春陰の句

https://kigosai.sub.jp/001/archives/1928 【春陰(しゅんいん)三春】より

【関連季語】花曇

【解説】春の曇りがちな空模様をいう。

【例句】

春陰や干飯白き道明寺 青木月斗「時雨」

春陰や眠る田螺の一ゆるぎ 原石鼎「花影」

春陰や巌にかへりし海士が墓 加藤楸邨「雪後の天」


https://miho.opera-noel.net/archives/4059 【第八百六十夜 中村草田男の「春陰」の句】より

 今宵は、もう一句「春愁」と「春陰」の作品をみてみよう。この2つの季語に、違いがあるのか、あるならば、どのような違いがあるのか考えてみよう。

■春陰

  春陰の国旗の中を妻帰る  中村草田男 『中村草田男集』

 (しゅんいんの こっきのなかを つまかえる) なかむら・くさたお

 春は、晴れの日や雨の日や曇の日と、変わりやすいとも言われるが、春にも暗い感じの曇り空の日がある。

 「春陰」は、春の曇り空のことを述べる作品に用いるという。桜の頃に多い曇天の「花曇」と似ているが、春陰はもっとひろく使われて、どこか暗い感じがある季語である。

 掲句は、国旗を掲げる休日であるので、建国記念の日、または天皇誕生日であろうか。このような光景は、ニュースや映画の場面でしか観たことはないが、国民の義務であり、婦人会の役員たちが家々を確認していたようである。

■春愁・1

  春愁のいとまなければ無きごとし  皆吉爽雨 『新歳時記』平井照敏編

 (しゅんしゅうの いとまなければ なきごとし) みなよし・そうう

 この作品は、季語「春愁」とはどのようなものかを、よりわかりやすく17文字の残りの12文字の中でとき聞かせてくれているのではないだろうか。

 春愁は、春ゆえに心に入りこんでくる、メランコリックな気分であり、わけもなく心をかすめる淡い悲しみであり、だれとも心がうまく通じあうことのない孤独の思いであるかもしれない。しかも、そのような余計なことを考える暇も時間もないならば、「春愁」に取り憑かれることなどないのとよく似ているということであろう。

■春愁・2

  昔日の春愁の場木々伸びて  中村草田男 『長子』

 (せきじつの しゅんしゅうのにわ きぎのびて) なかむら・くさたお

 「昔日の春愁の場(にわ)」までの12文字は、高校時代から東大独文科に入学して、西欧の文学に親しみ、ニーチェ、ヘルダーリン、チェーホフ、ドストエフスキー等の作家たちに興味を持ち、独特な感性と強烈な思想に影響をうけた時代と言ってもいいのではないだろうか。また、この時代が草田男の「春愁」であったと言ってよいのではないだろうか。

 「春愁の場(にわ)」と「場」の表記にしたのは、草田男の若き日々が春愁に溢れていたために、「場」と表記して「にわ」と読ませるルビを付したのであろう、

 青春時代の長い思想彷徨の末にしばしば神経衰弱にかかった草田男であった。行き詰まった精神生活の打開の道として、草田男は叔母の紹介で俳句の大御所高浜虚子と出合い、「東大俳句会」「ホトトギス」で、自然と向き合い、客観写生の道を歩みはじめた。虚子に師事を始めたのは29歳の東大生で、昭和4年のことである。そして、一旦休学した後国文科に転科した。

 草田男はホトトギスへ、難解な俳句を投句していた。そのような草田男に、虚子は、ホトトギスに収まりきれない詩人の魂を見てとり、「生活や心の苦悩を俳句にすることも俳句の近代化というのであろう」とし、俳句の道は一つではなく百川もあると述べた。

 草田男もまた、草田男を見ていてくれる虚子の心を感じとっており、難解な表現の破調句でも、虚子の選を信じて、全身で俳句をぶつけた。

 草田男俳句の特徴は、内から脈動する生命のリズム、内在律からの破調といわれている。 

 「其の句を作った時の自分の感じに一種の手応えがあれば、即ち真の実感から生まれた句であったらきっと先生に判って頂ける」という草田男の言葉があるが、多くのほとんどのホトトギスの会員の声は、草田男に厳しいものであったという。


https://miho.opera-noel.net/archives/4023 【第八百四十八夜 山口青邨の「春陰」の句】より

 三番目のヒヤリは、どれにしようか? 小さな出版社の経営は、毎月毎月を越えることが大変だった。よくぞ何十年もの間、ドキドキしながら越えてきたものだと、夫にではなく、神様に御礼が言いたい・・!

 たまらなく辛い時、編集、経理、雑務を一手に引き受けている私は、一人で車にとび乗って、当時、すぐ近くだった練馬インターチェンジから関越道に入り、軽井沢の往復400キロ余りを走り、すこしだけ心爽やかになって4時間後には戻ってきた。

 毎月を越すことのヒヤリなのだろうか。だがこのヒヤリはこれからもあるかもしれない。軽井沢からの急カーブだらけの下り道で濃霧に巻き込まれた時の、あのときほど神経を使った運転の、ぞっとした怖さのヒヤリを三番目にしておこう。一番目も運転にまつわる話だった。

 現在は76歳、あと160日で77歳の喜寿を迎える。最近の運転のとみにおだやかになったこと・・! 私もこのような時期を迎えることができるようになったのだ。

 今宵は、「春陰」の作品を考えてみよう。

  春陰や大濤の表裏となる  山口青邨 『乾燥花』昭和29年

 (しゅんいんや おおなみのおもて うらとなる) 

 この作品は、今回やっと景が読み取れたように思った。

 句意はこうであろうか。寄せくる大濤には表と裏がある・・海岸に立って眺めていると、海上では上下運動をくり返している波は、海岸の近くで大濤となってザブーンの響きとともに寄せてくる。寄せては返す、そのくり返しをスローモーションで捉えてみれば、大濤の表と裏なのであった。

 「山口青邨君は科学者である。」と、師の高浜虚子が、第一句集『雑草園』の序に書いたように、明治25年に盛岡市に生まれた青邨は東大採鉱学科を卒業し、東大教授となり、名誉教授の称号を受けた採鉱冶金学の学者である。 

 俳句では、虚子から客観写生を鍛えられ、四Sの秋桜子、素十、誓子、青畝、その後の草田男、たかし、茅舎等と切磋琢磨した時代が青邨にはあった。

 ひたすら真実と美を求めて観察(オブザベーション)を怠らない作句法は、複雑なものを単純化して一つの法則を作る科学者の方法と同じであった。

 大濤の動きの、ある一面に絞ったことで、季語の「春陰」らしさが出たように思う。春陰らしさとは、心のもの憂さという暗さであり、そうした陰りが垣間に見える言葉かもしれない。

 若い頃の私は、といっても40代にはなっていたが、春の季語の中でも翳りを帯びている「春陰」は好きな季語であった。句会では屡々用いていたが、機会があれば第2句集にと考えて、大目に選んで準備してある、第1句集『ガレの壺』以降の作品を読み返したが、入っていなかった。どうやら使ってみたい季語も、その時々で、変化しているようだ。


https://www.haikuphoto.jp/%E6%98%A5%E9%99%B0%E3%82%84%E7%9B%9B%E3%82%8A%E5%A7%8B%E3%82%80%E3%82%8B%E9%B3%A9%E3%81%AE%E7%BE%A4/ 【春陰や盛り始むる鳩の群】より      小山正見

鳩である。おそらくカワラバトと呼ばれる種類であろう。一般にドバトと言う。

最近の鳩は嫌われ者だ。鳴き声がうるさいし、やたらと糞をする。僕も駅のホームで上空からの鳩の糞をくらったことがある。油断も隙もない。

繁殖力が旺盛で一年の三分の二は繁殖期である。雄鳩が胸を膨らませてグルックグルックと雌を追いかけている場面を見かけたことがあろう。

子どもの時、僕は鳩を飼っていたことがある。

当時は冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は、木の枠の中にいれられていたか。電気屋からそれを貰い受け、金網を張り鳩小屋を作った。

近所に大規模に鳩を飼っている人がいて、最初はその人から鳩を譲ってもらった。夕方になると彼の鳩舎の鳩が一斉に空を舞い円を描いていた。羨ましかった。

とうもろこしや小麦、麻の実、胡麻などを配合して独自の餌を作って与えた。

夢は北海道からの鳩レースに出場することだった。

まだ、新聞社の屋上で飼われていた鳩が現役として活躍した時代だ。

夕方になると、トラップ台の上に鳩を出し、毎日訓練した。少しずつ距離を伸ばし、自転車で遠くまで出かけ鳩舎の前で鳩を待った。

しかし、そこまでだった。梅雨時だった。次第に掃除が億劫になり、不衛生な鳩舎で全ての鳩を死なせてしまった。

動物を飼うということは糞尿の始末をするということだと知った。僕は二度と動物を飼うことを止めた。現在でも日本伝書鳩協会が健在であり、鳩レースが行われていると聞く。

遠い遠い空の上の話だ。


https://www.nagoyatv.com/tabigome/trip/entry-16695.html 【春陰や出会いトキメク旅路なり 静岡・遠州浜北】より

「静岡・遠州浜北」を旅してゴメン!遠州鉄道「浜北駅」から旅をスタート。地元の人にお話を伺うと近くに「万葉の森公園」というところがあるらしく早速目指すことに。

公園に向かう途中、地元のお父さんに声をかけられ立ち話。お宅におじゃまさせていただくと手作りのお庭やはなれが!なんでも作ってしまうお父さんの器用さにウドちゃんもびっくり!

「万葉の森公園」の近くに「瀑布山 不動寺」というお寺があることを知ったウドちゃん。早速お参りさせていただきます。さらに境内には自動車が大好きなウドちゃんがびっくりする車が!それは50年ほど前に販売された「スバル360」。まだ現役だそうで、エンジンをかけていただけることに!ご住職がキーを回すと独特の排気音が境内に響き、ウドちゃんも大興奮!

そして寄り道しながらも「万葉の森公園」にようやく到着。万葉集にちなんだ様々な花や植物が植えられていて四季を通して楽しむことができる公園なんだそうです。これからの季節は椿の花。約200種類もの椿の花が咲く椿園を散策しました。

続いては旅の情報から、80歳になってからチーズ工房を立ち上げた酪農家のおばあちゃんがいるという「ち~ず工房のなか」。実際にお邪魔してお話を伺うと、新しいもの好きで何ともパワフルなおばあちゃん!「細かいことを考えていたら何にもできん!」ととにかくすぐに行動してしまう型破りなおばあちゃん。お嫁さんは「まわりがついて行くのが大変」と苦笑い!今ではお嫁さんが中心になってチーズを製造しているんだそうです。ウドちゃんも早速フレッシュなチーズを味見させていただき「美味しい!」と大満足!しぼりたての牛乳から作った新鮮な“モッツァレラチーズ”に感激の様子。「お義母さんはこんな人だから!」と必死についていくお嫁さんも実はパワフル!「お二人は似ているのかもしれませんね」と締めくくるウドちゃん。様々な人に出会い元気をもらった旅になりました。

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