https://news.yahoo.co.jp/articles/166a1b3332c027cfe00bc64d771793570c980d5b 【「水のように自由でありたい」竹中直人 「どこに出会いが転がっているか分からない」仕事選ばず】より
「くだらないことが昔から大好きなんだ」と笑顔で語った竹中直人(カメラ・小林 泰斗)
俳優の竹中直人(68)が、芝居や映画監督、音楽、執筆、アートと枠にとらわれない“表現者”として円熟味を増している。24日には、新作エッセー「なんだか今日もダメみたい」(筑摩書房刊)を出版し、同日から個展「なんだか今日はだめみたい」(7月6日まで、東京・銀座の巷房)を開催するなど活動は多岐にわたる。お笑いからスタートした道のりを振り返り「水のように自由でありたい」と理想を語った。(奥津 友希乃)
記者を待ち受けていたのは、ダンディーな声でのあいさつではなく軽快な口笛だった。あまりのうまさに「息を吹く、吸う感覚、どっちなんですか?」と聞くと、「これはね、吸ってるんです」とニヤリ。エッセーには、口笛に関する失敗談もつづられ「今日はうまく吹けるんだけどなあ~」とビブラートが部屋中に響いた。
目を引くのが、奇抜でシックなファッション。洋服は自己表現の一部というより「弱い自分を変えてくれる存在」でパワーの源だという。デザイナー・川久保玲氏のブランド「コム・デ・ギャルソン」に学生時代に心奪われ、「綿麻混紡なんて、その時初めて聞いたしね。こうして買えるようになるなんて…」と愛用でもあり、永遠の憧れでもある。
この日の服も衣装ではなく自前。眼鏡は「40年の付き合いの『白山眼鏡』でシルエットがいい。さっきまで一般紙の取材は色なしだったんだけど、報知新聞さんなら色付きもいいかなって」と、媒体によって掛け替えるこだわりぶりだ。
洋服に関するルーチンには、17歳の時に亡くした母の教えがある。「『明日着る物の支度は前日にする』というのが母の教育だった。だから今も『明日はこのジャケットで行こう』って寝室の横に必ず用意してから寝ています。もういい歳(とし)なんだけど…」とちょっと照れくさそうに明かす。
キャリアの出発点は、お笑いだった。8ミリ映画製作に没頭した多摩美大在学時の77年、TBS系「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」に友人の推薦で出演し、いきなりチャンピオンに。新劇に憧れて「青年座」の研究生に合格した時は、入学金30万円を工面すべく「“3分間で人を笑わせたら賞金30万円”ってイベントに出て優勝しちゃった」と、コメディアンとして脚光を浴びた。
20代の記者を横目に「知らないでしょ? もっと髪がふさふさだった頃に、こんなのをね」と、鉄板ネタ“笑いながら怒る人”や、ブルース・リーのものまねを披露。コミカルなイメージとは裏腹に、幼い頃から性格は内気で、デビュー当時も「自分がやることが面白いはずがない」と不安や恐怖が根底にあった。
「昔から自分に対するコンプレックスがすごくあった。だから『ものまねや芝居=自分じゃない何かになれる』という感覚で。だけど芸能界は苦手で、テレビに出てみんなが笑うのが怖かったし、自分なんか1年で消えると思っていました」
自身の中では「芝居」「お笑い」に区別はなかった。とにかく生きるのに必死だった。27歳で出演した「ロケーション」(84年公開)の撮影時、森崎東監督の忘れられない言葉がある。
「僕はお笑いでデビューしていたから『きっとこの映画でも面白いことやってほしいんだろうな』って決めつけていたわけです。そうしたら監督は『余計な芝居はするな! お前のままでやれ!』って」と一喝された。胸にじんわりと感動が込み上げ「僕個人をちゃんと見てくれているんだって、その思いがとてもうれしくて、近くのひまわり畑でしばらく泣きましたね」。40年たっても鮮明に脳内で再生できる宝物のような思い出だ。
理想は、敬愛するブルース・リーの名言になぞらえ「水のように自由であること」。枠にはまらず、どこまでも柔軟に生きる。日程が合えば仕事は断らず、作品選びも役づくりもしない。
「どこに出会いが転がっているか分からないし、台本読んでからなんて言いたくない。役づくり? ダッサイだろう。役をつくるのはお客さんだし、見る人それぞれの価値観にもよるだろうし。個人的な意見ですけど、役者はただ、せりふを言っていればいいんだと思います」
7月26日公開の映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」では、キャリア5度目の豊臣秀吉を演じる。
「5回やろうが常にゼロ。(96年NHK大河)『秀吉』でプロデューサーがみんなの反対を押し切って僕に秀吉を任せてくれた時から、今回まで何回やっても全部新鮮だから。芝居って飽きないし、役って深いです」
現在は、野田秀樹氏演出の舞台「正三角関係」の稽古中。大勢の客前で演じる舞台は「恥ずかしくて照れくさい。何を信じてそんな人前で芝居やれるんだよ~」と体をゆらゆらと揺らす。
「だけど、毎日同じことを繰り返すのはとってもドラマチックだし、そこが演劇の魅力。何より野田さんが俺ごときをまた呼んでくれたんだ。恥ずかしいなんて言ってる場合じゃない。死に物狂いでやるんだ!」
取材後、撮影のために出た屋上から街を見渡し「生活が詰まってるなあ、みんないろいろあるんだろうなあ」とポツリ。「落ち込んだら、はい上がるしかない。だけど別にそのままだっていいでしょ、そのままでも」。澄み切った青い空に向かって、また軽やかに口笛を吹いた。
◆竹中 直人(たけなか・なおと)1956年3月20日、横浜市生まれ。68歳。多摩美大卒。劇団「青年座」を経て、77年頃から松田優作さんらのものまねなどで認知され、多くのテレビ番組に出演。91年、「無能の人」で初メガホンを執り、これまで映画11作を監督。主な出演作は「Shall we ダンス?」「のだめカンタービレ」シリーズなど。家族は妻・木之内みどりと1男1女。
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