詩は世界をつなぐ

https://www.e-surugadai.com/surugadai-selection/%E8%A9%A9%E3%81%AF%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%EF%BD%9E%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87-7.html 【詩は世界をつなぐ~フランス・ポエトリーリーディング見聞録~第7回】より

こんにちは。村田活彦です。パリのポエトリー・スラム報告、続きます。

世界20カ国の代表が集まるポエトリーリーディングの世界大会。その主催者から唐突に「カリブラージュ(お試し審査)のパフォーマーとして舞台にあがれ」と言われたのですが、なかなかお声がかからないやきもきしているうちにも試合は進んでいきます。ちなみに英語圏では“Calibrage”の詩人のことを“sacrificial poet”つまり「犠牲」というらしいのですが、まさにそんな気分。

試合は初日と2日目が一回戦。20人の出場者が5人ずつ4つのリーグにわかれ、それぞれ3回ずつパフォーマンスを行います。そこで勝ち上がるのは各リーグの上位3名、計12人。同様に準決勝で6名が残り、決勝戦を戦います。

ひとつ面白いと思ったのは、得点発表の前のちょっとした儀式。司会者と客席が一緒になってある決まり文句をコールします。それは“le meilleur poète ne gagne jamais!”直訳すれば「最高の詩人は勝たない!」これをみんなで3回叫んでから得点が発表される訳です。うーむ。どう解釈したらいいんでしょう。フランスらしい皮肉? いや「点が悪くても気にするな」「勝負は時の運」というように意訳しておくべきでしょうか。

日本でポエトリーリーディングを10年以上やっていますが、海外でのルールやスタイル、ましてやこの熱気を全く知らなかったなあ…などと感慨にふけっていたところに、主催のPilot氏がやってきて一言。「KATSU、次おまえ出番な」うわ、来ちゃったよ。

一回戦第4リーグ。21時をまわったころで会場は満席。ステージにあがると舞台照明があまり明るくなくて、そのせいか後方の席までよく見えます。各国の代表もいる。パリの「心の友」マークもいる。結果から言えば…失敗しました。DOWN TOWN CAFÉのオープンステージで披露したのと同じ作品をやったのですが、緊張しすぎて集中できず、気がついたら終わっていました。ギアを上げる前にタイムアウトしてしまった感じ。審査員の採点もあったのですがまるで覚えていない始末。客席に戻ると、マークはにこやかに、しかしズバリと「DOWN TOWN CAFÉノホウガヨカッタ」と言ってくれました。ありがとう。そのとおりだ。精進しなきゃ。

しかしこのまま不完全燃焼では悔しい。このエネルギーをどこにぶつけたものか…と思いながら大会プログラムを見ていると、5日目昼のイベントに“Slam National de Haikus”とあります。つまり「俳句のスラム」なんだそれは? 確かにフランスで俳句が人気というのは聞いていましたが、どうやって対戦するんだ? ひとつ参戦してみますか!

というわけで3日後。俳句スラムの会場は、ポエトリースラムW杯と同じホールです。世界大会と比べるとさすがにお客さんは少ない。エントリーをしているのは30人ほどですが、当然日本人は私だけです。トーナメント戦らしいのですが、どういうルールなのか全くわからないまま試合が始まってしまいました。仕方ない、これはやりながら様子をみるしかないな。

司会者に名前を呼ばれてステージに上がると、まず舞台中央に向かって一礼。そしてマイクの前まで歩み寄り、今度は選手同士で礼。なにこれ、柔道とごっちゃになってるんですけど! 続いて司会者が赤と白、二本のハチマキを取り出しました。どちらかを選べということらしい。ハチマキをしたまま句を詠むわけか。司会者も客席も妙に静かで、厳かな雰囲気を醸しています。東洋っぽい演出なんでしょうけど、なんだかシュール。

唯一の日本人選手として負けるわけにはいかない!なんてつい思ってしまいますが、日本で俳句を作っているわけでもないし、あいかわらずフランス語も未熟。真っ当な戦い方じゃ無理です。いっそ邪道で、フランスでウケそうな単語を盛り込んで笑いをとる戦法でいこう。マイクの前に立ち、ひと呼吸おいて、三船敏郎ばりにドスを効かせた声でまず一句。

ピカチュウと NARUTOの国から アンシャンテ

                (Enchanté)

…すみません。俳句じゃないですね。季語もないし。でも客席からはクスクス笑い声が。よっしゃ!

両者一句ずつ詠んだところで判定。三人の審査員が旗を上げます。赤、赤、白。やった!まず一本先取。ていうかこれも柔道じゃないですか!

では二句目

疲れ果て 幾度くりかえす ジュヌコンプロンパ

             (Je ne comprend pas)

パリにてまったく言葉が通じない己を嘆きて詠める。これもなぜだかウケました。3セットやって2勝1敗。無事一回戦を突破です。対戦の最後はもういちど相手に一礼して舞台をおります。

この調子でなんと二回戦も勝ち抜いたのですが、いかんせん付け焼刃。俳句(といっていいのか?)はその場の思いつきだし、フランス語もおぼつきません。結局三回戦で敗退。その負けた相手が、最終的に優勝したのがせめてものなぐさめではありますが。優勝した彼女に「優勝トロフィー」を見せてもらったのですが、モチーフはお風呂に入っているご婦人、そこに折り鶴が添えてあるという謎のシロモノ。しかも実に手作り感あふれています。最後まで味わい深すぎるパリの俳句スラムでありました。

夜。メトロのベルヴィル駅から坂をのぼっていくと、右手にPlace Fréhelという小さな広場があります。「Grand Slam2014」の会場のひとつでもあるこの場所には、椅子とテーブルが並べられています。隣のバーからドリンクを持ってきて飲んでる人もたくさん。そしてポエトリースラムW杯出場者たちのたまり場でもあります。大会も3日目、4日目となると出場者同士仲良くなり、試合後はこの広場で遅くまでくつろいでいます。

私もその輪に加わらせてもらいビールをあおっていました。6月、外で飲むにはいい季節です。ふと思いついて、彼らからビデオメッセージをもらうことにしました。「日本のリーディング詩人に向けてひとことお願い」とカメラを向けると英語、フランス語、ロシア語、デンマーク語、ポルトガル語…それぞれの言葉で語ってくれました。

「俺はChancelier “xero” SkidmoreフロムUSA! 書き続けろ、学び続けろ、舞台に上がり続けろ!」

「スコットランドのMiko Berry だ。日本のスラマーたち、どこにいるんだ? 来年はここで会おうぜ」

ああ、いいなあ。ポエトリーリーディングをやってる奴らが世界中にたくさんいるということ。それぞれのコミュニティで詩を読み、競い合い、表現を続けているということ。そんな奴らが出会い、言葉が違っても文化が違っても昔からの友達みたいに笑いあってる。そうだ、日本のリーディング詩人だってここに参加すればいいんだ。そうやって詩を作ったり朗読したりする楽しみをもっと広げていけばいいんだ。クロネンブルグ1664のビール瓶を片手に、少し酔った頭でそんなことを考えていました。


Facebook新田 修功さん投稿記事  ビートジェネレーションって知ってる⁉️🤔💦

ビートという言葉、ご存知ですか❓若い人たちは、聞いた事がないかも知れませんね。

ビートたけしの事ではありませんよ。でも、たけしさんのビートは、ビートニクからとったという話を聞いた事があります。

1955年10月7日 サンフランシスコの「シックスギャラリー」での、ポエトリー・リーディングからすべては始まりました。

私が生まれた年の事です。中心人物は、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、ニール・キャサディーなどです。

一番、有名なのは、ジャック・ケルアックだと思います。

「路上」の作者ですから。この人たちが、次の世代、フラワーチルドレンの生みの親であり、ロック世代を生み出す原点でもあったのです。

詩人のアレン・ギンズバーグと、ボブ・ディランが、ケルアックのお墓参りをした話は有名です。

今日は私が一番大好きな、詩人、ゲイリー・スナイダーの、言霊が宿るメッセージをご紹介しましょう。

1974年に、ノース・ダコタ大学で行われた、インタビューでの発言です。

アレンやぼくや、他の仲間達が、なんらの幻想も混えず、絶対的確信をこめて、しかも大きなプライドをもって言えることはなにか、っていうと、それはぼくたちは世界を、おそらく百万分の一インチだけ動かせたってことだろうな

………………………………✨✨✨

どうですか、かっこいいでしょう。百万分の一インチというところが、凄いですね。

たったのそれくらいかも知れないけれど、確かに世界を変える事が出来たという、自身の現れですね。いつの時代も、若者の力は偉大です❗️

世界を百万分の一インチ動かした、ビートジェネレーションとは、いったいどんなものだったのでしょう

アレン・ギンズバーグたちが1995年にサンフランシスコで開いた、ポエトリー・リーディングの会が、熱狂的に支持されて、サンフランシスコの詩のルネサンスの引き金となりました。

それが、後にビート・ジェネレーションとして知られるようになった訳です。

「その夜以来、サンフランシスコでは毎週のように誰かのアパートや酒場、あるいはギャラリーで詩の朗読会が開かれるようになった。

私たちはついに壁を破り、新しい表現の自由をはばんできた、大学の支配を打破したことを感じたのであった。

さらに、世界中の多くの知識人の想像力を枯渇させた共産主義と資本主義の、退屈で不毛な論争を超越したことも感じた。

また想像力は信頼できるものであり、束縛されない精神から流れ出るものが詩であるということだった」

ゲイリー・スナイダーの著書、「惑星の未来を想像する者たちへ」より

………………………………✨✨✨

当時、ジャック・ケルアックはジーンズにノート一冊だけを持ち、放浪生活をしていました。

そして、1957年に出版された彼の小説「路上」により、ビートという言葉は一夜にしてアメリカ中に知れ渡ったのです。

ビートの流れは、ロック世代へと受け継がれ、ヒッピー文化などのカウンターカルチャーへと発展していきます。

ラブ&ピース✌️を合言葉に、フラワーチルドレンと呼ばれる若者たちが、各地でコミュニティを形成したり、ネイティブ・アメリカンのリザベーションを訪れて、彼らの文化を吸収したりしていました☮️

残念ながら、行き過ぎたフリーセックスや、ドラッグの使用などで大人たちの反感が昂まり、徐々に自然消滅していったのです😭

愛と平和をスローガンにした、フラワーチルドレンたちのことを歌った反戦歌「花はどこへ行った」という歌が大ヒットしました。

日本でも忌野清志郎さんなどがカバーしています。

花はどこへ行ったの?

遠い昔の物語    花はみんな少女たちが摘んで行ったの?  少女たちはどこへ行ったの?

みんな恋して男の子たちの元へ行ってしまったの?   男の子たちはどこへ行ったの?

みんな兵隊に取られて戦場へ  遠い昔の物語   兵隊たちはどこへ行ったの?     みんな戦死してお墓の中へ  お墓はどこへ行ったの? 朽ち果てたその後に花が咲いていた

……、簡単に要約するとこんな歌詞です。

忌野清志郎さんのバージョンが好きです😊💕

https://youtu.be/zUmbYekxeoc?si=rizfddBMEF_W_b3y

https://pedes.jp/creation/spaceforpoets/ 【詩人たちの自由な居場所】より

 歴史を振り返ってみれば、詩人たちは、仲間を集い、自らの作品を発表するための場を、自分たちで創出してきた。アメリカのモダニズムを代表する詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、詩誌『コンタクト』を立ち上げた。公民権運動の源泉を探すとき、必然的にその名を見ることになる詩人アレン・ギンズバーグは、シックス・ギャラリーにて仲間の詩人たちとポエトリーリーディングを行い、「詩は声の文化」であることを世に再確認させるきっかけを作った。萩原朔太郎は、室生犀星と詩誌と立ち上げた。城戸朱里、広瀬大志、田野倉康一らが立ち上げた『洗濯船』は、今や希少価値の高い同人誌として、取引されている。詩誌であったり、リーディングであったり、時代によってその形式は違えど、ここには挙げきれないほどの詩人たちが、自分たちの「プラットフォーム」を作り、そこで自由に作品を発表してきた。

 いま、ぼくは、詩友と二人でPEDESを運営している。同時に、現代詩手帖とユリイカへの投稿も行なっている。しかしこの二誌に投稿することは、いわゆる同人誌に作品を寄せることとは、まったく意味合いが異なる。投稿とは、権威たる詩誌に、著名な詩人が選者として立ち、その人たちの目に留まることで、初めて作品が掲載される。当たり前だが、作品はふるいにかけられている。いかなる作品を投稿するも自由だが、掲載の門は狭い。そしてマジョリティは、投稿なのだ。

 どちらもあっていいと思う。しかし、あらたな作品が世に送り出される道が、投稿のために大きく取られている状況は、少し悲しく思える。もっと詩誌が増えて、そこからあたらしい作品が世に送り出されてもいいはずだ。ちなみにぼくが個人的に好きなアメリカ詩には、新人賞や新人投稿というものがあまりない。その代わり、同人や、自費出版、そしてウェブでの発表が盛んだ。もちろん、出版社へ作品を送るという手立てもある。

 自ら詩誌を立ち上げようという詩人の数は決して多くない。手間暇を考えれば、それはそうだ。その時間をかけるくらいなら、作品を書くことに時間を費やそうという考えには、十分賛成できる。書くこととは、最終的には孤独な作業なのだから。

 じゃあ、既存の詩の集まりにでかければいいじゃないか。そんな声が聞こえてきそうだ。日本には、多くのプロの詩人が詩の塾や教室を開いている。まず、個人的には、塾や教室という文字を嫌厭してしまう。もちろん、義務教育をするわけではないはずなので、参加すれば学びもあるのだろう。日本で生成されてきた、「教育」というネガティブなイメージを逆手にとったネーミングなのだ。しかし、そうはいっても、集まりの名称は、その場の雰囲気を作り上げる力を持っていると思うのは、ぼくだけだろうか。もう一点あるとすれば、集まりの中心には、何者でもない人たちがいてほしいと思ってしまう。

 だからこそ、書き上げた作品を自由に発表できる場所があってもいいのではないかと思う。作品の価値を、分かち合える誰かがいる。読んでくれる誰かがいる。それだけで、書き続ける理由の一つになるのではないかと思う。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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