夕焼け小焼け

https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=292 【「夕焼け小焼け」の「小焼け」って何?】より

 『夕焼け小焼け』(詞:中村雨紅)という童謡は、ほとんどの方がご存じであろう。だが、タイトルにもある「小焼け」っていったいどういう意味なのかと疑問に思ったことはないだろうか。

 「小焼け」だから、夕焼けになりかかった状態のことだろう、などと想像した方もいらっしゃるかもしれない。それなら国語辞典に「小焼け」が載っていてもよさそうなものだが、ほとんどの辞典に「小焼け」は載っていない。

 『日本国語大辞典』(以下『日国』)には「夕焼小焼」の形で見出し語がある。それには、

 (「こやけ」は、語調を整えるために添えたもの)「ゆうやけ(夕焼)」に同じ。

と説明されている。つまり「小焼け」はそれ自体あまり意味をもたない語だというのである。さらに北原白秋の「お祭」という童謡が初出例として引用されている。

 「真赤だ、真赤だ。夕焼小焼(ゆうやけこやけ)だ」

 この童謡の発表は1918年である。中村雨紅の『夕焼け小焼け』はその5年後の1923年であるから、「夕焼け小焼け」は北原白秋の造語だった可能性もある。

 童謡詩人で童謡の研究家でもあった藤田圭雄(たまお)(1905~99)は『童謡の散歩道』という著書の中で、この「小焼け」は、「日本語のような音数律の詩の場合、リズムを整えるために、意味のない枕言葉だとか対語が使われます」と述べて、わらべうたの中にも「大寒小寒」「大雪小雪」など例句はたくさんあると指摘している。また、北原白秋にも「栗鼠栗鼠小栗鼠(りすりすこりす)」「涼風小風(すずかぜこかぜ)」「仲よし小よし」など同様の例がたくさんあると述べている。

 揚げ足を取るつもりはないのだが、これらのわらべうたや白秋の例は語調を整えるということでは共通しているが、成り立ち自体はかなり異なる気がする。たとえば「大寒小寒」だが、この「大」はもともとは感動詞の「おお」だったという説もある。「おお!寒い!」というわけだ。この「おお」が「大」になり、「大」に対する「小」がついて「大寒小寒」になったという説明もできるのである。

 また、白秋の例の「涼風小風(すずかぜこかぜ)」だが、「涼風」はもちろんすずしい風のことだが、「小風」も意味のない語ではない。そよ風のことなのである。つまり白秋はすずしい風とそよ風をリズムよく並べたことになる。

 「仲よし小よし」だけは「小よし」には意味がないので、成り立ち的には「夕焼け小焼け」に一番近いかもしれない。

 ところで、「小焼け」は「夕焼け」につくのだから「朝焼け」にもつけられるだろうと考えた童謡詩人がいた。金子みすゞ(1903~30)である。皆さんもよくご存じの「朝焼小焼だ 大漁だ」で始まる『大漁』(1924年)という詩がそれである。


https://www.asahikogakuki.com/blog/%E3%80%90%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%A5%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8E%E5%A4%95%E7%84%BC%E3%81%91%E5%B0%8F%E7%84%BC%E3%81%91%E3%80%8F%E3%81%AE/ 【自然界の法則にもとづいた『夕焼け小焼け』の意味とは】より

昔から馴染の深い童謡などの歌詞には、音の数で韻律を組み立てたものもありますが、自然界の法則にもとづいて作詞されたものも少なくありません。

文部省唱歌として有名な『夕焼け小焼け』の「夕焼け」と「小焼け」について科学の眼からみると、それぞれ意味があるといわれています。

太陽が沈むときに空が真っ赤に染まる現象が、よく知られる「夕焼け」です。

対する「小焼け」は、沈んだ太陽に照らされた空がもう一度赤くなることをいいます。


https://blog.goo.ne.jp/jn0219/e/df20eb47079609147aee7653352cb5d9 【「夕焼け小焼け」の「小焼け」とは?】より

今年の合唱祭で歌う曲は、「夕焼け小焼け」と「アカナー(沖縄のわらべ歌)」になりそうです。どちらも夕焼けを歌っている、ということで。

そんなわけで、「夕焼け小焼け」の「小焼け」がどんな意味なのか、先日の練習のときに、ちょっと話題になりまして…

「夕日が沈んでからの夕焼けを小焼けと言うんだと思う」

「いや、単に、言葉遊びでしょう。大波小波とか、大寒小寒、仲良しこよし、とかみたいに…」

いろいろ言うて、まとまりませんので、ちょっと調べてみました。

★その1

「小焼け」という言葉に意味があるか、つまり単独で使われる言葉なのか…

図書館にある国語辞典類を片っ端から探しました。

広辞苑、大辞林、日本国語大辞典、新明解国語辞典…などなど約10種類。

しかし、いずれも、「小焼け」という項目はありませんでした。

オンライン学術用語集にも、「小焼け」の項目はありません。

ちなみに、「夕焼け」は気象学編(増訂版)にのみ載っているとのこと。

goo辞書及びYahoo!辞書では、

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こやけ 【小焼け】

「夕焼け」と語調をそろえていう語。

「夕焼け—」

[ 大辞林 提供:三省堂 ]

-------------------

と、いうのが見つかりました。辞書ではないサイトに、夕焼けこやけの「こやけ」、仲良しこよしの「こよし」の意味を教えて下さい。

というのがありました。そこからたどっていくと、『太陽が沈んで10~15分するともう一回空が赤くなります。これが「小焼け」と言うのです。』という説明のあるページにたどり着きました。他にも、この表現はいくつか見つけたのですが、どうも、ネット社会の孫引きのようで、つまり、出典がはっきりしません。

基本的に、辞書類に掲載されていないことから、どこかの地域、又は集団などで使われているローカルな言葉が、ネット社会で広がっていったのではないでしょうか。

それに、「朝焼け小焼け」(たとえば、金子みすゞの「大漁」など)という場合もあるし…

これは太陽が昇る方だから、まったく当てはまりませんよね。

ということで、【「小焼け」そのものには意味はない】というのが、私の結論です。


https://tamaranzaka.net/yuyake-koyake/ 【夕やけ小焼けの、もうひとつの意味 八王子】より

八王子市上恩方町。夕焼け小焼けの作詞者「中村雨紅」の出身地であることから、「夕焼け小焼けの里」としてよく知られています。

そういえば、JR八王子駅のホームに流れるメロディーも夕焼け小焼け。数ある童謡の中でも、最も有名なもののひとつですね。

今回はそんな「夕焼け小焼け」にまつわるお話です。

夕やけ小焼けで足が棒に?

中村雨紅(なかむらうこう)が、夕焼けに染まる故郷をイメージして作詞したといいます。

それも実際に八王子駅から上恩方までの約16キロの道のりを、徒歩で帰る途中だったというのですから驚きです。

当時(大正8年)雨紅の勤務先は荒川区日暮里、まさか通勤していたわけではないでしょうね。交通インフラの発達した現代ですら、それはかなり無茶な通勤距離です。

小学校の音楽教師であった雨紅は、きっと日暮里に下宿でもしていたのでしょう。

夏休みにでも入って、八王子の実家まで電車で帰ることにしたのだと思いますが、

当時の山手線はまだ環状運転ではなく、「Cの字」運転だったらしく、Cの上部は上野駅。

従って雨紅は田端と池袋で乗り換え、新宿に出たものと想像されます。

(調べてみると、どうも運転区間がこま切れだったらしいのです)

新宿からやっと中央線に乗って八王子まで、どのくらいの時間がかかったのでしょうかね?

しかし最も長時間を要したのは、八王子駅から上恩方までの「徒歩区間」に違いありません。

上の地図を御覧頂ければわかる通り、ここを歩く気はしませんね、普通。

でもバスもタクシーも無ければ、歩くしかありません。

すっかり夕焼け小焼けで日が暮れてしまった頃に、やっと辿り着いた我が家。

その道すがら、足を棒にしながら雨紅は何を思って言葉を並べたのでしょうか?

驚くべき詞の解釈は、記事の最後に御紹介します。

山のお寺の鐘は、只今工事中?

「興慶寺」 歌詞の中に出てくる「山のお寺」、許可を得て撮影させて頂きました。

山の中腹に鐘楼が見えます、この鐘が鳴ったんですね。

あいにく鐘楼までの通路が工事中で通行出来ず、このアングルからの撮影のみとなりました。

まさに「山のお寺」です、行くのはちょっと大変でしたが、静かでしんみりとした良い所です。「宮尾神社」 雨紅はここの宮司の息子さんでした。(次男か三男か両説あり)

石段の左側に「夕焼け小焼けの歌碑」が見えます。これが歌碑です、雨紅直筆と言われています。実は歌碑の写真を載せることは出来ても、ブログ記事に歌詞を記すことができません。

中村雨紅没後まだ50年経っていないため著作権が存在し、無断で掲載するわけには行かないのです。

但し作曲者の草川信は没後50年以上経過しており、曲の著作権は切れています。

その歌詞についてですが、雨紅が故郷の情景を記したものであることは前述しましたが、

もうひとつの「夕焼け小焼け」があるらしいのです。

或る童謡研究者の解釈によると、1番と2番を通じて特別な意味になるといいます。

容易に信じられない話ではありますが、敢えて御紹介しておこうと思います。

2番の歌詞、御存知ない方はどうぞググって下さい。(^^;

おててつないでみな何処へ?

「夕焼け小焼け」が中村雨紅によって作詞されたのは大正8年のことでした。

その後草川信によって曲が付けられ、公に発表されたのは4年後の大正12年のことです。

その大正12年9月1日に関東大震災が発生しました。

震災によって親を亡くした子供が大勢いたことから、そうした子供達を励ます意味で、

この「夕焼け小焼け」の歌が急速に唄い広められていったというのです。

山のお寺の鐘が鳴る

お寺は死者を弔うところ。

亡くなった父さん母さんの魂は、お寺がちゃんと供養していますよ。

ほら鐘が鳴っているでしょ。

カラスは死者の使い

天国の父さん母さんが迎えをよこしてくれました、

お手々つないで、皆で帰りましょう。

子供達は喜んで父さん母さんの元へ帰ってゆきました。

子供が帰ったあとからは・・・ 空にはきらきら金の星。

天に帰った子供達は、夜空の星となりました。

いったい何処が励ましになっているのか、さっぱり分かりませんが、ここは現代人の感覚で判断してはならない所でしょう。

時代は大正、親を亡くした子が幸せに成人出来る時代だったかというと、やはり疑問です。

まだまだ世相は暗く、厳しいものだったのではないでしょうか。

子供の頃何も考えず口ずさんでいた童謡も、それなりの研究者の手にかかれば、思いもかけない意味と、その時代が浮き彫りになります。

午後4時30分、この記事を書いている最中に窓の外からチャイムの音が聞こえて来ました。

そのメロディーはまさしく「夕焼け小焼け」。

本当に夕暮れが早くなりましたね、季節の移り変わりの速さを感じます。

この曲を「夕刻のチャイム」として採用している自治体が多数あると聞きます。

読者の皆さんのところでは、何が流れていますか?


https://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10001841/0/kouza/section4.html 【韓国の仏教学者に教えられたこと】より

 実は私が日本人の夕陽信仰といったものに深い関心を持つようになったのは、韓国の仏教学者の先生から教えられたからであります。

 今から10年前でありますが、東京で『日韓フォーラム』という国際会議があり、私も出席して日本の宗教について話をしました。それにコメントをして下さった方が李箕永先生という韓国を代表する仏教学者です。そのシンポジウムが終わりまして、最後のパーティで、その李先生と私はブドウ酒を飲みながら歓談しました。だいぶ酔っ払ってきたあたりになって、李先生が突然こういうことを言われました。

 「自分は日本人がとてもうらやましい。なぜならば仏教というすばらしい宗教が、多くの日本人の心の隅々にまで浸透しているから。自分は仏教を半生研究してきたけれども、何せ韓国は儒教社会だ。だから日本人がうらやましい。」

 とこう言うんですね。私は酔っ払っておりましたけれども、はっとしました。当時の私は、全然そう思っていなかったからであります。いやとんでもない。確かに日本には仏教が伝えられたかもしれないけれども、それは頭の上のことだけだと。自分も含めて、日本人が豊かな仏教信者であるとはとても思えませんと反論したら、李先生はこう言いました。

 「いやいや、あなたがた日本人はあの『夕焼け小焼け』という童謡を歌うでしょう。」

 これは突然のことで驚きました。酔っ払っておりましたから、実際には歌えませんでしたけれど心の中で口ずさんでみました。そのときはっと、ひょっとしたら李先生のおっしゃるとおりかもしれない、と思いました

 歌ってもいいのでありますが、今日は風邪をひいておりますので・・・では歌いましょう。(拍手) ご唱和ください。

夕焼け小焼けで 日がくれて

山のお寺の 鐘がなる

お手てつないで みなかえろ

からすといっしょに かえりましょう

 どうもありがとうございました。(拍手)

 この『夕焼け小焼け』を作った詩人が、中村雨紅という人であります。東京の八王子の神主の息子さんです。東京の師範学校に入り八王子と東京の間をしょっちゅう往復しておられる。お帰りになるとき八王子の西の山に沈む落日を見て、それが深い印象に残った。後に女学校の先生になって、この詩を作った。大正11年のことだったと思います。関東大震災の直前であります。

 面白いことにちょうど時を同じくして、『あかとんぼ』の歌が作られているのです。これは三木露風作詞・山田耕筰作曲の名曲ですよね。“夕焼け小焼けのあかとんぼ”であります。大正年間に作られたこの『夕焼け小焼け』と『あかとんぼ』はその後15年間続く日本の暗い時代を歌い継がれていくわけです。私はあのつらい戦争の時代、多くの日本人の心をなぐさめ、支えた歌として、この2つの曲が存在していたと思います。あまりそういうことを言う人はいませんけれども。

 「夕焼け」というものを見たことがありますか?と私はいろいろな人に今まで聞いてきました。戦地から引き揚げ、苦難を乗り越えて日本にお帰りになった方々が異口同音に、苦難の生活の中で、いろいろな夕焼けを見て心のなぐさめを得たと目を輝かせて語り始めました。一体なぜだろうという疑問が前からございましたが、それが李先生の言葉によって、スーッと解けていくような気がしたのであります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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