筑紫磐井・大井恒行を囲んで

https://sengohaiku.blogspot.com/2024/11/mahoroba-001.html 【まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで①】より

➀まほろば帯解俳談抄 ― 筑紫磐井さんを囲んで ―     堺谷真人(豈)

 浮世絵師・歌川国芳に「相馬の古内裏」という作品がある。山東京伝の読本「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」の一場面を描いたもので、夜陰を背景にした巨大な骸骨が御簾を破って内側を覗き込む構図がおどろおどろしい。平将門が下総国に築いた内裏の廃墟を巣窟に、妖術を授かった将門の娘・瀧夜叉姫とその弟・相馬太郎良門が謀叛を企て、これを阻止しようとする大宅太郎光圀と対決するシーンだ。

◆   ◆   ◆

 さて、奈良市南郊の帯解の里、窪之庄町には水輪書屋(すいりんしょおく)という古民家がある。敷地面積約400坪、築250年と推定される豪農の旧宅だが、屋根が朽ち落ちて床の間から空が丸見えになるくらい荒廃していたのを、歌人・北夙川不可止さんが修復し、アートの殿堂としてみごとに蘇らせた。

 2024年11月17日(日)、その水輪書屋に集まったのは、俳人・筑紫磐井さんを囲む会の面々。磐井さんが発行人を務める「豈」の同人をはじめ、「藍」「麒麟」「群青」「翔臨」「草樹」「楽園」などの俳人、「晴」「ゆに」で活躍する川柳作家に加え、歌誌「玲瓏」「短歌21世紀」所属の北夙川さんが座敷の車座に列なった。

 磐井さんによる話題提供の劈頭は、彼の近著『戦後俳句史nouveau1945-2023三協会統合論』(ウェップ)に因んで、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の統合の可能性に関するもの。詳細は省略するが、1961年12月に始まった俳人団体の分裂・分派が、有季・無季、定型・自由律など相異なる俳句観を有する俳人たちの相互批評空間を狭め、結果として「俳壇無風」とも言われる大いなる停滞の時代を招いたのではないかとの考察には共感する所があった。

 一方、国語教科書に無季俳句を載せないよう出版社に要望書を出す、「無季は俳句のようなもの」と幹部が発言するなど、俳人協会は時おり排斥的、攻撃的な面を見せるとのこと。何故だろうか。少し残念な気がする。

 かつては金子兜太と能村登四郎、飯田龍太と鈴木六林男がそれぞれ現代俳句協会賞を同時受賞するなど、現代俳句協会は多様な俳句・俳人を包摂していた。所謂historical ifになるけれど、もし協会分裂なかりせば、飴山實と赤尾兜子が同時受賞した可能性だってあったと磐井さんはいう。いま改めて三協会「統合」と聞くと事々しい感じがするが、要は時計の針を「63年前にもどすだけ」だと。妙に納得してしまった。それにしても、統合後の団体名は「俳句統一協会」になるのであろうか。

 ついで話題は俳句のユネスコ無形文化遺産登録へ。無形文化遺産として認められるためには、「俳句とは何か」という定義が必要になる。現在、「プレバト」の夏井いつきさん等の影響もあってか、「俳句は有季定型でなければならない」との風潮が世の中では一般的である。そんな中、仮にユネスコが「俳句とは五七五定型と季語を有する自然詩である」と定義づければ、無季俳句や自由律俳句が不当に排除されるのではないか、との懸念を有する人々もいるのだ。「豈」編集顧問の大井恒行さんもその一人。昨今、ユネスコ無形文化遺産登録に反対する大井さんへの風当たりが強まっているが、登録を推進する団体の幹部諸氏は多様な意見に耳を傾けつつ、この問題に対して丁寧に説明を重ねる義務があるのではないだろうか。

 そして「囲む会」は中盤へ。

 俳句の国際化に関する磐井さんの見解を伺ったところ、俳句とは第一義的には日本語による詩歌作品であり、言語も韻律も異なる海外のハイク、haikuとは合致しないとの基本認識であった。勿論、日本語で俳句を書く人々が外国語ハイクからインスピレーションを得てそれが作品に影響を与えることはあるかもしれないとのこと。

 これに対して、英語ハイクから俳句の世界に入ったというMHさんからは、俳句とハイクはたしかに全然違うものだが、それでも翻訳には挑戦しつづけたい、との発言があり、更にこれを受けてドイツ文学研究者のMNさんからは、翻訳そのものの可能性、不可能性に関する議論や言語の起源に関する学説を紹介して頂くなど、活発な意見交換がなされた。

 休憩を挟んでの後半戦は、磐井さんが練達の書き手、評論家であることから、話題は評論の書き方へ。最近「豈」に入会したMKさんからテーマの探し方、資料の引用の仕方、タイトルの付け方といった実践的な質問があり、それに対する磐井さんの回答はおおよそ以下の如くであった。

 テーマの選択に当たっては、まず第一に自分自身の関心のないことは書かない、というのが原則。ただ、編集者の共感と熱量によって書き手が自らのテーマを深掘りしたり拡張したりということも実際にはある。引用については必ず原典=一次資料に当たること。著名な書き手の評論にも孫引き、ひ孫引きをしているために事実誤認が多数見られることがある。ファクト・チェックが大切。本のタイトルは、その時代の空気、流行、事件などさまざまなことを考慮してつけている。出版社は売れるキャッチーなタイトルを常に考えているので相談すると良いかもしれない、云々。

 原典=一次資料という話で一点補足しておくと、「囲む会」には神戸大学山口誓子記念館のYKさんも参加していた。前衛俳句をめぐる山口誓子と堀葦男との応酬の経緯に関して、さる高名な評論家の著書に誤った時系列の記述があることを、かつて朝日新聞の記事データベースに拠って実証的に指摘してくれたのは他ならぬYKさんである。

 続いて議論は再び俳句史へ。

 戦後俳句を考えるとき山口誓子の「天狼」の果たした役目は大きかったにも拘らず、磐井さんも川名大氏もそこにあまり触れていないのは何故か、とSKさんが質問。これに対し、磐井さんからは次のようなコメントがあった。西東三鬼を指導者とする「天狼系前衛俳誌-雷光」が「天狼」とほぼ同時期に創刊され、その後、会員たちによる三鬼の排斥を経て「夜盗派」「縄」などに作家が流れた。根源俳句について誓子自身が明言していないこともあり、新興俳句以降の俳句史に「天狼」を位置づけるのはなかなか困難な仕事である、云々。

 終盤、「俳壇無風」といわれると些か忸怩たるものがあると切り出したIKさんからは、三協会統合シンパとしてこれから何をやればよいですか、という率直な質問が飛ぶなど、約2時間に及んだ議論は自由かつオープンそのもの。かくて今回の「囲む会」は俳句の過去・現在・未来を縦横に語りつつ大団円を迎えることとなった。

 奈良、帯解を舞台にした「囲む会」には遠近各地から20名が集まり、すこぶる盛況を呈した。磐井さんはじめ、ご参集の各位にはこの場をお借りして深甚なる謝意を表したい。

 自由闊達な発言を担保する意味で、録画・録音などの形で記録を残すことは一切しなかったが、終了後、開催報告の需めが磐井さんからあった。利き手の指を骨折している状態で残した不完全なメモをもとにこの文章を書いたので、聞き違い、勘違いの類いはひらにご容赦を乞う。なお、SNS等で「囲む会」に触れる際には、発言者の人名をイニシャル表記にするよう参加者にお願いしたため、本稿の記載もそれに従っている。

◆   ◆   ◆

 「囲む会」の主役である筑紫磐井さんの俳号は外国勢力と結んで大和朝廷に叛いた筑紫国造・磐井(いわい)から取られている。将門が東の新皇ならば、磐井は西の乱魁。将門の遺児たちが相馬の古内裏ならば、磐井(ばんせい)の見物たちは帯解の化けもの屋敷。さてさて、吉と出るか凶と出るかはわからぬが、時は旧暦神無月、八百万の神さまのいまさぬその隙に、帯解き放って俳壇の洗濯談義、無事満尾に至ることかくの如し。

https://sengohaiku.blogspot.com/2024/11/mahoroba-002.html 【まほろば帯解俳談抄――筑紫磐井・大井恒行を囲んで②】より

➁まほろば帯解俳談抄拾遺         堀本吟(豈)

其の一

 ことの発端は、奈良市で開催された現代俳句協会全国大会に、副会長として出席された筑紫磐井さんが、その帰りに、生駒に立ちよって堀本さんをお見舞いにゆきたい、という申し出からはじまった。磐井さんは、このじゃじゃ馬の私が、ついに老いて気も弱くなり衰えゆくことを、心配してくれたのである。緑内障がもとでヒダリ目がつぶれたとか、顔面麻痺のPicassoばりのキュビズムの顔つきでムンクのように瘦せこけた頬を抑えて嘆いているとか、おまけに膝が弱って歩けなくなり、と大騒ぎするものだから、大丈夫かいな、と心配してくださった。そして、生駒は奈良市よりずっと遠い辺鄙な山奥なのだと、彼が思い込んでいる節もあった。

 確かに、私は、八十歳を超えてから、だんだんいろんなことができなくなって、実行力も頭のまわり方も、文章の速度も落ちてきた。増えたのは、物忘れと入力ミス、間違いクリック。これ以上、世界が見えないような生活になったらどうしよう、と不安が嵩じ、いくぶん鬱的になっていた。が、日常の起き伏しは、まだどうにかできる。だから余計に、この「誤解」がうれしかった。

 私は、とたんに元気が戻ってきた。まだ、できる・・・。

 そして、何を考えたか、というと・・・。

 せっかくのチャンス、家族だけで会うのもいいが、もう少しおもてなしの範囲をひろげて、まことに大胆な俳人であり犀利な論客であるこの人を、私の友人たちに直接に会わせておきたい。私が死んだ後も、この関西の地に、磐井さんを親しく見知ってくれる人を拡げておこう、という願望を持った。そして最近、読書会でよく出会っている堺谷真人さんに相談して今回の企画となったのである。同じく、現代俳句協会の大会に参加した大井恒行さんが途中からフォローに入ってきてくれた。大井さんは最新句集『水月伝』(ふらんす堂)を出された。これは現代俳句に生きる無季俳句の佳品が多く見られる。

 ものごとなべて個人的な動機や些細なきっかけから生まれる。何気ない気づかいが人を力づけつないでくれる。蛸壺状に散在している人間関係をほぐす。草の根っ子で出番を待っている発展途上の人のモチベーションを目覚めさせることもできるかも知れない。今回は、そのきっかけとして、「彼―筑紫磐井」の問題意識を十全に引き出そう、という試みである。それをばねに、私も今の自分の退嬰性から向きを変えたかった。

 そして、私は、この「初心」を記念して、今回の集まりのタイトルを「筑紫磐井さんを囲む会」と名付けてもらうことにした。

 それからの次第は、堺谷さんが書いている通りである。これも、堺谷スタイルというべきか、古典的意匠を凝らした文章運び。言葉の本質にかかわるむずかしい話題も出てきた2時間を、わかりやすく軽妙な報告文にまとめてくれている。かつての「黄金海岸」や初期の「豈」に残されている俳諧無頼の雰囲気がどこかよみがえっている。また、前世紀末のニューウエーブのミニ同人誌のシンポジウムの集まりには、解放感とともに知の深みへ誘う、このような祝祭空間が生じていたかと思う。こういう会では、とかく話題は広がりすぎるものだが、堺谷さんのメリハリの利いたまとめや誘導なくしてはなり立たなかった。進行の質問が要を得ていたし、参加者へ返してゆく振りわけ方もよかった。そして、全体に、質の高い応答になっていた。それぞれが記憶の中でこれを消化してくだされば、今後の思考のヒントになるはず。

其の二

 オフレコの放談会、と言うものの、質問に答える磐井さん、大井さんは、俳壇事情を語っているように見えて、日本語で成り立っている短詩「俳句」の命運を押さえながらの放談だった。

 クライマックスは最後に生じた。SKさんが、「天狼」の支柱である「根源俳句」について質問し、さらに、磐井さんがそれに答えて、「天狼系」の同人誌「雷光」と結びつけて話題を拡げた一幕である。(「雷光」は西東三鬼指導から出発したが、のちに「天狼系前衛俳誌」と表題を変えて、その指導を排除した)。さすが、関西俳壇の動きを見つめ続けてきたSKさんだ。彼は、川名大も筑紫磐井もそこにあまり触れていない、と指摘した。

 皆さん気が付かれただろうか? じつは、これこそ関西の地でなければ出てこなかった話である。「三協会統合」を唱える筑紫磐井来たりて、かたや、川名大の『昭和俳句史』(角川書店)の論点がそろそろ検証されよう、という現在の俳句史の転機のタイミングをとらえたもの。「豈」に腰を据えた東西の論客二人の対峙であった。(「天狼」内部の根源俳句論争が、当時の社会性俳句や前衛俳句とのかかわりで総合的に見られてこなかったのではないだろうか?)私は俄然興味がわいてきた。

 磐井さんのコメントは、私たち在関西の「豈」同人たちが中心になり、編集制作した「‐俳句空間‐豈」特別号関西篇39-2(2004年)《関西前衛俳句》特集の「雷光」に関する記事を参考にしている。橋本直と堀本吟が「雷光」3号や、8号、13号を取り上げている。この号で、私たちは、この時期の関西で、社会性俳句や前衛俳句につながるテーマがいまだ整理されていないことを、ほんの端緒であるとしても、提示している。

 同人誌「雷光」は、「天狼系雷光俳句会会報」として、「天狼」創刊とほとんど同時、昭和23年に創刊。8号は表紙に「天狼系前衛俳誌-雷光」と表紙の肩書を変えて、「雷光改組の言葉」を宣言している。関西俳壇で「前衛」という名づけが出てきたのは、これが初めて、しかも「天狼系」と銘打っている。

 原資料には当たっていないのだが、「雷光」は終刊のころには、「前衛」の名をおろしていたように覚えている。そして、「天狼」を離れて「梟」(「夜盗派」と改題)、やがて島津亮、井沢唯夫、東川紀志男、立岩利夫の作家たちは、「縄」へ、さらに「夜盗派」(第二次)と新しい前衛俳誌を刊行した。鈴木六林男や杉本雷蔵は「頂点」を創刊、というように、それぞれの作家の信条に沿って、いくつかの小同人誌ができた。この辺はごちゃごちゃしていて私にもよくわからない。私たちがこれを取り上げた2004年段階では、一次資料の不足していたこともあり、このことに気が付かなかった。

 磐井さん、SKさん二人のやり取りを聞きながら、いまさらながらはっとしたことである。これは、磐井さんの話がきっかけとなり、この会が、関西俳壇に投げた大きなテーマとなろう。

 こちらの前衛俳句の動きは、実はまだ、関西でも、関東中心の戦後俳句史(とりわけ前衛俳句)にも、十分には整理されていないのである。これは、ぼけてなんかいられない。まだものが見えるうちに、なんとかしなきゃ、と思ったのである。

 「はい、もう買っちゃったから」と、いって、磐井さんからいただいた「お見舞い」は、かように挑発の味が焼き込まれたシュトーレンだったのである。そして、同志的友情と言うべき甘みも共に味わったのである。

 おかげさまで、私には、再び、元気がよみがえった。

 そういう顛末で終わったこの邂逅。磐井さん、SKさんお二人にはもちろんだが、この日に関わってくださった方たち全員にこころから「ありがとう」、を言いたい。(了)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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