https://senkooji.jp/?p=367 【空海伝説3 〜三鈷の松(さんこのまつ)〜】より
空海が「唐」から投げた法具が「高野山」に
空海は、密教の全てを得て帰国する時、「私が受け継いだ密教を広めるためにふさわしい地(修禅道場)を示したまえ」と願いを込め、密教法具の一つである「三鈷杵」(さんこしょ)を出航する港(現在の浙江省・寧波市)から東の空に向けて投げました。
三鈷杵は金色の光を放ちながら、紫雲の中に消えていきました。 日本に帰朝(帰国)した空海は、修禅道場にふさわしい地を探す旅に出ました。
そして、ある日のこと、白と黒の二匹の犬を連れた猟師(狩場明神=高野山の地主神)に出会います。 その猟師は、「良い場所があるので案内しましょう」と言い、二匹の犬に先導させて、空海を高野山へと導いたのです。
高野山にたどり着いた空海は、山の途中にある神社で1 泊しました。
そこには、その神社の祭神「丹生都比売(にうつひめ)」がおられ、「私は、この山の主です。この山をそっくりあなたに差し上げましょう」と空海に告げられました。
こうして、空海は二人の神様から高野山に修禅道場を開く許しを得た上に、さらに「高野山に伽藍や大塔を作る手助けをしましょう」という申し出を受けたのです。
京の都に戻った空海は、さっそく嵯峨天皇に高野山の下賜を申し出ます。
そして下賜を受けた空海は、高野山を開創に取りかかりました。 その後まもなく、空海は、高野山の松の枝に「三鈷杵」がひっかかっているのを発見します。
それこそ、唐から日本に向けて放った三鈷杵でした。
この松は不思議な木でした。 松葉は通常二本に尖っていますが、この松の葉は三本あったのです。
そのため、「三鈷の松」と呼ばれるようになりました。
平安時代に、高野山を訪れた貴族たちは、御利益を得たいと、三鈷の松の根元に落ちた松葉を拾って帰京のみやげにしたといいます。
それから約千二百年を経た現在もなお、高野山の大塔前には、この「三鈷の松」が枝葉を広げています。
そして、三本松葉を探してお守りにする観光客が後を絶ちません。 高野山の檀上伽藍のそばには、空海を高野山へと導いた「狩場明神」と「丹生都比売」を祀る社が建立されています。
高野山に参拝されたら、この伝説を思い出しながら訪ねてみてください。 (この伝説にある三鈷杵は、願望を実現する強烈な力を発揮するため、護摩祈祷のときには必ず手にして人々の願望成就を行います)
Facebook森井 啓二さん投稿記事
まもなく節分です。まずは「鬼」を感じてみましょう。
近いうちに発売の「神の国 日本」シリーズ第三巻からの抜粋です。
部分抜粋のため、また未発売のため、誤解されないよう一部伏字にしています。
「鬼は、「隠」とも呼ばれる目には見えないエネルギーのことで、狭い意味では肉体を持たない存在のことになります。穏の活動は、肉眼では見えず、何をしているかわからないために、怖れられてきました。
その本体は、「御二」と呼ばれた〇〇〇〇〇という神とされています。〇〇〇〇の御祭神です。
時代を経るうちに、目に見えないものへの怖れから、怖いものはすべて一色単に「鬼」という誤解が生じるようになりました。
「魂」という字は、鬼に云を加えた漢字です。もちろん魂は、私たちの美しい本体であり、怖いものではありません。
大和言葉では、この云に、いう・めぐる・かえるという読み方をつけました。
これは、見えないエネルギー体である鬼と合わせて、地上での活動・輪廻・神への帰還を表す言葉となっています。
鬼は、狭い意味では邪氣として扱われてきましたが、実際にはこの物質世界での氣を清らかなエネルギーへと戻す力を持ちます。広い意味では神さまに由来するすべての神聖なエネルギーを意味しています。
だから、分け御魂の魂という字にも使われているのです。
節分の鬼が、虎のパンツを履いて角があるのは、節分の時期は十二支で表すと丑(うし)と寅(トラ)のほぼ中間である艮(うしとら)にあるからです。
艮の方角は、「鬼門」と呼ばれて、心が清浄でいなければならない神聖な方角になります。時刻で言うと午前3時頃の最も神聖な時間帯に属しています。
鬼門とは、貴門であり、生門、氣門、喜門、起門です。
すべての穢れを祓い清めて、新たな生を歓喜と共に始める神聖な意味があります。
貴門は、・・・・・」続きは本書にて。
今は、カリユガ(暗黒期)の制約からは解かれる時期です。
2025年からは「鬼は内 福は外」でも良いのです。「鬼は内、福は外」は、純粋な神「御二」のエネルギーを内側に呼び込み、至福を外に向かって拡げていくという意味になります。
福は外に出せば出すほど、巡り巡って倍になって戻ってきますから。
0コメント