外でも室内でも、心地よい香りや不快な臭気を感じることがあります。朝、家を出るときに気にならなかった自宅のにおいが、夕方帰宅したときには気になることもあるのではないでしょうか。自宅に長く滞在することで、においに鼻が慣れて感じなかったものが、外出によってリセットされて感じるようになったためです。

住宅のにおいの要因には、建物の造りや生活様式の変化が関係しています。近年、住宅の高気密化が進み、換気が義務付けられているものの、においは極低濃度でも感じるため、対策としては十分でないことも多いのです。核家族化、単身世帯の増加に伴い、住宅に人がいない時間が多くなり、窓や扉を開ける時間が減ったことなども、においがこもりやすい要因の一つです。

食材の変化や室内でのペット飼育の増加も影響しています。油脂類、スパイス類などのさまざまな調味料を使用するようになり、庭や玄関などを主な居場所としていたペットも、室内での飼育が多くなりました。排せつ物やペットフードのにおいが室内に広がることもあります。

本連載では、こうしたにおいの正体と対策を中心に、人がにおいを感じる仕組みやにおいの役割、香りの文化と歴史、食とにおい、住宅のにおいなどを紹介します。なお、良いにおいを「香り」、不快なにおいを「臭気」、臭気よりも強い嫌悪を感じるにおいを「悪臭」、人が感じる香りから悪臭までを総称して「におい」と表記します。


https://orea.or.jp/gijutsu/odor-and-deodorant/3-yakuwari/ 【③においの役割(嗅覚の役割)】より

危険を知らせたり、味わい与える

人間は、外界からの情報の大半を視覚と聴覚から得ていて、嗅覚から得る情報はわずかだといわれています。嗅覚は原始的な感覚とされていますが、においには多くの重要な役割があります。原始時代においては、においで危険を察知し、身を守ってきました。においには、危険を知らせる役割があるのです。

現代でも体調を崩す恐れがある腐敗した食品は、においを嗅いで察知できます。無臭の都市ガスに、においを付けてガス漏れを知らせています。また、伝統医学の診察法の「聞診」では、声の調子、呼吸音を聞くだけでなく、体臭や口臭などを嗅いで診断します。古くから病気や体調により体臭が変化することは知られていましたが、近年では、皮膚ガスや呼気など人体から発生する生体ガスを計測し、病気の早期特定を可能にするセンサーなどの研究開発も進んでいます。

普段、あまり意識することはないかもしれませんが、日々の生活の中で料理の、においからおいしさを感じたり、木々や草花のにおいから季節の移り変わりを感じ取ったりしているのではないでしょうか。旅行先では、その土地や街のにおいを感じることもあるでしょう。環境省は、かおり風景100選として、全国100カ所を選定しています。素晴らしい景色や街の様子を見たり、音を聞いたりすると同時に、その空間ならではの、においが存在します。においには、料理や景色などに独特の深い味わいを与える役割もあるのです。


https://orea.or.jp/gijutsu/odor-and-deodorant/4-bunka/ 【④かおりの文化・歴史(かおりの文化)】より

日本独自の繊細な感性が生み出した

「におい」という言葉からは、「臭気」や「香り」がイメージされますが、古くは色の際立ちや美しい様を言う言葉として使われていました。万葉集でも「青(あお)丹(に)よし 奈良の都は 咲く花の 匂(にお)ふがごとく 今盛りなり」と、平城京の鮮やかに映えて見える様が「匂ふ」という言葉で表現されています。また、室町時代に確立された香道では、香りを「嗅ぐ」のではなく、「聞く」と呼びます。香木の香りを聞き、楽しむことを「聞(ぶん)香(こう)」と言います。

「香」は仏教儀礼とともに、大陸から伝えられたと考えられています。最も古い「香」の記述は日本書紀です。「香」は、奈良時代には主に仏前を清め、邪気を払う宗教的な意味合いが強いものとして用いられていました。平安時代にかけて次第に、貴族たちは日常生活の中でも「香」を楽しむようになりました。枕草子や源氏物語にも「香」の記述が多く見られます。室町時代には、武士の嗜みとして、茶道、華道とともに香道が体系化。織田信長も「香」に惹かれた一人です。天下の名香とされる香木に正倉院に収蔵されている「蘭奢待(らんじゃたい)」があり、信長が切り取った跡も残っています。

江戸時代には、町人にも「香」が広まり、香道具も作られるように。国内で初めて「線香」が作られたのも江戸初期といわれています。香りは単に鼻で嗅ぐというだけでなく、五感で感じ、生活に彩りや癒やしを与えるもの。日本の香りの文化は、独自の繊細な感性が生み出したものと言えるのではないでしょうか。


https://orea.or.jp/gijutsu/odor-and-deodorant/5-rekisi/ 【⑤かおりの文化・歴史(香りの起源と歴史)】より

火の発見とともに使われ始める

香りは、火の発見とともに使われるようになったとされています。草木を燃やす中で、煙と一緒に立ち上る香りに気付き、神秘的なものとして宗教儀式に用いられるようになりました。

香りのもととなる香料の歴史は、紀元前3000年ごろのメソポタミア、古代エジプトまでさかのぼります。レバノンスギをたいて香りを神に捧げ、白檀、ニッケイ、イリスなどをミイラの防腐剤として使用。また、防臭効果を利用するため、部屋を香りで満たし、香油を体に塗り、衣料に香りを染み込ませて楽しんでいました。やがてギリシャ、ローマに伝わって、香りの原料を蒸留した精油が作られます。十字軍遠征によって、麝香など東洋の香料がヨーロッパにも持ち込まれ、ベニスの商人たちにより、広く取引されるようになりました。

16世紀には、皮革産業が盛んだったフランスのグラース地方に皮革の消臭剤として香料が持ち込まれ、温暖な気候が多くの香料の原料植物の栽培に適していたこともあり、香料生産の中心として発展しました。香料をアルコールに溶かした香水は、14世紀に使用されていたとされる、ハンガリーウォーターが起源の一つと言われます。その後、香水はイタリア・フィレンツェのメディチ家から花嫁がフランスへ輿入れする際、持ち込んだことで世に広まりました。

19世紀には、天然香料の分析が進み、合成香料が製造されるようになりました。現在は香料の利用の幅が広がり、用途に応じて気軽に楽しめるようになったのです。


https://www.jffma-jp.org/learning/knowledge/ 【香料の世界史】より

香料のはじまり

香りを意味する英語のperfumeは、ラテン語のPer Fumum(through smoke:煙によって)が語源です。人間が香りを利用するようになったのは、火を発見したときからだろうといわれています。

香料が、初めて歴史に登場するのは紀元前3000年頃のメソポタミアです。シュメール人は、レバノンセダー(「香りのする杉」の意。ヒマラヤスギ属)で神への薫香を捧げていました。

古代エジプト

古代エジプト人たちは、偉い王様が亡くなると、その亡き骸に香料をたっぷりと塗り、ミイラにして手厚く葬りました。

その当時用いられた香料は、白檀(びゃくだん)、肉桂(にっけい)イリス(あやめの一種)の根や、香りのよい樹脂などでした。

香料が持つ防腐・防臭効果はミイラ作りだけでなく、部屋を芳香で満たして香油を身体に塗り、衣類に香を焚きこみ、ハスの香りをしみこませた帽子をかぶって香りを楽しんだのです。食物や菓子の風味付けに香料が利用されるのもこの時代です。

ギリシャ時代

ギリシャ時代になると、香料の製造が盛んになり、入浴後に香油をからだに塗る習慣が次第に広まってきました。西洋医学の祖といわれるヒポクラテスは、においに病気の治療効果があることを指摘しています。アリストテレス門下の哲学者で『植物誌』などを著し、植物学の祖といわれるテオフラストスは、「香気について」という論文の中で、複数の香料を調合することで香りのトーンが変化することや、香料の保留剤についての考察、ワインなどのアルコールが香り立ちをよくすることなどについても言及しています。

やがて、香料がギリシャからローマに伝わると、ローズウォーターなどが香りの主役になり、浴室や寝室にまで香りを用いるようになります。美食の文化を誇る古代ローマの貴族は、主力調味料の魚醤の生ぐささを消すために香辛料やビネガーを用い、浴びるように香料を用いたといわれています。

壮大な社交用建築物の中心にあったローマ風呂で1日3回の入浴を楽しんだ貴族たちは、膨大な量の香油や香膏を体に塗り、部屋や衣類に香りをつけるために固体香料や粉末香料を用いました。香料への欲求は交易ルートをアラビア半島やインド、中国にまで拡大させ、香料を入れる容器の需要がガラス工芸技術の発展に貢献します。

中世

11世紀末から始まった十字軍の遠征によって、麝香(じゃこう)をはじめ東洋のさまざまな香料がヨーロッパに持ち帰られました。そしてベニスの商人たちの手により香料やスパイスが広く取引されるようになったのです。

国際映画祭で有名な南フランス・カンヌの北西17kmの丘陵に、グラースという町があります。現在、世界の香料の中心地ともいうべきこの町は、12世紀末頃には皮革工業が盛んでした。16世紀になって、イタリアはフィレンツェのトンバリレという人が、初めてこの町に香料を紹介して大きな変化が起こりました。というのは、香料が皮の臭いを消すのに役立つため、この町で大いにもてはやされたのです。その後、マルセーユなどで盛んになった石鹸に香料が使用されるようになり、グラースは香料の中心地として発展していったのです。グラース地方の温暖な気候、風土は、ジャスミン、ローズ、ラベンダー、オレンジフラワーなど、多くの香料植物の栽培に適しており、この町は「香料のメッカ」とまで呼ばれるようになったのです。

香水の誕生

香料をアルコールに溶かした現在の香水やオー・ド・トワレのようなものが初めて作られたのは16世紀末のこと。フランスアンリ2世の夫人であったカトリーヌ・ド・メディチが、イタリアのフィレンツェからの輿入れの時に持ってきて、世に知られるようになったといわれています。

オーデコロンの誕生には諸説があってはっきりわかっていませんが、大筋は以下の通りです。前身はイタリアで発売された「アクア・ミラビリス(すばらしい水)」で、17世紀末か18世紀はじめにケルンに紹介され「ケルンの水」となり、18世紀後半に七年戦争やナポレオンの遠征でプロイセンに侵攻していたフランス軍兵士がケルンから大量にパリに持ち帰り、「オーデコロン」と呼ばれ流行し始めました。ナポレオンによってフランス革命の嵐がおさまり、ギロチンの露と消えたマリー・アントワネットの愛好していたバラやスミレなどを主体とした香水が、彼女の死後急激に流行し始めたのはなんとも皮肉な話です。ナポレオンの天下はわずか10年で終わりを告げましたが、グラースの町は革命の余波を受けながらも、香料植物の栽培や香料の製造はますます発展を続けていきました。

近代

19世紀にはいって、科学が発達し、天然の香りも詳しく分析されて合成香料が製造できるようになると、香料の利用範囲も広くなり、気軽に香りのおしゃれを楽しむことができるようになったのです。

東洋では、インドに起源を持つ香料が極東に普及する過程で、西洋とは対照的な香りの文化が発展します。白檀や沈香、スパイスを焚いて死者を来世に送る習慣があった古代インドでは、王侯貴族が香膏を体に塗り、芳しい香煙を楽しんでいたことがバラモン教の聖典『ヴェーダ』(BC5以前)に記されています。中国で香料が線香や薫香に用いられるようになるのは六朝時代(3~6世紀)になってからのことです。

シルクロードが開通した紀元前2世紀以降も、香辛料が利用されていたことを除けば、ヨーロッパやインドのように食品加工や装身に香料を用いることはありませんでした。

香は6世紀の飛鳥時代に仏教伝来と共に日本に伝えられ、奈良時代になると、唐の鑑真和上が沈香や白檀など数種類の香薬を調合して作る薫物を日本に伝えます。初めは供香(そなえこう)として仏前に用いられましたが、平安時代には、宮廷を中心に空薫物(そらだきもの)として部屋や着物に香をたきしめる風習が盛んになりました。

香道の確立

武家社会になると香の嗜好も一変し、複雑で濃艶な香りからひとつの清楚優雅な香りを聞く(聞香)ようになり、その味わいに文学的な雅境を見出そうとする日本固有の「香り文化」が登場します。室町時代に、香木をたいて香りを鑑賞する遊びとして香道が確立され、三條西流(御家流)と志野流が香道の中心となって今日に及んでいます。

香道では、六国(りつこく)といって、六種類の香木を用いて組香(くみこう)をつくり、香席で順にまわして香をかぎ分け、香の組み合わせを当てたり、香を一つずつ順番にまわして、その香の名前を当てたりして楽しみます。

江戸~明治

庶民が香料を化粧に用いるなど、身近な存在となるのは江戸時代です。江戸初期の庶民は、芳香化粧品として「伽羅の油」や「花の露」と呼ばれる鬢付け油を愛用していましたが、中期になると香油が芳香化粧品の中心になり、後半期には化粧水が誕生します。

平賀源内は、『物類品隲』の中でランビキ(蘭引)という蒸留器を使った「薔薇露」の作り方を紹介しています。文化10(1813)年の女性の教養書『都風俗化粧伝』ではランビキがない場合の「花の露の取り方」としてヤカンと茶碗を使って化粧水を作る方法が紹介されています。江戸下町の薬屋を通して、化粧水が広く出回っていたことがわかります。

江戸末期から明治初期にかけて舶来の香水が紹介され、明治5(1872)年以降は“香水(においみず)”として、「桜水」「白薔薇」「オリヂナル香水」などと名づけられた国産の洋風フレグランスが相次いで発売されます。政府の欧化対策の影響で化粧が洋風化したこともあり、香水(フレグランス)需要は急速な伸びを見せます。日露戦争を前後して庶民の髪型や化粧にも変化が現れ、洋風化粧に伴った化粧品が普及します。

現代の香料

日本で化粧品だけでなく食品に本格的に利用されるようになるのは、大正以降に合成香料工業が発展してからのことです。日本で本格的に食品香料が製造されるようになると、食品の加工技術の発達とともに香料の分析・合成・調合技術は急速に進歩します。現在では世界のトップレベルです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000