https://ameblo.jp/risugumi-san/entry-12721467131.html 【法螺貝にハマりそう】より
こんにちは!あっと言う間に1月が終わりそう 年を取ると毎日が早く過ぎすぎてびっくりしますー年末に石鎚の先達に譲って頂いた法螺貝の網袋をせっせと作り、ほぼ完成しました~!!後は肩紐を繋げて、歌口の蓋を付けます。
解けちゃったフワフワを利用してみたら何だかお洒落に(笑)ちょっと不格好ですが、大満足です\(^o^)/だって法螺貝の網袋は、とってもお高かった(T_T)
じゃあ自分で作ればいいがね。と編み方はネットに沢山載っていて、皆さん色々な素材の紐を安く購入しマイ網袋を作ってると知りました。
よし!私も!と、セリア(百均)で売っていた江戸打紐を何店舗か回り、何とか11袋集めましたが色が揃わなくて2色になっちゃいました。
ピンクも可愛くて悩んだけど、オバさん行者がそんなの持ってたらさすがに恥ずかしい…
マクラメ編みも初めてチャレンジして楽しかったです。
ふと、法螺貝ってなんだろう?と素材から調べると…
法螺貝は、紀伊半島・八丈島以南、熱帯インド-西太平洋のサンゴ礁に生息しています。殻長は大きなものでは40 cmに達する本邦最大の巻貝です。殻表に現れる鮮やかなヤマドリ模様に加え、特に大型個体に見られるよく張り出した体層とスラリと伸びた螺塔の堂々たる姿には、まさに「これぞ、巻貝!」という王道を行く美しさがあります。
へー日本の海で捕れるんだ。貝だし、食べられるのかなぁ
…法螺貝はオニヒトデを食べ、再生不能にする事で知られることから「オニヒトデの天敵」と言われることもあるが、オニヒトデの大量発生を抑える程の効果は無いとされる。その為、内臓(中腸線)にはフグ毒と同じテトロドトキシンが含まれることがある。刺身やさっと茹でてもよいが、内臓は絶対に食べないようにしましょう!
ひえ~食べませんーー
歴史は?とWikipediaで読んで…こちら ホラガイ - Wikipediaリンク ja.m.wikipedia.org
ヒンズー教のシャンカ(法螺貝)はまるで芸術品みたい。あの美しいビシュヌ神の化身だなんて…納得😍 ビシュヌ神と言えば…
ご存知かな…昔のアニメで『天空戦記シュラト』って言うのがありました。あまり覚えていないけど面白かったです。(漫画の孔雀王も好きでした〜)
主人公は、三鈷杵を武器にして戦います。御真言も魔法の言葉のように出てきました(笑)
インド神話を元にしていて、そこに出てきた美しいビシュヌ神様を思い出しました。
アニメは途中で絵が崩壊(韓国に依頼した為とも)して見るのを止めてしまいました。キャラも綺麗で内容も面白かったのに、残念だったことを覚えています。
ビシュヌ神…日本だと毘沙門天様なんだ…私は鞍馬の毘沙門天様が大好き!
それに…神としてのお姿は、大大大好きな大物主大神様!その繋がりを考えると、手元の法螺貝が更に愛しく感じてきました。
フランスのマルスナ洞窟から発掘された1万八千年前の法螺貝…写真をお借りしました。
貝を笛にした昔の人の発想が素敵ですね。音色も素敵✨
これが1万8千年前の音色 フランスで発見のホラ貝
フランスで見つかった1万8千年前のホラ貝の貝殻が、人為的に加工された楽器だったことがわかった。管楽器の演奏家が吹くと、古代の音色を響かせることができた。
どんな文化の人がどんな目的で使っていたのか想像するとワクワクしました。
ところで先日、お寺で法螺貝の吹き方を教えて頂いたのですが、全く音が出ず(T_T)
「変わった吹き口だね。ちょっと貸して」と先生が2、3度息を吹き込むと、パツンと不思議な音がしてその後、物凄く良い音がしました。古いものなので詰まってた?こんな感じの法螺貝です。「へ〜、これいいね〜」と返して頂き、いざ!吹くとプスッとかスカッとか…(ノД`)シクシク 三十分格闘して…いえ
…仲良くしましょう〜お願いします〜相棒になってくださいー日高くん(受け取ったその日に名付けました。今、シュラトも本名が日高秋亜人と知り、ちょっと笑ってしまった)
撫でながら必死で話しかけ?ブォ〜ブォ〜〜ッ!出たーーーっっ!!\(^o^)/すぐ、プスースカ_| ̄|○音が出ると光まで散って見える〜
(呼吸困難で)
その後は数度近くの山にせっせと登り、500メートルの展望台から吹いたり、奥宮で吹いたり気持ちいい〜
先日は寒行で修験のOさん(大感謝)と大先達方のご好意で「法螺貝吹いて!」とお許し頂いたのに…神様方の前でプススカ…(汗)うう…ヒドイ
護摩の炎に法螺貝をあてて、御火加持までさせて頂きありがたや〜(T_T)
直後になんとも良い音が出て嬉しかったです!
まだまだ戦の合図のような1音しかでません…
宗派によって様々な吹き方がありますし、それよりも音階になるまで先は長いです〜
(息も続かない)だから毎朝、神棚へのご祈祷の後に練習!(消音で)
絶対ご披露できますよう、神様方に感謝の音色を喜んで頂けますよう頑張ります!と宣言してきました。
目指すは…※大きな音が出ますので、ご注意ください格好いい(*˘︶˘*).。*♡
お読みくださり、ありがとうございましたm(_ _)m
http://www.ubasoku.jp/presentation/tools.htm 【修験道の法具 - 役行者霊蹟札所】より
法螺
「法螺(ほら)」は、密教の儀式で使用される法具の一つで、一種の楽器です。
もともとは、インドで釈尊が霊鷲山で法華経を説かれた時、人を集めるための合図として使われたと序品才一に出ており、仏教の伝来によって日本にもたらされました。
日本で法螺に使われる貝は、その名も「法螺貝」で、巻き貝としては日本最大。ひそかに食用としても珍重されてきましたが、高値で売れると言うことから乱獲され、近年は生息数が激減したと言われています。
法螺は、日本に密教が伝来してより、その儀礼において象徴的に使用されていましたが、やがて修験道においても使用されるようになります。当初は、ただ熊などの獣よけのために使っていたようですが、やがて仏教と同様に修験道の儀式などに使用される法具となりました。さらに法螺は、その音が遠くまで響き渡るということから、武士達が戦の折に合図として用いるようにもなっています。
現在、修験道での法螺の吹き方には、「説法」・「駈相」・「宿入」・「宿出」・「案内」・「問答」・「集合」・「寒行」の八種類(本山派による)があります。これらを吹き分けるのは、なかなかに難しく、相当の練習が必要です。
余談ですが、巷では、大げさなデタラメをいうことを、「法螺を吹く」などと言うことがあります。これは、法螺の音が遠くまで聞こえることから転じて、小さな事を大きく言うことを「ホラ吹き」と言うのです。
金剛杵
「金剛杵(こんごうしょ)」は、密教の法具です。多くの菩薩や明王、天の持物となっています。
元来は、インドで使用された人を殺傷するための武器だったと言われていますが、煩悩を破砕する智慧を象徴する法具として、密教に採り入れられました。
金剛杵には、両端の股の数によって「独鈷杵(とっこしょ)」、「三鈷杵(さんこしょ)」、「五鈷杵(ごこしょ)」、「九鈷杵(くこしょ)」の別があります。もっとも、日本では九鈷杵を用いる密教が正式に伝わることは無かったので使用されることはなく、チベット密教においてのみ使用されています。
金剛杵は、密教の影響によって、修験道においても様々な場面で使用されるようになりました。
役行者が感得したとされる「蔵王権現(ざおうごんげん)」が、右手に掲げもっているのも、この金剛杵で、それはほとんどの場合三鈷杵ですが、中には稀に、五鈷杵を持っている蔵王権現像(如意輪寺蔵)もあります。
それぞれの金剛杵には、密教の特定の教義を象徴するものとして扱われ、たとえば五鈷杵は、大日如来の五つの智慧「五智」または、大日如来をはじめとする「五仏」の象徴であるとされています。修験道は、このような密教の教義を踏襲しているので、金剛杵に関して修験道独自の解釈を施してはいないようです。
さて、金剛杵は智慧の象徴であり、それは真理を見出し得ない、自らの煩悩を破砕するための法具です。しかしまれに、いや、しばしば、五鈷杵などの法具で、病気や怪我などで痛めた身体をさすると病気が治る、怪我が癒える、はてまたは悪霊が退散する、成仏するのだ、などと主張する人があるようです。とすると、そのような人達がまず治すべきは自分の頭、ということになるのでしょうが、金剛杵を振り回す当人がそれに気づくことは、なかなかに難しいことのようです。
法剣
「法剣(ほうけん)」は、文殊菩薩や不動明王の持物で、般若の象徴とされるものです。
般若とは、サンスクリット「prajñā(プラジュニャー)」またはパーリ語「paññā(パンニャー)」の音写語で、智慧と訳される言葉です。では、智慧とは何か。これは抽象的な説明となってしまいますが、「真理をつかみ取る精神的働き」あるいは「モノをありのままに見ること」を言います。
この剣に象徴される智慧によって、我々が通常正しいと思っている誤った認識、いわゆる煩悩や煩悩に基づく愚かな行為を裁ち切り、真理に目覚めていこうとの意義付けがなされています。
さて、宝剣には片刃のものと両刃のものがありますが、薪を斬るときなどに使用する実用的なものは片刃で刃が付いており、もっぱら儀礼に使用されるものは両刃で刃が付いていない場合が多いようです。柴灯護摩(さいとうごま)という修験の儀礼の中には、「宝剣作法」というものがあり、この役にあたった修験者は、「天諸童子 永以給仕 刀杖不加 毒不能害 若人悪罵 口即閉塞」という偈文を唱えつつ、虚空を「光」の文字に斬りつけます。
さて、宝剣が般若の象徴であり、般若とは智慧の意であることは上に見たとおりです。しかし、この般若の「モノをありのままに見ること」という意味を、「自分に素直に」「心の命ずるままに」「自然体で行こう」などと、人間性(=理性)を捨て去った動物的感性(=情緒・感情)こそ、まさに智慧なのだとはき違え、「そのままでいいんだよ」「人間だもの」「自分の今のままが仏の姿なのだ!」などといった、なんの解決にもならない安易な、そしてあまりに愚かな現実肯定の言葉を喜んでしまう人が大変多いようです。
おそらく、そのような彼らが手にしているのは、とんでもない「なまくら刀」なのでしょう。切れない刃物は、切れる刃物より危ないと言われていますが、さもありなん、といったところですね。
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