facebook上田 一美さん投稿記事
「あなたは一枚の翼では飛べない。
二枚の翼が必要だ一外側と内側、物質と精神、目に見えるものと目には見えないもの。
仏陀は人間の半分にすきない。
私はあなたが完全な人間であってほしい」 Osho
facebook相田 公弘さん投稿記事【「目に見えない世界」をなんとなく感じること】
修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…
私が恵まれていたのは、多くの先人から「目に見えない世界」の中にまことの喜びを見出すことを教えていただいたことです。そのことをみなさんにもお伝えできたらと思います。
「天が喜ぶ生き方」は「目に見えない世界」の中に見出すことができます。
私たちは、普段「目に見える世界」を中心に生きています。
「目に見える世界」では、何かが「できる」「できない」、「うまい」「下手」などが、はっきりわかります。
ですから、目に見えたことだけを見て、ついつい「正しい」「正しくない」とか、「いい」「悪い」と言ってしまいます。
しかし、人の心の中は見えません。見えないからよくわかりません。自分の心のことですらわからないことがありますね。人の心のように「見えない世界」はわからないし、感じにくいものです。しかし、「見えない世界」を大切にして生きていくことが、天が喜ぶ人生にはとても大事なことなのです。
多くの人にとって「見えない世界」は「わからない世界」です。でも、わからないからこそ、自分で感じ取ろうとすることです。まずは、なんとなく、なんとなく感じることから始めてみる。これが出発点です。私たちは、親から生まれてきました。そして自分の親もおばあちゃんから生まれてきました。そのおばあちゃんはひいばあちゃんから、ひいばあちゃんはひいひいばあちゃんから、というように親から親へと延々とつながって今がある。
このように、ずっとずっと命が続いてきたということはなんとなくわかっています。
「目に見える世界」では、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんの代までならよくわかるけど、その先のことはほとんどわからないですよね。
しかし、ただ、ずっと続いてきた命の結果、私は生まれてきたんだなぁ、ありがたいなぁ、となんとなく感じる、これが「目に見えない世界」なのです。
なんとなく感じる、なんとなくありがたいなぁと思う、この感覚です。
「目に見える世界」だけを見て生きていると、「このことがありがたい」「あのことがありがたい」と具体的な出来事だけをとらえて考えるので、「このことはありがたくない」という事柄が出てきてしまう。すべて理屈の世界になってしまうのです。
「目に見えない世界」に目を向けると、「なんとなくありがたい」という思いが、ふとふと、湧かされるのです。ふっとした時に、なんとなく思わされるのです。
私たちは、頭で考えて動くことがほとんどですが、たまに、なんとなくそうしてしまった、なんとなくそれが良いと思って行動した、というようなことがありますね。
そういうときは、なぜか物事が流れるようにうまくいったり、結果が同じでも心の中の清々しさが違ったりするものです。きっとみなさんも感じたことがおありだと思います。
この目に見えない「なんとなく」の世界を昔の日本人は、大切に生きてきました。
あなたがこうしてこの本を手に取ってくださったのもひとつのご縁です。
そして、この「なんとなく」という漠然とした言葉でしか伝えられない世界を、「なんとなく」感じ取ってくださるみなさんがいる。
この目に見えない「なんとなく」を深めていくことで見えてくる新しい世界があるのです。
『すべては今のためにあったこと』海竜社https://amzn.to/2JSmkga
鎌倉時代の歌人として有名な西行法師の有名な和歌がある。
「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」伊勢神宮に参拝した際の、言葉にならない感動を歌った歌だ。お伊勢さまにきたら、何がどうのこうのという訳ではない、理屈ではなく、ただ涙が出てくる。
サン・テグジュペリの「星の王子さま」にもこんな言葉がある。
「さようなら」王子さまは言った。「さようなら」キツネが言った。「じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」神仏も、親の恩も、愛も、情も、人の気持ちも、大事なことは、みな目に見えない。
「おかげさま」という言葉も、何のお陰なのかは理屈で考えてもわからない。
「目に見えない世界」をなんとなく感じ…感謝とお陰さまの気持ちで日々をおくりたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより https://www.facebook.com/hitonokokoro
facebook能村 聡さん投稿記事【神とは?】
おはようございます。ちょっとプチ哲学(神学)します。
古今東西の哲学者や宗教家がずっと考え,議論してきたけど、結局は証明できなかった難題。
そう。「神とは!」です。「神は存在するか?」です。3つの神に関する概念 ⤵︎
●神とは至高の知性・宇宙の叡智・・・全存在の第一原理です。
●神とは宇宙の法則であり、宇宙に偏在する全てである。
●神とは宇宙の創造主であり、無始無終で永遠の完全なるもの。
宇宙創造主の神が存在しなければ、私という存在も、地球も存在しません。反対に、私が存在して、神のことを思考している私がいるからこそ、神は存在しているとも言えます。
では、神はどこにいるのでしょうか?
私は神は私たちの内に存在していると思います。人間は、外にばかり神を探そうとして、見つからなかったのではないでしょうか?
でも、神はほんとうに存在するのかという絶望をこの三次元世界で生きていると感じることもありますね。
神が全知全能で完璧な存在なら、この世界(そのなかでも地球)も完璧なはずです。
悲惨な戦争も犯罪者も、悪人も悪事も欠陥も一切ない,完全無欠な存在や物事のみしか存在しないはずです。
しかし、この現実世界は、矛盾と欠陥そして”悪”に、充ち満ちています。欠陥ばかりです。
なぜでしょうね?
神は存在しないのでしょうか?少なくともこの地球には?
ボクは、この世界は欠けているところがあるからこそ、素晴らしい、完全なる存在の尊さ、ありがたさが分かると思うのです。だからこそ、神に感謝できるのだと思います。
新月も、半月も、三日月も、見え方が違うだけで、光の部分と闇の部分をひとつに統合すれば、同じ完全なる月(満月)です。
欠けていること自体が、ほんとうは神のこの三次元世界へ見えている姿ではないでしょうか?
自分に欠けているところがあると自覚すれば、欠けているところを補いあう、学び合うパートナーを求めます。
二つで一つになれます。一人では完全=神にはなれないことに気づき、いっしょに協力しよう,助け合おうというポジティブな想念も産まれます。
平和になります。分裂していく争いではなく。ボクのPCのMacにはかじって欠けているリンゴのマークがついています。ボクは、かじって欠いたリンゴだからマックが好きです。
ハンディキャップを抱えておられる方の生き様から、そうでない者が、逆に人間のもつ素晴らしさを学べる,逆に助けられていると感じるのも、そういうことかと思います。
そもそも、悪とは人間が物事を認識判断するひとつの概念に過ぎないとすれば、神とは、”善”も”悪”もない、そのような二元性(二極性)意識の次元を超越し、”善悪の彼岸”にあるすべてがひとつになった存在なのかもしれまえん。
では、神は、ひとつでしょうか?たくさんいるのでしょうか?
神様がたくさんいるのなら、ヒエラルキー(階層)があるのでしょうか?人間の階級社会(ピラミッド型組織)みたいで嫌ですね。
いろいろな疑問が沸いてきますね。
一つしか神がいないという宗教(一神教)はお互いに争います。同じ宗教の中ですら,何とか派とかで争っています。神は一つ主張しているのに、その神を信じている人間の社会は分裂してたくさんになっています。なんか変ですね。
その点、八百万の神という、多神教の日本はどうなんでしょう?神様がたくさんいるのは、神そのものが多様な存在(化身)として顕われる存在であるとうことでしょうか?
神さまの現れ方(見え方)はいろんな形をとるのかもしれません。「一即多 多即一」が神理なら、いろいろあってもいいってことです。
このような全ての神を包摂する日本が先導して、多様な価値観や存在を認め合いつつ、分離と競争(戦争)の三次元地球を卒業して、愛と光に溢れた平和な五次元地球に進学(シフト)していきたいと心から願います。
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