杜に点く檜の実かなクリスマス 五島高資

https://www.jinja.co.jp/news/news_014294.html 【杜に想ふ 守護神 神崎宣武】より

 それぞれの職業によっての守護神がある。「職能神」、とでもいはうか。

 たとへば、新米が収穫されたこれから酒造がはじまる(もっとも、近年は通年醸造も一般化した)。そこでは、松尾明神を祀る。近世になってから、伏見(京都府)や灘(兵庫県)で清酒醸造がはじまったが、それ以来、松尾明神への信仰が広がったのである。

 それ以前、祭礼にあはせて一夜酒(あまざけ)や濁酒(どぶろく)を造ってゐた時代には、どうだったか。各地でさまざま、といふしかないが、たとへば以下のやうな歌が遺ってゐる。

この御酒は わが御酒ならず 大和なす大物主の醸し神酒 いくひさいくひさ

 これは、崇神天皇(第十代)の時代に三輪神社の酒掌に任ぜられた活日が献上酒を造るときに詠じた、と伝はる。三輪神社(大神神社)の主祭神は、大物主神。すなはち大国主神である。

 三輪の杉ばやし、といふ言葉も伝はる。新酒ができたときに表に吊るす。霊験あらたかな杉(三輪の神木)の玉(魂)なのである。

 なほ、『延喜式』(巻四十)には、酒造に関係しての神としては、酒弥豆男神と酒弥豆女神。その他に、竈神(四座)と大邑刀自・小邑刀自・次邑刀自が加はる。邑刀自とは、酒の仕込み甕を神格化したものである。これをもっても、酒造りは、神聖な術であったことがよくわかる。

 酒造りにかぎらず、かつてのモノ造りは、さうであった。

 たとへば、鍛冶に金属加工。そこでは、金山彦の神を祀る事例が多かった。あはせて、火の神を祀る事例が多かった。また、陶磁器を焼く窯では、火の神を祀る事例が多かった。例外なくさうであった、といってもよい。

 モノ造り以外では、芸能者の神信仰がある。とくに旅まはりの芸能者の神信仰が篤かった。たとへば、大道芸の漫才師がさうだった。それを千秋万歳といって、元は正月の門付け祈祷であった。江戸の町には、尾張から漫才師がやってきた。陰陽道の土御門家からの免許状を携へてをり、それが信仰の対象ともなった、といふ。

 旅まはりの諸業では、出自を格付ける必然があった。それで、うさんくさく蔑まれないやうにすることが大事であった。香具師とか的屋といはれた旅商ひの商人たちは、神農を信仰した。神農とは、中国から伝来したといふ薬神で、それをもってヤシの言語は薬師ともいはれる。そこでの真偽はともかくとして、旅商ひをもって恙無く過ごすには、かうした守護神が必要だったのである。

 総じて、職能神としよう。とかく、見落とされがちである。歴史学でも民俗学でも、そして宗教史でも、ほとんど体系的にとりあげられたことがない。すでに事例も乏しくなってはゐるが、あらためて見直しておきたいものである。

(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

https://www.jinja.co.jp/news/news_014284.html 【杜に思ふ 感覚と反復 涼恵】より

 先日、久しぶりにギターを手に取ってみたところ、指先の記憶は時に気まぐれで、数年前には弾けてゐたはずのコードが思ひ出せず、頼りない音を奏でた。一方で、指が勝手に動いて自然と奏でられるフレーズもあった。

 忘れてしまったものと、覚えてゐたもの。その違ひを考へたとき、感覚と結びついた記憶の強さに気付いた。稽古する過程で、心や体が「これが好き」と感じた瞬間の記憶は、不思議と消えずに残ってゐた。

 反復と継続はどこか心地良い。

 筆者にとって、そんな体験を何より思ひ出すのは國學院大學での神職養成講習会。約一カ月の講習会の間、毎日、仲間とともに朝な夕な祈る時間はとても心地良かった。

 祭式の授業では、神様への敬ひの姿勢が一つ一つの動作に投影されてをり、足の進め方、揖の角度、手の位置、目線の高さなど、一見単調に見えても、実は洗煉されてゐることを知る。祝詞の内容を理解するために何度も繰り返し奏上し、書き記した。感覚が連動すると身体と脳がちゃんと覚えてくれる。

 発声練習も然り。面倒くさがらずに、毎日お稽古してゐると、どの音でどの部分の身体が震へたり、力を入れたりするのかが見えてくる。記憶の通り道。やるたびに道筋がはっきりしてゆく。それは一瞬の感覚を超え、心と体に馴染んでゆく。

 そして反復と継続の先には、清々しい感覚が待ってゐた。何度も繰り返すことで心に穏やかな居場所が生まれる。反復は慣れとはまた違ひ、繰り返すごとに新たな発見があるもの。この爽やかで潔い感覚は一生ものの記憶として心身に刻まれてゐる。

 かうした記憶には、脳の働きが関はってゐるといふ。脳の深部に存する松果体。感覚の中継点である視床に挟まれた小さな器官は、メラトニンを分泌し、体温や自律神経など概日リズムを整へる役割を担ふといふ。松果体は、私たちの心身の調和に重要な役割を果たしてゐるやうだ。

 しかし現代の生活環境では、この松果体が電磁波やストレスの影響で石灰化し、機能が低下してしまふといふ研究もある。メラトニン減少は記憶を曇らせ、心の地図をぼやけさせてしまふ。

 神社にお参りされると、その静けさと清廉さにどこか安心を覚えると仰る方が多い。日常の喧騒や情報から離れ、自然と調和された環境に整へられる心と体があるのだらう。感覚が織りなす身体が覚えた記憶の糸は、松果体の奥深くで紡がれてゆく。参拝者にとって穏やかな祈りの時間や清浄な空気は、失はれた感覚を呼び醒ましてくれるかもしれない。

 忙しさに追はれるなかで、忘れた記憶を許したり、取り戻したりしながら、丁寧に重ねてゆく生活のなかに、きっと本当に大切なものが残ってゆくのだらう。

(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)


https://www.jinja.co.jp/news/news_014272.html 【杜に想ふ うまし国 山谷えり子】より

 師走の木枯らしのなか、この一年を振り返る。国会は難しい状況になってゐるが、民意をしっかり受けとめ、よく練り合っていく所存である。もともと日本は議論を戦はせて論破する国がらではなく、練り合ふといふ文化の国である。農耕民族らしい日本型民主主義の熟成に努めたい。

 このところ、そんなことを思ひながら道路に落ちる影が長くなっていくのを眺め、ふと少女の頃、毛糸でマフラーや帽子を編んでは友人にプレゼントしてゐた思ひ出がよみがへってきた。最近は“編み物は心身を喜びの方向に整へ直すお薬”などといはれ、静かなブームになってゐるさう。初心者向けのキットやリモートレッスンもあり、人気の先生への推し活もあるといふ。緻密な制作プロセスは理系男子にもアピールしてゐるとか。編物は瞑想をおこなった時と同様のセロトニンやドーパミンが出て、血圧を下げリラックス状態にさせるといふ。手仕事を尊び、生活文化を豊かにしてきた日本人の感性の歴史はいとほしい。

 祖母は編み物の先生でいつも何かを作ってゐた。そして、「えりちゃん、心は落ち着かないもの。でも編み物をすれば落ち着いて大切なものが見えてくる。怒りや嫉妬からも自由になるよ」と言ってゐた。

 さて、困難なことも多かった一年のなかで、世界遺産候補に「飛鳥・藤原の宮都」が選ばれたことは嬉しいことであった。来年一月末までにユネスコに推薦書を送り、順調なら再来年の夏には登録審査がなされる運びとなった。千三百年あまり前、中国・唐の軍事的脅威に備へて国造りをした飛鳥時代は、厳しい安全保障の状況下にある今の日本にとって改めて見つめ直す意義があると思ふ。

 唐の擡頭により東アジアは激動のなか、日本は百済に援軍を送るが、白村江の戦ひ(天智天皇二年〈六六三〉)で大敗。政権は強靱な体制づくりをしなければと天皇中心の国造りを急ぐ。現在の財務省、防衛省、宮内庁にあたる中央集権の国家基盤を造りあげ、同時に高松塚古墳や飛鳥寺跡など祈りの文化、芸術も深められていく。

 聖徳太子は律令国家への政策に尽くされ、“和をもって貴しとす”の今に続く和の国がらの礎となった時代である。私は自民党の「飛鳥古京を守る議員連盟」のメンバーとして、地元の方々と意見交換、視察、価値発信に努めてきた。大和三山や周囲の風景は日本の文化的原風景であり、万葉集に詠まれた自然感は日本人の遺伝子として永遠の時を刻んでゐる。

 万葉集にある舒明天皇の

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は

は美しい国見歌である。その豊かな国に生かされてゐることに感謝し、継承発展させていきたい。

(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)


https://gendai.media/articles/-/121208?imp=0 【クリスマスツリーと十字架、その意外すぎるルーツと歴史をご存知ですか?】より

ケルト、磔刑、聖遺物、そして日本の鬼

竹下 節子比較文化史家

プロフィール

クリスマスツリーと十字架、キリスト教に深く埋め込まれたそれらのツールは、一体何にルーツを持ち、どのような歴史を辿ってきたのでしょう。ケルトの樹木信仰から、キリストの磔刑像、奇跡を起こす聖遺物、日本の鬼を祓った十字まで、『キリスト教入門』の著者・竹下節子氏が、日本におけるキリスト教布教にもかかわる、秘められた物語の数々を明かします。

クリスマスとキリスト教の典礼

クリスマスはキリスト降誕のミサのことで、12月24日の真夜中ということになっている。多くの教会の年間の典礼カレンダーはこのイエスの生誕から十字架上の死と死後3日目の復活までの一生をたどるようにできていて、ミサで聖書の中のそれにちなんだ場所が朗読されたりする。

悠久の東洋宗教と違ってキリスト教には天地創造から最後の審判にいたるまでの線的な世界観があり、そのせいで進化論とか進歩思想が発展したなどと言われているが、毎年繰り返してイエスの生涯を追体験する点では循環的でもある。

もっとも、イエスが生きていた頃のユダヤ世界は終末論が色濃くて、最後の審判にそなえて禁欲せよという言辞も多かった。だがその後キリスト教の迫害時代も終わり、世界の終末がなかなか来そうもないので、メモリアル風の典礼に移行したわけだ。

現在は、いつも来るべき「何か」をどこかで待ちながら、この時代でも聖霊が絶えず働きかけてくれているしキリストもそばにいるのだから、今をよりよく生きようというスタンスになっている。

クリスマスツリーと十字架のルーツ

クリスマスツリーというのはヨーロッパ大陸の先住民族ケルト人の樹木信仰にルーツがあると言われている。

冬にも葉を落とさない生命力にもよるが、先の尖った形が神や霊を降ろす依代(よりしろ)としてぴったりだったのだろう。日本の正月の門松も竹の先を尖らせることも偶然ではないだろう。

受難のシンボルの十字架には尖ったイメージはないから、イエスの脇腹を貫いたという「ロンギヌスの槍」が呪術的なグッズになったのかもしれない。

もちろん「木の十字架」も受難のシンボルとして拝まれているが、それもケルト人の樹木信仰にルーツがあるのだろう。

初期教会やギリシャ正教では復活のイエス、栄光のイエスがシンボルとなっても、ローマ風の死刑である十字架刑を表に出すことはなかった。ケルト族やゲルマン族の多いヨーロッパにあった「樹木に聖なるものが宿る」という信仰を十字架に託した結果、キリストの受難像が強調されるようになったのだろう。

十字架の辿ってきた道

といっても、ギリシャ語聖書の十字架の原語はスタウロスという「杭」を意味することばであって、イエスが処刑されたのは、真っすぐの柱かせいぜいT字形のものであり、いわゆる十字架だとは思えない。それがいつのまにか十字架になったのは、イエスが天と地、神と人を結び万物を結ぶ仲介の存在であるという教義を図形化するようになったからだろう。

十字は、古来2つのベクトルが交わるパワー・ポイント(これがカギ十字になると回転力も加わる)であるという認識があり、光の放射でもあった。最初のキリスト教徒たちは2世紀頃から十字のマークを使い出したが、それは受難の十字架でなく、復活の栄光で悪魔祓いに有効なシンボルだったのだ。

その十字をキリストの磔刑像に結びつけたのは主としてカトリックだった。だからカトリックで使う十字にはイエスの磔刑十字架が多いし、教会にも墓石にも繰り返し現れる。

しかも苦しみの姿がリアルさを追求してイエスの受難に思いをはせるという伝統も生まれたため、カトリックの十字架には壮絶なものも少なくない。グリューネバルトのイーゼンハイムの祭壇画から、スキャンダルを起こした現代フランスの彫刻作家ジェルメーヌ・リシエの十字架まで衝撃的な芸術作品も数々生まれた。

カトリック世界のヒステリー症状に、両腕を広げた十字形の「金縛り」が多かったり、イエスの受難と同じ手足や脇腹から血を流す「聖痕」現象が観察されたりするのも、イエスの受難と関連して信者が自らの肉体を「十字架」にしてしまう心身関係の深さがしのばれて興味深い。

もっとも、カトリックの宣教史において、出血と窒息によるさらし刑という残酷な刑罰である磔刑図が抵抗を受けたこともあったようで、イエスの姿のない意匠的な十字架や、受難の後の復活のイエスがシンボルのメインに置きかわる流れも常に存在している。

日本の鬼を祓った「十字」

「十字」にはおもしろいエピソードがある。

1541年の日本(豊後)に漂着したポルトガル人たちに領主・大友義鑑(よしあき)が「鬼の住む家」として空き家になっていた廃屋を提供した。幻を見るなどの怪現象に悩まされたポルトガル人たちは家の周りに悪魔祓いの十字架を立てめぐらした。新種の結界が効いたらしく怪現象がおさまり、その効果を見て感心した人たちが真似をして、墓地をふくむ豊後の至るところに十字架を立てたという。領主もこの「鬼を祓う方法」に関心を示して、キリスト教に興味を持った。この話を聞いて宣教に希望を持ったフランシスコ・ザビエルたちが日本へと向かうことになるのである。

つまり日本になじみのなかった魔よけとしての十字形を導入したことがきっかけで、キリスト教が日本人の目を引いたという経緯があったのだ。

ピラミッドパワーのようによく効く「形」がまずあったというのがおもしろい。この「形」が、いつのまにかイエスの受難の道具に重ねられたわけである。

もうひとつの十字架伝説

十字架にはもう一つの伝説がある。13世紀頃から流布していた聖人伝である『黄金伝説』に、シェバ(サバ)の女王がイエスの十字架を予言したというエピソードが出てくるのだ。

今のエチオピアまたはイエメンのあたりにあったと思われるシェバの国の女王がイスラエルのソロモン王を表敬訪問した時、ソロモンの宮殿にあった木の橋を渡ったシェバの女王が、一人の男がこの木にかけられて死にユダヤの王国を滅ぼすだろう、と言った。驚いたソロモンは橋を取りはずして埋めてしまった。その木はじつはエデンの園にあった知恵の木であり、アダムの墓の上にあったものをソロモンが宮殿造営に使用したものだった。その木が結局、イエスの十字架に使われたということだ。

イエスは第二のアダムとも呼ばれているが、アダムの原罪とイエスの贖罪を結びつけるのが同じ木であったという構造になっている。

キリスト教を4世紀に公認したローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナがこの十字架の木を発見して持ち帰ったと言われており、それがさまざまな奇跡を起こした。その木が十字軍によってさらにヨーロッパにもたらされて西欧世界における最も貴重な聖遺物となった。

聖遺物がもたらす「奇跡」

イエスの十字架の聖遺物と呼ばれる木片は至るところにあって、その総量はもとの十字架をはるかに超えると言われている。当然偽物が含まれているわけだが、それらの聖遺物信仰がつづいたのは、拝観にやってきた病人や障害者の奇跡的な治癒がどこでも見られたからである。

たとえばパリのノートルダム大聖堂に保存されているそれは、クリスタルの美しい筒に朽ち木のかけらが入っているだけで、十字形に重ねられているわけではない。そこにはもう「十字」のマジックはなく、ただ、物質としての木があるだけだ。

今でも復活祭の前の聖週間には公開されるこの聖遺物の前で人々が並び、ひざまずいてクリスタル越しに接吻する。イエスの受難によって罪を贖われた人々が、エデンの園への郷愁を抱いて、原罪という病の治癒を期待してやってくる。

小さな村のひっそりした教会内のフォークロアではなくて、先進国の首都の中心にある世界有数の観光ポイントであるノートルダム大聖堂でそのような光景が繰り広げられるのは印象的だ。

キリスト教、十字のパラドクス

朽ち木は十字形をしていなくても、ひざまずいた信者は自分で額(父)、胸(子)、両肩(聖霊)と片手で十字を切る。ひと昔前までヨーロッパの食卓では丸いパンをナイフの先で十字の切り目をつけてから手でちぎるのが普通だった。

十字のアクションは逆説的に破壊を意味することもある。バツ印だ。死の後で復活したキリストが信者の死後に永遠の生命を与えるというパラドクスをかかえたキリスト教に十字はよく似合う。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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