生命倫理

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事

タイミング

生命科学者の柳澤桂子さんは、40年にもわたる闘病生活を経験されました。反復性うつ病に苦しみ、人生の半分を生き地獄として生きながら、魂で生死の「悟り」に至られた方です。

感受性(自然の神秘への驚嘆)がなければ科学する心も育たないと考えられ、生命倫理ということに向き合っておられます。科学というものの考え方がこんなふうに変わったのだといまさら感じます。

肉体を持っているということは辛いのですが、肉体を持ちながらも目覚めることができると教えていただいているように思います。魂の宿る場所として、肉体には意味があるのですね。

西洋と東洋の融合というのがテーマだった時代があります。西洋が象徴するのは、いわゆるデカルト的なものの見方です。たとえからだを機械ととらえて、病はその故障した部分であるから、局所的なアプローチをするといった手法です。

東洋の象徴するものは「全体」です。心身はひとつ。調和をとおして考えるべきと言うアプローチです。

このふたつが出会い融合するところに新しい文化の希望を見いだそうとしたのですね。

いまは、なんでもありでしょうか。偏りもありますが、大きな調和に向って進んでもいます。ひとりひとりに選択が預けられた、そう考えることもできますね。

ここまで時代を引っ張ってきてくれた先輩たちに感謝です。時代がよいとか悪いとか、そういうことは置いて、いつも自分の人生を精一杯生きて、切り開いていたひとたちによって私たちが生かされているという真実です。

ずっとずっと高いところから、私たちを見ている存在を想像します。それは神かも知れません。ご先祖様かも知れません。宇宙それ自体かも知れません。あると感じる、おおきないのちです。

あらゆる可能性がこの世界にはありますね。気づきにも限界はありません。今日の中に、どれほどの宝が埋まっていることか。さあ、目を開いて。つねに目覚めの「タイミング」の中にいるのだと思います。

Facebook森井 啓二さん投稿記事

「誕生」について考えたことはありますか?私は、数多くの出産に立ち会ってきました。

誕という漢字は、「仮の、いつわりの」という意味に由来します。誕に生まれる「誕生」の真の意味は、「偽りの世界に生まれること」。

つまり実在のエネルギー世界から偽り(幻想)である物質世界に生まれること。

誕生と出産は、身魂磨きのために、実在世界から物質世界に生まれてきた勇者を歓迎し、

さらに自らの肉体を地上世界へのゲートとして捧げた母を敬愛する神聖なもの。

誕生した勇者に立ち会った時には、その勇気を讃え、これからの地上での人生を実りあるものとなるよう支えることを伝えます。

死によって物質世界の肉体から離れた時には、実在世界の多くの人や天使が出迎えて、地上での功績を讃えてくれます。

同じように地上での誕生の時にも、周りの人たちが母子を最も大切に敬うことがとても大切だと思います。

https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=2193 【「生命倫理の土台づくり」プロジェクト 第6回研究会報告:日本人の身体観】より

第6回研究会の概要

2008年7月25日、第6回研究会を行った。今回は「日本人の身体観」について、島田顧問から第2回研究会での問題提起を敷衍させた発表をしていただき、討議を行った。

発表では、日本の思想は一般的に、固定した原理を立てず現実に合わせて価値や規範を変えていくという特徴があるため、日本人の身体観を特定するのは困難であることが指摘された。その前提のうえで、強いていえば、日本ではこころがからだに対し優位に立つ心身一元論をとっている、との分析がなされた。こころのありようがからだに表れるのが病気の原因だとする新宗教の身体観がその典型例である。

討議では、こころとからだの関係について、日本の心身観は西洋の霊魂と肉体の概念とどう異なるのか、葬送における遺体の扱いや臓器提供を例に議論が交わされた。

また、日本社会は一つの原理に固執せず、身体観も現実に合わせて変わるものなのであれば、生命倫理上の政策課題への対応として、フランスの「人体の人権」概念を立法の理念として受け入れることも可能ではないかとの提起がなされた。

これに対し、原理を立てない日本は「法なき社会」を理想とするところがあるので、法律をつくるやり方は適合的でないとの意見が出された。それに対しては、現実に合わせて規範を変えていく日本の特質と立法政策は両立しうる、いったんできた法律を絶えず見直していくコストを惜しまなければよいのだ、との反論がなされた。さらに、法なき社会は「権利なき社会」になりかねず、弱者の保護が行き届かない恐れがあるので、やはり立法政策は必要だとの指摘もなされた。日本で立法を実現させるためには、どのような現実の変化が必要なのかを見極めることが、重要な課題になるとの認識がなされた。

出席者:ぬで島、洪、島田、大沼、南條

発表と議論の内容

イントロ

第2回研究会では、日本人の生命観において、「こころ」のありようを巡る宗教的・哲学的思考の積み重ねに比べると、「からだ」については相対的に関心が低かったとの分析がなされた。これは、日本も含め東洋は心身一元論であり、二元論が優勢な西洋に対し、より身体を重視する生命観をもつという従来の認識の見直しを迫る、非常に興味深い問題提起であった。そこで今回は、日本で身体論として語られてきたことの分析を出発点に、日本人の身体観について宗教学的に分析していただくことにした。

[発表]

日本人の身体観(島田)

前提:日本人にとって思想とは

日本の身体論を分析する作業はたいへん困難で、なかなか見通しが立たなかった。だが、日本人にとって思想とは何であったのかをまず理解しておくと、筋道が見えてくることが分かった。

日本の宗教は、「無宗教」であるということができる。それは、特定の宗教・宗派に帰属しないという姿勢であって、個々の宗教や神を否定する態度ではない。明治以後の近代化のなかで「宗教」という概念が初めて導入されたとき、日本人は自らを「無宗教」であると認識するに至った。神社の氏子であっても仏教を否定するわけではなく、寺院の檀家であっても神道を排斥するわけではないからである。

この日本人の「無宗教」という基本姿勢は、ある特定の価値観から法(世のすべてを律する決まり)を定め、それに従って物事を考え判断していくやり方をしてこなかったという、日本の思想一般の特徴の現れである。日本人は、原理原則なしに、そのときどきの現実に合わせて価値と判断の基準を変えて生きてきた。太平洋戦争敗戦後の、軍国主義から民主主義への変わり身の早さは、その典型的な例である。

したがって、日本社会の原理を示す思想はこれである、と特定することはできない。それゆえに、日本人の身体観とはかくなるものである、と示すことが困難なのである。日本の身体論を理解するうえで、これは重要な前提になる。

1 身体論ブーム

日本では1970年代の初め頃、身体論がブームになったことがある。そこでの関心の中心は、心身二元論と一元論の対立であり、それを軸に西洋と東洋の違いを強調することであった。こころとからだは一体であるという見方を主張することが、からだをこころから分離させ操作する対象としかみない、西洋流の近代化に突き進む日本社会の流れに対するアンチテーゼとして、多くの人を引きつけたのである。

思想界で始まった身体論ブームは、からだへの実践的な関心につながり、野口整体、野口体操などの身体と向き合う技法が広まった。とくに野口整体は人の性向を身体から理解する体癖論を中心にした体系性をもっていた。それが現在の古武道のような身体技法の流行につながっている。

しかし、そうしたからだおよび身体技法への関心は、ヨガがダイエット法になったりアロマセラピーがエステになったりしたように、大衆消費社会のアイテムとして商品化されていき、哲学的・思想的な身体論への関心は薄くなっていった。身体論がブームになっても、こころとからだについての体系的な思考はなされなかったのである。

2 日本人の身体観とは

では1970年代の身体論ブーム以前には、日本でこころとからだの関係は考えられていただろうか。

日本の哲学の代表といえば西田幾多郎の『善の研究』だが、その関心の中心は「純粋経験」の探求であった。これは、他の多くの近代日本知識人も関心を寄せたウィリアム・ジェームズの思想に由来するもので、意識の経験であり、身体性をもたない概念である。

それ以外に日本で身体がどう考えられてきたかについて知るには、養老猛司の『日本人の身体観の歴史』(法蔵館、1996年)が参考になる。それによると、広松渉、市川浩、大森壮蔵などの現代哲学者の身体観はすべて基本的に心身一元論であるという。近代以前の日本、たとえば江戸時代には、春画が性器を誇張して表現したように、「脳化した肉体」が基調で、その淵源は道元の禅学にある。西田哲学も現代の身体論も、すべてその延長線上にあると整理できる。つまり、日本の身体観は、心身一元論といっても、こころがからだに対し優位に立つ一元論であるといえる。

3 宗教と身体観:心と体の関係、現代医療との共存

それを最も端的に表すのが、「病は気から」ということばだろう。からだの病気の原因は、こころにある。こころのありようが、からだに表れると捉えるからである。こうした身体観に基づいて、こころ直しによる病治しという、新宗教の基本となる活動が行われてきた。

こうした身体観は、現代医学と共存している。現代医学では、その人がなぜ病気になったかは問わず、個々の症状の治療に専念する。医療の現場では、検査によって数値化された身体機能と、薬によるそのコントロールに注意が集中している。その結果、身体機能の数値が一人歩きし、現実の身体感覚と離れていくことになる。現代医学においては、こころだけでなく、からだへの働きかけも希薄なのである。

こうして、身体機能を示す数値への対処と、病気の原因であるこころの物語への対処という形で、現代医学と宗教的身体観(信仰治療)は共存する。そこではこころがからだに表れるという心身観は消えていない。現代において分離しているのはこころとからだではなく、感覚と数値なのである。

[ディスカッション]

まず、日本の心身一元論は、こころがからだに対し優位だということだが、西洋の霊魂のように、からだがなくてもこころは存在する、成り立つ、と捉えているのだろうか、との疑問が出された。また、こころとからだが一体であるなら、こころがからだに表れるのと逆に、からだのありようがこころに現れることはないのか、との質問もなされた。

それに対し発表者からは、日本ではそうしたこころとからだの関係については突き詰めて考えられてこなかったとの応えがなされた。とくに霊的な存在については、哲学的レベルでは扱われず、先祖供養の対象のような、民俗レベルでしかクローズアップされてこない。密教はそれに対する唯一の例外ではないか、との指摘がなされた。

ではなぜ日本では、こころとからだの関係について突き詰めて考えられてこなかったのだろうか。その背景には、日本人特有の無常観があるのではないか、との指摘がなされた。無常観とはネガティブな虚無主義ではなく、現実の流れに対し、それを受け入れじたばたしないというポジティブな姿勢である。こういう土壌があると、何かの問題が深刻に突き詰められ思想にまでなることがないと考えられる。

次いで、西洋=心身二元論、東洋=一元論という図式について議論がなされた。この図式が妥当でないことは、本研究会ですでに論じてきた。今回の問題でいえば、西洋では霊魂が死後に肉体から離れるというが、遺体はそのまま埋葬し、復活の際に霊魂はふたたび身体と一つになって蘇ると考えられている。それに対し日本では、先祖供養において、遺体は崇拝対象である祖先霊とは別物として処理される。日本人が火葬を簡単に受け入れたのは、そうした素地があったからだろう。いまだに土葬が主流の西洋のほうが、むしろ霊肉一致と捉えているとも考えられる、との指摘がなされた。

したがって、西洋は心身二元論だから、身体は生きていても精神が死んだ状態である脳死を人の死と受け入れ、臓器提供を受け入れたのだという説明も、皮相的に過ぎるといえる。逆に日本では、火葬してしまうなら、その前に他の人に臓器を提供しようと多くの人が考えても不思議ではない。だが現実にはそうはならず、日本では死後の臓器提供は非常に少なく、生きている身内からの臓器提供が主流を占めている。逆に西洋では生体移植には忌避感が強く、ごく少数に留まっている。

その理由は、一つには日本人が基本的に近しい人間関係に支えられて生きているので、身内からの臓器提供に対しても抵抗が薄いからだ、との指摘があった。死後の提供への強い忌避感については、火葬するからといって遺体を粗略に考えているわけではなく、遺骨は非常に丁重に扱われる。むしろ西洋でのほうが、火葬が習慣として根付いていないため、遺骨の扱いが粗略である(ぬで島 「《時評》人体の不思議展と先端手術研修~人の尊厳と遺体の扱いについて~」 参照)。

続いて政策論の観点からの議論が行われた。日本人は特定の原理原則に縛られず、ときどきの現実を受け入れ価値観や行動規範を変える、ということだったが、では、そうした変化の条件は何であるのか、どういう条件が揃ったときに、新しい現実への変化を受け入れるのか、という質問が出された。これは身体観・生命観を政策の文化的基盤と考える際、重要な問題であるといえる。

それに対して発表者からは、明確な基準があるとは思えないが、強いていえば、その時代の大勢になったもの、それに従えば安全に安心に生きていけると考えられたものを、現実として受け入れるという基準があるのではないかとの応えがなされた。

そうであるとすれば、本プロジェクトの問題意識に引きつけていえば、日本には特に固定した身体観はないのだから、フランス流の「人体の人権」概念を立法の理念として受け入れることもできるのではないか、との指摘がなされた。問題は、どのようになればそれが大勢として受け入れられるかである。

生命倫理上の問題は当事者にとっては切実だが、その他の大多数の人にとってはいうなれば人ごとなので、その壁をどうすれば越えられるかが、政策論の鍵になるだろう。マスメディアでの扱いが大きくなれば変わるのではないかとの意見もあったが、それほど単純なことではないだろうとの反論もあった。

政策論として今回の分析から汲み取れるもう一つのポイントは、特定の原理原則に縛られずに、ときどきの現実に合わせてやって行くという基本姿勢をとる日本では、ルールを法律に明記することを忌避し、多くの現実を受け入れる余地を残しておきたいという傾向が強くなる、ということである。これは、日本がこれまで生命倫理分野での立法に対し消極姿勢をとり続けてきたことによく現れている。

発表者は、これは改めるべき通弊ではなく、いわば「法なき社会」を理想とする融通のきく姿勢だと肯定的に捉えるべきであるとの意見だった。フランスでも、生命倫理法で規定のない部分があることに対し、そうした法の空白は埋めなければいけないとの意見が多数を占める一方で、それは空白ではない、自由の領域が残されているということだとの反対意見もある。日本では後者が常に多数であるということだ。

この意見に対しては、二つの面から反論がなされた。

まず、現実に合わせて価値基準と行動規範を変えていくことは、積極的な立法と矛盾しないという意見が出された。法律をつくって、その後現実が変われば、それに合わせて法律も変えればよい。フランスの生命倫理法はたえず見直しをし改正を続けている。日本では法律を固定的に捉えすぎる、それは、議論をして望ましいルールについて合意を形成し法にしていく政策コストを忌避してきた姿勢が原因なので、そこを改めれば、今回指摘された日本人の「原理原則なし」の特性と、生命倫理分野での積極的な立法政策は両立しうる、という指摘がなされた。

また、法なき社会を理想とするやり方では、現在の厳しいグローバル化のなかで、安全安心な社会を保っていけるのか、とくに弱者への保護が行き渡らなくなるのではないか、という反論がなされた。法なき社会は、権利なき社会であるともいえる。非正規雇用者の置かれた状況がこれほど悲惨な問題になってしまったのも、人権について原理原則を主張せず、現実に合わせるだけの社会運営をしてきた結果なのではないだろうか。生命倫理分野では今のところ、同じようなインパクトを持ちそうな問題は見当たらないが、人権に関する問題という点で共通するところはあるので、雇用格差の問題とつなげて、原理原則を主張し明確な形にしていく姿勢を日本で広めるような政策論を展開することができるかもしれない、との展望が提起された。

これらの反論に対しては、原理原則に縛られない法なき社会というのはあくまで理想型で、大事なところには法律はあるという現実を前提にしている、そのうえで法は最小限でいいとするのが日本の大勢であるということだ、との再反論がなされた。

地方分権が実現していけば、中央の縛りが無くなって、法政策面でも自由度が増え、いろいろな方向の展開が可能になるかもしれないとの指摘もなされた。

そうであれば、日本社会においても、ルールの原理を明確にする政策提言に向けた論議を喚起する意義はあると思われる。その際、今回の研究会の成果を踏まえ、次のような異なる角度からのアプローチを考えていく必要がある:

現実の生命倫理上の課題に対し、こころがからだより優位である日本の心身一元論は変化を迫られているか、あるいは適合し対応していけるか

現実に合わせ価値と規範を変えていく日本社会の特質に適合する公共のルールの形は何か。政策提言のアウトプットは、必ずしも法律だけではないのではないか

多くの現実に合わせる余地を残しておくという姿勢は、価値相対主義とどう異なるのか、あるいは同じことなのか。日本社会に適合するのは、決まったルールをつくらないという「政策」なのか。そうであるとすれば、それは個人の自己決定にすべてを委ねる自由主義ないしリバタリアニズムとどう異なるのか、あるいは同じなのか

以上のアプローチを今後の課題として、研究と論議を続けていきたい。

以 上

https://note.com/shinshinohara/n/n16539e65b51d 【心身二元論の起源】より

「デカルトが心と体を別々なものとして主張したから、現代に至るまでいろんな弊害が起きた」と、デカルトを批判する声を本やテレビ番組でも見聞きする。デカルトが心身二元論を主張したということは欧米でも信じられてるらしく、皆がそう言ってるとつい信じてしまいたくなる。

心と体を別々なものとして理解する心身二元論は弊害が大きいのは確か。私達の心は、体調を崩せば正常に考えられなくなる。何か心に深く思い悩むことがあれば体調までおかしくなる。私達の心と体は深くつながっているのに、心身二元論のせいで「気のせい」で片付けられることも多かった。

ただ、心身二元論をデカルトのせいにするのは酷なように思う。心身二元論はデカルト以前のもっと古くからある、むしろキリスト教の唱えた理論に基づいているからだ。

「ゲルマン人の大移動」のために、古代ローマ帝国は崩壊してしまった。その時代に活躍した僧侶が、聖アウグスティヌス。

聖アウグスティヌスの本を読むと、やたら「霊と肉」という二元論が出てくる。霊は英語で言うとスピリッツ、つまり精神とも訳せる。つまり心(精神)と体(肉)の二元論を唱え、西洋に根付かせたのは、聖アウグスティヌスだと言ったほうがよいだろう。

ではなぜ聖アウグスティヌスの言葉がそんなにも西洋に強い影響を与えたのか?

キリスト教の聖典、新約聖書には「ヨハネの黙示録」というのがある。この世の終わりが訪れる(ハルマゲドン)と同時に、神の国が現れ、神の民である選ばれし人間は天国に入れる、という。そこに書かれている内容が。

古代ローマ帝国崩壊という地獄のことではないか、と当時の人たちは考えた。聖アウグスティヌスは「神の国」という本を書き、古代ローマ帝国が滅びるのはこの世の終わり、ハルマゲドンが近い証拠であり、神の国がもうじき現れるだろう、と説いた。社会が崩壊していくのを目の当たりにしてる西洋人は。聖アウグスティヌスのこの言葉にすがるように飛びついた。この世の終わりが近づいているなら、何とか自分たちは天国に入れますように、と、キリスト教にすがった。ゲルマン人の大移動により、古代ローマ帝国のシステムはズタズタに引き裂かれ、機能しなくなっていたが。

キリスト教の教会は、ゲルマン人達による蹂躙から市民たちをかくまい、教会の間で使者が行き来して連絡を取り合った。あらゆるシステムが機能しなくなった古代ローマ帝国崩壊後の世界で、唯一手紙をやり取りしたり人材が行き来するネットワークとして、教会は機能した。

西洋で唯一機能するネットワークとして、キリスト教の教会が機能する中で、聖アウグスティヌスの言葉は唯一の羅針盤ともなった。ここから西洋は中世の時代に入り、キリスト教だけが学問となる世界になるのだけど、そのときに一番の教科書となったのが、聖アウグスティヌスの本だった。

心の動きを霊的なものととらえ、やがて霊=スピリッツ=精神(心)と考えるようになった。他方、キリスト教の僧侶達は肉体をこれでもかとバカにした。心を重んじ、体をバカにした。なぜこんなことが起きたかというと、僧侶は結婚しなかったからだ。というか、エッチそのものを否定した。

いわゆる肉欲から離れることが、天国たる神の国に入るための重要な条件と考えられた時期が長かった。王族が結婚する場合でもエッチしないのが理想、どうしても子孫を残すためにエッチしなければならないのなら、せめて快感は感じないようにすべし、という禁欲を説いた。

そうしたひどく不自然な禁欲こそが神の国に至るには大切、と考える傾向が強く、中世においては、精神(心)をやたらと重視し、肉欲(身体)を軽蔑しまくるという倒錯した世界観が中世に根付いてしまったようだ。

心身二元論は、そうしたところから生まれたものと考えるのが自然なように思う。デカルトはキリスト教をはじめとする宗教に大打撃を与える哲学を創り上げたが、昔からある心身二元論の考え方を克服できなかっただけではないか、と思う。

ではキリスト教はなぜ心身二元論になってしまったのだろう?これは恐らく、一神教であるということが大きいように思う。

聖アウグスティヌスはキリスト教徒になる前、古代ギリシャの哲学者、プラトンの学説にハマっていた。

聖アウグスティヌスは、プラトン哲学が持つリクツっぽさをキリスト教に当てはめて考えた。神を唯一絶対とする考え方にリクツを当てはめると、物事の考え方が中央集権的になる。神が一番、その他はそれに劣るもの、というピラミッドな価値観になりやすい。

心(精神)を、神になぞらえて価値のあるものとみなすと、体(肉欲)はくだらないもの、ということになる。一神教的な世界観をとると、何かが上位で何かが下位になる、という序列思想になりやすい。心身二元論は、こうした一神教のクセのような面があるのだろう。

他方、東洋は多神教的。曼荼羅図なんかは、たくさんの仏だらけ。南方熊楠なんかは、粘菌の研究から面白い発想をしている。

粘菌はふだん、細胞一つ一つがアメーバのように勝手気ままに動いてる単細胞生物。ところがある時から突如、それら単細胞の生き物が群集となって一斉に動き始める。

その群集は、あたかも一つの生き物のよう。つまり、多細胞生物のように動く。そして「あ、この場所いいかも」というところに落ち着くと、一本の木となり、花を咲かせて、胞子を遠くまで飛ばすようになる。胞子はどこかでまた命として芽吹くことになる。

単細胞生物かと思ったら多細胞生物のように心を一つにして動く。そうした生き物の様子を見て南方熊楠は、多細胞生物である人間の心も、細胞一つ一つの小さな心を持ち寄ってできるものではないか、と考えた。この考え方だと、心と身体は一体的に理解することができる。

南方はこうした考え方を「南方曼荼羅」にまとめている。心身二元論を克服しやすいのは、多神教的な考え方なのだろう。西洋人が比較的最近になって心身二元論を批判するようになれたのは、こうしたアジアの世界観を学んだからだと言えるように思う。

こうして考えを進めていくと、心身二元論をデカルトの責任として責めるのはおかしいことになる。なのになぜデカルトのせいに西洋人の人たちまでするのだろう?それは恐らく、西洋人が今もなおキリスト教徒だからなのではないか。

現代のキリスト教においても、聖アウグスティヌスが体系化した教えは、キリスト教思想の土台となっている。心身二元論をキリスト教思想のせいだとしてしまうと、キリスト教を否定することにつながりかねない。素朴なキリスト教徒である西洋の人たちからしたら、心身二元論に批判的になったとしても。

その責任をキリスト教の大御所である聖アウグスティヌスに帰したり、あるいは一神教であることの問題として考えることにためらいがあるのではないか。だから近代合理主義を創始したデカルトに「合理主義のクセに心身二元論を唱えるとは」と責任転嫁しているのではないか。

私はキリスト教徒ではないので、デカルトは単に、古くからある心身二元論を克服できず、そのまま踏襲してしまったに過ぎない、と考えるのが自然だ、と思っている。心身二元論は、キリスト教が一神教であること、聖アウグスティヌスがそれを理論化したこと、に原因があるのだろう。

心身二元論は、たとえば医療の世界に大きな悪影響を与えた。心は心の問題、身体は身体の問題に分けて考え、総合的に捉える治療法の開発がいまもってなかなか進まない大きな原因になっているように思う。そういう意味では、心身二元論は現代社会に今もなお大きな影響を与えている。

ゲルマン人の大移動の頃に定着した考え方が、私達の思考をも縛ってしまう。私達は未だに心身二元論という「思枠」から抜け出したとは言えない。ようやくその問題に気づいたというところかな、と思う。しかし心身二元論の原因をデカルトに求めてしまうような過ちをしているようだと。

宗教を絶対視した世界観に立ち戻れ!という考え方が出てくる可能性もあるだろう。犯人を勘違いし、冤罪をかぶせることは、いろいろ問題があるように思う。

デカルトの思想にはいろんな問題があるが、だからといって、彼の責任でないものまで押しつけるのはおかしい。

心身二元論を克服するには、一神教的思考、多神教的思考それぞれのメリットを加味しながら、私達の心身は実際どうなっているのか、ということを虚心坦懐に観察することが大切だと思う。一つの思枠に囚われず、観察する。そのことの大切さを忘れないようにしたい。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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