Facebook相田 公弘さん投稿記事
朝の光 谷川俊太郎
朝の光は通り過ぎる あなたの柔らかい肌をかすめて テーブルの上のオレンジを迂回して
窓から見えるあの桟橋へ そしてもっともっと遠くの海へと
影のうちに心はいる 光の素早さにおびえながらも それが動きやめぬことに安らいで
繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう
朝の光もあなたの微笑みも いま聞こえているヘンデルも……
一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに 人々が交わすおはようとさよならのざわめきの中を 朝の光は通り過ぎる まだ心は影のうちにいる 夜の夢にとらわれて
繰り返すものは流転し無常だから日々刻刻新たなのではないでしょうか?
https://mahoblog.com/tanikawa-shuntaro7/ 【谷川俊太郎「朝の光」…繰り返すものはどうしていつまでも新しい】より
谷川俊太郎さんの「朝の光」という詩を紹介いたします。
谷川さんの朝をテーマにした写真詩集「朝」(2004年)からの引用です。※初出は「真っ白でいるよりも」(1995年)。
朝の光
朝の光は通り過ぎる あなたの柔らかい肌をかすめて テーブルの上のオレンジを迂回して
窓から見えるあの桟橋へ そしてもっともっと遠くの海へと
影のうちに心はいる 光の素早さにおびえながらも それが動きやめぬことに安らいで
繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう 朝の光もあなたの微笑みも
いま聞こえているヘンデルも……
一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに 人々が交わすおはようとさよならのざわめきの中を 朝の光は通り過ぎる まだ心は影のうちにいる 夜の夢にとらわれて
谷川俊太郎「朝の光」
詩の鑑賞のポイント
繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう
朝の光もあなたの微笑みも
いま聞こえているヘンデルも……
一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに
まずはこの言葉に、ハッとさせられます。
朝が来るたびに、またいつもの朝が来たと思い、どこか当たり前のように感じてしまうものの、決してそうではないんですね。
何千回、何万回巡ってきても、朝の光は新鮮なままです。
まだ心は影のうちにいる
夜の夢にとらわれて
この心は、詩の主人公の心でしょうか。
なぜ影のうちにいるのか、夜の夢にとらわれているのか。自分の身に当てはめたり、物語を想像してみても、謎が深まるばかりです。(謎めいているのが、詩の魅力ではありますが)
影や夜と対比することで、朝の光はますます際立って輝いてみえます。
【参考】まど・みちお「どうしていつも」/鴨長明「方丈記」
谷川俊太郎さんの「朝の光」を最近になって読み返したとき、思い出した詩がありました。
まど・みちおさんの「どうしていつも」です。こちらも引用いたしますね。
どうしていつも 太陽 月 星 そして 雨 風 虹 やまびこ
ああ 一ばん ふるいものばかりが どうして いつも こんなに 一ばん あたらしいのだろう
「一ばん ふるいものばかりが/どうして いつも こんなに/一ばん あたらしいのだろう」と、まどさんも言います。
太陽や月や星、雨や風など、日常でいつも目にしているものばかりだけれど、見飽きることがありません。
それらは絶え間なく続いていても、止まることがないからです。
かの有名な鴨長明の「方丈記」も、こんな言葉ではじまっていますね。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
一度きりの情報が垂れ流されて古びていく世の中において、新しい命を持ち続けるこれらの詩や古典は貴重ですね。
https://yomoshu.com/archives/2656 【朝日影 とよさかのぼる 佐久良東雄(さくらあずまを)】より
皆様こんにちは蓬田でございます!今日も皆様とご一緒に「愛国の歌」を鑑賞してまいりましょう!
今日は「愛国の歌」第23回です。
朝日影 とよさかのぼる 日(ひ)の本(もと)の やまとの國(くに)の 春(はる)のあけぼの 佐久良東雄(さくらあずまを)
東雄は、文化八年(1811年)から万延元年(1860年)に生きた、国学者であり家人、尊王攘夷の志士でもありました。
20代から藤田東湖、会沢正志斎らと交友しました。
水戸学を学び、識の高さから藤田から水戸藩出仕を勧められましたが断わりました。
そのときの断り文句が、「我主とする所は畏くも今上天皇是なり」でした。
その後、別の人が水戸藩出仕を勧めたときも、「徳川氏皇室を蔑(ないがし)ろにす。その支族たる水戸に仕ふるは即ち徳川の粟を食(は)むものなり」と言って、断ったといいます。
大阪に移り住んで後、桜田門外の変に参加した水戸藩士を支援。
そのひとり高橋多一郎とその息子をかくまったことにより、捕らえられます。
江戸伝馬町の牢屋敷に檻送され、獄中にて病死。享年五十。
世間で「我徳川の粟を食まず」として断食し命を断ったと噂が流れたのは、水戸藩出仕の断り文句からです。
明治24年、靖国神社に合祀。明治31年従四位が贈られました。
日本の洋々たる前途も表現
歌の意味は「朝日輝きのぼるわが日本国の春曙」と分かりやすく、すらすらとした詠み振りです。「とよさかのぼる」とは、豊栄登るとも書いて、朝日が美しく輝いてのぼることです。
歌全体から、皇国に対する愛情を感ぜずにはいられません。
同時に、日本の洋々たる前途をも表現しています。
令和二年のいま、日本経済は成長が止まり、日本国民の精神も縮んでしまったかのようです。
再び経済を発展させ、国家をさらに繁栄させて、国民みんなが幸せな暮らしができる日本にしたいものです。
そんな大きな志を持ちながら、自分にできることをしっかりと進めて参りたいと考えております。作者の東雄は、万葉集に学んでいました。
この歌からも万葉集の趣が感じられると思います。
今日の一首が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!
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