9月17日は中秋の名月!なぜ月はいつも同じ「ウサギの餅つき」面が地球に向いているのか?

https://edist.ne.jp/post/tsuito-yamamoto/ 【【追悼・松岡正剛】暗喩と暗示とシンボルと解釈余地で】より

オーウェルじゃ足りない。スフィフトまでやんなさい。松岡さんに、いっちばん強烈に叱られたときに、言われたことです。

2023年の、編集工学研究所・松岡正剛事務所・百間の合同新年会でのこと。新年には毎年スタッフたちが「今年肖りたい一冊」を選んで、その本に寄せて新年の抱負を発表する「肖冊会(しょうさつえ)」が開催されます。

その「肖冊会」にジョージ・オーウェルの『動物農場』をもちこんだ私に、松岡さんは「全然足りない」と言い放ったのでした。「辛抱たまらん、出直してこい」というくらいに怒らせてしまったのでした。

『動物農場』じゃなくて『ガリバー旅行記』

2023年は『動物農場』のディストピア寓意力に肖りたいのですと大見得を切ったつもりの私に、松岡さんはこう言ったのだと思います。

「アレゴリーを舐めるんじゃない。」

念のために添えておくと、オーウェルに罪がないことは明らかです。私の、「なんとなく物語に向かいたいような気がしてるんだけど」という宣言にすらなっていない宣言が、いかに生ぬるいかを松岡さんが瞬時に見てとったのでした。

そして即座に示されたのが、「ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と、もっと言えば、ジョナサン・スフィフトの『ガリバー旅行記』くらいやんなさい」でした。うーーーん、この指南の深さたるや……。

言われたときには何がなんだか分からないままにとにかくこの2冊を読み耽ったものですが、いま振り返ってみると、「『動物農場』じゃなくて『ガリバー旅行記』」のスゴみが沁みます。

「分かりやすさ」の罠

『動物農場』はご存知のとおり、農場に暮らすブタやロバやめんどりなど動物たちのおとぎ話に託して、独裁化し恐怖政治に陥ったソ連のスターリン体制を暴こうとしたもの。オーウェル自身がスペイン内戦に参加した経験から書かれたと言われています。1945年の出版。

『ガリバー旅行記』は、17世紀から18世紀にかけて生きたアイルランド生まれのジョナサン・スフィフトが、国家と人間への失望を詰め込んだ作品。いまや世界中の子どもたちに大人気の「ガリバー船長」が、小人の国や巨人の国や、空に浮かぶ島「ラピュタ」や荒れた大陸「バルニバービ」をめぐる旅行記です。長旅の最後に、ガリバーは地上でもっとも不愉快な生き物「ヤフー」が生息するフウイヌム国へ辿り着きます。このヤフーが、なんとも気持ち悪いのだけれど、知れば知るほど人間そっくり……という按配です。

正直、オーウェルの方がよっぽど「分かりやすい」し、なんというか、颯爽としている。対してスフィフトは、まだるっこしいのに生々しくて、雑多なのに生真面目だし、上品なようでいて下品だから、ところどころで圧倒的に居心地が悪い。要するにちょっと、とっつきにくい。

でも、オーウェルの『動物農場』はその分かりやすさとアイコン性の高さゆえに、冷戦下のアメリカで政治利用されてしまいます。オーウェル自身は社会主義者だったのですが、その事実は隠されたまま。

分かりやすさには、速効性があります。そのスピード感こそ、オーウェルが『動物農場』に求めたことだったでしょうから、その意味では狙い通りだったろうと思います。けれど、分かりやすさは命取りになることもある。単純すぎる暗号はあっというまに解けてしまうから、なかに隠しておいた「とっておき」が招かれざる者の手に渡ってしまうことだってあるからです。

だからこそ、物語は暗喩と暗示とシンボルと解釈余地をこそ抱え込めるだけ抱えこむべきである。謎だけを手渡すべきである。それが、あのとき松岡さんから教わったことだと思っています。

月の裏側

思い返せば、松岡さんこそが暗喩と暗示とシンボルと解釈余地でできていました。もうちょっと言えば、松岡正剛とは暗喩と暗示とシンボルと解釈余地で書かれたテキストだったような。

だから、松岡さんが肉体を離れたということはあっても、別にそれでいなくなったわけじゃなくない?と、ずっと駄々をこねる子どものように思ってしまって、そこからいまだにぬけ出せません。ぬけ出すつもりも、いまのところはありません。

いま、これまでで一番、松岡さんの存在をすぐそこに感じます。怖いぐらい近く。

松岡さんと出会ってから、まだ日が浅かったからかもしれません。もともとずっと雲の上の存在だったからかもしれません。でも、このあいだ夢の中で出会った、イメージとして生き返ってきた松岡さんの声はめちゃくちゃ近くで聞こえました。「え、いるよね、見えるよね、声聞こえるよね」と周りにいた人と確かめ合っていたら、「声が聞こえるなら、なにしてるんだ」と松岡さんが言って、そこでパッと目が覚めました。目覚めたとき、アタマの右側がジンジンしびれたような感じがしていたのは、きっとジュリアン・ジェインズの読みすぎなのでしょう。

いま松岡さんが月を本拠地にしているのだとしたら、ぜったいに月の裏側にいるんだろうと思います。それで、月夜に空を見上げる私たちの熱視線を背中に感じながら、「見えないだろ〜気になるだろ〜」と嬉しそうにタバコをふかすんだろうと思います。そして新月の夜にだけ、思い立ったように「いないいないばあ」をするんでしょう。太陽の光に邪魔されないときにだけ、闇にまぎれて。ほんとうはいつも、そこにいるのに。

だから私たちは、これからも性懲りもなく想像力のエンジンで月の裏側をめざします。宇宙科学だけじゃ辿りつけない場所に、宇宙科学の力も借りながら。なしとげたときには、ちゃんとハグしにきてください。物理的にじゃなくていいです、素粒子的にでも、量子もつれ的にでも、ジュリアン・ジェインズ的にでも。それまでしばらくお待たせしますが、もうちょっとだけ、見守っていてください。


https://www.bepal.net/archives/466551 【9月17日は中秋の名月!なぜ月はいつも同じ「ウサギの餅つき」面が地球に向いているのか?】より

9月17日は中秋の名月。「秋の中」とはいえ、まだまだ暑い日が続きそうですが、日が暮れたら、東の空を見上げてください。ウサギが餅をついています。ところで、月はなぜいつも地球に同じ面を向けているのか、知っていますか?

今年は中秋の名月の翌日が満月ってどういうこと?

中秋の名月とは、旧暦8月15日の丸い月のことです。中秋を文字通り「秋の真ん中」とすれば、旧暦の8月15日の頃はすっかり秋の気候だったのでしょう。お団子やススキを飾って、虫の声を聞きながら月を見上げる……いかにも涼しげな行事です。

ところで今年の中秋の名月は、厳密には満月ではありません。満月になる瞬間は翌18日の11時34分です。

旧暦は約29日半で繰り返す月の満ち欠けを基準にした暦です。新月の日を「1日(ついたち)」として、約30日で次の新月になるので、その半分にあたる15日は必然的に満月になる……と思われるのですが、実はそうでもありません。

先ほど新月の日を1日とすると書きましたが、新月は太陽・月・地球がこの順番で一直線に並んだ瞬間を指します。0時1分であろうと23時59分であろうと、その瞬間を含む日が旧暦の一日です。新月になる時刻が遅かった場合、旧暦15日の夜に現われる月は、まだ満ち始めてから14日しか経ってないため、満ちきってないことになるのです。

これに加えて、月の軌道は、完全な円ではなく楕円形であり、いつも新月から満月までにかかる時間がピッタリ同じというわけではありません。こうした理由から、新月から15日目が必ず満月になるとは限らないのです。

そういうわけで、中秋の名月と本当の満月の日がズレてしまうのは、それほど珍しいことではありません。なお、今回は「翌日の正午」が満月の瞬間なので、その半日前にあたる中秋の名月と数時間後にあたる当日の月の形に大きな違いはなく、どちらも美しい満月に見えるのではないかと思います。今年は2日続けて「お月見」が楽しめるというわけです。

月がいつも同じ面を向けているわけ

満月の月は「ウサギが餅をついている」ように見えますが、なぜいつも月は同じ面を地球に向けているのでしょうか。それは、月の公転と自転が完全に一致しているからです。

月は地球の周りを約27日かけて一周します。これが公転です。そして、まったく同じ時間をかけて自転しています。公転と自転の周期が完全に一致しているのです。そのため、地球からはいつも同じ面しか見えません。

では、月の裏側はどうなっているのか? これまで多くの探査機が月を訪れて、その裏側を撮影しています。

月の裏側は、私たちのよく知る表側と比べると、全体に白っぽく、凹凸が少なく見えます。

表側のほうは白い部分と黒っぽい部分、コントラストがはっきりしています。この黒っぽい部分は「海」と呼ばれ、月のウサギの模様は、この海が形づくっているのです。海の正体は、火山活動で流れ出したマグマが巨大なクレーターの底に溜まったものです。

おなじみの表側。月のウサギの正体はマグマが冷えて固まったもの。

なぜ裏側のほうに海が少ないのかというと、裏側はマグマの流出が少なかったからだと考えられます。

では、なぜ表側でマグマの流出が多いのかというと、常に地球側に向いているからです。地球と月の間にはお互いの引力が働いています。常に地球のほうを向いている月の表側には、地球から引っ張られる力が大きく働きます。そのため地下のマグマが地表に引っ張られやすいと考えられるのです。日本では激しい噴火を伴いながらマグマが地上に出て積み上がり、火山を残しますが、月のマグマは比較的サラサラしていたと考えられます。そのためマグマはジワリと滲み出て、クレーターの凹みに向かって流れていったのでしょう。

近年、中国の探査機が月の裏側に降りて探査を続けています。今年は月の岩石サンプルを地球に持ち帰っており、これからその分析が待たれます。

もしも人間が月に住むとしたら裏側か?

このように月の表側と裏側では地表の性格が異なります。近年、月の探査が進み、月の南極付近のクレーター内部に氷が溜まっている証拠が得られています。南極は太陽が高く昇らないため、クレーターの奥深くではどの時間でも日が当たらない「永久影」ができやすいのです。

もし将来、人間が月に住むとしたら、南極周辺になるのではないかと予想されます。月には大気がないので、太陽光が直撃する日中の表面温度は100度Cを超えますし、太陽が当たらない時はマイナス200度Cくらいまで下がります。寒暖の差だけでなく、放射線や紫外線もおびただしい量が降り注ぎます。なるべく太陽光が届かない場所のほうが住みやすいのではないでしょうか。

月の南極は地球からは縁のあたりに見え隠れしています。今年は、地球から見えない裏側の様子を想像しながら、どうぞ中秋の名月をお楽しみください。 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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