facebook長堀 優さん投稿記事
今年もベートーヴェン第九のシーズンを迎えました。
西洋音楽の枠を超え、人類史上最高の芸術作品とも評される第九ですが、よく知られているように、作曲時、ベートーヴェンは聴力を失っていました。
音楽家にとって生命線であるはずの聴覚を失いながら次々と傑作を生み出すベートーヴェンは、五感が揃っていても作曲も演奏もできない私には、奇跡以外の何ものでもありません。
現代においてもピアニストの辻井伸行氏やバイオリニストの川畠成道氏などのように、視力を失っても世界的に高く評価される音楽家たちがいますが、いったいなぜこのようなことが可能なのでしょう。
よくいわれることですが、人間は、ある感覚を失うと、その感覚を補うかのように、残された感覚が鋭敏になるとされています。
さらには、人間の五感自体のそれぞれは、もともと独立した存在ではなく、互いに交差しているとの説もあります。
実際に、一つの感覚刺激から複数の知覚が引き起こされることもあり、「共感覚」と呼ばれています。
あくまでも一つの推測に過ぎませんが、ある感覚を失うと、それを補うために、この「共感覚」も呼び覚まされているのかもしれません。
新生児は3か月ころまで「共感覚」を有していると言われており、実際に、成人になってからも、「文字に色が見える」「味に形を感じる」「音に色が見える」などの能力を残している人が実際にいるのです。
池川明先生の胎内記憶の研究では、赤ちゃんはお母さんのお腹にいるときに、外の様子が見えたり音が聞こえたり、それから羊水の匂いまで感じるということが報告されています。
西洋医学の常識では、胎児期には赤ちゃんの感覚器は不完全であるので、知覚はできないとされています。ですから、このときに働いている感覚こそがまさに「共感覚」なのではないかと私は考えます。
共感覚は、目や耳など身体的な感覚器とは結び付いていませんから、胎内記憶を理解するためには、人間は身体という物質を超えた存在であるという前提を受け入れざるを得ません。
オカルトと揶揄されてきた話ではありますが、今や池川先生の胎内記憶に関する研究は世界的な賞を受賞されました。流れが大きく変わってきているように感じます。
もう一度、ベートーヴェンに話を戻します。
「田園にいれば私の不幸な聴覚も私をいじめない。そこでは一つ一つの樹木が私に向かって『神聖だ、神聖だ』と語りかけるようではないか?森の中の歓喜の恍惚!」
ベートーヴェンは、交響曲第六番「田園」を作曲した頃の心境をこのように語っています。
この言葉には、聴覚を失ったベートーヴェンが五感から解放され、自然の静寂の中で深く癒された喜びが溢れています。
五感による刺激は、主に顕在意識を刺激しますが、瞑想は、その五感による情報や顕在意識から離れ、潜在意識意識や超意識にアプローチする手法です。
ひょっとしたら、自然の中で瞑想状態となったベートーヴェンの意識は、顕在意識を離れ、潜在意識からその奥の集合意識や超意識、そして宇宙の根源、神意識へと近づき、さまざまなインスピレーションを得たのではないでしょうか。
大切な聴覚を失っていたベートーヴェンは、普通の人よりは瞑想に入りやすかったのかもしれません。 神意識と近づいたであろうベートーヴェンの歓喜は、第九全曲の最後を締めくくるこの歌詞、「Freude schöner Götterfunken ! 」 (フロイデ シェーナー ゲターフンケン!歓喜よ、神々の麗しき霊感よ) に端的に表されています。実に感動的なクライマックスです。
第九の第四楽章の合唱では、「Alle Menschen werden Brüder」(アーレ メンシェン ヴェアデン ブリューダー すべての人々は兄弟となる)「Diesen Kuß der ganzen Welt」(ディーゼン クス デア ガンツェン ヴェルト 全世界にキスを)などのフレーズが繰り返し歌われ、Alle Menschen、der ganzen Welt などの言葉に、世界の平和を願うベートーヴェンの深い祈りが込められています。その総括とも言える一言が、Freude schöner Götterfunken なのです。
ベートーヴェンが苦しみの果てに達した心境、それが「神の光と一体となった喜び」であり、それは洋の東西を問わず、世界の哲学が説く真理に他なりません。
これからの年末、第九とともに世界平和を祈りたいと思います。
来年五月十八日には、ベートーヴェンの芸術をとことん愛し、その精神を情熱的に体現する指揮者、根本昌明氏による第九のコンサートが海老名市で行われます。
根本氏のベートーヴェンは本当に素晴らしいです。ぜひこの機会に魂の演奏を体感してください!
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12月25日(水)夜8時スタート ご参加は無料です。
一粒万倍日、大安、クリスマスのYouTubeたわごとトーク
どうぞよろしくお願いします。
*今までと同じく、ライブ配信後は同じURLからアーカイブ動画としてご視聴頂ける予定です。
https://www.youtube.com/live/ppk8yLyQopM?si=Vxt9WZwnTanUNOau
池川先生の胎内記憶のご研究は今や世界にひろまり、このたび「Hall of Honor 名誉の殿堂」の表彰を受けられました。
当日はどんな話が飛び出すでしょうか、私もとても楽しみです!(^^)!
たいへん長くなってしまい失礼いたしました。ここまでお読みいただきありがとうございました。
https://holdings.panasonic/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/009earth/earth004.html 【地球が水の惑星(わくせい)といわれるのはなぜ?】より
宇宙(うちゅう)から見た地球は、青く輝(かがや)いている。なぜなら地球の表面の10分の7が、水でおおわれているからだよ。だから、地球は「水の惑星(わくせい)」と呼(よ)ばれるんだよ。
地球に海ができたことから、太陽系(たいようけい)の中ではただひとつ、生き物がたくさんすむ星になった。くわしいことはまだよくわかっていないけれど、最初の生き物は海から生まれたと考えられている。海水の中にとけこんだ酸素(さんそ)や炭素(たんそ)、水素(すいそ)や窒素(ちっそ)などが組み合わさって細胞(さいぼう)を作る。生き物のすべての祖先(そせん)となる生命は、海から生まれたってわけ。
そして海は、生命を作っただけでなく、それを守る役目も果たしていた。生命が生まれたのは約40億(おく)年前のこと。そのころ陸(りく)には太陽からの紫外線(しがいせん)が今の数倍もあり、生物が生きていくには危険(きけん)がたくさんあった。だから生き物は長い間、海の中で進化を続けてきたんだよ。海のことを「母なる海」と呼(よ)ぶのも、そんなところからだったんだね。地球上は海だらけ
facebook阿部 敏郎さん投稿記事
僕はメッセンジャーの端くれとして長きにわたり活動してきましたが、伝えたいことをそのまま伝えることは稀でした。
というのも誤解されたりバッシングされたり、痛い思いを沢山したからです。
ところが極まれに、「この人は全部わかってくれる」と感じる人と会うこともあります。
それが唯識の横山紘一先生でした。
先生も僕に同じことを感じてくれたのか、会ったその日に意気投合し、まるで長年の友のように親しくしていただきました。
いまはお亡くなりになりましたが、そんな横山先生とやった講演会の動画が出てきて、見直していたら涙がこぼれてきました。
横山さんはダイレクトに真実を語る日本の宝だと思いました。
及ばずながら僕も先生の遺志を引き継いでいこうと思いました。
この動画は本日公開した新しいオープンサンガに納めているので、この機会にご覧ください。
https://poyopoyo-sanga.com/html/open-sangha.html 【愛と叡智の2つの世界】より
The Dual Worlds of Love and Wisdom
ZENサンガは、2025年1月に10周年を迎えます。これを契機に、サンガは新しく生まれ変わります。あなたの意識を変容させるための日々の実践とアドバイスが 新しいサンガの真髄です。
Message from sanghaサンガのメッセージ
いま地球規模で一人ひとりの内側に大きな変革が訪れています。それは、I (エゴ)からWe (ユニバース)への意識変容です。この意識変容を実現するための分かち合いの場が、ここサンガです。サンガは、「ZEN(叡智)」と「ぽよぽよ(愛)」の2つの世界で構成されています。
あなたのインスピレーションで、この新しい世界の扉を開いてみませんか?
「サンガ」が創り出している世界
「サンガ」が創り出している世界は、唯識の横山紘一先生と阿部敏郎との対談講演の中にすべて表現されています。
社会での立場を横に置き、お互いの心の奥にある純粋意識が触れ合った時、私たちの存在に変容が起こるのです。学ぶ時代は終焉し、これからは共に生きることを通して、全ての命が一つに繋がっていることを感じあう時代に入りました。
これこそが私たちに与えられた最後の希望であり、サンガはそんな新しい世界の先駆けとして、あなたに高い次元の人生を提供していきます。
横山紘一・阿部敏郎 対談講演
横山紘一
東京大学大学院印度哲学科博士課程修了
仏教学者・立教大学名誉教授
仏教思想の根幹をなす唯識の世界的な権威として、
著作活動や講演活動を繰り広げるも、2年前に惜しまれながら他界。
https://diamond.jp/articles/-/183093 【【お寺の掲示板の深い言葉 24】「今、いのちがあなたを生きている」】より
誰のものでもない「いのち」
「今、いのちがあなたを生きている」
これは、真宗大谷派東本願寺の「親鸞聖人七百五十回御遠忌」のテーマでした。
最初読んだときは、正直なところ、なんだか変な言葉だと思いましたが、よくよく考えると実に深い言葉なのです。通常、「あなたのいのちが」とするところでしょう。しかし、「いのち」は誰のものでもありませんし、わたしの所有物でもありません。そう考えると、「いのち」が主語になるのです。
仏陀の教えを短い言葉で伝えた『法句経』の中に次の一節があります。
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。
しかしすでに自己が自分のものではない。
ましてどうして子が自分のものであろうか。
どうして財が自分のものであろうか。
中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』(岩波文庫)
お釈迦さまのおっしゃるとおり、そもそも「自己が自分のものではない」。ですから、いのちを含めたさまざまなもの(子・財など)を「自分のもの」としてしまうのは誤った感覚であり、そのような感覚がわたしたちに悩みや苦しみをもたらす原因となっています。
自分探しではなくて「自分なくし」
では、自分っていったい何でしょうか?
一時期、「自分探し」が流行りましたね。いまも「ほんとうの自分」を探し続けている人もいるかもしれません。これもまた、「自分」にとらわれている生き方といえます。
「自分探し」をされている方には大変申し訳ないですが、本当の自分なんてものはこの世には存在しません。そのことを強く認識し、現状をあるがままに受け入れる。これが仏教的なスタンスと言えるでしょう。
仏教に造詣の深いイラストレーターのみうらじゅんさんは、『自分なくしの旅』(幻冬舎文庫)という本を著しています。京都から上京したみうら青年が、自分を見失った果てに見出したことがまさに「自分なくし」であり、彼はそうすることを提案しています。
「自分」や「自分のもの」という意識を完全になくすことは、生きている限り不可能かもしれません。しかし、「自分」という概念が生きていくうえで苦しみや悩みを生み出す大きな原因となっていることだけは覚えておいたほうがよいでしょう。
一度、ぜひ「自分」というものについて考えてみてください。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)
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