http://hayashibe.com/zuisou/tonbotohaiku.html 【-トンボと俳句-】 より
早朝、散歩で公園に行くと、赤とんぼが三つ四つと群れながら飛んでいるのに出会った。今年は陽射しは未だきついものの、季節は秋になっているのを、飛ぶトンボをみながらわが輩は実感した。傍らの男あるじも、首を上向け、口をあんぐりとあけて、トンボが飛び回るのを、わが輩と同様に眺め、届きはしないのに手近にある棒で追った。トンボも男あるじを馬鹿にしているのか、これ見よがしに低空で飛び回り、男あるじをさんざんじらした後、天高く飛び去った。男あるじは、
「赤とんぼは日本人にとって郷愁をさそう不思議な虫だな」とつぶやいた。そして、そそくさとわが輩の散歩を終えるべく足を速めた。わが輩は、また、何か調べ物をすることでも思いついたのだなと察し、それに抵抗するべく、わざとゆっくりと歩いてやった。 午後も遅くに男あるじは庭に出てきた。そして、メモを見ながら、
「トンボは蜻蛉と書は、古くから日本人には特別なものらしいな。そこで、蜻蛉を詠った俳句をしらべてみたら、けっこう多くあることがわかった。たとえばだな、あの蕪村は、『蜻蛉や村なつかしき壁の色』と詠んでいる。きっと、蜻蛉の飛ぶのが影絵のように壁に写っていたのだろうな。この壁は白壁ではなく素朴な土壁で、そこからなつかしきという感慨が涌いたものといえる。まだあるぞ、一茶も『夕日影町いっぱいのとんぼかな』と詠じた。夕日のなか、これも影絵のように自由に飛び回る赤とんぼをおもしい、と思ったのだろうな」と講釈しだした。
わが輩は、飛ぶ赤とんぼを見ても、何も匂わないし、喰らいつけないのでまったく無関心だが、男あるじをはじめ、この国の人間どもはトンボに特別な感慨をもつことがよくわかった。トンボは日本の文化的道具のひとつなのだろう。男あるじは、続けて、
「あの子規先生も、『赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり』という句を作った。なんということもない写生句だな。赤蜻蛉が悠然と弧を描くように飛んでいるが、筑波山には雲ひとつない、きっと蜻蛉は気持ちよく飛翔しているのだろう、という情景が眼に鮮やかに浮かぶ。子規と親交著しかった漱石先生も、『肩に来て人懐かしきや赤蜻蛉』と詠んでいる。きっと、蜻蛉が漱石先生の肩にふわりと舞い降りたのだろう。それを人懐かしいと詠んだところがおもしろいところだな。きっと、幼い頃の友でも思い出したのではないかな」と語った。
なるほど、江戸時代から蜻蛉は俳句に詠まれているのか、とわが輩はひとつ物知りになったような気がしてきた。俳句には蝉はよく詠まれているし、スズムシ、クツワムシ、コオロギなど秋の虫も俳句の素材だろう。それに加えて、蜻蛉も人やふるさとなどに対する懐かしさをかき立てるもののようだ。わが輩が面白いと思うのは、トンボが2ひき円環にくっつきあって飛ぶ姿だ。なんでもあれは交尾をしている姿だという。後尾をしながら飛翔できるのだからたいした芸だな。男あるじは、さっそくにわが思っていることを察したと見えて、
「なになに、交尾がおもしろいってか。たしかにそうだな。あれは、前がオスで後ろがメスになる。オスは尾っぽでメスの頭を押さえ、メスはオスの交尾期に自分の尾っぽ前の方に曲げて挿入している。それでまるで円環を組んで飛んでいるように見えるわけだ」といくぶんにやけながら解説した。
トンボはどこかユーモラスのある虫だ。バッタやセミの類にはおかしみは感じられない。きっと、トンボは人間の近くに寄ってきて肩や帽子、あるいは竹竿や垣根にちょこんと平気で止まるからだろう。トンボのことを英語ではドラゴンフライという。ドラゴンとは羽をもったは恐竜のようなイメージがあるので、恐ろしい。トンボの語源は飛ぶ棒という説がもっぱらである。言い得て妙だなとわが輩は思った。
「赤とんぼ 草葉の先で 夢を追う」 敬鬼徒然随想 -トンボと俳句-
https://jhaiku.com/haikudaigaku/archives/6942 【秋の季語「蜻蛉(とんぼ)」を使った俳句一覧】より
秋の季語「蜻蛉(とんぼ)」の解説
蜻蛉(トンボ)は、トンボ目に属している鬼やんま、塩辛蜻蛉などの昆虫の総称のことをいいます。腹部は円筒状で細長く、二対の透明な翅で飛びます。
秋の季語「蜻蛉(とんぼ)」の子季語・関連季語・傍題・類語など
蜻蜓(やんま)/鬼やんま(おにやんま)/銀やんま(ぎんやんま)/ちゃん/渋ちゃん(しぶちゃん)/腰細やんま(こしぼそやんま)/黒やんま(くろやんま)/更紗やんま(さらさやんま)/青蜻蛉(あおとんぼ)/塩辛蜻蛉(しおからとんぼ)/塩屋蜻蛉(しおやとんぼ)/塩蜻蛉(しおとんぼ)/麦藁蜻蛉(むぎわらとんぼ)/麦蜻蛉(むぎとんぼ)/猩々蜻蛉(しょうじょうとんぼ)/虎斑蜻蛉(とらふとんぼ)/高嶺蜻蛉(たかねとんぼ)/こしあき蜻蛉(こしあきとんぼ)/胡黎(きやんま)/精霊蜻蛉(しょうろうとんぼ)/仏蜻蛉(ほとけとんぼ)/秋卒(あかえんば)/秋茜(あきあかね)/深山茜(みやまあかね)/眉立茜(まゆたてあかね)/のしめ/のしめ蜻蛉(のしめとんぼ)/八丁蜻蛉(はっちょうとんぼ)/蝶蜻蛉(ちょうとんぼ)/腹広蜻蛉(はらひろとんぼ)/昔蜻蛉(むかしとんぼ)/あきつ/えんば/えんま/とんぼう/蜻蛉釣(とんぼつり)
秋の季語「蜻蛉(とんぼ)」を使った俳句一覧
汲まんとする泉をうちて夕蜻蛉 / 飯田蛇笏
山霧に蜻蛉いつさりし干飯かな / 飯田蛇笏
蜻蛉や芋の外れの須磨の浪 / 飯田蛇笏
畠中の秋葉神社や蜻蛉とぶ / 飯田蛇笏
松にむれて田の面はとばぬ蜻蛉かな / 飯田蛇笏
夕凪や濱蜻蛉につつまれて / 臼田亞浪
児らゐねば窓に蜻蛉ねむらせつ / 臼田亞浪
蜻蛉に駒は煙を濃くしたり / 臼田亞浪
蜻蛉猛し茜濁れる風の空 / 臼田亞浪
蜻蛉追ふ子に坊主雲覗きけり / 臼田亞浪
干物の竿をせばめて蜻蛉哉 / 加賀千代女
水に出て水には入らぬ蜻蛉哉 / 加賀千代女
から松は淋しき木なり赤蜻蛉 / 河東碧梧桐
赤坂も田舎になりて蜻蛉かな / 河東碧梧桐
虚空より戻りて黍の蜻蛉かな / 河東碧梧桐
雨に泊れば雨は晴れたる蜻蛉かな / 河東碧梧桐
待つ人に裾野にあへり夕蜻蛉 / 河東碧梧桐
舟遊ぶ飛騨古川や夕蜻蛉 / 河東碧梧桐
飛騨人の天領顔や飛ぶ蜻蛉 / 河東碧梧桐
干し残るゆふべの藻屑尾の白き蜻蛉のゆきぬ / 河東碧梧桐
むれ立ちて穂の飛ぶ草や赤蜻蛉 / 河東碧梧桐
蜻蛉や線香干して鳥羽の里 / 河東碧梧桐
秋の空虎落の上を行く蜻蛉 / 河東碧梧桐
蜻蛉の百度参やあたご山 / 久保田兎園
墓原のまばゆく晴れし蜻蛉かな / 久保田万太郎
硝子戸に風ふきつのる蜻蛉かな / 久保田万太郎
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