Facebook辻 信行さん投稿記事
川窪彩乃「生きることはしんどい」
第12回 くどうれいん作品と、名もなき日々の愛し方
ウェブマガジン「なぎさ」
ふいに訪れる言葉に人生をずっと支えられることがあります。日常の些細なことが人生で重要な意味を持つことを、くどうれいん作品は教えてくれます。
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川窪彩乃
生きることを「しんどい」と思うことがある。仕事が夜中まで続いたり、人間関係がうまくいかなかったり、家族を支えられずに自分を責めたり、誰かにとって容易にできることが自分にはできなかったり、レジの人に嫌な態度を取られたり、ご飯を食べる場所がトイレしかなかったり、朝起きても公式LINEからしか通知が来ていなかったり。これは、少し共感されそうな例の一端。人には言えないような共感されない深い悲嘆もある。そういうことが続くと、納豆の醤油袋が違った方向に破れ、手にべちょっと付いただけで、発狂しそうになる。
最近は「HSP(Highly Sensitive Person:繊細な人)」という言葉をよく巷で耳にする。感受性が鋭いがために、生きづらさを抱える人のことを指すらしい。「病気」には至らない生きづらさ、というのだろうか。名前のない生きづらさ。名前がないからこそ、周囲からの理解が得られず苦しくなる。しかし、名付けずとも、多かれ少なかれ人間はみな生きづらく、しんどいと思う経験はあるだろう。少なくとも、私は、しんどいと思いがちである。思いやすい傾向にある。
そんな時、私に「生きてみなよ」と誘ったのが、「本」だった。
紀尾井町の今は無き喫茶店の一角で、友人が「これ」と勧めてくれたのがきっかけだった。そこには“太宰治”と書いてあった。仄暗さと闇がひしめく雰囲気を醸し出す作家の著作が、私の生きづらさを支えてくれる存在になるとは思ってもみなかった。
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」(『人間失格』より引用)
幸福になってしまったら、いつかそれが失われる時がやってくる。出会えば別れがあるように、生まれれば死が訪れるように。その不条理が影をひそめる幸福を前にしても、私はたじろぐ。この思いを、先に言葉にしてくれる人がいることに、シンプルに驚いた。
太宰に救われるなんて、かなり"痛い女”だったかもしれない。確かに私は、その時、正式に"痛すぎる女”だった。見えない血を流していたから仕方ないと思う。
それから、私は死なないように本を読んだ。それは必死に「生きたい」と思うあがきだったように思う。あらゆる有名な本屋に端から端まで足を運んだし、名もなき場に佇む古本屋で埃まみれになってでも読んだ。
文学のほとんどの多くは「痛み」で構成されていた。スルーされ、この世にはなかったものとされる苦しみ、辛さ、痛み。文学は、それを掬いあげている。本を読めば、いつでも誰かの悲しみに接続できた。
そうしているうちに、とてもシンプルな答えに出会った。「一人ではない」ということだった。それは私が、最もほしかった安心だった。強く、生きたいと思った。本望に気付くために出会わなければならない一節、一文が、この世に存在する。その事実は、私を救った。
「なぎさ」では、私が出会ったあらゆる本と、生きづらさ・苦しさの輪郭をなぞってみようと思う。削られ、えぐられ、逆に丸くなった心はそう思った。
苦しみからの脱却は、なかなか叶わない。私たちは、「あの時」の辛さや悲しみを抱えながら、今日も夜明けを迎え、明日を想う。むしろ悲しみは増すばかり。皮肉にも、歳を重ねるごとに、悲しみのバリエーションは豊かになっていく。
私の生きづらさや苦しみは、お金に困るものでもなければ、生死にかかわるものでもない。むしろ、幸せのなかに置かれているのにもかかわらず、抱いてしまう不幸せだ。贅沢である自分に反吐が出そうになる。
しかし、一見「恵まれている」人たちは、苦しむのすらゆるされないのだろうか。お金があるならそれ相応に「楽しく」、仕事があるならばそれに比例して「幸せ」でいる必要はない。誰がどうであれ、その人が「しんどい」なら「しんどい」のだ。私たちは、しんどくていいのだ。それだけ、頑張っているのを忘れてはいけないと思う。それだけ、「生きている」のを忘れたくないと思う。少なくとも、私は文学を通じて、そんなことを体感した。
学歴や見た目、言動や性別ではないまっさらな状態で受け入れられたい。屈託も打算もない、むきたての卵のような脆弱で繊細な生身の“私”で世界を堪能してみたい。その思いを叶えてくれる力が文学にはある気がしている。そんな文学をめぐる「生きる」についてお話してみたいと思っている。
追記
「なぎさ」に寄稿してみないか、とお声かけしてくださった島薗進先生、心より感謝申し上げます。
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西加奈子作品と「存在すること」へのゆるし―ただそこに「在る」難しさ―
川窪彩乃
差し出した手紙を「要らない」と言われたことはあるだろうか。
幼稚園児だった私は、当時流行した「手紙交換」に精を出していた。便箋なんて持っていないから、メモの裏に精一杯のメッセージとイラストを描いて、友達に渡す。
ある夏の日に事件は起こった。
同じクラスのミチコちゃんが「あやのちゃんの手紙いらない」と言ったのだ。私にとって、手紙を拒否されることは、存在を拒否されるのと同義だった。初めて存在意義を失い、「存在すること」への問いを胸に秘めた瞬間だった。
それから私は「存在すること」に潜む何か重大な重みと不穏な空気に、心を痛めるようになった。傷つけてしまったのだろうか、何がいけなかったのだろうか、自分はここにいていいのか、迷惑なのではないか。どんなことをすれば存在するのを許されるのか。そんな風に悩むようになったのだ。
電車に座ったら隣の人が急に場所を変えたり、ふと放った言葉で相手の顔色が微妙に変化したとき、湿り気のある汗が額を伝う。いつも他人に「居ること」を許されていない気がする。だから相手を傷つけない範囲で「存在しよう」とする。または「存在しないよう」にする。それは、周囲には伝えにくい悲しみだった。本当は、何をしても・しなくても存在を肯定されたいし、手紙も受け取ってほしかったのだった。
「ただそこに在ること」の難しさと残酷さ。まさしくこうしたしんどさを、西加奈子の諸作品は示唆している。
「ぶすである」のを理由に、周囲からいじめを受け、引きこもる主人公・きりこを描いた作品『きりこについて』には、「かわいい」とされるあいまいな社会基準からの逸脱によって、存在意義を見失ってしまった悲しみが記されている。
ただ、そこにいる、という、それだけのことの難しさを、きりこはよく分かっていた。人間たちが知っているのは、おのおのの心にある「鏡」だ。その鏡は、しばしば「他人の目」や「批判」や「評価」や「自己満足」、という言葉に置き換えられた。
存在意義を見失いそうになる時、自分を図る定規を他者に置いている。他人の視線・期待・拒否に振り回される。私の人生なのに結局、私は誰なのか。このままでは、他人が呪詛そのものになってしまう。
また、小説『ふる』では、ビデオ会社で働く主人公・池井戸花しすが、職場で横行する悪口を、ずっと見て見ぬふりをする場面がある。そしてみんなに「悪口を言わない池ちゃんは優しい」と口々に言われる。だが、その黙る行為は「悪口を言われないため」の防衛だった。
でも花しすは、自分のことを優しいと思ったことなど、一度もなかった。自分は、誰かを傷つけるのが怖いだけだ。それを優しさだと、ある人は言うかもしれないが、傷つけないことと、優しいことは違う。花しすは、人が傷ついたとき、顔が歪むのを見るのや、流れている時間が止まることが嫌なのであった。そしてそのことに関与しているのが自分であるということが、一番怖いのだった。
誰かを傷つけてしまうのが怖い。傷つけてしまえば、避けられるかもしれない。もっと行けば「居なくていいよ」と言われる危険性がある。だから、誰の感情も害さないままに、あまつさえ「優しい」と言われるこの皮肉。存在を許されるために、他者に迎合し、責任から逃れる罪悪感が描写される。ここで、花しすが「悪口はダメだよ!」なんて言ったら、総スカンを食らうのは目に見えている。正しさは時にむごい。正直に生きると、他人に嫌われてしまうから、優しい人を演じて居場所を確保するのだ。
こんな言葉に出会ったのを思い出す。寺山修司との往復書簡『ビデオ・レター』の中で語った、谷川俊太郎の言葉。
自分が誰かっていうことは、自分に訊いても分からない。他人に訊いてもわからない。自分が誰かっていうことは、行為のうちにしか、あらわれてこないような気がする。自分が傷つけた他人の顔を見るとき、いくら疑っても、逃れようもなく、自分が、ここにいるのを感ずる。
傷つけ、傷つけられることで感じる、ざらざらとした自分の輪郭。歪で、黒くて、すごくにおう。他者が怖い。私は、こうなるために生まれてきたわけではなかったはずだ。
短編集『炎上する君』では、学生時代から言われのない陰口を叩かれ、邪険に扱われてきた梨田と浜中という女性が登場する。
おかっぱ頭ときっちりした三つ編み姿というだけで「学徒動員」などと呼ばれてきた二人。その禍々しい過去から他人への不信感を拭えない。しかし二人は、「足が燃える男」なる、メラメラ燃える炎を足にまとわせている男に出会う。彼は、人に対し何の烙印も押さず、まっすぐに見つめる瞳を持つ男でもあった。男を前にして、主人公の二人は他者に自分を決められない、柔らかな世界を経験する。
私達の品定めなどしない、男であるか女であるかなど関係ない、「ひとりの人間」をまっすぐに見つめる、目であった。黒くて、光っている、大きな目。私と浜中は、その視線を受け、一瞬の間に、ほとんど寛いでしまった。
見た目や言動だけで人を判別しない目への寛ぎ。それは、彼女らが幼い頃から抱いてきた「品定めの視線」への怯えとは、全く真逆のものであった。
私たちの世界は矛盾で満ちている。「あるがままでいいんだよ」と言われて久しいが、あるがままでいて肯定された人をあまり見たことが無い。誰だって、いつも「役割」や「演技」の上に、自分を成り立たせている。その現実は、どうしても否めない。
無条件に存在することが、どれほど難しいか。どれだけ親しい間柄においても「役割」は「存在」に先立つケースが大いにある。「あるがままでいいんだよ」という言葉は、綿あめを口に入れた時のような脆さを孕んでおり、「ここに居てもいいんだ」という自信は、常に「役割」や「演技」「価値」の中に包摂されている。「役割」の仮面を幾重にも被っている私たちの本音は、他者の拒否と期待、評価によって霧散する。だから、私たちは「ただそこに在ることの難しさ」に辟易するのだ。
西加奈子の作品を読むと、存在のゆるしを請う自分に出会う。それはとてつもない絶望に満ちた邂逅だ。「あなたはそのままでいいんだよ」という言葉を、どれだけ切実に求めているか思い知らされる。しかしなぜか読後には、このどうしようもない悲しみに打ちのめされながらも、生きることの美しさにめまいを起こしてしまう不思議さがあった。
この世に絶望した人が、ストレスにより風船のように空に浮き上がってしまう『ある風船の落下』というSF物語。クラスで無視され、両親からも見捨てられた主人公・ハナも、いつの間にか“風船病”になってしまう。しかし、同じ病を患う黒人・ギョームが放った言葉に、舌を巻く。
「ハナ、聞いて。僕の祖先は迫害を受けた。まったくいわれのない迫害だ。そして、僕は、この容貌と臆病な性格のせいで、小さな頃から苛められてきた。僕は人間が、その悪意が怖かった。世界を憎んだ。みんなが僕を攻撃する、そんな世界を捨てて、ここに来た。でも、ハナ。聞いて。僕は、君に会って、君と話をして、何かを信じて、求めることの幸せを思い出した。もし裏切られたとしても、社会から中傷を食らっても、それでも、誰かを信じることの素晴らしさを、僕は思い出したんだ。君が好きだ。」
「人間は愚かだ、でも、だからこそ尊いんだよ!」
どの主人公も「ただそこに在る」だけで許されるほど、優しい結末を迎えなかった。現実は厳しい。綺麗事でおさまるわけがない。それでも西加奈子は、余すことなく「存在」を肯定し、「他者」という呪いを解いた。どうしようもない部分も含めてあなたはあなたでよかった、そして、他者はあなたを受け入れ、愛する責任と可能性を持ち合わせている、と。
私は他者から存在を許されたかった。でも、本当は違った。私はずっと、他者を信じたかったのだ。ためらいなく誰かを愛し、求めることを許されたかった。かかわることで灯る人と人との温かさを喜びたかった。失敗してもなお、隣人を愛するのをやめたくなかった。「他人」を、「存在」を、許していなかったのは私の方ではなかったか。
私たちは傷つけ、傷つけられることを介して、存在の痛みをまざまざと感じる。逆に、愛し愛され、歓迎されることによっても、自分の存在を嬉々として感じる。あなたがあなたとして、私が私として存在するためには、傷と愛の両方から決して逃れられない。存在するとは、そんな対極的な一面を宿している気がする。
傷ついてもなお、他者を信じ、愛したかったのは、愚かではなかったのだ。
新宿の雑踏を歩いているときに、すれ違うあらゆる顔を見る。一人一人に刻まれた皴と表情がある。それは誰にも奪えない、それぞれの歴史だ。この交錯の中で、人は人を存在化させる。このもどかしく優しい営みを、私は恐れる必要はない。
雑踏を進み、何気なく入った喫茶店で隣の席を見る。本物の西加奈子が、そこにいる。「西さんのファンです」と思わず声を掛ける。彼女は答える。「そう言っていただいて嬉しいです、ありがとう」と。真っすぐな瞳を見て、私は一点の曇りもなく、存在してきてよかったと思う。
私の想いの手紙は届けられたのだった。
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―江國香織作品の中で愛する存在を失った世界に浸る―
川窪彩乃
この春、実家の愛犬が亡くなった。
名前はいちご。雑種の大きい白い犬。耳だけビスケットみたいに茶色くて、肉球からはトウモロコシのにおいがする。
地方の山奥に兄弟で捨てられていたいちごを引き取ったのは高校生の冬。臆病で吠え癖はなかなか直らない。でも、誰かが悲しくて泣くと、励ますかのように涙をぺろぺろ舐めてくれる優しい犬。しかし、噓泣きすると「へぇ」という表情で赤いハイヒールのおもちゃをカジカジするのに専念する。本心を見破る力があるのだ。
散歩が大好きで、季節のにおいを誰よりもよく知っている。私のことを下に見ている淡々とした表情も信頼できる。そしてよく喋る。ベランダから私を見つけると「お母さん、お姉ちゃんが帰ってきた!」と知らせる声は町中に響く。
こうやって過去形で書けないのは、いなくなってしまったことを認めるのが辛いからだ。
いなくなったのは頭で分かっているのに、こころの「どこか」でまた会えるのではないか?あの笑った顔が見られるのではないか? と、ぼんやりと思ってしまう。
一方、あれだけ愛していたにもかかわらず、彼女が「そこに居たこと」をなぜかしっかり思い出せない。毛の感触、お腹の体温、玄関で仰向けで寝る姿。そのどれもこれもが、一瞬の夢だったかのように思われてしまう。
しかし、実家に帰った時、よその犬が散歩しているのを見てはじめて「あ、いたんだよな」と実感する。確実に、母と一緒に自分を迎えに来てくれた、あたたかで無垢な存在がいたのだ。
私は、彼女が虹の橋を渡った直後、あまり泣かなかった。
しかし、思わぬところで涙がとまらない時が今も続いている。電車、仕事中、夜寝る前。「犬」と一切関連しないところで心は慟哭した。たらたら流れる涙をどうしたら良いか分からず、「あくびです」と言って持て余している。どうしてだか今も分からない。
*
江國香織[i]の『デューク』[ii]を読んだ。
主人公は、愛犬「デューク」を亡くしたばかりの女性で、バイトに向かう電車の中で大号泣している。それを見たある青年が、主人公を誘って一日デートらしいことをする。
主人公は不思議と、その青年に心を開けてしまう。プールに入ったり、アイスを食べたり、銀座を歩いたりと、今まであたかもずっと一緒にいたかのように一日を共にする。
最後、青年は「今までずっと、僕は楽しかったよ」と主人公に伝え、さらりと去っていく。この青年は人間の形をして現れたデュークそのものだったのだ。
短編集の最初に掲載されているこの物語は、私の心をつかんだ。愛しい犬を失った物語だったことはもちろんだ。しかしもっと言えば、江國香織が「喪失」の対象がどれだけ小さい存在でも、当たり前のように立派な「喪失」として認めていたからだった。対象でかなしみを比べない人がこの世に存在することは、大いなる慰めになった。
江國香織の小説『きらきらひかる』『神様のボート』も、どれも一見「歪」だった。でもそれが当然とされている在り方が良かった。社会や大勢の人にとって、他人のかなしみは「圏外」の話だ。しかし、その疎外感を掬い、それを前提としている姿勢に救われる。人はかなしい時、常識から逃れてその歪な世界に浸る必要がある。初めてそこで呼吸できることすらあるのだ。『デューク』もその一つだった。
ペットが亡くなった時に「ペットだから」と、かなしみを軽く扱われるケースがある。「人間より先に死ぬのは当然。分かっていたことでしょ?」と。
しかし、それは全く違う。あなたや私が大切にしている対象がいなくなったという事実に、比較はない。人間でも、ペットでも、恋人でも、故郷でも、思い出でも、景色でも、あなたが大切にしているものへの愛情と、それを亡くした失意は、誰にも比較されてはならない。あなたがそれを大事にしている事実を知っているのは、たった一人、あなただけである。どうして、それを他人に比較されよう。
だから、どうか喪失のかなしみを無きものにしないでほしい。あなたが愛した存在は、あなたに思い出されることによって、永遠に存在し続けるのだから。
*
さて、大事な存在を失い、「では、悲しまない世界の方が良かったか?」と問われたら、どうにも「はい」とは頷けない自分がいる。悲しまないということは、大事な存在と出会わないこととイコールだからだ。
生きることからかなしみは必ずや引き離せない。誰かを愛せば愛するほど、失った際に深いかなしみを経験する。二度と帰ってくることができないような暗い深淵をのぞく絶望感に苛まれる。「これが一生涯続くのか」と。死ぬよりも生きる方が辛いと感じることすらある。
それでもなお、悲しまない世界を選ばないのには理由がある。その存在を愛する気持ちには、失ったかなしみを凌駕するほどの掛値の無い素晴らしさがあるからだ。まさに今、私よりも深い悲嘆を経験する母は言う。「いちごが居なくなって悲しい。けれど出会わない人生よりは、出会った人生で良かった」と。
痛みは少ない方がよいと私は思う。だが、痛みを感じることがなければ、私たちは傷の手当てを
しようとはしない。目の前にいる大切な人が、どれほどかけがえのない存在なのかを認識できない
こともある。(…)痛むとき、私たちはこれまでにないほど真剣に、何ものかに向かって祈り始め
る。そうしたとき、いかに生きるかではなく、いかに生かされているかを考え始めるのではないだ
ろうか。(若松英輔[iii]『言葉の贈り物』)
かなしみの深いところで、人は喪失した相手と出会い直す。失ってから初めてその存在への愛情の深さに気づくことすらある。大切な存在に生かされていた私。失う前の絆とは別に、失った後にも絆は結び直せる。いなくなった存在にかなしみを覚えるが、いなくなった存在によって癒されもするのだ。
*
もし、いちごがデュークのように現れたら迷わずこう言うだろう。
「春から時間が止まったまんまだよ。でも、私の人生に現れてくれてありがとう」と。
昔のように「お姉ちゃん、今日もしんどそうだね」と言ってくれるのを、少し期待している。
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―井戸川射子作品をめぐる不条理な世界への折り合いのつけ方―
川窪彩乃
あなたはよく笑った。少なくとも、その話をする時以外は。
悲しいことがあっても、誰も責めず、とにかくよく笑った。まるでこの世に慣れるように、何度も繰り返し笑った。アマゾンプライムで映画を選ぶ。リュックにぎゅぎゅっと荷物を詰め込む。ひとつひとつがいたいけで、儚げだった。時折、何もない方をじっと見つめるが、そこには何もない。
目の前を霊柩車が通った。私は小学生のように、ぐっと親指を隠す。
「おやゆび…」
あなたに言いかけたところで、口をつぐんだ。あなたには、生まれた時から親がいない。
*
「児童養護施設で育ちました」とあなたは言った。全く笑わなかった。
スパゲッティを皿に分けながら、あなたは淡々と告げた。私は、自分のバニラアイスがドロドロと溶けていくのが気になって仕方なかった。あなたに好かれる必要があったから、それどころではなかったのだ。言い換えれば、あなたの背景は私にとって全く取るに足らないことだった。そこにいてくれるだけで、十分だったのだ。
あなたのことをもっと知りたいと思った時、井戸川射子[i]の『ここはとても速い川』[ii]が現れた。本は時折「不思議」を起こす。自分の生活や状況に合致する本が、偶然にもその当事者の眼前に登場するのだ。本当に、あなたのことを書いたような小説だと思った。
*
本書の主人公・集(しゅう)に、親はいない。生まれた時から児童養護施設で暮らしている小学五年生だ。物語に大きな悲劇は起こらない。ただ淡々とした日々を、彼は真摯に見つめ、受容していく。
親友の聖(ひじり)と亀を捕まえに行ったり、YouTubeを見たり、実習生がどんな人かをよく観察する。施設内の大人の無自覚な性暴力や、聖が父親のもとに帰ってしまうシーンが、妙に現実的で生々しい。
本書でもっとも繊細に描かれているのは、子どもならではの世界との向き合い方である。
シートン動物記は観察が多いのに、昆虫記になると虫は実験ばかりされてしまう、小さい方は不利やろな。
鼻の頭を中指で、弾ませるように叩いて目をつむると、俺の中ではシャッター押したことになんねん。すごい景色とか、忘れたくない時にする。この場面も遠い遠い、自分なりの覚え方しかしてへん思い出になってしまうな。
最初に逃げたんはあんたのお父さんやわなあ、ってばあちゃんが言っとった、俺には、それが救いやってん。もう他の、周りの人とか呪う必要ないやんと思った。
寄る辺ない「生」という川の流れに足をすくわれないように、非力ながらも現実を受け入れていく。親がいなくても、大人が汚くても、憎しみも悲しみも抱かない。逆に抱いてしまうと苦しいから、ただ淡々と川の流れに任せる。その姿が切なく、それでいて頼もしい。赤子のような柔らかなにおいと息遣いが、すぐ耳元にあるかのようだった。
*
集の唯一の家族は、入院している祖母のみである。祖母は、集の母親の断片的な記憶をぽろぽろと語り、集はそれらをかき集める。しかし、それ以上、深くは聞かない。
最初、ばあちゃんに会った時に「あんたのママやらの昔の話はもうあんまし覚えとらんからね」と言われてしまったけれど、時々思い出したことだけを教えてくれる。ばあちゃんは同じ説明を何度も繰り返す、直に触れへん、確かめようのないことばかりだわ。
「あんた、生まれるまで股をぴっと閉じとったから男や女や分からんかって、生まれた時やっと男やて知ってな。その頃はもうお見舞い来るんはばあちゃんだけやったから、ママは白い病室でずっとあんた抱いとったわ。良かったねえ。悲しいことは起こりにくい。(略)」
集には愛されていた瞬間があったようだ。祖母は「悲しいことは起こりにくい」と、その事実を何度も彼に説明するのだった。
*
この世には、簡単に説明できないことがたくさんある。親が子のもとを去ってしまうこと。「育ち」によって社会的なハンディキャップを抱えること。愛しているにも関わらず一緒にいられないこと。幸せを求めているのに苦しくなってしまうこと。きっと、あなたもたくさんの不条理を、その胸にそっとしまってきたのだと思う。
しかし、募らせた思いは時折、嘔吐のように胸を突く。それは集にも起こった。ラストシーンで、集は施設長に「生」にまつわるあふれんばかりの切なさを吐露する。
生まれてくるだけで恵まれ過ぎてんのは知ってますけど、みんな、自分の稲かて背負いきれんのに。(中略)アガペーなんて、名前についっとってもあかんくて、悲しいことは起こりにくい?それなら俺は、置いていかれた時はどうやった?一瞬でも昔に戻れるんならお母さんとおった瞬間を選ぶって、俺はもう決めてる。どんな抱っこやったかも覚えてないけど、そこめがけて飛び込んでいく、今の言葉で何か話す。短い時間しか与えられへんかってもきっと俺は、母さん、嬉しい、って言ってしまう。どこまで口に出して言ったんかは自分でもよう分からんかった。
しかし、この叫びも「集は優しいな」の一言で片づけられてしまう。不条理な現実に翻弄される痛さや怖さ、やるせなさは、言葉に乗せても重すぎて乗せきれず、体にじんわり染み込ませ、無きものにするしかないのだった。つまり、それはあきらめることだった。
*
『ここはとても速い川』を読み、特別大きな発見をしたわけではなかった。しかし、たった一つ、あなたが今日まで死なずに生きてきた理由が分かった気がした。
あなたに初めて会った時、私は「死にたいと思ったことがある」と漏らした。その時、あなたは「絶対死んではダメなんです。生きたかった命があるから」と言った。全く笑わなかった。私は「死にたい」と本気で思ったことのない人のこの手のぬるい言葉をもっとも嫌った。でも、あなたの言葉には殴られた。「生きたかった命」の中に、かつて捨てたかったあなた自身の命も入っていそうだったから。
きっと、あなたは、この圧倒的な世界の無情さに折り合いをつけ、抗えない現実と真っすぐ向き合ってきたのだろう。集と同じように。
*
本当に悲しい時、人は淡々としている。空を仰ぐしかないあの諦観の感覚。みんなが「あきらめるな」と言う。これがずっと窮屈だった。でも、あきらめないとやっていけないこともある。あきらめるのは、決して土俵から降りたわけではない。悲しみを抱いて生きていくための処世術なのだ。
何かをあきらめたことのある人は、それが手から離れていくときの恐怖を知っている。その覚悟はどれほどしんどいものだろう。あきらめたことのある人は、あきらめなかった人と同じくらい強いように思う。井戸川射子の作品を読むと、世界や人生につけた「折り目」を迷わず誇れる。
同氏の詩『かわいそうに、濡れて』[iii]には、印象深い一節が記されている。
草花はどれも、湯気の多い生育環境に合わせている/流れる線の形をし、/根から飲むべきだから水辺に集まる/生花は端から枯れていき、布製の葉は濡れて縮む/戻れない素晴らしい変化だ/当たる風での一斉の揺れなどが/少年たちへの、何かの合図にもなるのだろう
川や草花は、見つめればずっと同じに見えるが、絶えず変化を続けている。私たちもたゆまず変化し、あらゆる方へ枝葉を伸ばす。揺らぎ、うごめき、震え、あきらめ。形容できない数々の心情を「合図」とし、人は世界との対峙方法を知る。生まれ育った環境や経験によって、思考や価値観が形作られると多くの人が言うだろう。しかし、私はあなたに出会うために、今までの幾多の絶望を経験してきてよかったとさえ思っている。きっと、人生は環境の産物ではないはずだ。
「悲しいことは起こりにくい」。それを知ってほしい私の願いは、たったひとつ。儚く尊い微振動で形作られたあなたが、大人になるにつれて、この世で深く呼吸ができますように。
*
この話は、決して児童養護施設で育った人間を憐れむものではない。小さな頃から自分にしか分からないしんどさに一生懸命折り合いをつけてきた、たった一人「あなた」を綴った話である。
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―高瀬隼子作品と「正しい」という暴力を紐解く―
川窪彩乃
「正しい」とは何だろうか?
たとえば「人を殺してはいけない」とか「いじめてはいけない」とか、そういった大きな例に対する是非ではない。誰かを愛すること、体に良いものを食べること、組織にうまく順応することなど、つかみどころのない出来事に対するそれである。
こうした暗黙の「正しさ」の圧力に、窮屈な思いをしている人は多いのではないだろうか?
*
高瀬隼子[i]の『おいしいご飯が食べられますように』[ii]が書店に並んでいるのを見て、その平和な黄色に包まれた装丁に反し「皮肉めいた内容なのでは」と直感した。案の定、当たっていた。
私が食べることをあまり好きではないから、そう思ったのかもしれない。
世間は、かなりの頻度で食べることを要求する。「ご飯はおいしく食べるべきもの」だとされているのが、私は本当にしんどい。(「世界には食べられない人がいるからワガママ」という話は今は脇に置く。)
催し物にはお弁当が、慰労会にはディナーが、女子会にはケーキが用意される。
「美味しい」と表現するのを求められ、食べないと「大丈夫?」と言われる。正しいと信じて疑わない、あの感じ。そのような場面に遭遇するたび、私は本当に食べたくなくなるし、食べられなくなる。
*
高瀬は、代表三作品で「食べる」「妊娠する」「愛する」「ゆるす」「順応する」など、あらゆる諸行動の是非を問う一歩手前で立ち止まり、正しさの暴力性を紐解いた。そこには、当然「よし」とされることへの嫌悪と、「正しさ」の押し売りによってこぼれ落ちる苦しみが描かれていた。
先の作品『おいしいご飯が食べられますように』は、食べ物をめぐる「正しさ」の物語だ。日々の残業に追われ、きちんとした食事を摂らずにカップ麺ばかり食べる男・二谷、体調不良を薬でしのぎ、膨大な仕事をこなせてしまう女・押尾、少しの頭痛ですぐに帰宅し、栄養のある食事が一番大事と思っている女・芦川をめぐる本書。
芦川は前職でパワハラを受けたため、擁護されている。ストレスのかかる仕事には手を付けず、周りもそれを許している。芦川への暗黙の「配慮」に腹立たしさを覚えた押尾は、二谷に「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」と掛け合う。
一方、そんな芦川は仕事を休むたびに、お詫びの手作りケーキを持参する。それはお店に売っているような美しいケーキばかりで、職場はその都度盛り上がる。口々に「本当に美味しい」「売っているものみたいだ」と。
「おいしい」と言わなければならない雰囲気、きちんとしたご飯を食べるのを当然としている芦川や周囲の常識に、二谷は「ちゃんとした飯を食え、自分の体を大事にしろって、言う、それがおれにとって攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう」と苛立つ。二谷のカップ麺は、食への正しさへの反抗のたびに増えていく。そして、芦川が作ったケーキを残業後にぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨て、押尾はそのゴミを芦川の机に置く。しかし、最終的に二人のいじわるは露見する。
食事は人間関係と切り離せない。「ごはんはおいしく食べるもの」「ごはんは皆と一緒に食べるもの」「ごはんは感謝して食べるもの」など、食事は“社会が求める正しき在り方”を形容する最たるものだ。こうあるべきとされる人間関係の暴力性に痛みつけられ、主人公たちは無残に退廃していく。
*
高瀬のデビュー作『水たまりで息をする』は、ある出来事をきっかけに、突然、水道水を「カルキ臭い」と言い、風呂に入らなくなった夫と、それを何とか受け入れようとする妻・衣津美の物語だ。悪臭を罵られ仕事に支障をきたし、田舎の川の水しか浴びられなくなった夫と共に、衣津美は地方へ引っ越す決断を下す。
大事な人の「正しくなさ」を、その人の「普通」として享受する。つまり、愛する覚悟を貫徹するために「正しさ」を捨てるのだ。衣津美は思う。「許したくてしんどい。夫が弱いことを許したい。夫が狂うことを許したい」と。
東京という大都会にいると、衣津美の夫のような人間にすれ違うことは多々ある。しかし、すれ違った瞬間にその人をすぐに忘れる。「順応できていない他者」を容易に忘れ、簡単に排除するこの街や私は、どちらが正しく、どちらが異常なのか。そうした視点からも「正しさ」の呪いがどちらにかかっているのか、思い知らされる。
*
これらに描かれているのは、瞬時に「正しい」とされる事柄への反抗と、共生のままならさである。もはや時代は、道徳や社会的規範を守る重要性を求めていない。高瀬が掬っているのは、正しさの暴力によって「痛い」とすら声を挙げられない人々の心の機微だ。
かつて、芥川龍之介は『侏儒の言葉』[iii]で「道徳は便宜の異名である。『左側通行』と似たものである」と綴った。道徳は曖昧に守られている都合の良いルールなのかもしれない。
「正しさ」は他者との共生の上に成り立つ概念である。皆が幸せになるために、一定のルールは必要だ。ただし、それは絶対的なのか。「正しい」ことは、実は誰かにとっては正しくないかもしれない。一方で、個人のルールが各々尊重されるのも許されない。共生するために、完全なる「正しさ」や「ゆるし」「幸せ」を求めるのには、限界がある。
自分が他者にできることは、実はほとんどない。これもできない、あれもできない。にもかかわらず、一緒に在ろうとする。“できないこと”をひとつずつ引き剥がした残滓に、真の共生の喜びがあるのではないだろうか。
*
人間は、必ずしも理想通りの「正しさ」を全うできないし、完全な「愛」を表現できない。そのふがいなさを素描しつつも、一抹の祈りが諸作品に隠されているように感じてならなかった。「どうか、正しくない私も、正しき者にしてほしい」という懇願に似通う、祈り。
特に『おいしいご飯が食べられますように』のタイトルには、美味しいと感じられない、すなわち、「正しさ」を正しいと思えない個人の、マジョリティに対する不穏なアンチテーゼが静かに呈されている気がしてならない。
暗黙裡に「正しい」とされる曖昧なルールが、その人を圧し、逃さないようにする怖さ。それにもかかわらず、社会が要請ないし渇望する「正しさ」に、今なお縛り付けられてしまうのを否めない。本当は切実に、出会うすべての人とうまく生き合いたいからなのだろう。
「正しい」は、本当に正しいのか?
問い返したくなる反発心だけは心に澱のように横たわる。高瀬の作品がある限り、その問いは続くだろう。しかしそれは、他者を理解したい欲求を掻き立てるトリガーにもなった。あなたの「正しい」を教えてほしいし、私の「正しい」も知ってほしい。
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―本を作るようになって、手から零れ落ちたもの―
川窪彩乃
その一冊の本を手にした時、前のような心躍る気持ちを抱けなくなったのに気づいたのは、四月の上旬だった。桜が咲いていたかどうかは全く覚えていない。
私にはある大好きな作家がいる。この春、その作家が約数年ぶりにエッセイを刊行した。私は嬉々として神保町まで買いに行ったものの、どのページをどう読み込んでも「おもしろい」と思えなくなっていた。思わず、帰りの居酒屋で泣いてしまった。
この時期に、私は転職してフリーランスで書籍を編集するようになっていた。それは私の長年の夢でもあった。かつて自分を救ったような一節をうまく掬い、それを世に届ける。たしかに、上手に言ったらそう形容できる編集の仕事。しかし、そうした一節を含む書籍一冊を作るのは大変な仕事だった。
納期までに本文からカバーの隅々まで確認するのはもちろん、校了前ギリギリに「やっぱりここをこう変えたい」と言う著者の意見を、組版作業の方や製本所に「恐れ入りますが……」と伝える。時に「それはできません」と断りを入れる胃が痛むような勇気も必要になる。校正者の指摘と著者の意見を吟味する。デザイナーに本のイメージを伝える。ページが一ページ増えただけで広告に調整を入れるよう各所に伝える(本は16の倍数で構成されている)。格好よく言ったら「ハブ」だが、その責任の重さに耐えられない私はよく「申し訳ございません」と言うようになった。メールで「も」と打てば、すぐに謝ることができる。そんな謝罪ってどうなんだろうか。
加えて、街に出て本屋に立ち寄ると、まず手にする本の出版社がどこか気になるようになった。そして「何刷りか」「デザイナーは誰か」「どんなフォントか」「巻末広告は何か」「ここの句読点は必要か」などを見るようになり、内容をちらと見ては「この人、こんな本書いてくれないかな」と企画メーカーのようにもなっていた。
その大好きな作家の文章がおもしろくなくなったのではなかった。変わっていたのは私の方だった。今までの感性が失われてしまっていたのだ。それは私がもっとも恐れていたことだった。
私は生まれてこの方ずっと、感性だけを頼りに生きてきたことに気が付いた。いや、はじめから気付いていたが、それを表明することで「いつまでも童心を持つ人間ってイタイ」と思われる気がして、少し恥ずかしかった。でも、感性は私を私たらしめる大事な要素だった。たとえば、一夜にして移ろう季節のにおいやその瞬間、特定の時間に訪れる胸の高鳴りや虚しさ。一つ一つの行動に込める感謝や謝罪や祈り。思い出深い場所へのパトス、懐古の情。怒りや後悔、愛情が強いほど反芻する痛みすらも、私にとっては大切なものだった。それを言語化してくれるのが「文章」だった。でも、その感性は皮肉なことに「文章」に携われば携わるほど、筆の先が繊細に細くなっていくように失われつつあるようだった。
だから、今年の桜の開花、からっとした初夏、いい匂いの梅雨などがいつ始まり、いつ終わったのかよく覚えていない。その都度蘇る思い出たちも、今年は湿度の高い心の箱にしまわれ、忘却の果てに置き去りにされている。忘れられることは「楽」である一方、何かが違っているような気もした。
そんな折に出会ったのが、牟田都子さんの『文にあたる』[i]という本だった。申し訳ないことに出版社だけ確認してしまったが、久しぶりに深く読み込んでしまった。
牟田さんは校正者だ。本書には牟田さんが長年抱いてきた、文にあたる上での懊悩や向き合い方が綴られている。校正とは誤字脱字の確認だけでなく、内容に踏み込んで事実確認まで行う、本当に本作りになくてはならない専門家だ。しかし牟田さんは悩む。「校正がなくても本は作れる。ではなぜ、限られた時間と予算を割いて校正を入れるのか」と。
この一文は編集者(と言って良いのか分からない程度)の自分に響いた。「ここまでして頑張る必要があるのか」という、働くことへの疑問も提示されているように感じられてならなかったからだ。まさに鉛筆で疑問出しされたようだった。鉛筆に編集者は応答しなくてはならない。でも、牟田さんはヒントも添えてくれていた。
本の価値は作り手に左右される部分もありますが、読者によって決まる部分もおおいにあるのではないでしょうか。(…)誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊である。その価値を否定することは誰にもできない。著者自身さえも。年月を経て、刊行されたときに想定されていたのとは違う意味と価値を持つこともあります。本は人間よりも長く生きるのです。[ii]
かつて、大きく絶望した私は、その後の人生を大きく変える一冊の本に出会った。文字を並べただけなのに、それが言葉になり、その人の道を照らすことに感動した私は、文章に携わる仕事に就きたいと編集者を目指した。その願いは実り、「かけがえのない一冊」をもらった側から、送る側にバトンタッチしている。感性を失ってまでも、言葉の力で誰かの支えを作りたいという私の願いは叶えられている最中なのを痛感した言葉だった。
本を作る人として、今の私の状況は決して良いものではないかもしれない。
一緒に働く人の中には、私が「なぎさ」に寄稿させていただいているのを知っている方も少なからず存在する。「そんなんじゃダメだよ」と思っているかもしれない。
でも、本に助けられた人が、そのバトンを誰かに渡せるようになった。その伏線回収の道中だということ、その途中には感性が失われ、その恐怖に苛まれる過程があったことを、「いつか」のために忘れていたくないと思う。
「費やされた時間は建築物の筋交いのように見えないところで文章を強靭にする」[iii]
今までの感性を失うとともに私が費やす編集の時間が、いつか新しい感性と文章を編み出すことを信じてみたいと思っている。
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―言葉が感情を伝えられる限度と今村夏子作品―
川窪彩乃
愛おしい存在を前にして「大好き」を上回る言葉がない時がある。一方で、どうしても馴染めない場所や相手を前にして「なんだか嫌」という曖昧な言葉しか出てこないことがある。そういう経験はないだろうか?
甘酸っぱさや切ない心情を「エモーショナル」と「○○い」という形容詞を掛け合わせた「エモい」という言葉を昨今よく目にする。この「エモい」が指す確固たる内容を突き止めたく、様々な人のブログを読んだことがあった。しかし、どれもその人ならではの意味として成立し、確実な正解を得られなかった。
こんなにも言葉があふれかえっているのに、それそのものを100%示す言葉は実はとても少ないのではないかと思い、言葉には限度があるのを知った。
さらに同時期、私はこの「なぎさ」のタイトルを「生きることはしんどい」にした。
「しんどい」という端的なネガティブ語を公にすることはかなり憚られた。しかし、この肩に重くのしかかり、頭の中を静かに蝕み、微笑みの中で涙が流れ、スマートフォンを開くことでしか世界と繋がれていないと思わずにいられない時折襲う孤独感に最も近いのが「し」「ん」「ど」「い」の四文字だったのだ。
かつての暑い日のサイゼリヤで、編集の方にいくつかタイトル案を送ったが、言葉を尽くせば尽くすほど、私が言いたいことは私から離れていった。(幸い、編集の方からの素晴らしいご指摘と優しさでこのタイトルでいくことにした。)この経験が、今回のテーマに端を発する。
*
そのような時に出会ったのが今村夏子の「ピクニック」[i]という作品である。
「ピクニック」は、ローラースケートを履いて接客する飲食店で、主人公のルミと同僚の女性たちが、新人の七瀬という女性を遠回しにからかう物語である。
この“遠回し”が肝とも言える。
七瀬は自分の口から、今人気絶頂のお笑い芸人と14年も付き合っていると告げるが、それはどうも事実ではないようだ。しかし、七瀬は彼の誕生日には上京するために仕事を休み、彼が「携帯を川に落とした」とラジオで言えば鋤を買って川底を掘り起こす。交際を嘘だと分かっているにも関わらず、ルミたちは七瀬の恋を「頑張れ!」と応援し続けるのだ。
その芸人がある日、七瀬ではない女性との結婚を発表する。結局その後、七瀬は二度と出勤しなくなり、彼女の恋の行く末を心配していたルミたちは、七瀬なしで楽しくピクニックをする場面で幕を閉じる。
本物語は、七瀬の虚言壁にも触れず、彼女を「嘲笑する」「陰口を叩く」という言葉も一切登場しない。これらの言葉が登場した方が読者は安心するかもしれない。しかし今村は、彼女たちに何も語らせないまま、人を嘲笑い、蔑む雰囲気を物語に通底させるのだ。感情の拠り所のなさにたじろいだ。
また、もっと驚いた文章がある。
今村がエッセイの執筆依頼を受けたことをきっかけに今までの日記を読み返し、あまりにひどいその内容にノートをかなぐり捨ててしまう、その時の描写である。
自分の書いた日記とは言え、あまりにひどい。こんなものをそばに置いていては幸せが遠のく、そう思った私は、エッセイのことは一旦忘れて、まずは日記帳を処分することにした。(…)それらを小さめのポリ袋に一冊ずつ入れていき、その上からビーフシチューを流し入れ、すべてのページにまんべんなくルウが行き渡るように袋の上からよおく揉み込んでからゴミの日に出した。初めて日記帳を捨てた二十代半ばの頃からこのやり方は変わっていない。(「日記とエッセイ」より)[ii]
本人曰く、書いてある箇所が広く隠れるために流動性のあるものをまんべんなく流し込むのが良いのだという。はたから見れば奇妙かもしれないこの言動だが、屈辱にも近い羞恥感をひたすらに隠したい感情はまっすぐに届いた。しかし、この気持ちにやはり名前は与えられなかった。
*
読書をしていると、自分の中に湧き上がった感情にあてはまる言葉に遭遇する。まるで道端で知人に出会うかのように、「あぁ、こんにちは」と。
しかし、今村夏子の作品を読むと、心に湧き上がる「それ」を指し示す言葉に全く出会わないことが多い。それは非常に新鮮な読書体験だった。これほどまでに真意を突き止めない、ドーナツの穴を指でなぞるような感覚は初めてで、その形容しがたさに動揺した。
「不思議」では物足りない。「狂気」では少し辛辣。「不気味」では短絡的すぎる。
しかし、確実にそこで起きている出来事を訥々と語ることで、その切実さを妙に詳しく説明してしまうのだった。事の大きさをひしひしと感じながら、「可哀想」とすら思える余裕があるのを許される感覚に、罪悪感さえ抱いてしまう始末である。当事者になりえない、傍観者としての後ろめたさが常に伴った。『あひる』[iii] も『むらさきのスカートの女』[iv] にもそれは言えることだった。
一方で、どれもが自分の中の「何か」に強く共鳴した。でもそれは、誰もが言葉にしないまま秘密にして死んでいくのではないかという秘匿性の高さがあった。隠蔽感が強いため、どれもが言葉にならないのである。
*
昔、言葉にしなかったことで大きな後悔を経験したことがある。「ああ言えば良かった」「言わなかったからこうなってしまったんだ」と深い悔恨を味わった。だから無理矢理、言葉を紡ぐことに真剣になってきた。しかし、今村の作品を読んで、その後悔は払拭された。
言葉で伝えることがすべてではない。言おうとすればするほど、伝わらないことがある。逆に、「言葉にしない」という動作で相手にその全容が伝わってしまうこともある。
気持ちはいつも言葉に従属しているとは限らないし、言葉が必ずしも正確な気持ちを表明しているわけでもない。当然のことだが、言葉という記号が物語るのは、真実のほんの一欠片でしかないのだ。
かつて浴びせられた「うざい」という掲示板の言葉や、余命いくばくの方が発した怒声。人生を揺るがす、脳裏に焼き付いて離れないその言葉の持ち主が、どんな感情でその言葉を発したのか、逆に、どんな感情を言葉にしなかったのか。一旦立ち止まって考える大切さを思わずにはいられない。
バベルの塔が建ってからというもの、私たちが極めてきた「言葉」「コミュニケーション」の困難。今村夏子の作品はそれを平和的に破壊する力を持っていると思う。そのカンナのような音を聞いて、限られた言葉に託された感情に、今耳を傾けたい。
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―綿矢りさ作品と、怒りの自己防衛について考える―
川窪彩乃
その日、久しぶりに「やられた」と思った。電話でクライアントからものすごい剣幕で怒鳴られたのだ。
いつもなら「仕事」と括れるはずなのに、その日はなぜかそうできなかった。自分の体重よりも重い黒い鉛のような玉が心に沈み、トイレに行くことすらままならなかった。鏡を見て「怒られた自分」に対峙できないと思ったからだ。
なんとか立ち上がって退勤しても、駅のベンチからしばらく動けなかった。その日はとても寒かった。「このままでは風邪を引く」と思ったが、それとは裏腹に悔しくて涙がとまらなかった。どうにか復讐してやろう。公衆電話から匿名で文句を言えばよいのではないかと思ったが、自分が捕まってはフェアではないと思ったし、そこまで勇気がなかった。そのことだけについて考えればよいものの、私は生きること自体が嫌になった。人間は小さな出来事から派生して、存在理由などを考えてしまうのだと聞いたことがある。本当にその通りで、自分が生まれてきたこと自体が誤っているような感覚にも陥った。
それでも時間は過ぎる。夜は更けていく。明日は来る。このやり場のない感情を無きものにして、やり過ごさなければならないと奮い立たせる。たぶん泣いているんだろうと勘づく学生やサラリーマンが、さらりと目を逸らして前を通り過ぎていく。
どれくらい経っただろう。涙の通った皮膚の箇所だけ特殊な硬さを持ち、たぶんその日はうまく帰れる自分を演じきった。
*
回転寿司で誰にも取られずカピカピに乾燥したお寿司はどこに行くんだろう、といつも思う。それと同じく、誰にも認識されず、感じ取られない私の感情はどこに行くんだろう。
いつも朝になると思う。「今日誰も攻撃してきませんように」と。
もし他者に攻撃されたら、自尊心は損なわれ、ヒビが入る。悲しく苦しい。そして、自分の傷をどのように対処すれば良いのか分からなくなるのが怖い。きっと「傷つく」という反応の中には、怒りも含まれている。何が奪われ、どこを刺され、本当はどうしてほしかったのか。
*
こういう時、私は綿矢りさの作品をよく読む。綺麗事で終わらせない斜に構えた文章は、強いアルコールを飲んだ時のように、本音を露わにさせてくれるからだ。
たとえば、綿矢りさは唐突に読者にこんな言葉を投げかける。「何か色々大変ですね。あなたにとっての世の中は、きびしそう」。[i] 多少血が出ていても、それをさっと拭う潔さは私にとって、殺伐としたこの暴力的な世の中を歩む上で必要な「強さ」でもあった。有名な『勝手にふるえてろ』の中でも、彼女は容赦ない。
大体いつも気に入らなかった、なんで産む女の人だけが休みをもらえるの。新婚旅行の休暇も育児休暇も当然のように既婚者は取っていくけれど、じゃあ結婚しない人間にも“自分の人生をじっくり見直す休暇”を取らせてほしい。ある意味育児休暇と同じくらい必要ですから。[ii]
「丸くおさめよう」「なかったことにしよう」という事なかれ主義を断じて許さない怒りは、内部から自分を助ける力を促した。外部から生半可に手を差し伸べるような救いではないから、否応なしに自助能力が育つ。
*
ずっと怒ってはいけないと思っていた。怒りは刺々しくて、周りを不快にさせるからだ。「あなたが怒っているのを見たことがない」とよく言われた。しかし、そのたびに説明のつかない違和感を覚えた。私はずっと怒るのを我慢していたのだ。
怒りは「世界への関心」だと読んだことがある。大学生の時、なぜかその新聞記事だけ切って大切に手帳に入れていた。デモで怒りを露わにするのは社会や自分に対して強い関心がある証なのだという。大事な何かを守るために「怒る」のだ、と。
私はあの日、私が思う以上に、自分が大切な存在だということを訴えたかった。たとえ先方の立場が上であっても、私はあんなに理不尽に怒鳴られるべき存在ではなく、相手から対等に扱われるべき人間なのだと主張したかったのだ。「年下だから」「弱そうだから」「女だから」。そんな理由で、心を踏みにじられる筋合いはない。尊厳を容易に明け渡す必要はないのである。
そして、私もあなたも、自身がそれくらい大切な存在であるのを知るために、怒りを大事にすべきなのだ。何をどうしてほしかったのか。どうされれば損なわれないのか。どれだけ自分が重要な存在なのか。何度も何度でも自分で味わうべきなのだ。自分のがんばりを一番知っているのは、この世でたった一人、自分だけだから。自分の心の防衛は、自分の責任でもあるから。少なくとも綿矢りさの作品の主人公たちは、既存の暴力的な価値観を「怒り」を通して覆し、自分を守っている。
*
カピカピになったそれを咀嚼しなければ、心の中には永遠に味わうことのなされなかった怒りが巡る。感情のエネルギーはその発露を求め、身体中をかけめぐる。だから、感じ切る。怒りは自分を守るための大事な感情であり、自分を分かってもらうためのひとつのコミュニケーションだ。
怒りがある分だけ、あなたは自分がとても大切な存在であるのをちゃんと分かっている。
*
ものすごく努力した人しかほめられないなら、私はもうほめられなくていい。誰かより目立ちたいとも思わない。ただあなたを思うぜいたくだけは、奪い去られるつもりはない。
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―栗田有起作品と、「これで良かった」と思えるようになるまで―
川窪彩乃
人生のうちで、本当に休まなくてはいけない瞬間に遭遇しなかった人はとても幸せだと思う。
何もかも失い、体調も崩し、自分がどうしたいかもさらさら分からなくなってしまう。寝ても起きているような感覚に襲われ、起きているのに寝ているような疲労感を味わい、何もかもが表面的で空虚な感じ。カーテンが揺れるのを見つめることで呼吸をし、ハートから上がってくる酸っぱい息を抑え込む。そういう瞬間に身を置くことになってしまった人は、どれくらいいるのだろう。私もその一人になった。
昨年から住む場所を実家に変えた。このまま人生が進めば良いと思って借りた東京の部屋とは全く相性が合わず、人生が進展する未来も見えなくなったので、変わらない未来を阻むものとの縁を、全て切る決断をした。誰も悪くなかった。全て私が悪いから、罪悪感とPCだけ持って実家に戻った。
とても自由になった。煩わしい人間関係に心を悩ませることもなくなった。老体に鞭を打ってやっていた家事も家族と分担すれば楽しくなり、PC一台で仕事はできた。仕事は胸の穴を塞いだ。草木の美しさを知る余裕もでき、たまに都会に出れば、別の角度から東京の麗しい騒々しさに魅了された。
一方で、別の世界線、倒れずにそのまま同じ場所に住み、同じ人を愛して、同じ仕事に勤しみ続け、何一つ変わらない日常を送っている自分も居たりして、と思った。それが幸せか不幸せかどうかは別として。
*
「だめだとわかった瞬間からすべてが始まる。でもうまく始められなくて困っている。彼女も、私も。年齢や経験は関係ない。」[i]
これは栗田有起の『お縫い子テルミー』の一節だ。とても強い縁をお互いに感じた職場の先輩がいて、その方がわざわざ郵送でこの本を送ってくれた。彼女に、今の状況をほとんど話していなかったから不思議だった。
この作品の主人公・鈴木照美(テルミー)は、遠い島から上京して歌舞伎町で仕立て屋として働いている。幼い頃から祖母・母と他人の家で居候生活を続け、端的に言えば“健全ではない生活”に慣れている。この、世間からの「はみ出し具合」が心地よかった。
テルミーは「シナイちゃん」というホステス兼歌手に、猛烈な恋心を抱いている。でもそれは叶うことのない恋だった。
なぜなら私は、彼が求めるに値する人間ではないからだ。それは出会った瞬間に悟っている。運命の出会いであるにはあったが、私たちはつりあっておらず、こちら側が強烈に片想いをするという運命であった。ふたりはけっして交わることはない。わかってる。けれど欲しい。欲しくて仕方がない。体の半分はだめだと理解し、もう半分は激しく欲し、私はきれいにふたつにわかれている。どうしようもない。いったい、ほんとうに、どうすればいいのかわからない。[ii]
ドレスの制作を依頼してきた彼への思慕を、絶てど絶てど切り切れないテルミーの気持ちがなぜだかよく分かった。全てを自分のものにしてしまいたかったと思う一方で、それをコントロール下に置けない、不健全で狂気じみた気持ちと、悟りのような諦めが今の気持ちに似ていた。それはとてつもない孤独であり、悲しい自由だった。
「仕事をしている最中は、どれだけまわりに大勢の人がいてもひとりになれる。」
「きりのない欲望と時間をもてあまし、私は縫うしかなかった。」
心の穴を埋めるためなのか、本当に仕事が好きなのか、彼女の真の気持ちを誰も知る由はない。自分に対しても分からない。だからか、行き先の分からない彼女のおぼつかなさに、私はとても親近感を覚えた。「生きるって何だろう」と考える始める瞬間は、いつも「だめ」な時だ。
しかし、テルミーは言う。「でも本当は知っている。どの疑問にも答えと呼べるものはなく、考えるのを止めれば問題はなくなる。ただただ、与えられた仕事をするしかない。」[iii]
*
自分の読書体験を振り返ると、私が好きになる本は、生きる上での究極などうしようもなさが描かれたものが多かった気がする。その「ままならさ」を共に生きている主人公たちに何度も助けられてきた。そもそも、全ての願いが叶っていたら、生きている意味なんてないのだと思う。その不完全さ、実らなさを、時に誤魔化しながら、時に絶望に陥りながら、「これで良かったのだ」と思えるようになるのが、生きることなのだと思う。
すべての責任を全うして、社会的に「良い」とされるルールに乗るべきだと、ずっと思っていた。そして、心のどこかで、誰かが自分を幸せにしてくれると思っていたし、何かのタイミングで生活に良い進展が起きるかと思っていた。
この年齢になったら身を固めなくてはいけないし、子どもも産んだ方が良いし(そう思って産んだら子どもに対して失礼だとも個人的に思ってしまう)、仕事で期待される成果を収めて、充実した人間関係を築くべきだと信じ切っていた。あってない「水を抱くような」体裁を守ろうとしていたのは私自身だ。でもよく考えれば、学校に通えなかったり、よく分からない恐怖症を持っていたり、私ははじめから「普通」に馴染めていなかった。そして、「普通」を歩んでいる人なんて、実は誰一人いないのだ。
結局、自分の人生の舵を切れるのは自分しかいない。この穏やかな残酷さを、受け入れた私は間違っていないはずだ。間違っていないと思うように努力しないとならない。本当の意味で自責を問われる時が来た。テルミーの生き方が教えてくれたことだ。
…自分がどこへ向かっているのかわからなかった。でも両足が、まるで行き先を知っているようなので疑うわけにはいかなかった。私はついていった。この足の上で生きている以上そうするしかない。[iv]
*
この本を返すために、私は貸してくれた彼女の住む駅まで行く。多分私は、とても苦しい。電車の揺れがそれを誤魔化す。でも、「生きる意味」を求めて切株で休憩するような瞬間があっても良い。とりあえず、今はこういう生き方で息をすると決めたのだから。
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―生きづらさを表明することは、弱いことだろうか?―
川窪彩乃
ある時、自分には、他人よりも怖いものが多いことに気が付いた。
夕方4時、特定の街、血の流れる映画、電車、人混み、検索履歴、SNS、権威、嘔吐。その中でも特に怖いのは「飛び降りてしまったらどうしよう」という自分でも不可解な発作のようなものだ。
死にたいわけでもない。特段、苦しいこともない。嬉しいことも喜ばしいこともあふれんばかりにあるというのに、そうした強迫観念のようなものに初めて取りつかれたのは小学六年生の時だった。
中学への入学を控えていた3月1日、なぜか突然「いつか自分も死ぬ」という事実に気が付いてしまった。それからというもの、生への執着が強くなったのか、理論は破綻しているが「自分はここから飛び降りてしまうんじゃないか」という謎の発作に襲われるようになった。(※高い所から下を見下ろした時に突然「飛び降りてしまう感覚に陥る」「吸い込まれていくような感覚を抱く」状態を、心理学用語で「虚空の呼び声」という。実際に行動化することはない。これは死への希求ではなく、生への強い肯定感・本能だとされている。[i] )
社会に揉まれれば、そのような恐怖にも決着がつくかと思っていた。でも、大人になっても時折、その発作に襲われた。頭で「大丈夫」と解釈できても、心がそれを理解するのには時間がかかった(だから脳と心は別物だと思う)。大丈夫、大丈夫、と手に爪を立てて時間が経つのを待つのだ。
*
それ、今だ――。そんな声が自分の心から発せられるとき、どうしたら良いのか自分でも分からなくなった。自分のことなのに、自分で自らをコントロールできない。その時、「私」はいつも自分から最も遠い存在だ。足の裏で疼く神経が心臓まで届き、生と死を携えた身体だけがここにある。いつか死ぬのに、今は生きられていることへの寂しさのようなものが込み上がってくる。死にたくないと思えば思うほど、謎の発作は強まった。こういう時は、布団に潜るか、仕事をするかして、とにかく「生きていることを忘れよう」と努めるのだ。
なぜ自分にはこうした意味の分からないしんどさがあるのかが分からなかった。この身心でしか生きたことがないから、その恐怖を持っていない自分に戻ることもできず、ただ受け入れるような毎日を過ごしてきたと言っても過言ではない。
*
私のこの謎の発作に唯一答えてくれた書籍がある。土門蘭[ii]『死ぬまで生きる日記』[iii]という本だ。
著者の土門さんは10歳の頃からずっと、理由なく「死にたい」という気持ちを抱き続けてきた。楽しいこともある、嬉しいこともたくさんあるはずなのに、いつも「死にたい」という気持ちに苛まれ、自らを「火星から来た人間」だと思い込むことで「地球に馴染まない」と捉え、生きてきたという。
「生きることに意味などない」「死ぬまでの暇つぶしでしかない」「そんなことを考えても答えなど出ない」と言われても考えるのをやめられなかった。(略)「死にたい」と思いながらも、それくらい死にたくなかったのだ。[iv]
もう二十五年くらいこの発作に付き合ってきたが、いまだに全然慣れない。「死にたい」という感情はいつも新鮮な強さでやってきて、その度に私は呑み込まれそうになる。そして、「もう無理だ」と思うのだ。これ以上生き延びるなんて、私にはできない。自信がない。誰かに助けてほしいのに、それが誰なのかもわからない。[v]
土門さんも全く死にたくないのに、謎の「死にたさ」に襲われていた。とうとうこのしんどさを解決しようと、カウンセリングを受けることにする。カウンセラーとのやり取りで、土門さん自身の「死にたい」が徐々に変容していく様子が本書には描かれている。
土門さんはカウンセラーと共に、自分の死にたい気持ちをつぶさに見つめ、それがどういう言葉に変換できるか、その気持ちにまつわる様々な過去を思い出す作業を進めていく。幸せに対する恐怖や罪悪感を発見したり、「怖がってもいい」と自分を許すことを試したりもする。そして、最終的に土門さんの「死にたい」は、「○○したい」という彼女の最たる欲求につながっていることを発見するのだ。自分とは別物だった苦しみが、実は自分を構成している一部だという翻(ひるがえ)りには、強い感銘を受けた。
土門さんは実際に「うつ病」だと診断されて、薬を処方されたこともあるという。しかしそれを飲んで対処するよりも、向き合うことで自身の苦しさを解決したいと思ってきたようだ。名前のない苦しみに真摯に取り組むことに、どれほど心の労力を使っただろうと思う。ここまで自らの生きづらさを表明してくれる人がいることに、私は驚いた。苦しいことはなるべく公にせず、静かに耐えるべきだと思っていたからだ。
文章を書いて公表するのは、人間がなし得る最も高貴でデリケートな仕事である。ほかの人の上にかかわりを持つからだ。人の精神に働きかけるのは、真実に対し、自己自身に対し、なんと重い責任を負う仕事だろう。書くのは最大の芸術だ。時間と空間を横切る、明らかに他の芸術以上のものだ。[vi]
自らの痛み・苦しみはそのままにしておけば、心に保留されたままになるだろう。ただ、少し遠くから見つめ、感触を確かめ、人に伝えられるまでに言葉にされた苦しみたちは、既に苦しみではない。自己や他人をも助け得る何かになってゆくはずなのだ。
*
発作が起こるとき、「生きているのを忘れようとしたい」と思う。この気持ちは「死があるのを忘れたい」のにつながる。私はこれからもずっと生きていたいし、死にたくない。傲慢かもしれないか、生きていることが素晴らしいと知りたいし、人生は生きるのに値することをこの身心で証明したいと心底願っている。心の内奥からの呼び声に応じたいのだ。
幼少期から、私は「生きる意味」を知りたかった。かつて神学部に在学しながら、学年でたった一人、卒論で一切「神」に触れず、「生きる意味」について書いてしまった。でも、考えれば考えるほど、答えが与えられることもなかった。生と死は反対ではない。どうも近い気がする。私の発作は、究極的な生命への問いなのかもしれない。
*
もしこの世界が生きるに値しないほどの星だとしたら、神(超越者)は人々を生かさないだろう、と思う。きっとこの星は、どれだけ汚くて、鬱蒼としていて、怖いものだとしても、その中から美しきものを見つけるための使命が人間にはあるから人は生かされているし、生きたいのだと思う。命への問いが多い分だけ、美しくて、強くて、優しいものを見つけるセンサーがあるはずだ。そう信じることが、今の私に与えられた「意味」だとも思う。
「生きたい」があるのならば、「死にたい」があってもいいはずだ。
土門さんは「死にたい」という気持ちを通して、自らの生きざまを明らかにした。一見、形は歪(いびつ)かもしれないが、こういう人がこの世に一人でもいて、こうして表現してくれることは私にとって救いだ。私も「飛び降りたらどうしよう」という発作を通して自らの「生きたさ」を痛感した。体も心も命に順応する。それぞれに見合った形で、あなたの「生きたさ」を表明すればよい。しんどさは、もしかしたら味方かもしれない。
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2024年11月2日
―川上弘美作品と、抗えるのかわからない・抗いたい運命論の話―
川窪彩乃
未来がすでに決まっていたら、あなたはどうするだろうか?
「坊主めくり」という遊びがある。
地域によってルールは異なるようだが、私の家では、百人一首を裏側にして積み上げ、順番にめくっていき、お坊さんの詠み札が出てしまった人が全部の札の所有者となる。最後の百枚目をめくった時点で読み札の全てを持つ人が負けというのがルールだ。
この「坊主めくり」をするたびに、私の頭にはひとつの疑問が生じる。
「最初から坊主の札の位置は決まっているのに、人は順番にそれが回ってくるのを待っている存在なのか…?」という疑問である。つまりは、未来はあらかじめ決まっているのに、人間はそれを受け入れるだけなのだろうか? 自由意志も神の手の中なのか? ということだ。
こうした話は、「ラプラスの悪魔」「シュレーディンガーの猫」などと通じそうなので、「坊主めくりの理論」を提唱できそうだが、ひとまず脇においたままにしている。
*
運命というものはあるのだろうか? そんな疑問を抱いたことのある人は、多いと思う。
「どんな職業に就くのだろうか?」
「結婚相手は決まっているのだろうか?」
「どんな一生を送るのだろうか?」
「地球、人類はどうなっているのだろうか?」
でも、もし全てが決まっているのだとしたら、自由意志はどうなるのか? 真偽はどうであれ、私は運命なるものに翻弄されるのがとても怖い。運命によって自由意志が無視されていたら、なんのために頑張っているのかわからなくなってめまいがする。
*
未来のことなんて、予想はつかない。予想しても、はずれることがほとんど。[i]
これは、川上弘美の小説の一節だ。
今よりずっと先、人類が滅亡することが確定している地球。そのことを悟った人間たちが織り成す物語『大きな鳥にさらわれないよう』を読んで、「人間って『終わる』と分かっていれば、こんな風にあきらめちゃうのかな」と、もの悲しさにおそわれた。
この物語は、時間の流れも異様だ。未来から現在へ流れていくような逆流が起こっていた。たとえば、「水仙」という物語では、遠い未来の「私」が今の「私」を迎えに来るところから始まる。次第に「私」の数は増え、それぞれが「大きな母」なるものに一定期間育てられたら、一人ずつ「私」は旅立っていかないとならない。
私はこれからも生まれ続けるけれど、私はもうじき死ぬ。たくさんの見知らぬ私たちに向かって、私はもう一度、さようなら、と声を出さずに言い、服についた淡雪をていねいに払った。[ii]
子供の頃から、わたしは旅に出ることを予告されていた。(略)「ずっとここにいたいんだ」旅に出なければならない日が近づくにつれて、わたしは何回も母に懇願したものだった。けれど、母はとりあわなかった。「運命は、変えようがないのよ」[iii]
生や死を含むあらゆる出来事を淡々と受け入れる。つまり、この世界の人々は運命に抗えていなかった。すべてを柔らかく享受し、些細な拮抗も存在していない。だからか、たおやかな空気と不穏さが漂っている。この雰囲気は、私たちが「悪いものは受け入れない」と出来事を排除し、あきらめようとしている営為を連綿と受け継いでいった結果のような気がして、もの悲しくなったのだ。
*
もう一つ好きな小説に『このあたりの人たち』[iv] という短編集がある。冒頭にある「ひみつ」という物語には、欅の木の下にある白い布の中から事あるごとに現れる男の子が登場する。男の子を見つけた主人公は30年経って大人になり、いずれ訪れる死に恐怖するまでに成長するのに対し、男の子はずっと「こども」のままなのだ。
こんなに変わらないのだから、(こどもは)人間ではないのだと納得した。人間の方は変わってしまう。こどもに比べて歳をとった。(略)へんくつになった。マンションを買った。犬を一匹飼った。猫は三匹飼った。死ぬのが恐くなった。[v]
「妖精」という“音楽の家”にまつわる物語も、あらかじめ決められた「何か」を予感させた。
音楽の家は公園のすぐそばにある。(略)音楽の家を訪ねることができるのは、誕生日を迎えた人だ。(略)どうやら、音楽の家に行くと、何かの音が聞こえてくるらしいのである。(略)「人によって聞こえる音楽は違うの。その人の運命をつかさどる音楽が流れてくるのよ。」 [vi]
時間も場所も伸縮可能な世界をSFと言ったら簡単だ。しかし、川上の作品はなんだかその一言では体現できなかった。過去も未来も東西南北も境目が曖昧で、巨大ななにかに降伏しつつも、決定された結果に導かれてしまう、登場人物たちの不思議な可愛らしさが散りばめられていた。「もし」を選べない私にとって、それは羨ましくもあり、不気味でもあった。
結局のところ、運命・自由意志のどちらが優先されるかわからない 。
ただ、どんな運命を辿り、どんな選択をしようとも、百年単位で俯瞰したり、相手から見たり、かつての自分と比較してみたら、それは決して悪いものではないかもしれない。未来へ進むしかないからこそ、そして、一つしか選べないからこそ、意志の力で弱さや苦しさを弾力のある強さに変えたい。そうやって人間には出来事の本質を変えられる力があるのではないかと、問い返したい自分がいた。
*
百人一首をそっとめくる。札の角がつんと指先に刺さる。坊主だ。
村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
(にわか雨が通り過ぎていった後、まだその滴も乾いていない杉や檜の葉の茂りから、
霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時である。(寂蓮法師『新古今和歌集』))
千年以上前に僧侶が詠んだ雨の句から、むせかえるほどに秋のにおいが立ち込める。この人だって千年後に「負け」の対象になるとは思ってもみてなかっただろう。
決まっていたかもしれない。決まっていなかったかもしれない。運命は私を負かせたが、みんなは私を見てケタケタ笑う。幸せの深度は高まる。「負け」は一概に不幸せではないことを、にわか雨は決して悪い天気ではないことを、私は知り、選んだのだ。
自分にとってそれがどんな意味を持つのか、意志の力で出来事を捉え直せたならば、もしかしたら内的な「運命」は変わり得ると言っても差し支えないかもしれない。運命の断片だけを見ずに、ゆっくりと出来事の意味を醸成できるところに、人間の運命をしのぐ力が存在していてほしい。
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―くどうれいん作品と、名もなき日々の愛し方― 川窪彩乃
「無理すんなよ!」と言われた。大学の卒業式が終わったあと、謝恩会会場のホテルニューオータニの廊下で、唐突に。 あれ以来、一度も着ていない青いドレスに身をまとった私にそんな掛け声をしたのは、学部でもまあまあモテていた男の子だった。話す機会すら無かったため、ついぞ卒業式まで彼の魅力に気付かなかった。が、大きく響く「無理すんなよ」はあまりにも真っ直ぐに放たれ、面食らった。「そういうトコロかよ」という私の拗ねた独り言は春風に乗ってどこかに吸い込まれていった。
しかし意外にも、その言葉はずっと頭の中に鎮座し続けた。今でも無理しそうなときに歯止めをかける。パワハラが横行する会社を辞める後押しをしたのも、その言葉だった。
大学三年生から数年間、東京・山谷地区[1]でボランティアをしていたとき、よくお話していたある高齢の男性に言われた言葉がある。
「ちあきなおみの『喝采』の意味なんて、知らない方が幸せだよ」
『喝采』を知らなかったのをばかにされたのかと思って、帰り道に聴いてみたが、あまりわからなかったので一回しか聴けなかった。 翌週、その人は小さな骨壷に入っていた。その瞬間、『喝采』の意味が腑に落ちてしまった。ずるいずるい皮肉だよなんだよそれ、と思った。それから『喝采』は何度も聴けた。辛いけれど、私は『喝采』の意味を知らないより知っている人生を選びたい。
こんな風に、ふいに訪れる言葉に人生をずっと支えられてしまうことがある。日常にとっては些細な出来事が、人生において重要な意味を持つことがあるのだ。
そんな大切なことを教えてくれたのは、『私を空腹にしないほうがいい』[2]という鮮烈なタイトルの本で作家デビューしたくどうれいんさん[3]だ。彼女の作品(彼女自身が?)は人間の感情に祝福されているかのごとく、艶やかな感情のグラデーションを見事に見せてくれる。悩んでも、恥ずかしくても、どう足掻いても、人間は人間でしかないという天井にタッチできる。それがなぜか喜ばしくて、読んでいる束の間、傷口を見せびらかすのが怖くなくなるから不思議である。
かつてくどうさんは、会社員と作家を両立しており、一ヶ月休みなく働いたある日、父親とこんなケンカをしてしまう。
「なんもしなくていい、ずっと寝ていていい休日」がないまままるまる一か月が過ぎようとした夜、夕飯が豆乳鍋だった。父が作った鍋を囲み、締めにうどんを入れようとしたわたしを父が「食べすぎだって、やめとけ」と制した。その途端、わたしの顔面が沸き上がってくちゃくちゃになるのがわかった。(略)「い、いじわる!」と、絞り出すように言ってティッシュを六枚とってふかふかにしてそこめがけて大泣きした。二十五の娘が締めのうどんが食べたくて駄々をこねて泣いている。父は困惑しただろう。[4]
いつか笑いごとになるだろうし、誰かにとっては可笑しな話にも思えるだろう。ただし、本人にとっては大事件だ。当事者にとっては重要な「今」なのである。彼女はそんな「今」を絶対に逃さない。
締めのうどんを食べられなかった彼女は、後輩の「すいちゃん」を割烹料理に誘う。その際のメッセージのやりとりは気持ち良いほどにとんとん拍子に進む。
おいしいものを食べるとなったら、大学時代からいつもすいちゃんと一緒だった。「餃子」「はいよ」。「もつ鍋」「何時ですか」。「焼き鳥」「ちょうどそう思ってました」。「ピザ」「行く」。いつも食べたいものがあるほうがぶっきらぼうなLINEを送り、二言目にはOKのスタンプを押して化粧を直して家を出る。[5]
人の性格の中で何が一番大切かと問われたら「素直さ」と答えたい。隠せない気持ちは、表に出してしまった方がよっぽど快適かもしれない。彼女の作品を読むと、いかに自分が何かを必死で隠し、勝手に辛くなっているかを思い知る。自ら好んで隠しているのに「しんどい」と言ってしまう卑屈さを自嘲してしまう瞬間、「しんどい」のメッキが自分の心から剥がれていく。
「素直さ」といえば、友人の「ミオ」が失恋した時の話も、心が開けっ広げで、その通気性の良さに救われてしまう。
ミオは本来とても気配りができる優しい女性である。そのミオが無理して(男を)地獄行きだのと言っていることはすぐにわかった。無理して嫌いにならなければならない。その張り裂けそうなこころのことを思い、わたしは会ったこともないそのひどい男を(あんたまじで地獄行きだよ)と呪った。(略)そのあと、わたしたちはカラオケで法を守る範囲で思いつく限りの不謹慎なことをした。ミオはSugerの「ウェディング・ベル」を歌いながらまた泣いた。“くたばっちまえ、アーメン”。ミオにはこの儀式が必要だったのだ。不謹慎、それがなんだ。[6]
わざわざ喪服を着てまで、失恋を忘れる儀式をした二人の女性の姿。滑稽で微笑ましい。そして、勇敢でうるわしい。その人をその人にさせるのは、このようなとてつもなく重要な日々と、人と、出来事。そして、それらとの邂逅は、どれも名前がなく、何の変哲もない平凡な中に起こる。
初めて歩いた日とか、合格した日、結婚式とか上京した日とか。それももちろん大切だ。しかし、頬に風を受けながら「もうあの飲み会絶対行かねぇ」と誓った帰り道や、猫を撫でるときの最高の切なさ、誰にも言わずに終わった恋など、誰にも知られない名も無きものも「わたし」の輪郭を粘土のように形づくっているように思う。何もない日など一日もなく、走馬灯に映ることが全てではない。それでいて、起きたことは全部なかったことにはできない。ならば、私とは決して無関係ではいられない思いと言葉たちを抱きしめたり、時間をかけて手放したり、時にあえて無視したりと、自負をもって「わたし」がそれらを取り扱いたい。
見て、嗅いで、聞いて、味わって、触ったものすべてが「わたし」を作っている。ぼんやりと、確実に。
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