吾行く道を吾は行くなり

Facebook中田実生きる勇気を生む言葉さん投稿記事

🍀2025年2月4日(火)🍀🎁『私の終活の旅は小さな叫び』🎁💝人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾は行くなり💝西田幾多郎

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【西田幾多郎とは「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」これは、西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた言葉です。➡http://www.nishidatetsugakukan.org/column1.html 】

(石川県西田幾多郎記念哲学館 より)

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【哲学の道~南禅寺銀閣寺の次には哲学の道を通って南禅寺まで行くことにしました。

右足のふくらはぎに違和感はあるものの、約2kmの道のりなのでまず大丈夫だろうと判断しました。➡http://soraeki.blog84.fc2.com/blog-entry-1589.html】(なんこくまほら より)

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「ここで再発見するとは・・・」

私は定年退職まで勤務した会社には38年間の内半分を超える21年間を京都で過ごしました。

哲学の道にも四季折々、主に桜の季節と紅葉の季節には妻と二人で、そして地元の東京から友人知人が旅行に来た際などに数知れず訪れたものでした。

しかし、今回の西田幾多郎さんの石碑は残念ながら記憶には残っていません。ひょっとしてデジカメやスマホの写真を遡って探してみれば運よく残っているかも知れません。

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【【日本屈指の散歩道

銀閣寺と南禅寺(正確には、若王子神社)の間を結ぶ、約2kmに渡る散歩道。20世紀初期の哲学者である京都大学教授 西田幾太郎(きたろう)が、毎朝この道を歩いて思想に耽っていたことにちなんで名付けられた。脇を流れる運河は、日本最大の湖である琵琶湖から引かれた疎水である。付近を流れる白川は標高に従って北から南へ向かって流れる一方で、人工的に作られた疎水は南から北へ流れている。桜の名所としても有名であり、道沿いには日本画家 橋本関雪によって寄贈された関雪桜が並んでいる。(京都観光Navi より)】

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「おや?」「妙ですねぇ」

西田幾多郎さんの名前の読み方ですが、「にしだいくたろう」さんではなく「にしだきたろう」さんが正解なんですねぇ。「細かいところが気になるのが僕の悪い癖」でして・・・

ってドラマ相棒の杉下右京さんかっ!(笑)

「お~い、きたろう!」って、なんでやねん!それは目玉おやじやろ!!(笑)

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📣(私の信条)

『一生勉強一生青春』『一生感動一生青春』

『残された第二の人生を妻と二人で、ゆっくり、ゆったり、心ゆたかに、楽しく過ごしたいと思います。』 

『問題解決』『私の終活の旅は小さな叫び』『罪を憎んで人を憎まず』

『生まれ変わるなら生きてるうちに』『人事を尽くして天命を待つ』


http://www.concerto-01.com/column/cl-179/ 【「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり。」】投稿記事

今年のお盆休みは、あれこれと忙しく、溜まっていた仕事をまとめて処理するために、長期の休みを取得することが出来ませんでした。それでも、お盆の時期なので、週末に何とか時間をつくり、郷里に帰省してきました。

帰省に伴い、郷里の友達7人で再会することが出来ました。急な呼びかけにも関わらず、みんな、多忙なスケジュールを調整して、集まってくれました。18:00から始まった一次会の5時間も瞬く間に終わり、当たり前の様に2次会、3次会に突入。

私たちはみんな、幼少期から、とにかく毎日ハチャメチャ。みんなメチャメチャ弾けているのです。面白いエピソードが山ほどあるのです。今でも、みんなで腹を抱えて笑う話。いくらでも出てくるのです。そして、みんなで集まると現在進行形で面白いことが起こり、楽しい展開になるのです。今回の「宴」でも、腹が痛くなるくらい笑いました。

「ワッハッハ、ワッハッハ」

みんなで、腹を抱えて笑う瞬間の連続。

郷里での幼少期からの友達との集まりの呼びかけ。私は、『飲み会』とは言わずに、「宴」と言っています。どうやら、みんなも『飲み会』ではなく、「宴」を楽しむために、ワクワクモードで来ている様です。

いつも笑顔が溢れ、太陽の様に明るい友達。しかし、人生、順風満帆で、過ごせているわけではありません。ましてや、絵に描いたように、自分の理想通りには生きていません。みんな、人生、紆余曲折しながら色々あり、毎回想定外のことが起こりながら、それを受け止めて、現在進行形で大変なのです。

生きるとは大変なことです。誰もが簡単には生きていません。私は、わが友ながら会う度にいつも感心することがあります。それは、次のことです。

他の人のことを悪く言わない。愚痴も言わない。ましてや、何か自分の自慢めいた話もしないこと。それどころか、友達の優れているところや良いところ、何より友達の凄いところ。当たり前の様に認めることが出来て、自然な振る舞いで、敬意を示すこと。みんな、それができるのです。そして、それに対して、羨ましいという気持ち。コンプレックスのように、ライバル心を燃やすという気持ち。誰からも、全く感じないのです。

ましてや、友達に対して、優越感や劣等感なんていう気持ち。お互いに微塵もありません。会っていると、お互いに、感謝の気持ち。お互い、言葉にはしませんが、何か、感謝の気持ちが伝わってくるのです。

気が付くと、誰もが笑いの輪の中心になり、その場を盛り上げることが出来るのです。そして、みんなで集まると、笑いの化学反応が起こり、笑いの渦が起きてきて、笑いのウェーブが起きてくるのです。みんなで「笑いの波乗り」を楽しめるのです。

私は、郷里の友達に会うと、何か次の言葉を思い出し、その言葉の意味を直観的に理解できます。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾行なり。」

哲学者である西田幾多郎の言葉です。京都の南禅寺付近から銀閣寺まで続く道。哲学の道と呼ばれています。西田先生が、この道を散策しながら、思索にふけったことから名づけられました。

哲学の道は、春にはソメイヨシノが咲き誇り、夏は新緑が美しく、秋には艶やかな紅葉、冬は静寂の趣があります。いつの季節に訪れても、独特な情緒感のある道です。私は、京都が好きで何度も訪れています。その中でも哲学の道は、お気に入りのスポットの一つです。

道の途中、確か法然院の近くに、西田先生が詠んだ歌の石碑があります。上記の言葉は、その石碑に刻まれています。

私が最初に石碑の言葉を目にしたのは、17歳の高校生のとき。修学旅行で京都を訪れたときです。当時は、「人は、自分が好きなことをやればいい。」という、いかにも若者風の手前勝手な解釈で、捉えていました。

その後、度々、京都を訪れ、哲学の道に足を運び、西田先生の石碑の前に立つ度に、その言葉の捉え方。自分の成長とともに、変わってくるものです。

社会人になって、京都に訪れて石碑を見たとき。「自分の道に信念を持ち、その道を進み、その道を極めろ。」というような教えとして石碑の言葉を受け止めていました。

最近は、また、別の捉え方が出来るようになっています。

「人は人 吾はわれ也  とにかくに 吾行く道を 吾行なり。」

人は人、自分は自分なのです。人と比べて、優越感や劣等感を抱いて生きている限り。多分、どこまでいっても永遠に楽しくならないし、ましてや幸せな心持にはなれないでしょう。人と比べて生きている限り、精神的には独房の中にいる様な生き方しか出来ていない様な気がしています。とにかく、自分の進むべき道を今の自分を受け容れて、生きていくしかないのです。

人生を楽しく幸せな心持で過ごせる秘訣。

『他人にどう思われているか!』ではなく、「自分がどのように生きていくか!」

ということだと思っています。

人生、紆余曲折しながら、色々な想定外のことが起こり、色々大変なのに、いつも楽しそうに生きている友達。自分の進むべき道。しかと受け容れて、自分を受け容れて、みんな、生きているのが、友達の楽しそうな雰囲気から、伝わってくるのです。

いつも明るく、周囲を楽しませ。周囲に幸せをふりまきながら。

そんな友達に巡り合えて、幼少期から毎日が面白く、いつも嬉しい心持で、楽しく過ごせることが出来ています。そんな友達から、人生の楽しみ方。人生を面白く生きていくこと。何より、生きていく上で大切なこと。今でも、みんなと会う度に、気付かせてもらっている様な気がします。

いつも人生大変で、かっこ悪いことが多くても、私も、結構、幸せです。生きるということは、他人と比べる様なことではなく、とんでもなく、個性的なことだと思うからです。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾行なり。」


Facebook加藤隆行さん投稿記事【 親のようになってしまう理由】

ここんとこ何人さまかカウンセリングで「親のようにならないと誓ったのに 親のようになってしまった…」というお悩みをお聴きしましたのでそのシステムについて解説しておきます。

「恐れや不安」の中にいて、このままの自分ではダメだと自己否定している人は、悪気はなくとも、自分の子どもを否定して育てることになります。(部下、生徒など、あらゆる他者)

なぜなら「世界は怖いところだから、 子どもを自分の思う”正解”に 持っていかねば!」

という思いが強くなるからです。子どもの想いを尊重することなく

「お前がどう思うかなんかよりも とにかく私の言うことを聞きなさい」という発想になる。

だから子どもを見守れないし、過干渉になる。

「恐れ」ベースの親の愛は、子を制限する「厳しい愛」で「安心」ベースの親の愛は、信頼や受容といった子を自由にする「優しい愛」になる。

「制限と自由」親の役割としてはどちらも必要なのですが恐れが強いと「制限」の方に異常に偏りが出る。でもそれは、それでも「親の愛」なのです。同じ愛なのに出方が真逆になる。

これをボクは「愛の反転」と言っています。でも親は「悪気」があったり「悪人」だったりするからそれをしているのではなく、「恐れ」がベースにあるだけなのです。

そして、親の「恐れ」は、そのまま子どもに伝搬し、やがて子どもも世界を恐れるようになり

家系の中でそれが連鎖していきます。

親から尊重や信頼をされず「厳しい愛」で否定されて育ってきた子はだいたいは「親のようにならない」と誓うのですが、世界を怖いところだと幼き頃に肌感覚で学んでしまいしかも自分は自分でよいと思えず、自己否定をした状態にいます。

だから子どもの行動を一生懸命ガマンして見守ろうとするのですが「怖い」のである時、思わず手が出てしまったりします。

するとそんな自分を「親のようになってしまった」と自己否定します。

すると世界はまたより怖いところ、ままならないところだという考えを強めていってしまい子どもを見守れなくなります。

毒親や過干渉、といったことは全部このシステムの中で生まれていて、実はだれも「悪い人」はいないのです。むしろ放任よりもよっぽど「愛が強い」状態だと言ってもいい。

愛が執着になっているといった感じです。愛も執着もエネルギーの出どころは同じです。

ただ親が「安心」しているか「不安・恐れ」の中にいるか。ただそれだけのことなのです。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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