https://seitokushodou.localinfo.jp/posts/7159655/ 【長谷川櫂「間の文化」と書表現の「間」】より
中学校三年生「現代の国語3」(三省堂の教科書)に長谷川櫂(俳人)さんの「間の文化」の単元があります。
これは俳人の長谷川櫂さんの『和の思想』という著書の中の第四章「間の文化」という一章です。この評論の学習では「間」を観点にして,我が国の文化の特徴を西洋との対比によって論じる文章を読むことをとおして,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会 の平和と発展に寄与する態度を養うことをねらいとしています。(三省堂 編集趣意書より)
この単元での論旨の紹介と、日本の文化における「間」や、我が国の文字文化である書道の表現における「間」について、整理・考察したいと思います。
1 長谷川櫂氏 『和の思想』 第四章「間の文化」(中公新書)の論旨
あらすじ
和食、和服、和室…、「和」はいろいろな言葉に添えられて日本的という意味を付け加えているにすぎないようにみえます。だが本来、和とは、異質のものを調和させ、新たに創造する力を指します。倭の時代から人々は外来の文物を喜んで迎え、選択・改良を繰り返してきました。漢字という中国文化との出会いを経て仮名を生み出したように。和はどのように生まれ、日本の人々の生きる力となったのか。豊富な事例から和の原型に迫っています。
第四章「間の文化」では、著者は草月流の花道家に「生け花とフラワーアレンジメントはどう違うのですか」と尋ねてみたそうです。すると、「フラワーアレンジメントは花によって空間を埋めようとするのですが、生け花は花によって空間を生かそうとするのです」という明快な答えが返ってきました。そのとき、著者は「この答えは生け花とフラワーアレンジメントの違いをいいえているだけでなく、日本の文化と西洋の文化の違いにも触れているのではないか」と思ったといいます。
そして、著者は「間」の文化というものに気づき、次のように述べています。
「生け花は花を生かすと書くのだから花を生かすのはいうまでもないが、『フラワーアレンジメントとどこが違うのか』という私の疑問に対する『花によって空間を生かす』という即答は花を生かすことによって空間を生かし、その花によって生かされた空間が今度は逆に花を生かすということなのだろう。このように日本の生け花では空間は花によって生かすべきものであって、フラワーアレンジメントのように花で埋め尽くすものではない。花とそのまわりの空間は敵対するものではなく、互いに引き立てあうものとしてある。その花の生けられる空間とはいうまでもなく私たちが呼吸をし、生活をしている空間である。それはそのまま、間といいかえていいものなのだ」
さらに著者は、「間」の文化について以下のように述べます。
「こうして日本人は生活や文化のあらゆる分野で間を使いこなしながら暮らしている。それを上手に使えば『間に合う』『間がいい』ということになり、逆に使い方を誤れば『間違い』、間に締まりがなければ『間延び』、間を読めなければ『間抜け』になってしまう。間の使い方はこの国のもっとも基本的な掟であって、日本文化はまさに間の文化ということができるだろう」
日本画と西洋絵画を比べた場合、余白や沈黙というものに対する日本と西洋の考え方の違いが横たわっているとして、著者は次のように述べます。
「西洋絵画の場合、絵は絵である以上、絵の具で埋め尽くされていなくてはならない。なまじ余白などあれば、それは未完成の絵とみなされてしまう。芸術家は全能の神のように絵を創造するのだから、その手の及ばない余白など決しであってはならない。『松林図屏風』で等伯が描いた松の間のいきいきとした余白などはじめからありえないのだ。
西洋音楽の場合も同じで、それが音楽であるためには音で埋め尽くされていなくてはならない。沈黙など決してあってはならない。おそらくバッハもモーツアルトもそう考えていたにちがいない」
2 日本語の「間」について
長谷川櫂さんの『和の思想』 第四章「間の文化」を読み、日本語の「間」ということばにはいくつか意味があることを再認識しました。
「間」には、①物的空間、②時間的空間、③心理的空間がありますが、物的空間の最たるものは建物の間取りとしての、茶の間、床の間、客の間、空き間などというときの「間」などがあります。
(1)物的空間としての「空間的な間」
物的空間としての「空間的な間」とは「物と物のあいだの何もない空間」のことで、西洋の家屋は個室で組み立てられ密閉されていて、個人主義が生まれてきた背景がよくわかります。
一方、日本の住居と言えば壁が少ないのが特徴で、壁の代わりに襖だとか障子で仕切ります。日本の住居は、「夏をむねとすべし」が基本で、襖や障子は取り外せば広い空間となり風通しがよくなるようになっていました。
日本の家は、床と柱と屋根でできていて、建具で仕切ります。建具は季節とともに入れたり外したりできますし、住人の必要に応じて分けたり大広間にしたりと、昔から自分たちの家の中の空間を自由自在につないだり仕切ったりして暮らしてきました。
日本の夏は毎年猛暑の連続で、いまはエアコンがありますから、現代の日本の生活でっはむしろ壁で囲まれた部屋が多くなっています。時代がかわると、生活習慣、文化まで変わるという典型のようになってきました。
(2)「時間的空間」の「間」
次に「時間的な間」があります。
これは「何もない時間」のことです。芝居や音楽では音のしない沈黙の時間のことを間といいます。
西洋のクラシック音楽はさまざまな音によってうめつくされていますが、それにひきかえ、日本古来の音曲は、音の絶え間というものがいたるところにあります。
西洋の交響曲も、四重曲も、音が絶え間なくつながっています。とくにオーケストラ演奏ともなると音がにぎにぎしいですが、日本の音曲には「間」があります。
太鼓、鼓、琴、三味線、いずれも弦こすって音を出すのではなく、叩いたり、はじいたりして音を出すから、「間」が生じます。舞踊にしてもしかり。西洋のバレエと日本舞踊では「間」が歴然として異なります。
(3)「心理的な間」
空間的、時間的な間の他にも、人や物事とのあいだにとる「心理的な間」というものがあります。誰でも長短さまざまな心理的距離をとることによって、はじめて日々の暮らしを円滑に運ぶことができると述べられています。
長谷川櫂さんの「間の文化」では、日本人は生活や芸術や人間関係のあらゆる分野で間を使いこなしながら暮らしており、「間」の使い方はこの国の最も基本的な「掟」であって、日本文化はまさに「間の文化」といえる、と述べています。
また長谷川櫂さんは、日本の家と西洋の家、日本の音曲とモーツァルトの音楽などを対比しつつ日本の間の文化について論じています。
間に合う。
間ちがい。
間延び。
間抜け。・・・・・
「間」を使った日本語は数多く、「間」を理解しない者は蔑まれる…………
長谷川櫂さんの「間の文化」という評論は、実に論理明解な日本文化論です。
伝統的な日本の芸術、日本の文化にあるものは、「間の文化」であると論を整理しています。
2 書道における「間」について
ここで書道における「間」について考えたいと思います。
書道の学習における「間」とは、「間架結構法(かんかけっこうほう)」と「余白」の二点と考えます。
この二つは書の美を構成する重要な要素であり、その意味では長谷川櫂さんの「間の文化」という評論の内容も書に表現に合致しています。
(1)間架結構法(かんかけっこうほう)
間架結構法(かんかけっこうほう)とは、用筆の一種で、点画の開け方と点画の組み合わせ方を考えて書くこと。間架が点画と点画の間隔の取り方、結構が字形をまとめることを意味します。
(2)余白の美
余白の美とは文字の中にある空間、文字と文字との間に存在する空間、行と行との行間などをさします。
書は『 線質 』とともに『 余白の美 』だとされます。
書芸術は基本的には、白黒、そして落款印の朱の3色でしか構成されていないため、余白が如何に重要かは、そこからも分かります。
(3)書の表現における「間」
「間」は書道では最も重要な役目をしています。
瞬間芸術、時間芸術、と言われる分野、つまり書や音楽と云った、時間の流れの中で制作、或いは演奏される物に於ては、間は作品の命運を掛けています。
音楽で言えば音と音の間、そして音の高低が命です。
書で言えば文字と文字の間、一つの線から、次の線へ移る空間、つまり目に見えないが連動した筆脈の事、そして音の高低が、線の抑揚が書の生命でもあります。
これらを考えると、如何に見えない部分が重要な役目をしているかが分かります。
作品制作に於て、ただ紙面上に書くと云う行為だけでなく、書かない部分の余白、空間を如何に活かすかが作品の決め手になります。
清々しく生かした「間」の取り方は高潔な品格を生み出し、余白の広がりは軽快な筆捌きから生じる穀然とした線質の表情を作り、襟を正させることを感じることもあります。
したがって、書の学習では、書く時の態度に加え、筆の動き方や時間の流れや「間」を意識した書き振りが美しい動きのある書を生み出す要素であり、その意味からも正しい姿を崩さず足を踏み外さない表現により生み出される書の「間」の絶妙さは単なる技法の芸術でなく、 心の芸術であるといえると思います。
高等学校教科書で紹介されている以下の作品では、筆の動き方や時間の流れや「間」を意識した書き振り、余白、作者の意図などを鑑賞していきます。
手島右卿の代表作として知られる「崩壊」 1957年
一般財団法人 光ミュージアム
〒506-0051 岐阜県高山市中山町175
HIKARU MUSEUM 手島右卿記念室 展示作品より
0コメント