Facebook俳句大学投句欄からのお知らせ! 〜松野苑子先生の「一句鑑賞」の御礼〜
○「一句鑑賞」、9月の1ヶ月お忙しい中にも関わらず、大変お世話になりました。
○一句鑑賞コーナーは担当された方に大変な労力を費やしていただくことになりました。
○しかし、このコーナーは大変好評で、投稿の方が励みになり、楽しみにされていまし、何より現在では俳句大学投句欄の看板になっています。
○今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
【松野苑子先生ご紹介】
1947年山口県生まれ、現在藤沢市在住。昭和49年作句開始
「好日」「坂」「鷹」を経て平成12年「街」入会。現在「街」同人会長。俳人協会会員。
第8回俳句朝日賞準賞受賞。第62回角川俳句賞受賞。
句集に『誕生花』(本阿弥書店)、『真水』(角川書店)、遠き船』(角川書店)。
2009年から2021年までの句を収録。東日本大震災、俳句へ導いてくれた母の死、新型コロナウイルスの蔓延、自身の手術と続いた日々のなかで、生きている一瞬一瞬を俳句という器に込めた、第3句集。
第3句集『遠き船』(角川書店)の「あとがき」
(前略)『真水』上梓の後、東日本大震災、俳句へ導いてくれた母の死、新型コロナウイルスの蔓延、乳癌の手術と続き、『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試しなし」の言葉が身に沁みます。
けれど、青く輝く星の地球、その中の水と緑と四季に恵まれた日本に生まれ、最短の豊かな詩である俳句に出会えた幸せと、出会えたことで、この世に生まれた喜びも意味も深くなったという思いは、変わることはありません。
※ 大井恒行の日日彼是より
https://ooikomon.blogspot.com/2022/05/blog-post.html?m=1&fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR3EDnwxR8T-zq7P3bp-fgxI3wBaojSOAkqtPX8zusHe5HCM59nSLJ9ZAsM_aem_Cj6Dh1KCrD8VXgqWClI2fw【松野苑子「皆マスクして異界へと行く電車」(『遠き船』)・・】 より
松野苑子第3句集『遠き船』(角川書店)、その「あとがき」に、
(前略)『真水』上梓の後、東日本大震災、俳句へ導いてくれた母の死、新型コロナウイルスの蔓延、乳癌の手術と続き、『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試しなし」の言葉が身に沁みます。
けれど、青く輝く星の地球、その中の水と緑と四季に恵まれた日本に生まれ、最短の豊かな詩である俳句に出会えた幸せと、出会えたことで、この世に生まれた喜びも意味も深くなったという思いは、変わることはありません。
と記されている。集名に因む句は、
春の日や歩きて遠き船を抜く 苑子
であろう。ともあれ、愚性好みに偏するが、幾つかの句を以下に挙げておきたい。
仔馬いま脚Xに立ち上がる 海鳴りの寂しさ集め草氷柱
コスモスの隙間の空気くすぐつたい 蛇のあと水に模様のあらはるる
耳鳴りの呪文の中を去年今年 緑さす泡吹き虫は泡の中
草笛に草の味してまだ鳴らず 数えへるとすぐ散る雀原爆忌
母(享年九十六) 息せねば母は骸や夏の月
満月の夜の体を洗ひけり 一本の後ろ無数の曼珠沙華
手に受けて形代のその薄さかな
松野苑子(まつの・そのこ) 1947年、山口県生まれ。
https://ooikomon.blogspot.com/2022/10/blog-post_25.html 【黛まどか「落葉して落葉してまだ落葉せる」(『北落師門』)・・】より
黛まどか句集『北落師門(ほくらくしもん)Fomalhaut』(文學の森)、その「あとがき」に、気がつけば前句集『てっぺんの星』から十年が経っていた。今年私は還暦を迎える。(中略)
初句集『B面の夏』の刊行からほぼ三十年の月日が流れた。俳句を始めてから今日まで私はどの協会にも属さず、俳壇とは距離を置いて独自で行動してきた。そのことで、多少の生きづらさを感じたことはあるが、他方、俳壇外の多くの人々との出会いに恵まれた。また、俳壇や俳人としての自分を、外から見つめる目を持つこともできた。
タイトルの「北落師門」は、南の魚座の首星フォーマルハウトの中国名だ。旧都長安の城の北門を指す。別名「秋のひとつ星」。明るく輝く星が少ない晩秋の夜空にあって、南天にぽつんとともる孤高の星だ。クルーズ船で出会った元船長の石橋正先生に教えていただいた。以来北落師門は私の心にともり、輝き続けている。句集名を『北落師門』とした所以である。
とあった。また、「あとがき」の後のページに「追而書」として、
まさにこの稿を書いている時、期せずして石橋正先生のご子息から一枚の葉書が届いた。御尊父の訃報を知らせるものであった。句集『北落師門』の名づけ親とも言える石橋先生に拙著をお見せできないことは残念である。
ご子息によれば、生前「自分は死んだらオリオン座に行く」とおっしゃっていたそうだ。オリオン座が高きに輝く一月に、先生は旅立たれた。
ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。
福島県飯舘村 ひたすらに雪を重ねて村眠る
福島県昭和村 糸積みの婆を冬日の離れざる
飯舘村 帰らうとすればかなかなしぐれかな
伊勢神宮式年遷宮 空澄んで水澄んで神遷(うつ)りけり
二月二十一日、三津五郎さん逝去
ひとさし舞ひて凍鶴となりにけり 水と金魚揺れをひとつに曳かれゆく
多佳子忌や胸の高さに波崩れ 月よりも橋が朧の祇園かな
しかすがに水の香放ち草いきれ 踏切の向かうも風の花野かな
きりもなく砂盛る遊び蝶の昼 ちちははに遅れて浴ぶる落花かな
父 十月一日「中秋」に退院
今生の月を見てゐる背中かな 竹煮草しるべ通りに来しはずが
父へ
現し世を抽んでて咲く朴ひとつ よき音を立てて澄みゐる忘れ水
父の忌日「秋水忌」に
夕星に泛ぶ山なみ秋水忌 水澄みて山澄みて父澄みゆける
パントマイムとり囲みたるマスクかな
ロシア軍、ウクライナに侵攻
白鳥の帰りゆく地を思ひをり
黛まどか(まゆずみ・まどか) 1962年、神奈川県湯河原町生まれ。
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