Facebook長堀 優さん投稿記事
アーティストで作家の篠崎崇先生からお声がけがあり、先週末、久しぶりにお会いしてきました。
これまで篠崎先生からは、数々の貴重な示唆をいただいてきました。
東大名誉教授で血液学の大家である故高久史麿先生を私にご紹介されたのも篠崎先生でしたが、新刊「日本の秘史をめぐる旅」の千島学説の章では、高久先生との交流がとても重要なエピソードとなっています。
このようなありがたいお師匠さんが私の周りにはたくさんいらっしゃり、私の常識はずれの活動を支えてくださっています。感謝しかありません。
高久先生が熱心にサポートされた篠崎先生のアートは、ビバリーヒルズの美術館や、ハーバード大学主催の学会でも発表されていますが、じつは日本ではまったく評価されていません。
川崎市の岡本太郎美術館では、岡本太郎生誕百年記念事業として、篠崎先生の作品展を開催し、東大、理研、天文台と組んで画期的な宇宙的展示を試みたにもかかわらず、メディアに取り上げられることはありませんでした。
篠崎先生は、今も地元の宇都宮でテニスクラブとガス会社を経営されつつ、作品を制作し続けているのです。
今回は、新刊「究極のメシア」に沿ったお話をお聞きしましたが、同じ頃に出版した私と示し合わせたかのようで、超古代史、ホツマツタヱなど,いくつものテーマが重なっていることに驚きました。
偶然とは思えず、読み進めながらまるで答え合わせをしているかのような感覚にとらわれました。
「究極のメシア」の大きなテーマの一つが、岩手、そして宮沢賢治でした。
宮沢賢治は、でくのぼう出版創業者の山波言太郎先生が熱心に研究され、社名の由来にもなっている岩手の生んだ偉大な詩人です。
岩手は、蝦夷のアテルイ、モレが治めた土地ですが、中央から見れば逆賊であるアテルイ、モレは坂上田村麻呂に敗れ、都で処刑後、京都の清水寺に埋葬されました。
清水寺は、太秦の広隆寺の方角に面しているとされますが、その広隆寺には、国宝第一号である弥勒菩薩が保存されています。
弥勒ミロクは、666、十八番につながります。
賢治が岩手をイーハトーブと呼んだ理由について、篠崎先生は、この十八番にちなんでおり、イーハトーブとは十八東部、そして、清水寺・広隆寺がイーハセーブになる、と推測します。
この先、ミロクの世を迎えるにあたり、イーハ、オハコ、十八番、つまりお得意なことを皆が行なっていけば、神から末広がりにエネルギーが無限に降り、世の中が調和されていく、これからは、イーハトーブとセーブがとても重要な場所になる、と篠崎先生は述べます。
イーハトーブ岩手の出身で、超人的な活躍ぶりを見せる大谷翔平選手も、岩手、ミロクを巡る動きと無関係ではないのかもしれません。
大谷選手の活躍を見るまでもなく、これまでも日本は世界を驚かせてきました。
ヨーロッパは植民地を利用して二百五十年かかって先進国となりました。
アメリカは、金を使って世界各国の優れた人間性を集めて必死に先進国となりましたが、百年かかっています。
しかし、日本は誰の力も借りず戦後の何もない状況から二十年で世界を席巻しているのです。とんでもないことなのです。
ご存知の方も多いと思いますが、現代の世界の軍事技術は、日本の技術抜きには考えられなくなっています。
世界を騒がす軍事大国のテクノロジーの根幹を握っているのは実は日本なのです。日本には世界平和に向けて大きな責務があると言えます。自信を失っている場合ではありません。
宇都宮からほど近い日光東照宮の馬小屋に、三猿の彫刻があります。
この猿は猿田彦であり、日本古代の秘密を「見まい、聞くまい、話すまい」と封印していると言います。
その秘密には、馬小屋に象徴される人物と猿田彦の関係も含まれているのかもしれません。
眠り猫は、今の日本人を象徴しているかのようですが、その目覚めを待っている存在がいることも忘れてはなりません。
日本人のオハコ、得意なことは、和合、調和を目指すこと、一人一人の意識を高くし、この先何が起ころうとも覚悟を持って乗り越えて行くことが大切となります。
いろいろなことを考えさせられた篠崎先生のお話でした。
また早々にお会いすることになってます。次回はどんな話になるのでしょう。いろいろ目まぐるしくなってきました。
ここには書けないこともたくさん記されています、よろしければ「究極のメシア」をお読みになってみてください。
https://www.nippon.com/ja/views/b05802/ 【イーハトーブ-宮沢賢治が追い求めた理想郷】より
宮沢賢治の作品を読み解く上での重要なキーワードに「イーハトーブ」がある。彼の心の中の理想郷とも言うべきこの言葉は、故郷の岩手をモチーフに生まれた。賢治生誕120年を迎えた今、この言葉の意味を中国人の賢治研究家が再考する。
朝日新聞が2000年に実施した「この1000年で一番好きな日本人作家」のアンケート調査で、世界的作家といわれる三島由紀夫、ノーベル文学賞受賞者の川端康成や大江健三郎を上回り、宮沢賢治が4位に入ったことがあった。
岩手県花巻市に生まれた賢治は、裕福な宮沢家の家業を継がず、農業への科学的な指導や啓蒙を通して、「知行合一」の生き方を実践した。その傍ら、『銀河鉄道の夜』などの代表作を含む100余りの童話や寓話、1000余りの詩や文章を書いた。生きている間は無名だったため、生前、原稿料をもらったのは『雪渡り』1篇だけである。
37歳の早世が惜しまれるが、彼の死後、遺された原稿が評価され、今も作品は教科書に載り、テレビ作品や映画になり、音楽に奏でられ、22の言語に翻訳、多数の国々で出版されている。そして岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館には世界各国から多くの賢治ファンが訪れている。
イーハトーブは賢治の心の中にある理想郷だ。賢治が生まれた岩手の風土がそのモチーフになっている
賢治の詩のチカラ
賢治作品を読み解く際、彼自身の造語であるイーハトーブという言葉を常に念頭に置くべきであろう。賢治の心の中にある理想郷を示すこの言葉は、地震や津波など、幾多の自然災害と向き合ってきた賢治の故郷である岩手県が、そのモチーフとなっている。
2011年3月の東日本大震災。未曾有の災禍(さいか)に対して、絶望と無力感に打ちひしがれながらも、東北地方の人々は立ち上がることを忘れなかった。震災から一カ月たった頃、賢治の「雨ニモマケズ」はネット上で4万件以上のアクセスがあったことが明らかになった。賢治の詩は前を見つめて歩き出した人々の、災害に負けまいとする魂を励ましたのである。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(よく)ハナク
決シテ瞋(おこ)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
「雨ニモマケズ」の草稿
越境するイーハトーブ
イーハトーブは東北地方に限定されず、故郷の海岸や延々と続く丘や山々を超えていく。そして大洋の島々まで伸び広がり、砂漠と大陸を横断し、東方と西方にまたがった理想郷へと昇華していった。さらに『銀河鉄道の夜』で描かれた透明な軌道を走り、はるか天空まで昇りつめ、「永久の未完成これ完成である」(『農民芸術概論綱要』)の彼方へ、永遠へと向かうのである。
賢治はすさまじい精神力でイーハトーブの世界を描き続けることで、生命を燃え尽くした。そして今、私たちは作品の中に描かれたイーハトーブによって、賢治が追い求めた夢とは何かを知るのだ。
宮沢賢治と中国
環境問題への意識がまだ普及していなかった100年ほど前、宮沢賢治はその概念を創出して昇華させ、さらに作品の主題として取り入れた。そしてそれを「イーハトーブ」と自ら呼んだ。
賢治のこのような時代を先取りした意識の源は、有史以来の中国思想に深く関係している。春秋戦国時代の老荘思想では人間と環境に対する関係性が説かれた。万物が混成していると主張する斉物論(せいぶつろん)は、人間と自然界における多様な生命が相互に作用して融合するという生成観を表している。賢治はこうした老荘をはじめとする東方の賢者の知恵を融合させていたのである。
中国の古典で賢治が最も好きだったのは『西遊記』であったと、弟の宮沢清六さんが明らかにしている。かつて賢治が在学した岩手県盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)の図書館に、当時賢治が愛読した『西遊記』と思われる蔵書が保存されている。
賢治は身体を岩手県の郷里に置きながら、心は西域、天竺への漫遊に何度も旅立った。それは共に北緯40度前後に位置する岩手県とシルクロードを結ぶ心の通路であり、イーハトーブの夢を描く空間であった。日常生活もたびたび西域とシンクロし、時には「悟空」(『春と修羅 第二集』)を呼び出して同行させたり、時には父親への手紙の中に「一躍十万八千里」(1918年2月23日)と旅の心境を表したりした。
西域の古城である「高昌(こうしょう)」の遺跡の写真が宮沢賢治記念館に飾られており、その古城の近くにある「沙車(さしゃ)」や「亀茲(きじ)」(『小岩井農場』)などの地名もたびたび自身の作品に登場させている。彼は『西遊記』に示されている地図に沿って創作の筆を進め、西域の砂漠や上海の夜景を記した。さらに古琴の演奏を楽しむなどして、シルクロードに通じる中国に翔(かけ)る思いを綿々と記述した。
賢治と中国の関係はわれわれに多くの示唆を与えてくれる。中華文明に影響された日本文化の深層においては、アジア的な哲理が常に作用してきた。それは静謐(せいひつ)で調和的な世界観と、万物は常に連動しているという重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なる世界観が融合し、現代に生きるわれわれの価値観を大きく揺さぶってくれるのである。
バナー写真:亡くなるまで時給自足の生活を送った羅須地人協会の建物(岩手県花巻市)の壁に書かれた賢治のメッセージ(撮影=大橋弘)
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