Facebook加藤隆行さん投稿記事【好きを遠慮しない】
ボクはよくfacebookや映画レビューサイトで良かったと思った映画の簡単な感想を書いてUPしているのですが、ときどき「なんで感想なんて書いてるの?」と言われます。
「なんで」という質問の裏には「どんな意味があるの?」「どんな得があるの?」という意図があるのだと思うのですが別にお金をもらって書いているわけでもないしさらにfacebookのタイムラインなんてどんどん流れて消えていってしまいます。
そーいう意味ではたいした理由はありません。ただ書きたいから書いている。
しいて言えば、「好きなものを好き」と言いたい「良かったものを良かった」と言いたい
から書いています。「好き」を言語化したり楽しい嬉しいといったポジティブな
感情感覚を公言したりすることってすんごくメンタルにいいのですよ。
自分の中の「好き」を書くほどに、人に伝えるほどに自分の「好き」がどういうものがよく分かるようになる。
すると「好き」が自分の中で確固たるものなってきて、信頼に足るものになってくる。
「好き」を確認していくことで自分自身への理解が深まり、自分の輪郭がその「好き」をベースに形成されていく。
するとそれが「自分が好き」という感覚へとつながっていく。
なぜなら私とは「好き」や「嫌い」といった「感覚」でできているから。
他人がどう言おうがどう感じようが、そんなことは全く関係なくて自分が「好き」と思ったからその気持ちを書き留めておく、この行動にはそんな効果効能があるのです。
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ところで「推し活」ってありますよね。あれもすんごくメンタルによいのです。
周りがどう言おうが、どう思おうが「私はコレが好き!」「私はこのアーティストが好き!」
というように、自分の好きをどんどん明確化していく。
恥ずかしげもなく好きなものを好きを思えること。好きなことを好きと言えること。
そんな幸せなことはありません。なぜならそれが「私」だから。
で、子供ってずっと「推し活」しているワケです。好きなものをただ好きだと言い続け、やり続けている。
友人の息子さんが「仮面ライダー」のDVDを何千回とリピートし仮面ライダーの話を何万回もしてくるので気がおかしくなりそうだと言っていました(笑
究極の推し活(笑 そういや自分もウルトラマンの怪獣の話を家でも学校でもずーっとしていましたね。母ちゃん聴いてくれてありがとう笑
自分の「好き」をちゃんと自分に体験させてあげてますか?ちゃんと言葉にして表現していますか?それが「私」を作っていきますよ(^ω^)
P.S.
逆を言えば、自分の「好き」を疑うと自分が信じられなくなっていくし自分の「嫌い」ばかりを言語化したり、カタチにしているとどうなるのでしょうかね おおこわ(^ω^)
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エネルギー感覚の目覚め【一つになる体験 】
五感を磨くといわれますが、五感で受け取る情報は断片的であり、過去の記憶(相、自分の作り上げた情報)に則って 自分なりの解釈を加えたものとなります。
情報をありのままに受け取るにはエネルギー感覚(直感・第六感といわれたりもします。)に目覚めることが大切です。
五感の働きは意識を外に向けます。
五感のうちでも最もエネルギーが強いのが視覚です。
視覚と意識を切り離すために 目を開けたまま 内部感覚に意識を向けるエクササイズをします。(頭の後ろ,手等身体の部位に意識移動しながら意識と視覚を切り離す。)
眼を半眼にし、焦点付けをしないで対象を観る事も有効です。
一つになる(共鳴する)ためには意識を対象に留める必要があります。
そのためには、過去の記憶に戻らない。視覚ではなくエネルギー感覚をつかう。
このエクササイズの目的は「一つになる」のみにおかない。
「意識のコントロール」、「集中力」、「洞察力」、「感情、ストレスのコントロール」、
「リラックス体験など」:できた、できないに縛られると無心になれない故。
<自分の体験を通しての氣づき>
*雨など、視覚、聴覚二つの感覚を使うと意識の移動が重い。(意識の傾き)
*認知できないもの、動きのあるものが視覚に入ると 新皮質に意識が戻る。(意識の傾き)
*一度小さな対象に焦点を合わせ 視野を広げると意識はすぐに対象に移動。一つとなった実感。
*視野を広げたままで、意識を自然に留めていると、魂が震え涙が溢れ始めた。宇宙のエネルギーと共振。
*カーテン、壁など人工のものを見ると視野が閉じる。(見えなくなる)
観念が問題かもしれないという示唆を受け、また壁と一つになる。
自然、ありのままを好む自分が明確になる。
自分を作る人間に対しても 距離を置いてきた自分に気づく。
和多志も壁も同じ元素、波動を共有しあい、宇宙として一つだと思いながらも、「役割は?」と思う自分がいる。
和多志であり、宇宙である、個であり全体であると思わずにはおれない自分がいる。
自然であれば何故思わないのかと尋ねられ、もう一度人工のものと一つになる。
【自己イメージを無に戻す。】 (下記の「無我体験))
自分だと感じているもの(ポジテイブもネガティブも)を 前頭葉、後頭葉を手で押さえ(FOフォルディング:前頭葉、後頭葉を結ぶ)ながらイメージで消す。
消したものは疑うと復活するので 唯、消してゆく。
シャワーで流す、
消しゴムで消す、爆破して霧散さす、燃やすなど。
恐怖症のように強烈なものは、その引き金となった出来事を映画を観るように思い浮かべる。それを白黒に変える。出来事のタイムラインを逆に回す。ビデオテープを引きちぎり燃やす。
自分に合った方法を見つけ(筋肉反射テストで確認)全ての情報を消してゆく。
<和多志の無我になる体験>
全てを消していく。
思いつく情報は金色のバラに入れ、呼吸とともにふっと飛ばし金色の光に戻していく。
消している自分を消すにはその自分をイメージで対象化し 消しゴムで消すのが有効であったが、主体と思っている自分をデジカメで撮り、パソコンで消去する(脳の情報は瞬時に消すほうが消しやすい)ほうが効果的だと思った。
自分を消すと魂が震え、身体のエネルギーが一挙に動き始める。
魂を消すと、胸の湧き立つエネルギーが渦になり、身体の感覚が消え、限りもない平安が訪れた。
五感に意識を傾けると(目を開くと)渦は消え去り、キラキラ光る光の海が広がる。
「自ら宇宙である」涙が溢れました。
消すとは脳の自分が生んだ情報のみであり、存在そのものを消すことではないことにも氣づきました。
魂もエネルギーでした。(勝手な、定かではない魂イメージを消すと胸からエネルギーとして立ち現われました。)
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