Facebook髙橋 眞人さん投稿記事
おはようございます。【今日の名言】堀口大學(詩人、歌人)
雨の日は雨を愛そう。風の日は風を好もう。晴れた日は散歩をしよう。貧しくば心に富もう。
日本語の美しさが身にしみる。 暮らしは分が大事です 気楽が何より薬です
花は色 人はこころ 私の耳は貝の殻 海の響をなつかしむ。
昨日だれも知らなかった地震が来た。今日だれも知らない明日何が来るだろう。(関東大震災直後に発表された詩)
夕ぐれの時はよい時、かぎりなくやさしいひと時。それは季節にかかわらぬ、冬なれば煖炉のかたわら、夏なれば大樹の木かげ、それはいつも神秘に満ち、それはいつも人の心を誘う、それは人の心が、ときに、しばしば、静寂を愛することを知つているもののように、小声にささやき、小声にかたる かぎりなくやさしいひと時。
お前の足元にひざまいて 何と拷問がやさしいことだ 愛する女よ 残酷であれ お前の曲線は私を息詰まらせる ああ 幸福に私は死にそうだ。
白鳥の歌は 死ぬ時。花火のひとみは 消える時。あなたの帯は 解ける時。
※3月15日は堀口大學の命日(1981年)です。
https://www.juca.jp/blog/2013/07/%E8%8A%B1%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%8D%E3%80%80%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%81%E3%80%81%E3%80%81%E3%80%80%E5%A0%80%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E5%AD%B8%E3%81%AE%E8%A9%A9%E3%80%80%E5%B9%B4.html 【花はいろ 人はこころ、、、 堀口大學の詩 年と共に響く言葉。】より
鎌倉へ行った方から頂戴した紙袋が堀口大學の揮毫による詩文でした。
文は短く〝花は色 人はこころ〟と書かれていました。
この言葉は神奈川県葉山町の大學の文学碑に刻まれており、女優森光子さんが好んで色紙などに書いたといいます。
大學は疎開によって戦前戦後の一時期を妙高市と上越市に居住され、その後葉山町へ移り永住されました。氏と当館展示の陶芸家・齋藤三郎との交流の縁で、長女・すみれ子さんには樹下美術館で過去三回、印象的な講演会をして頂きました。
花は色目にとまった〝花は色 人はこころ〟の紙袋。鎌倉市は日本料理「御世川(みよかわ)」もの。
御世川は多くの文人に愛されたと云われています。
人間の歌〝花は色・・・〟の原典が載っている樹下美術館収蔵の詩集「人間の歌」。
昭和22年5月5日 實文館発行。
あとがきの末尾に〝1946年春の彼岸。妙高山麓関川の假寓にて〟と記されています。
花は色のページ「人間の歌」71篇の170ページの「人に」。
〝花はいろ そして匂ひ あなたはこころ そして やさしさ〟
幸福のパン種樹下美術館収蔵の堀口すみれ子さん編、堀口大學詩集「幸福のパン種」
筆頭に「花はいろ、、、」が掲げられています。
ところで「幸福のパン種」の二番目に「自らに」が収載されています。心のともしびになろう磨かれた詩ではないでしょうか。
自らに「自らに」の出典「白い花束」の本文です。
白い花束樹下美術館収蔵「詩と随筆 白い花束」 昭和23年2月20日 草原書房発行
上越市時代の発行と考えられます。
傍らにあった紙袋から堀口大學の詩へ進むことが出来ました。
この数年、年のせいでしょうか、〝ある種新鮮なもの〟として心を打つ芸術と出会えたり再会出来るようになりました。
※詩人・フランス文学者、堀口大學は昭和20年旧妙高山村関川の妻の実家に、そして昭和21年から昭和25年まで上越市旧高田の南城町に住みました。生活逼迫の時代、懸命に草稿し出版社へと送る生活の中で妙高上越両市の地元とよく交流しました。
https://note.com/kotorynosaezury/n/n2779e46e8cc4 【花は色そして香り、人は心そして優しさ】より
ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない 良い奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない
中学生くらいの時だったかな、祖母の家に行った時、祖母は私に一通の封筒をくれた。
「少しずつ大人に近づいているからね。生きていくうえで大切なことを書いたのよ」と。
その封筒の中の一筆箋に書かれていたのが、この言葉だった。
「花は色そして香り、人は心そして優しさ」調べてみたら、堀口大学という詩人の詩にある一節だそうだ。「人は心そして優しさ」人としての美しさは、人を思いやる心できまる、
ということだろうか。とっても良い言葉だなぁと思った。
人が困っていたら見て見ぬ振りせず力になって、悲しい時は寄り添って、なるべく傷つけず、喜びは分かち合う。文字にするともはや聖母マリアみたいで笑っちゃうけど、そんな人になりたいって思って生きてきた。
でも正直、優しさが報われないって思ってしまう時がある。私はあなたのことを思いやっているのに、どうして同じくらいの思いやりを返してくれないの?って。
見返りを求めちゃってる時点でニセモノの優しさなのかな、とかも考えちゃったりする。
そりゃあ優しくして感謝されたら嬉しいし、「良いことしたなぁーじぶん!」って自己肯定感もあがる。でも、自分は良かれと思ってやったことでも実は相手はそこまで求めていなかったり、人からの優しさを受け取るけど、「自分も返さなきゃ!」とまではならなかったり、
優しさを素直に受け取れなかったり、色んな人や状況が存在しうるわけで。多かれ少なかれ自分の時間と労力を割いて、あなたのためを思ってやったんだから、感謝されたいな、何かの時に私も優しさを返してもらいたいなって思うのは、別に悪いことじゃない。ニセモノの優しさなんかじゃなくて、間違いなく本物の優しさだ。
ただ、もし優しさを返してもらえたら、きっと返してくれた人が10人に1人いるかいないかの特別素敵な人なんだろうなって、そのくらいの気持ちでいる方が良いのかもしれない。
この世の中、良い人ばっかじゃないけど、悪い人ばかりでもないなぁーって、ほっこり感謝すれば良い。
ちょっと残念だけど、やっぱり今までの経験上、思いやりの心って報われないことも多いと思う。優しくてバカみたいだな、って思うこともある。でもだからこそ、「人は心そして優しさ」っていう言葉があるのかも。報われにくい中で、人に優しくし続けられるって誰でもできることじゃないから、いつでも優しい人って貴重で、尊敬されるんだ。
もしかして長い人生経験の中で感覚的にそこまで分かってて、祖母は私にこの言葉をくれたのかな。今度聞いてみようかなぁ。
「人は心そして優しさ」を今日も明日もこれからも、胸に刻んでいきたい。
https://claviart.net/2016033354.html 【3・11と2つの曲「花は色~ 人は心~」と「花~は 花は 花は咲く~」】より
花は色 人は心 心こそ 心こそ 死ぬことのない命なの
この詩は私が高校時代に所属していた合唱部のテーマソングになっていました。
イベントがある度に舞台の緞帳が上がると共に時には一輪の花を携えてこの曲の合唱から始まりました。
ハッキリ覚えていませんが、高校入学時の歓迎会だったのでしょうか?
あまりの美しい歌声に感動した事は、今でも忘れられません。
それもそのはずコンクールでは、毎年素晴らしい成績を残し数々の賞を頂いてきた高校合唱部の強豪校でした。
新聞に載ったり、国体の合唱団などの参加など今でも私の誇りであり心の財産となり続けています。
そんな中でも私の在席中の最大の思い出は、東京日比谷公会堂での「全国東日本大会本選」で準優勝を飾ったことです。
準優勝もさることながら指導して下さった先生が、ご褒美に部員全員に銀座でパフェをごちそうして下さった事今でも忘れられません。
先生自身もとても嬉しかったのでしょう、
でも先生は、当時すでに奥様もお子様もいらっしゃるイケメンの失礼ながら一介の男性教諭。
何十人の団員に一等地の銀座でのパフェ代は、大変な金額だったと思います。
卒業の際には、卒業生全員に先生手作りの「花は色 人は心」という文字と共に「絵」を添えた色紙を下さいました。先生の「座右の銘」だったのです。
今この歳になって思うことは、在学中確かに沢山の賞を頂いた思い出は素敵な思い出です。
でも、今だから分かる本当の先生の気持!「花は色 人は心」この言葉は、まさに先生の「座右の銘」であり、先生そのものの生きざまでもありました。そして「そのように生きて行きなさい」というメッセージだったのですね。
素晴らしい先生に出会えた幸せに感謝し、今でも私の最高の財産です。
突然この様な遠い過去の話をしてきた理由は高校時代のお話しをしたかっただけではありません!今年もまた 3・11のあの日を迎えます。その時に今年は何故か急に「花は色 人は心」を懐かしく 3・11の凄惨な記憶と共に思い出したのです。
東日本大震災後に歌われている 花~は 花は 花は咲く~ この歌と共にです。何か不思議な共通点があるような気がしたのです。
そして、部活で準優勝をしたのも東日本の代表での本選の中のことです。
私事で恐縮ですが、その当時私は母を亡くしています。
そして私の父と母の故郷は、あの原発事故が起こった福島です。
何か不思議な縁を震災後5年もたってから感じて思わずブログに書かずにいられない気持が仮立ちました。
人は誰もがそれぞれの人生の節目に想い出のある曲があるような気がします。私もその一人です。音楽によって励まされ、慰められ、そして元気をもらったり・・・
音楽の力って改めて凄いなあ~と思います。
3・11で被災された方々にとっては、本当の意味での復興はまだまだだと思います。
何も出来ない不甲斐ない自分です。頑張って下さいとも言えない自分がいます。
なぜなら、もう皆さんはもう沢山がんばってきたからです。
花~は 花は 花は咲く~ いつの時代も音楽の力って素晴らしい。人を笑顔にさせる力がある。被災された方々に直接には何も出来ない私ですが
私は私のはるか昔に通った高校の合唱部の先生に少しでも近づけるような先生で在りたい。
ピアノ講師としてひとりでも多くの生徒さんに音楽の楽しさを伝えて行くことが私に出来る間接的でもお手伝いになれたらと思い、日々のレッスンを心をこめて行っていくつもりです。
今日は、とりとめのない私のブログを読んで下さりありがとうございました。
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