https://en.storia-japan.com/ja/blogs/japan/nihongo 【日本語の特徴と魅力】より
国際的な言語の研究団体であるEthnologueによれば、世界中で話されている言語の数は約7000にものぼるそうだ。その中でも日本語は最も習得が難しい言語の一つに数えられる。今回は、日本文化を理解する上で欠かせない日本語について紹介しよう。
日本語の起源
日本語の起源は諸説あるが、実態は明らかになっていない。
比較言語学ではルーツが同じだと想定される言語を「語族」という大まかなグループに分類する。例えばイタリア語は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属するロマンス諸語の一つだ。
日本語については、古代タミル語との関連、朝鮮・韓国語、モンゴル語といった北方系の諸言語との共通性が指摘されているものの、現時点では同一起源の言語は発見されていない。そのため「孤立した言語」と呼ばれている。
日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に始まったとされる。それ以前は日本独自の文字を持たなかったため、中国大陸から伝わった漢字だけで日本語を表していた。日本語を表記するために漢字の音訓を用いた「万葉仮名」がその代表である。平安時代になると、日本独自の文化である「国風文化」が盛んになり、万葉仮名が発展して「ひらがな」と「カタカナ」が誕生した。現代に至るまで、日本人はこれら3種類の文字を併用している。
日本語の特徴
前述したとおり、日本語は漢字とひらがな、カタカナという3つの文字を持つ。3種類もの表記体系を使う言語はおそらく他にはない。外国人の日本語学習者を悩ませる大きな原因の一つと言えるだろう。
日本語を表す基本の文字はひらがなだ。全部で50文字あり、漢字で書くのが難しい、もしくは表せない場合に用いられる。カタカナは、ひらがなと同じく50文字あり、一般的に外国人の名前や外国から来たものに使われる点がひらがなと大きく異なる。
ひらがな・カタカナが音を表す文字であるのに対し、漢字はそれぞれの文字が音と意味を備えているのが特徴だ。ひらがな・カタカナよりも一字の情報量が多いため、漢字を交えることによって文字数が少なくなり、文章全体が読みやすくなる。これらを使いこなすことにより、日本語は自由で表現豊かなものになった。
また、日本語には他の言語では見ることができない、敬語の存在、方言の多様性、天候や季節感を表す豊富な語彙、多種多様なオノマトペ(擬音語・擬態語の総称)といったものがある。例えば、雨の呼び名が400語以上もあることを知ったら驚くかもしれない。こうした多様性こそが日本語の難しさであり、魅力でもあるだろう。
日本語にしかない表現
日本語は繊細であるがゆえ、外国語に訳すのが難しい表現がある。ここでは代表的なものをご紹介しよう。
わび・さび
日本人特有の美意識の一つ。不完全で未完成なもの、朽ちていくものを肯定し、質素で静かなものに美や感動を見出そうとする感覚をいう。この「わび・さび」の概念は、日本庭園や茶の湯、美術工芸品といった日本文化に大きな影響を与えている。
もったいない
日本人が昔から受け継いできた言葉で「ものを無駄にせず、大切に使う」精神を表す。限りある地球資源を大切にするためのキーワードとして、海外でも「Mottainai」という言葉がそのまま使われている。
一人称が多い
日本語は、一人称の種類が非常に多い言語だ。英語では「I」で済む言葉が、日本語では「わたし」「わたくし」「わし」「僕」「俺」「ウチ」「自分」などがあり、上下関係や社会階級、男女差、年齢、心理状況によって使い分けられている。
切ない
胸がギュッと締め付けられるような気持ちになることをいう。一つの言葉に「悲しい、恋しい、寂しい」のニュアンスが含まれており、他の言語に翻訳しにくい表現だ。
独特な感性を持つ日本語は、日本人の繊細な感覚や美意識が結晶化したものだ。日本語を知ることは、日本文化をより深く知ることにつながるだろう。
https://en.storia-japan.com/ja/blogs/japan/haiku 【俳句(HAIKU)〜世界一短い文学に見る日本人の心】より
わずか17文字で表現される俳句は「世界一短い詩」と称されている。うつろいゆく季節を詠んだ句は、日本人の持つ美意識や自然観の集大成といえるだろう。今回は、この短い詩を通じて、日本人の心に触れていく。
俳句とは
俳句とは「五・七・五」の3句17音で構成される日本独自の定型詩を指す。同じく「五・七・五」のリズムで詠むものに「川柳」があるが、俳句には句の中に「季語」を入れるというルールがあり、自然や季節のうつろいを表す。一方、川柳は身近な人間模様や社会を風刺したものが多い。
季語とは「雪」「月」「桜」などの季節を言葉のこと。俳句はわずか17文字という限られた文字数しか使えない。季語を効果的に使うことにより、多くの人が共通して感じる季節のイメージが思い起こされ、読み手に17文字以上の情報を伝えることができる。
五感をフルに活用して自然をいっぱいに感じとる。それが俳句の基本だ。口ずさみやすく、耳に残りやすい俳句は、古くから日本人に親しまれてきた。なかでも優れた句は「名句」と呼ばれ、世代を超えて語り継がれている。
俳句の歴史
俳句は江戸時代に栄えた日本文学の形式「俳諧(はいかい)の発句(ほっく)」を略した言葉と考えられている。俳諧は「こっけい・おどけ」といった意味を持ち、室町時代から江戸時代にかけて盛んにつくられた連歌に使われたものだ。
連歌とは、複数人が集まってリレー形式で一つの歌を完成させる、日本に古くからある詩歌様式の一種である。もともと連歌では上品で優美な表現が使われていたが、次第に本来の道をそれ、こっけいな言葉遊びになっていった。
江戸時代になると、連歌・俳諧の第一句である「発句(五・七・五)」が独立。「奥の細道」の作者として有名な松尾芭蕉らが、それまで遊び的な要素が強かった俳諧に「わび・さび」のエッセンスを加え、その芸術性を高めた。さらに明治に入って「発句」を「俳句」の名称に改め、文学として確立したのが正岡子規だ。今もその形式が継承されている。
やがて俳句は海外にも流出。俳句が世界に広がったのは、イギリス人の日本文学研究者レジナルド・ブライスの功績が大きい。親日家だったブライスは1949年に「俳句Haiku」第一巻を出版して英語圏に俳句を紹介した。現在は約70カ国以上に普及し、各国の言語で俳句がつくられているという。
俳句の魅力
俳句は日本語の美しさが凝縮された17文字の文学だ。短い言葉の中に、季節の移り変わりに対する情緒や心の機微が凝縮されている。今まで気づかなかった自然や季節の変化に気づくことで、人生を豊かに過ごせるようになることが俳句の大きな魅力といえるだろう。
また、俳句は短いために声に出して読み上げやすく、覚えやすいという利点がある。耳に心地よく入ってくるので、日本語の響きやリズムの美しさを味わうのにもってこいだ。ただ鑑賞するだけでなく、気軽につくることもできる。この機会に、自国の言葉で俳句づくりにチャレンジしてみるのもいいだろう。
日本人は古来より、春夏秋冬の季節のうつろいに心を寄せ、自然を愛し、「型」を尊重して暮らしてきた。型を学ぶという価値観は俳句だけに限らず、茶道や華道、武道といった日本の伝統文化に共通するものだ。何度も同じ動きや所作をくり返し、その型を覚えていくことで、先人の伝えようとした心を体得していく、日本独特の美意識といえよう。
短い言葉に読み手の心情や情景が凝縮された俳句。たった17文字だが万の言葉を尽くすよりも雄弁だ。日本人は自然に対する感受性が鋭く、その変化に敏感であるがゆえ、四季折々の風情や美しさを表す言葉がたくさんある。俳句に触れ、俳句を楽しむことで、より深く日本人の心を理解することができるに違いない。
Facebook齊藤 新緑さん 投稿記事
イーロン・マスク氏が突然日本語で「侘び寂び」とポストして話題に
Grok:日本語の「侘び寂び」は、はかなさと不完全さを受け入れることを中心とした美的、哲学的概念を要約したものです。その構成要素と意味の内訳は次のとおりです。
- **侘び (Wabi)**:
- もともと、「侘び」は社会から離れて自然の中で暮らすことの悲しみや孤独を表現していました。時が経つにつれて、よりポジティブな状態を反映するように進化し、シンプルさ、素朴さ、静けさを体現するようになりました。控えめでシンプル、謙虚なものの美しさを高く評価します。侘びは、純粋さとシンプルさに重点が置かれた茶道の素朴な美しさと関連付けられることがよくあります。
- **寂び**:
- 「寂び」とは、古びてその物の寿命とその無常さが古びて磨耗する様子に表れる、年月とともに訪れる美しさや静けさを指します。古びたもの、風化したもの、古びたものの美しさを鑑賞することです。
**わびさび** は、次のことを意味しています。
- 自然、非対称、不完全、はかないものの美しさを重視する美的理想。不規則なもの、はかないもの、磨耗したものの中に美しさを見出す、生命と自然の不完全さを称える。
- 平凡なものや古びたものの中に美しさを見出す世界観。シンプルさと控えめさを重んじる。成長、衰退、変化の過程を鑑賞することを奨励する。
- 芸術、特に日本の茶道、陶芸、園芸、建築における原則。自然の過程は隠されることなく強調され、磨耗を性格と歴史のしるしとして示す。
- 人生そのものにまで及ぶ哲学で、マインドフルネス、謙虚さ、成長と衰退の自然なサイクルの受け入れを促進し、平凡で儚いものに満足を見出すよう促します。
本質的に、わびさびは、はかない欠陥のあるものに美しさを見出すことを教えてくれます。時間の経過や物事の自然なサイクルに抗うのではなく、受け入れるのです。それは存在の本質とつながる、奥深くてシンプルな方法です。
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