神、太陽信仰、救世信仰

https://plaza.rakuten.co.jp/gassan/diary/200612100000/ 【もうすぐクリスマス (冬至を過ぎたというイベント)】より

クリスマス, つまり イエス・キリストの誕生日を祝うのは、キリスト教国でない日本の人たちが祝うのは 少しへん・・・なはずだが必ずしもそうではなさそうだ。

 江戸時代にキリスト教は禁止され、その信徒、信者は弾圧された。

キリスト教に対する ある種の違和感があるのは そのような歴史からくるのかもしれない。

長い時間を経て成立する宗教は、古くから宗教間で相互に影響をうけあうので、それぞれの宗教の考え方には共通性がみられると考えられている。

 クリスマスの様々な風習もその中の1つだ。

 “仏教は、紀元前5、6世紀ごろに釈迦によってひらかれたのだが、その中の大乗仏教は、1、2世紀に成立した。この大乗仏教は、当時すでにインドに伝わっていてユダヤに発した原始キリスト教や、景教(ネストリウス派キリスト教)の影響を多分に受けていたといわれる。”

このような、日本の仏教の教えにキリスト教の教えと同じものがあるという内容の本があることは以前にも書いた。 

  →日本・ユダヤ封印の古代史<2><仏教・景教編>

 一方、仏教やキリスト教が、“ミトラ教という西アジアの宗教から 多くの影響を受けたのだ”とする考え方がある。

松本清張は “カミと青銅の迷宮”で次のように書いている。

 “BC2000年頃、西アジアでからおこりAC100年まで続いたミトラ教では12月25日を太陽神の生誕日としている・・・冬至を過ぎた太陽がふたたび勢いをとりかえすときを、太陽の復活としたのである。

 ヒッタイトの宗教にそれがあり、これがキリスト教の降誕祭(クリスマス)となり、古代日本の皇室の新嘗祭になっている・・・。”

 ”このミトラ信仰は西してはキリスト教に影響を与え、東しては仏教に影響を与えたとすれば、その影響による共通性や相似性がなければならない。・・・”とし、

「婦人の体内に光がさして聖者が誕生することや、修行談(恐怖や誘惑)や奇跡のあらわし方・・・」などの例をとりあげた。

 内容はさらに掘り下げられ “宗教としてはメソポタミアの土着信仰とおもわれるミトラ信仰がイランでゾロアスター教となり、 これが中央アジアを経て南北朝のころの中国に仏教やマニ教・景教とともに入りケン教(けんきょう)になった。・・・日本には8Cごろに密教に混じってその要素が入ってきた。“とつけ加える。

 西方(アジア)での ヒッタイトの影響から・・・新バビロニアにいたユダヤ人がユダヤ教をつくり(旧約聖書)、・・・キリスト教(新約聖書)がうまれる・・・という流れを浮き彫りにする。

 説得力のある内容だ。

 おおよそ、ミトラ(神)は、ゾロアスター教の太陽神であり、密教の太陽神である大日如来であり、大日如来の守護神の四天王の北を守る毘沙門天であり、不動明王である。

 また、ミトラは、救世主でもあるが 時代により 弥勒(みろく/梵語のマイトレーヤ)であり、阿弥陀仏であり、救世観音であり・・・と、変わる。

 すべてのキーワードが“ミトラ=太陽神=救世主”で結びつく。

出羽三山は神仏習合であるのだが、その仏(教)としての月山の祭神は 阿弥陀仏であった。

湯殿山の祭神は 大日如来であり、羽黒山の祭神は 聖観音(正観世音菩薩)である。

 ここでも 神、太陽信仰、救世信仰のキーワードが強く結びついていることがわかる。

 キリスト教の思想 キリスト=太陽=救世主(メシア)とも ぴったりと一致する。前述の例のキリスト教との共通性、相似性の内容についても、今回はとりあげないが出羽地方にも同じものがある。

 出羽三山は “月読みの尊”という月の神様を月山にまつっているので、月のイメージが強く、意外な感じをうける。

 他言厳禁とされる山伏の修行にもキリスト教の思想が影響していると考える人がいた。

去年の春の羽黒山の修行のドキュメント映画の上映会でのこと、主催側から“キリスト教のカソリックの古老が羽黒山山伏の修行に興味を示し、若ければ参加したかった“と話したというコメントを聞いた。

古代キリスト教と山伏・密教との共通性を認識していたからであろう。

 クリスマスはもともとはキリスト教の風習である、が キリストと阿弥陀仏が同じ神であるとすれば 少し苦しい解釈としても 日本人がクリスマスを祝ってもおかしくはないのかもしれない。

 そうでなくても 冬至の日、日が短い、特に雪国ではそれからの長く雪に囲まれた冬を過ごそうとする時期、太陽があまり顔をださない どんよりとした薄暗い空が多いこの時期に楽しい行事を望み求める気持ち、気分を明るくしたい気持ちは どの国の人も同じなのだろう。


https://plaza.rakuten.co.jp/gassan/diary/200601250000/ 【日本・ユダヤ封印の古代史<2><仏教・景教編>】より

“大乗仏教は釈迦の教えではない”という“大乗非仏説”の内容から始まる。日本に入ってきた仏教は、“ユダヤ的キリスト教”である景教(東方キリスト教)の影響を受けているというような内容。

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史(2(仏教・景教篇)) (作者は、1作目で訳を担当した日本の古代史研究家2人。前作と比べると”ユダヤ"より”キリスト教”的な内容がメインとなっている。日本・ユダヤ封印の古代史<1>の内容のうち副題のとおり、とくに景教についての内容が詳しい。)

 仏教は、紀元前5、6世紀ごろに釈迦によってひらかれた。そのためキリスト教より歴史的には古いが、仏教の教えの中の大乗仏教は、1、2世紀頃に成立してキリスト教の成立と比較すると新しい。ユダヤに発した原始キリスト教やネストリウス派は、その頃すでにインドに伝わっていて大乗仏教は多分に

その影響を受けたのだという。大乗仏教には釈迦の説いていない教えが数多く入っているのがその理由だ。

 例として「法華経」と「聖書」の共通点、「大日如来、阿弥陀仏、弥勒(みろく)菩薩」と「イエス・キリスト/メシア」の類似などをあげ、多くの共通点を見出し説明される。

 “景教”は アッシリア(シリア)地域で生れ、のちに東方世界に広がり、シルクロード付近全域に広がったヨーロッパからみれば東方のキリスト教で、中国での呼び名だ。

”ネストリウス派”といわれ異端ともされたが、その教えに異端とされる内容はなく基督(キリスト)教のユダヤ性をよく残しているものだったという。そういえば、高校の世界史の教科書(山川出版社)に書いてあるのを思い出し引っ張り出してみた。それには確かに“ネストリウス派は5C(431年)のエフェソスの公会議でキリスト教の神性を十分認めないとの理由で異端とされた”と、書いてあった。

 ネストリウス派キリスト教はペルシャを経て635年に中国に入り景教と呼ばれた。それから約200年間 皇帝の保護をうけ発展し日本の仏教にも影響を与えた。しかし、日本への影響についてこの本の内容はさらに200年以上時代を遡ると考える。それよりずっと以前、日本に仏教が入ったとされる以前に、日本にはキリスト教がもたらされていたというのだ。

 いわゆるその原始キリスト教を持ち込んだ民族とは”秦氏”で、秦氏は、中央アジア「弓月(ゆずき)国」の人々で4C後半ごろから5C前半ごろ、大勢で日本に渡来、帰化したという。稲荷神社、松尾大社、日吉大社、月読神社(京都)などが、秦氏と関係しているとされる。そう考えれば、人々に伝来されていたかは別として、現在、仏教伝来として考えられている538年や552年よりも古い時代に原始キリスト教が持ち込まれていたことになる。

「付録」について

 「川守田英二」の日本へブル詩歌研究について解説する。

川守田は、日本の民謡などにある意味のわかっていない言葉・囃子詞(はやしことば)は、キリストが生きていた当時に使っていただろう(実際にはより近い)言葉、つまり、へブル語(アムル語)であるとはじめて唱えた人なのだという。

 その内容として、いくつかの囃子言葉の例があげられている。1つだけ例にとると祇園祭りなどの「エンラヤラー」はへブル語のエァニ・エハレル・ヤー(ANY・AHLL・YH)、「私は神を讃美します」の意味ではないかという。

 少し不自然な訳になるので信憑性があまりないようだが、“神”の意味の言葉”ヤーウェ”でさえも最近になって解ったことで、近代まで “エホバ”と間違えて読まれていたということもあるので、もしかしたら現在で忘れさられている言葉が他にも多くあるのかもしれない。そう思うとよく意味のわからない最上川舟歌の囃子言葉の「エーエエン・ヤアーエーエエンヤー・エーエエヘ、エーエエン・ヤアーエード」にも”ヤーウェ”が3つは入っていそうな気分になるから不思議だ。

 これらの本の内容は有力な説の1つだと思うのだが、他にも様々な多くの説がある。

 松本清張は、ゾロアスター教は、中近東から西や東へと伝わりユダヤ教に影響を与えたといっているし、実際にはユダヤ(中東)から日本(東)への一方通行ではなくさまざまな方向、相互の影響があったのかもしれない。

 今まで漠然と思っていたこと1つ1つに根拠を与えてくれるような、とても面白い内容の本だった。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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