陽炎や塚より外に住むばかり 内藤丈草

https://tsubuyaki3578.com/article/202105article_20.html  【「かげろうふや塚より外に住むばかり」内藤丈草、人の命などあまりに儚い】より

かげろふの寿命は超短い、普通は一日とされ、長い種でも数日、短い場合は数時間とも、成虫になってからであるが、・・・・・される。

しかし、寿命の短さを云うなら蜉蝣(かげろう)も人間もさして変わるものではないとも云い得る。当然であろう、昔、人生の短さを感じるべく、当時はまだ電卓程度しかなかった、・・

・・・・1+1の演算を=を打つだけで繰り返すとあっという間の100である、小1のとき、100までの数えっおをよくし合ったものである。瞬時の100であるが、一日は短い、過ぎ日が暮れる、一年も正月だなと思っていたら季節はすぐに移り変わる、

毎年一年がやたら早く感じられる、これが100回、もちろん、まだ赤ん坊のときもあるし半分近くは睡眠時間だ。こんな人生でいったいなにをやろうというのか、手際よく巧妙に生きて、

栄達を遂げたり、財を成そうと人生はすぐに去ってしまう、あの世に持っていけるものは何もない。 それを如実に表現し得た句が丈草の句である。

 かげろふや塚より外に住むばかり しょせんは、蜉蝣も人も基本は変わるものでもはない。墓にいる亡くなった者も、外にいて生きている者もおなじことだ。

人生など瞬間でしか無い、・・・・・この句を取り上げているのは芥川龍之介の「点鬼簿」晩年の作品である。晩年と云って34歳くらいと思うが、今から思えば何とも若い。若いのだが、すでにこれである。「点鬼簿」の末尾

 僕は墓参りを好んではいない。若し忘れていられるとすれば、僕の両親や姉のことも忘れていたいと思っている。が、特にその日だけは肉体的に弱っていたせいか、春先の午後の日の光の中に黒ずんだ石塔を眺めながら、一体彼等三人の中では誰が幸福だったろうと考えたりした。  かげろふや塚より外に住むばかり

 僕は実際この時ほど、こう云う丈艸じょうそうの心もちが押し迫って来るのを感じたことはなかった。しかし墓があればまだいい方である。墓はいつかはなくなる。というより、そもそも墓が建てられないケースも多い。私の母型の祖父母、は福山市の妙正寺という福山駅の北、中心部にあるが、そこに墓を建てる予定が、ついに建てられなかった。

長男は離婚していたが、離婚してもその元妻の実家は裕福だとして妙昭寺が後継を元妻の実家を指定した。だが元妻の実家は関係ないと一蹴、娘たちも嫁いで関係ないとこれも一蹴、お

寺が困っていると思うがその先は知らない。卒塔婆のママ、そこの長男の骨も埋められたが、もう後継がいない。檀家としてつき合うという後継がないから、結局は撤去だろう、もうされていると思う。人生は儚い、だが儚い以前のバカバカしさ、というべきかもしれない。


https://blog.goo.ne.jp/odeige/e/c4fc0666910d96d8dd177aaa99d5c694 【陽炎やけふは墓より外に住む】より

陽炎(かげろう)や墓より外に住むばかり  内藤丈草

内藤丈草は芭蕉の門人。春の昼日中、芭蕉を慕って師の墓に詣でた。これはその時の句。

陽炎は儚い。あるかないかの境目にあって春の野原に立ちのぼり、いつしか消えて行く。

師の芭蕉は墓の中、丈草は墓の外。芭蕉は白骨。丈草は老骨。内と外と住むところが違うが、二人を包んでいるのはともに春の陽炎である。

陽炎の中を生きて陽炎の中に死んでいる者ばかり。

この世にあって意を得たりとして驕る者も、失意して消沈する者も、ここを過ぎてみれば、ただ春の野に立つ陽炎を見上げているばかり。


https://note.com/gentle_lilac59/n/n0b50d8408d8c 【読書感想 芥川龍之介 点鬼簿】より                                渡邉有

芥川龍之介晩期の自叙伝的小説です。晩年、相当神経を病んでいるなか書かれたようですね。

「点鬼簿」とは、死者の姓名を書き記した帳面のことをいうようです。この作品には、芥川龍之介の実母、実父、姉のことが記されています。

断片的な記憶とその時に感じたことがありのまま書かれている印象です。

子供の頃の記憶で、前後のことは全然覚えていないのに、何故かその場面だけ妙にはっきり覚えていることってありますよね。

亡くなった三人にまつわる追憶の欠片が散りばめられている感じです。

 亡くなった父親を病院から実家へ運ぶ際に見た、柩車のうえに浮かぶ大きな春の月。

父親の遺骨に混ざった銀歯……。なんでもないエピソードばかりなのですが、芥川龍之介の筆力により胸を打つ「何か」に変換されています。

 芥川龍之介はこの三人のうちで誰が一番幸せだっただろうかと考えます。作品の最後はこうなっています。「かげろうや 塚より外に住むばかり  僕は実際この時ほど、こういうじょうそう(変換出来ません)の心もちが押し迫ってくるのを感じたことはなかった」

「かげろうや、塚より外に住むばかり」は、松尾芭蕉の弟子の内藤丈草の句で、「寿命が短い蜉蝣は、生きていても墓にいても大差ない」という意味らしいです。(間違ってたらごめんなさい……)相当神経を病んでますよね……。自殺を実行に移す方は、周りからみると案外直前まで普通に見えたという話をたびたび耳にします。まわりからは順風満帆に見えても、自ら命を絶ってしまう方もいます。

 人間は、本来の自分の魂の在り方や魂の望みを無視して、偽りの自分を演じ続けると、もともとの魂の形に戻りたくなるみたいです。ありのままの魂に戻りたい欲求がどうにも抗えないものとなると、自ら命を絶つと聞いたことがあります。

芥川龍之介の遺書には「僕は養家に人になり、一度も我儘らしい我儘を言ったことがなかった(というより寧ろいい得なかったのである)僕はこの養父母に対する孝行に似たものを後悔している。しかもこれも僕にとってはどうすることも出来なかったのである」「今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かもしれない」と書かれています。

優秀でなければ見捨てられてしまうかもしれないという恐怖感は、強烈に魂を巣食って支配するのでしょうね…。感受性の鋭い人間であればあるほど、それは抗えないものなのかもしれません。

芥川龍之介の「点鬼簿」。私はこの作品も大好きで、何回も何回も読みました。

ストーリーらしいストーリーもないこの話の何が好きなの?ってきかれると「さて、なんでしょうねぇ…?」としか答えようがないんですが、不思議な存在感を放つ名作だと思います。

個人の心の一番内側にある、脆くて柔らかい空間を覗き見している感覚です。

青空文庫でいつでも読めるこちらの作品、ぜひ一度ご覧になってみてくださいね。


https://spica819.main.jp/kirinnoheya/14396.html 【じょーそー】より

1995.1.10 蝸牛社発行 松尾勝郎編『蝸牛俳句文庫17 内藤丈草』より

大阪に一泊、近江に一泊と二泊三日の旅をしてきました。この旅は裕明賞を夫婦で祝うという名目だったので、多少贅沢もありということにしてせっせと遊んできました。

食べて食べて食べて、あと飲んで。いやー、太りました。かなり太りました。まいったなぁ…。

近江に行ってから丈草のことをよく考えています。蕉門の中では一番好きだったんですが、なんだか、義仲寺を訪れてから、余計に丈草がどう暮らしてたのか、どんな思いだったかを想像しています。案外、楽しかったのかなと。というわけで、丈草の句を読んでいきましょう。

ちなみに僕は、其角より去来より、丈草の句の方が好きです。

幾人かしぐれかけぬく勢田の橋 たたたた。しづかさの数珠もおもはず網代守 ちっとも。

行秋の四五日弱るすすき哉  行秋らしい。晩秋感。冬近し。我事と鯲のにげし根芹哉   やっぱり今読んでも面白い。丈草のユーモアは優しさが見えて嬉しい。

大原や蝶のでて舞ふ朧月  この句を読むと、いつも、あぁ旅に出たい、有休が欲しい、と思う。なかなか行けないし、有休は取れないけど。

さしむかふ別やともに渋団(しぶうちわ) あなたもわたしも渋団扇。

悔いふ人のとぎれやきりぎりす  あ、きりぎりす(蟋蟀だけど)だと皆で思う、言わずに。

水風呂(すいふろ)の下や案山子の身の終  やがてそうなる。

うづくまる薬の下の寒さ哉  出来たり、と師に褒めらてみたい。一度だけ、「大いに結構」と葉書に書いてあり喜んだことがあります。ちなみに飾ってます、その葉書。叱られた句は今見てもしょげるので、その葉書の裏に隠してます。

狼の声そろふなり雪のくれ   わおーーーー。  陽炎や塚より外に住むばかり

謙虚に謙虚に。でもちゃんと楽しく暮らしていたんじゃないかな。

稲妻のわれて落るや山のうへ  とってもよく見える。見え過ぎて楽しい。

蜻蛉の来ては蠅とる笠の中  がさっ、ばりばりばり!!

ことづても此とほりかや墓のつゆ  行ってきまする。あ、もちろん墓は芭蕉先生ね。

血を分ケし身とは思はず蚊のにくさ  高熱は勘弁。

連れのあるところへ掃くぞきりぎりす  優しいから好き、丈草さん。

読み返してますます、良いなぁ丈草。じゃばーい

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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