https://news.yahoo.co.jp/articles/34f2a043b53f9fa86dc928d388f698eb037ea4cf 【変わったようで変わってない 45年前に撮影された宇都宮駅の姿に「懐かしい」「車とバイクがかっこいい」】より
12/3(火) 20:30配信 ねとらぼ 現代の宇都宮駅
変わっているようで変わっていない……? 45年前に撮影された宇都宮駅の写真が、X(Twitter)で「懐かしい写真」などと注目を集めています。
【画像】45年前の宇都宮駅
哀愁の漂う45年前の宇都宮駅に思わずうっとり
投稿者は、Xユーザー・ひろさん。写真は栃木県にある宇都宮駅を正面から捉える位置で撮影されたもので、レトロなバイクの隣に立つのは投稿者の叔母とのこと。約半世紀前というだけに、バイクやクルマ、周囲の景色も昭和の雰囲気がただよっていますね。
現在の宇都宮駅と比べてみると、高架型歩道の登場などでロケーションは大きく変わっていますが、駅舎は昔から大きく変わっていないことにも気が付きます。現地をよく利用する人なら「この辺りだ!」と分かりそうですね。
地元民らしき人から「懐かしい写真」などの声
懐かしさが感じられる写真に、Xでは「懐かしい写真」「駅前のど真ん中にコンテナがあったとは」などの反響が寄せられており、また「全ての車とバイクがかっこいいです」と景色の中にある古めかしい物に反応する人もいました。
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/koho/1014436/1014514.html 【今昔】より
赤門通り(昭和30年)
今昔アングル4月号画像
大通り方面から北に向けて撮影された「赤門通り」の今昔。
突き当たりに見えるのが通りの由来となる慈光寺の赤門。
昭和20年の宇都宮大空襲で焼失しましたが、平成20年に復元されました。
昭和30年の写真には、ネオンのアーケード、のぼりや看板が目立ち、当時の活気を物語っているようです。
平成27年4月号記事 (PDF 1.3MB)新しいウィンドウで開きます
田川洗橋付近(昭和34年)
今昔アングル5月号画像
田川に架かる「洗橋(あらいばし)」の左岸から市の中心部に向けて撮影された写真の今昔。
現在の「洗橋」を建設中の昭和34年の写真には、「旭町の大イチョウ銀杏」や「松が峰教会」、「旧宇都宮商工会議所」が見通せます。
「洗橋」の名前は、この付近の田川に、宇都宮藩の殿様の馬の洗い場があったことから名付けられました。戊
辰戦争の時に、土方歳三たちが宇都宮城を攻めるためにこの橋を通ったといわれています。
平成27年5月号記事 (PDF 1.4MB)新しいウィンドウで開きます
オリオン通り(昭和31年)
今昔アングル6月号画像
現在のオリオンスクエア前から西に向けて撮影された「オリオン通り」の今昔。
昭和31年の写真にあるネオンアーチは、昭和29年12月に取り付けられ、夜の街を色鮮やかに照らしていました。このネオンアーチは、アーケードを造るために昭和42年に撤去されました。
現在のアーケードは、平成2年に造られた2代目になります。
平成27年6月号記事 (PDF 1.6MB)新しいウィンドウで開きます
宇都宮駅(昭和33年)
今昔アングル10月号画像
JR(旧国鉄)宇都宮駅の今昔。
昭和33年の写真は、鉄筋コンクリート総2階建ての4代目駅舎。1階は、改札や待合室などの駅施設で、2階は駅デパートの食堂や売店などがあり、当時としては関東随一を誇る近代的スタイルの駅でした。
現在の駅舎は、昭和57年の新幹線開業に備え昭和55年に完成した6代目です。
宇都宮の玄関口として歴史を刻んできた宇都宮駅は、平成27年7月16日に、開業130周年を迎えます。
平成27年7月号記事 (PDF 1.6MB)新しいウィンドウで開きます
いちょう通り(昭和33年)
今昔アングル8月号画像
東武宇都宮線ガードの西側から東に向けて撮影された「いちょう通り(南大通り)」の今昔。
戦後間もない頃のいちょう通りは、とても狭く、自動車が通るのもやっとでした。昭和33年の写真は、道路の拡
張工事が進んでいる様子がうかがえます。昭和34年に、現在の幅の道路と新しい東武線ガードが完成しました。中
央に見える「旭町のおおいちょう大銀杏」だけは、今も変わっていません。
平成27年8月号記事 (PDF 1.1MB)新しいウィンドウで開きます
釜川(昭和49年)
今昔アングル9月号画像
市の中心部を流れる釜川の今昔。写真は、本町の「真光寺橋」から泉町の「二里山橋」に向けて撮影されたもの。
古くから市民に親しまれてきた釜川は、昭和40年代の中ごろから、雷や台風などの大雨のたびに氾濫を繰り返し、下流の市街地を中心に度重なる被害をもたらしました。
市では、昭和49年度から、本格改修に着手し、19年の歳月をかけて、全国初の二層構造河川として整備しました。
現在は、樹木や自然石を配置し、水に親しめるせせらぎ空間になっています。
平成27年9月号記事 (PDF 1.4MB)新しいウィンドウで開きます
宮の橋(昭和39年)
今昔アングル10月号画像
田川に架かる「宮の橋」の南右岸から、北東に向けて撮影された写真の今昔。
JR宇都宮駅が開業した明治18年の翌年、駅と市街中心部を結ぶために、橋長約30メートルの木橋が架けられました。昭和39年の写真にあるコンクリート橋(橋長49メートル)は、昭和32年に架け替えられたものです。
現在の「宮の橋」は、平成4年度から工事が始まり、平成7年に完成したもので、橋長は50.1メートルになります。
平成27年10月号画像 (PDF 1.3MB)新しいウィンドウで開きます
市営競輪場(昭和29年)
今昔アングル11月号画像
宇都宮市営競輪場のメーンスタンドを捉えた写真の今昔。
競輪場は、昭和25年に戦災復興事業の一環として造られました。その収益金は、学校建設などに使われ、本市の戦後復興に寄与しました。今でもさまざまな公益的な事業に役立っています。
現在のメーンスタンドは、平成21年に改築された3代目。ちなみに、昭和29年の写真に写っているメーンスタンドは、大谷石で造られていました。
平成27年11月号記事 (PDF 1.3MB)新しいウィンドウで開きます
中央通り(昭和34年)
今昔アングル12月号画像
「中央通り」の今昔。
昭和34年の写真は、旧県庁舎の屋上から南に向けて撮影されたもの。左手前にあるのが公会堂、その奥が栃木会館大ホール、右手前から警察署、消防署、そして市役所が見えます。
これらの建物は全て取り壊され、現在まで残っているのはトチノキ並木だけになりました。そのトチノキも、今では道路を覆い隠さんばかりの大木に育っています。
平成27年12月号記事 (PDF 1.3MB)新しいウィンドウで開きます
バンバ通り(昭和36年)
今昔アングル1月号画像
「バンバ通り」の今昔。
昭和36年の写真は、バンバ通りにあった仲見世が撤去されたときのもの。通りの中央に露店や飲食店が南北に軒を連ねていた仲見世は、両側にあった花屋敷や電気館などの映画館と併せ、市民の娯楽と憩いの場所でした。特に大正から昭和初期にかけては全盛期で、「宇都宮の浅草」として北関東一のにぎわいをみせました。
道路が石畳みになり、ケヤキなども植えられている現在の景観とは大きく違っていました。
平成28年1月号記事 (PDF 1.4MB)新しいウィンドウで開きます
大通り(昭和27年ごろ)
今昔アングル2月号画像
大通りの南側歩道から東の馬場町方面を撮影した写真の今昔。
昔の写真の大通りは、幅18メートルでした。昭和27年度から始まった拡張工事により、昭和33年にはJR宇都宮駅から池上町交差点までの幅員が30メートルになり、道路中央には、分離帯が設けられました。
昔の写真の左側に見える書店の場所には、現在、TDビルが建っています。左奥に見える4階建てのビルは、栃木相互銀行本店(現栃木銀行)でした。
平成28年2月号記事 (PDF 1.5MB)新しいウィンドウで開きます
オリオン通り(昭和55年)
今昔アングル3月号画像
オリオン通りの入り口付近の今昔。
旧写真の左から中央に見えるのが、昭和55年に完成した「スターロード」。オリオン通り曲師町商業協同組合の有志が収集した歌手やスポーツ選手、俳優など有名人約100人の手形タイルが敷き詰められていました。また、中央のボードには、各有名人の写真とサインが展示されていました。この「スターロード」は、平成8年度に、市とイタリアのピエトラサンタ市との姉妹都市提携に伴って、「大理石の道」として生まれ変わりました。
https://4travel.jp/travelogue/10475557 【宇都宮今昔】より
以前宇都宮に降り立ってから何年になるだろう。あっと言う間の10年、もう10年は経ったろうか・・
改札を出た駅前広場、以前にもこんな空中歩道(デッキ)があったようだが、記憶も定かで無い。あったとしても今日ほどこんなアメーバが触手を広げたような複雑なものではなく、もっと単純な1本橋だったに違いない。
○○ラーメン街道、とか、喜多方ラーメンの町、と言った、ラーメンを売り物にする町は多いが、ここ宇都宮は「餃子の町」。
駅前の空中歩道を降りると駅ビルを取り囲むようにして餃子店が立ち並んでいる。まあ、どこも同じだろう。手近な1軒に入り、ラーメン餃子のランチを食べる。「売り物の味?」って、こんなものかも知れない。
栃木県庁及び宇都宮署で用事を済ますと、その直ぐ裏手が「八幡山公園」。
関東各地に残る「八幡」の地名。即ち、「八幡太郎義家」の故事にちなんでいる。
初夏の公園を尋ねる人もなく、100数十mの小高い丘の上に立つ「宇都宮タワー」、開店休業かと思いきや、初老の留守番が一人、暇そうにしている。
午後の眠たい時間、当方が今日初めてのお客さんかも知れない。嬉しそうに話しかけてくる。聞いたら入場料200円とのこと。1日200円を稼ぐために人一人雇う位なら、最初から無料にした方が市にとっては経済的だ。
200円払って展望台まで登る。眼下には宇都宮市内が一望。駅も案外近い場所にある。
三方が山に囲まれ、那須連山、日光連山、奥入瀬の山々などがぐるりと取り囲んでいる。良い眺めだ。良い町だ。縄文以前から「栃の木の国」として栄えた謂れはこの地形を見ていると良く理解できた。
山を降り、ぶらぶら歩いて公園入り口近くの蒲生神社に寄り、蒲生君平の威徳を思い、既に裏寂れた感のある八幡様、その横の誰も見る人もない、大クジャクの鳥園を眺め、二荒山(ふたらさん)神社に寄り、垂仁天皇の命によりこの地を最初に統治した「いにしきの命」の霊にお参りし、市内を横切って、最近再建なった宇都宮城を散策する。
宇都宮城、吊り天井、千姫物語。大阪夏の陣で、火中から救出された千姫は、一時このお城で休養するが、その後本多家に再嫁し、姫路の白鷺城の御台所となった。
戊辰戦役、今次大戦で灰燼となったこの名城も、今は再建途上で城郭も整備されつつある。城壁に上り、西に傾く夏の陽を眺め、往時を偲び、この町を後にした。
エリア 宇都宮(栃木)
宇都宮は餃子の町。数十軒の餃子店が駅前広場を囲んでいる。
初夏の八幡山公園。人っ子一人いない静かなものだ。タイとか豪州で見た大勢の人の休養の場となっている公園とは様違い。
宇都宮タワーからの市内の眺め。
日光連山、那須連山も真近に見える。
このタワーが建ってからも40年は経つか・・、経済成長華やかな当時、毎日大勢の人が訪れたに違いないが、今は、日に数人。坂道を下り降りる日本の象徴。
北関東にあるこの町では、今がツツジの最盛。
公園の入り口近くには、蒲生君平の遺徳を偲び、明治になってから蒲生神社が建立された。
八幡神社も嘗ての郷社。今はうらびれている。
その横の鳥園。クジャクが何尾か飼育されていた。
孔雀明王。これほど美しい鳥がどうして悪食なのか・・・
北関東の鎮守、二荒山神社。
この地は有史以前からの要衝の地で、歴史遺産に富んでいる。
市内を横切り、二荒山神社から宇都宮城まで歩く。
再建なった隅櫓が建物の間に見えてきた。
神社と同じ様に、お城も新しいのが見栄えが良いか!
城壁から初夏の西日を眺め、この町を後にした。
0コメント