芭蕉の季節感 一一時雨と五月雨を中心に一一

file:///C:/Users/minam/Downloads/I1207%20(1).pdf  【第12回国際日本文学研究集会研究発表 (1988.11.12)芭蕉の季節感一一時雨と五月雨を中心に一一】より


The Sense of Season in Bashδ’s Haikai-Shigure and Sα:midαγe

食 玉姫本

The sense of season, as expressed by way of season words, determines the world of haikai literature. There are two ways of appreciating the sense of season. One is from the aspect of natural phenomena; the other is from the psychological aspect. Shigure and samidare are types of rain characteristic of the Japanese climate, and are season words in both

traditional poetry and Basho’s haikai. The present paper examines Basho’s sense of season by comparing it with the traditional sense and referring to empirical data, as well.

From among the more than fifteen kinds of rain listed in the Yakumo Misha, shigure and samidare are frequently mentioned in waka poetry, primarily to represent the emotions by correspondence. The changeable nature of shigure is said to correspond to the transience of worldly matters, and the steady gloom of samidare, to the discontent of the poet.

This tendency gives rise to the idea of hon ’i and the traditional sense of season has been fixed in this way to firm stereotypes.

Basho, however, appreciates natural phenomena for what they are,disregarding such conventions. 23 of Basho’s hokku are on shigure and 18 on samidare, and all these were written in the years from Kanbun to Genroku. Through these hokku Basho gradually establishes his unique sense of season. At first, he tends to engage in comical word play,

regardless of the conventional sense. Then, during the ]okyo years, Basho exploits the traditional seasonal associations, through not for representation of feelings through correspondence, but in sheer appreciation of the scene. Verses of the Genroku years figuring shigure and samidare, though often said to express“sabi,” merely depict the appearance of these phenomena without subjective import.

In short, Basho insists on exclusion of a subjective sense of the season, as expressed in his words “Learn about pine trees from the pine; learn about bamboo from the bamboo."

はじめに

俳諸において、季語が示す季節感は一句の世界を決定する。季節感とは横沢三郎氏の定義によると、季節そのものの移り変りや、季節に伴うあらゆる自然現象、及び歳事から受ける美的情緒を意味する;I)それは非常に象徴的に現われる場合が多いため、日本独特の自然風土の理解とともに作品の上にどのように看取されていくかを考える必要がある。

日本の気象は、「雨が多く湿度が高いJ(『日本の気候』) (2)というのが一つの特徴である。和達清夫は、日本には梅雨と秋震の二つの雨期があって、季節の区分を、冬、春、梅雨、夏、秋索、秋とした方がいいかも知れぬと言っている 0(3)雨が多いことは「雨の文学Jという言葉が出る程、日本文学に大きく反映している。最近出た『言語生活J特集号の「雨の記号学」(4)では、憂欝な季節感を主とする日本の雨が論じられた。雨の降る性質によってそのとらえ方も様々であり、中でも和歌以来最も頻繁に取り上げられてきたのは、五月雨と時雨であった。五月雨と時雨はそれぞれ日本独特の気象現象であり、それによってまた独特の季節感が生まれている 。芭蕉の全体句数のなかで、五月雨と時雨の句はかなりの比重を占め、しかも、百蕉の俳諸の世界を代表するような句が多数含まれている。特に五月雨と時雨の句は、 芭蕉の初期か ら晩年まで連綿と詠まれており、和歌連歌の伝統的な季節感を意識しつつ、次

第に自分独特の季節感を築き上げてい った。

筆者は「時雨の伝統一芭蕉以前」 (.))で時雨の伝統的な季節感を考察し、その基盤の上で芭蕉独自の季節感を探り、 「Themeaning of Basho’s shigure」1耐という論文を書いた。その要点は、伝統的な季節感は非常に類型化されており、芭蕉はそれを破ったということである 。時雨の類型とい う問題を考えていくときに、伝統的な季節感では心象風景を表現したものが多く 、それがまた、 「本意」として定着 していたことに着眼した0171今回は時雨と同じような比車を持つ五月雨の季節感をも合わせて、心象風景を重視した伝統的な季節感と 題材そのも のの性質を賞美 した芭蕉の季節感を対照してみる ことにする 。

I 気象風土と心象風景

H手雨と五月雨はそれぞれ「しぐる」 「さみだる」と いう動詞の形でよく使われる 。 日本の雨の種類は様々あるがこ のように動討の形で使われる のは殆どなし」両者の語源については色々いわれているが、時雨は「志ばし くらき 也j(日本釈名)、 「頻骨の義、歌に志 ぐれの雨といふは本義なるべしJ(和訓菜)というのと、五月雨は 「サツキアメクタ/レの略也」(和訓義解)とい うのが有力なようである 。そこで元来この二つは状態を表す動詞の形が先にあ ったものと考えてもよさそうである 。

「しぐる jと 「さみだる 」は、 「シグ レノア メガフルJや 「サツキ アメガクタゃルjの意味の外に心情的な要素が多く合ま れて くる。 例えば次のような歌をう勺ずることカtで、きる。

・おほかたはさみだるるとやおもふらん君こひわたるけふのながめを(和泉式部日記)

・しぐれつるこのでかしはの二おもてとてもかくてもぬるる袖かな(土御門院御集)

・しぐるるもよそや人のおもふ覧うきにはそてのものにそありける(長秋詠草)

・しぐるれば山めぐりする心かないつまでとのみうちしほれつつ(山家集)

・玉水もしどろの軒のあやめ草五月雨ながらあくるいくよぞ(新拾遺和歌集)

・さみだれて物思ふ時は我が宿のなく蝉さへに心細しゃ(曾丹集)

これらの歌は、作者の心情も「しぐる J「さみだる」の状態になるということが強く打ち出されているのである。芭蕉の次のような句は「しぐる Jが他動詞に使われて人間の感覚で時雨を受け取っていることが分かる。

-笠もなき我をし ぐるるかこはなんと (菜草)

・草枕犬もしぐるるか夜の声

・人々を時雨よ宿は寒くとも(甲子吟行)

(芭蕉翁全伝)

それから、平安朝によく使われた「時雨がち」「五月雨がち」という言葉や、「時雨心地」などの言葉は人間がそのまま時雨や五月雨が持っている性質を感得してその心境をも託している感が強い。例えば次のような歌がそれである。

・おほかたは曇らざりけり神無月時雨心地は我のみぞする(貫之集)

-今日は猶ひまこそなけれかきくもる時雨心地はいつもせしかど(風雅和歌集)

それだけに時雨と五月雨は人間の側に密接に受け取られていることがわかる。そこで両者の気象的性質そのものと、それに託される心境的な要素を分けて考えてみよう。

(一)気象風土

雨の多い日本では、雨の降る時期と降る模様によって繊細に捉えられる。『八雲御抄』の「雨」の箇所には次のような様々な雨が出てくる D春雨。こさめO むらさめ。ながめ。しぱくり。タだち。こし雨。ひじかさ[雨]さとふるにひぢをかさにするなり。よこさめ(源氏日、野分時なり)。さみだれ(五月)卯の花くたし。四五月。万十。はるされば卯の花く

たしとよめり。身をしる雨(涙也)。しぐれ。タ。む ら。 はつ。あまのしぐれ。又かきくらしとよめり。古歌におつる時雨とよめり。たづみとは、雨のふりたるをりの水也。庭たづみなどもいふ。頼政がよこ時雨とよみて、俊成[に]被難。光忠、があきさめなどいへるたぐひはをかしき事なり。いづく。しぐ[る]雨の名なり。 (8)

ここで、詩歌に最も頻繁に詠まれたのは時雨と五月雨で、歌合の題にも定着している。

まず、時雨の気象的な性質については拙稿の「時雨の伝統Jでも詳しく述べたが、より気象学的に明解に時雨の特徴を整理したものに次のような平野烈介氏の研究がある。

①時雨の降るのは晩秋より初冬に多い。②時雨の降るのは山辺、河辺、山中、森林、海上を問わない。③時雨の降るのは朝、昼、夕、夜を分かたない。④時雨は細雨でなく、さりとて雨量は余り多くない、断続的に屡々来て梢々強い風を伴い雲足が速く、慌しく降る。⑤時雨は広区域に亙って同時に降るのではない、朝夕などは横目を受けて明るむようである、然し、断雲によって降るのではなく、密集した雲団の湾すもののようである。⑥時雨の降る時の気温は、季節平均よりも高からず、寧ろ低温であって、其以後もめっきり冬めいて寒い。 (9)

時雨が降る場所としては、大後美保氏の『気象辞典Jによると、日本海側や京都盆地に多く、江戸ではこのような性質の時雨は実際にはないとされている 即時雨の気象的な性質とはいえないが、紅葉と時雨が織り成す景物の美しさから歌のなかで看取されたものには、時雨は「紅葉を染める」ものになっていた。

では、五月雨の気象的な性質はどうなのかを見てみよう。まず、五月雨は名称から卯の花腐し、梅雨、微雨、墜栗花穴(ついりあな)など、様々な名前があり、生活実感に密着していた。『気象一班Jを繕いてみよう。

梅雨は我国の付近のみに生ずる特有な雨で六月上旬から七月上旬まで約一ヵ月間に亙って降り続く口暦面上にも入梅と云う日が載せてあるが、之れは太陽の黄経が80度になった日を指すのであって、気象上の梅雨の入りとは関係ないが、大体此の頃に梅雨が始まる。梅雨の名称についても我国では古来「つゆ」「五月雨」など云うが、梅雨の名称は「梅、将に黄落せんとする時に降るから梅雨と云う。Jと云われている。又湿度が高いため物に微を生ずるので微雨の字を当てたものもある。 (JI)

梅雨即ち五月雨は、湿度のため微を生じさせるような陰欝な雨だとしている。

江戸時代の員原益軒 『日本歳時記Jのなかで、梅雨時の生活について次のように書いている。

此月淫雨ふる。これを梅雨と名づく。また微雨ともかけり。梅雨の中、肥土に芙蓉、石橋、桜桃などの枝をゑらびてさすべし、と月令広義に見えたり。此時黄土に、つつじ蓄議、水楯をさせば、甚よく活。又貧家人功ともしき輩は、奴僕事を廃し、おこたりては家事調がたし。梅雨久震の中も、家僕をして薦をあみ、靴をつくらしむべし。薦は書籍、器物、食物等を晒し、新に栽たる草木、菜疏におほひ、堵塀を葺くゆへ、其功用広し。又、梅雨水を大瓶に貯置、茶を煎ずれば、はなはだ美なり。と茶譜に見えたり。但日をへては飲むべからず。又、梅雨水にて癖研を洗へば、そのあとなし、醤油を作るにこれを用れば、熱しやすく、衣をあらふにこれを用れば、灰汁のごとしと東垣が食物本草に見えたり。 1!2)

このような独特な気象現象によって、様々な季節感が生まれるようになるが、その最も具体的な例を示してくれるものに、元禄十年に出た、有賀長伯の『浜の真砂』がある。

凡、五月雨のはれやらぬ心をいはんとては夕月夜比 より有明の空まてはれせぬといひ五月の日数もをやまぬ雨の中に暮行 ・五月雨に水増る心をいはんとては池水は庭もひとつになかれ入江の舟は軒はにつなき軒に滝おちこぬ山川の数そふなと詠めり 、其外 ・けふいく日心もはれぬ ・月日の顔もみぬ ・浮雲の行かさなる ・くもりふたがるあま雲 ・久かたのあままもみえぬ口はれやらで月の夜比も過行く ・軒の糸水落る ・かやが軒はもしたくつる ・けふいく日汐くみたゆむ浦人 ・もしほのけふり打しめる ・とまふく舟もしづくひまなき ・しけりあふ山の雫も落そふ ・五月雨に蓬むぐらもしけりあふ ・五月雨に人もとひこぬ ・又ゃうやうはれ行心を詠には ・五月雨の空ははれて月のみかげめつらしき心をいひ ・絶聞かちなる雲間より有明の月をみる ・又五月雨の詠合せたる景物は ・時鳥 ・あやめ ・さなへ ・夏くさ。梅 ・桜 ・葦 ・すげ ・まこも O llll

結局、五月雨によって行動が不自由になる状態描写が主であり、特に、 「はれやらぬ心Jというのが目立っている 。

(二)心象風景

和歌では、自然景物を借りてそれに心境を託すといった主観的な季節感がよく現われてくる。つまり、時雨や五月雨を捉える時にも、一節で述べたような時雨や五月雨が持っている気象的な性質を描写するだけに止まらず、必ず自分の境遇に戻ってくるのである。即ち、季節感といっても心象風景といった方がよかろう。以下、時雨と五月雨において心象風景と季節感が密着して類型化したものを挙げてみよう。

①「世にふる」雨

日本の詩歌において「降物J、特に雨の歌は心象風景と密着して詠まれるのが多い。それは雨が降る中にどうすることもできず、ぼんやりと降る雨を見ているためであろう。この場合よく「世にふる」という常套的な表現が伴われるが、「ふる」には「降る」と「経る J「古る Jが掛けられ、常に憂き「世Jというのが想定される。雨のなかにも五月雨と時雨の用例が多い。あの有名な小野小町の「花の色はうつりにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまにjや、和泉式部の「世の中に猶もふるかな時雨つつ雲間の月のいでやとおもへばJなどは、代表的なものである。更に二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを横の屋にやすくもすぐる初時雨かなJなどは、後世の「世にふるは更に時雨のやどりかな 宗祇」、「世にふるも更に宗祇のやどりかな 百焦」、「蓑虫のぶらと世にふる時雨かな 蕪村Jに継承され、和歌、連歌、俳諮へと繋がっていくのである。

②「定めなき」時雨

拙稿の「時雨の伝統」でも「無常観と時雨Jの箇所で述べたが、一節で見た時雨の気象的な性質のなかでも心象風景と最も密接に繋がっているのは、「ふりみふらずみ」の「定めなき j性質である。神無月ふりみふ らずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける(後選集)

晴くもり時雨は定めなきものをふりはてぬるは我が身なりけり(新古今集)

木々の色もうつろひそめぬ初時雨さだめなき世のなげきせしまに(新続古今集)

冬をこそ時雨もつぐれ定めなき世はいつよりかはじめなりけん(新後選集)

又、「時雨の空の定めなきを世の常ならぬ心によそへJ(『初学和歌式』)て詠むべきだとされ、「時雨は空定めなく、晴るるかと見ればぐれりと曇り、降るかと思へばささらげもあらぬ景色、足早に通り行くさま」(『山の井j)といった、時雨の変わりやすい性質が心情表現としてよく使われた。因みに万葉集の時雨は殆ど紅葉との景物の歌であり、心象風景を詠んだ歌は一首もない。

③「ながめ」の五月雨

時雨は無常観によそえて詠まれでも、そのさらりとした雨足から陰欝に描かれることはあまりない。雨のなかでも最も陰欝で、悶々とした心象風景と結ぼれて詠まれるのが、五月雨であると言えよう。一章で見たように、持続的に降り続いて、物に微を生じさせるような気象的性質から内面の悩みを託す題材となった。万葉集には時雨の句は三十九首も見られるのに、五月雨の句は一首も見当らない。勅撰集における分布を見ると、古今集と後選集には各二首づつ、千載集から急激に増えて十四首、新古今集では十首見られる。

心象風景に引き付けて季節感を取り 上げるようになってからであろうと 推察できる。

五月雨のイメージは何かが朽ちるような陰欝な季節感でよく描カ亙れる 0

.さみだれの日数へぬればかりつみししづやのこすげくちゃしぬらん(千載集)

・五月雨にはやをのつなはくちはててしほひにひかる舟そあやふき(夫木和歌抄)

このような季節感は内面的に物思いに耽って悶々とする心境と繋がる D

・五月雨に物思ひをれば郭公夜深 くなきていづちゆくらむ(古今集)

・さみだれのつづけるとしのながめには物思ひあへる我ぞわびしき(後撰集)

・ほとと ぎす雲ゐのよそにすぎぬなりはれぬ思ひの五月雨の比(新古今集)

五月雨が降る時は「物忌みJの時期であり、王朝貴族たちは実際行動が不自由で、寵も っているしかない状況にさせられ、そこか ら誘発する心情の影響もある。五月雨を「物忌みJの民族学的な側面から考察したものには池田弥三郎氏の「雨の歌・恋の歌」の研究があり、「物忌み」の不自由さからくる「満たされない性欲」という見解である?)ともかく五月雨を詠む心は、 『初学和歌式Jに「日をへてはれやらぬ心相応也、或五月中はれやらぬ心をいひ月日のひかりもけふいく日みぬ心」とあるように、「はれぬ心Jというのが主な季節感をなしているのである。

五月雨が同じ状態で持続的に降り続くことは「はれぬ心」にさせ、また、「ぼんやりと物思いに耽って周りのものをみまわすJといった、所謂「ながめJの状態にさせる。ここで「眺め一長雨」はかけて詠まれ、また一つの類型をなすようになる。この「ながめ」については西村亨氏の「ながむ一雨のゅううつjのなかで、「長雨忌み」との関係で説いており、万葉集にも古事記にも「ながむ」の用例は見当らず、平安朝の生活雰囲気のなかで生まれた特殊な使い方だとしている。 (15)

五月雨と心象風景と結びついて季節感を現わすようになる最も良い証拠は自照文学として代表的な『鯖蛤日記j と 『和泉式部日記Jであると言えよう。

『婿蛤日記Jには長雨の場面が十三回出てくるが、五月雨と思われるのと秋震と思われるのとがあり、中でも五月前後の五月雨の場合が多く見られる。そのどれもが、物忌みで籍もっている時の欝屈たる気持ち、或いは物思いに耽ってぼんやりと眺めている場面である。『和泉式部日記Jには 「五月雨はもの思ふことぞまさりける長雨の中に眺め暮れつつj「おほかたはさみだるるとやおもふらん君こひわたるけふのながめを」とあり、五月雨に「ながめて」いることが詠まれている。後世の『夫木和歌抄J等にも「五月雨になへひきうふるたこよりも人をこひちにわかれそぬれぬる」のように田植えのことを季節感として詠みながらも結局は自分の境遇に戻って、心象風景を詠んでいる。

II 「俳譜自由Jと芭蕉の季節感

(ー)芭蕉好みの季題

芭蕉の全発句のなかで時雨と五月雨の句を年代別に取り出して見ると次のようになる。

表 I 時雨の句

*印は時雨が季語にはなっていないが、重要な語葉として使われている句

① しぐれをやもどかしがりて松の雪 (寛文六年 『続山の井j)*

②行雲や犬の欠尿むらしぐれ (延宝五年 『六百番発句合J

③一時雨際や降て小石川 (延宝五年 『江戸広小路j)

④いづ、く審傘を手にさげて帰る僧 (延宝八年 『東日記』)

⑤世にふるもさらに宗祇のやどり哉 (天和二年 『虚栗山

⑥白芥子や時雨の花の咲きつらん (貞享元年 『鵠尾冠』)*

⑦霧時雨富士を見ぬ日ぞ面白き (貞享元年 『甲子吟行j)*

⑧此海に草駐:を捨てん笠時雨 (貞享元年 『笈の小文j)

⑨かさもなき我をしぐるるかこは何と (貞享元年 『某草.] )

⑩草枕犬も時雨るるか夜のこゑ (貞享元年 『甲子吟行.] )

⑪旅人と我名よばれん初しぐれ (貞享四年 『笈の小文j)

⑫一尾根は時雨るる雲かふじの雪 (貞享四年 『泊船集j)*

⑬山城へ井出の駕寵かるしぐれ哉 (貞享四年 『焦尾琴.] )

⑬葺がりゃあぶないことにタ時雨 (元禄二年 『芭蕉翁発句集j)

⑬初しぐれ猿も小蓑をほしげなり (元禄二年 『猿蓑j)

⑬人々をしぐれよ宿は寒くとも (元禄二年 『芭蕉翁全伝.] )

⑫しぐるるや田のあらかぶの黒むほど (元禄三年 『泊船集』)

⑬作りなす庭をいきむるしぐれかな (元禄四年 『真蹟j)

⑬宿かりて名を名乗らするしぐれ哉 (元禄四年 『続猿蓑j)

⑫馬かたはしらじしぐれの大井川 (元禄四年 『泊船集』)

⑫けふばかり人も年よれ初時雨 (元禄五年 『韻塞』)

⑫初時雨初の字を我時雨哉 (元禄五年 『粟津原j)

⑫新藁の出初てはやき時雨哉 (元禄七年 『蕉翁全伝』)

表 II 五月雨の句

①五月雨に御物遠や月の顔 (寛文七年 『続山の井.D

②(降音や耳もすふ成梅の雨) (寛文七年 f続山の井}, )

③五月雨も瀬ぶみ尋ねぬ見馴川 (寛文九年 f大和!|頃礼J)

④五月雨や龍燈揚る番太郎 (延宝五年 f江戸新道}, )

⑤五月雨に鶴の足みじかくなれり (延宝八年 l東日記J])

⑥五月雨に鳴の浮巣を見に行かん (貞享四年 I笈日記j])

⑦笠寺や漏らぬ窟も五月雨 (貞享四年 『蕉翁句集j)

⑧髪はえて容顔蒼し五月雨 (貞享四年 l統虚栗j)

⑨五月雨や桶の輪切るる夜の声 (貞享四年 t一字幽間集!)

⑩五月雨にかくれぬものや瀬田の橋 (貞享 (B贋野n

⑪五月雨の降りのこしてや光堂 (元禄二年 f奥の細道n

⑫五月雨をあつめて早し最上川 (元禄二年 I奥の細道.D

⑬笠しまやいづこ五月のぬかり道 (元禄二年 [奥の細道J:)

⑭五月雨は滝降うづみかさ哉 (元禄二年 f葱摺.0

⑬日の道や葵傾くさ月あめ (元禄三年 n哀蓑j)

⑬五月雨や色紙へぎたる壁の跡 (元禄四年 f先手後手集J)

⑫五月雨の空吹おとせ大井川 (元禄七年 {芭蕉翁真蹟集Ji)

⑬さみだれや蚕煩ふ桑の畑 (元禄七年 「続猿蓑j)

こうして年代の分布を見ると、時雨の句も五月雨の句も初期の寛文年間と、最晩年の没年の元禄七年まで詠まれており、芭蕉が生涯好んだ季題であることが分かる 。同じ雨でも春雨の句は六句しかなし 3。芭蕉において一般的な雪月花の句を除くと数的にも一番多い季題になっている。それから、五月雨の場合、既に連歌論書の 『白髪集jや 『至宝抄Jに「梅の雨Jと出、それ以降「梅雨」の形でよく使われたが、芭蕉は「降音や耳もすふ成梅の雨」で言葉の遊戯の必要上使っているだけで、全部五月雨の形として使っている。伝統的な季節感を有する雅語としての五月雨を重んじたのであろう。

これらの句を一瞥すると、両方とも取り合わせられている素材が和歌とは違って庶民生活の卑近なものから題材を見付けだしたことはいうまでもない。

景物の句の場合、時雨なら必ず見られる筈の「紅葉Jとの取り合わせとか、五月雨の「朽ちる」といったものは見られない。和歌と俳諮の美意識の変化からくるものだということは言うまでもなかろうが、芭蕉が『去来抄Jで「俳諮自由J°6'を説いてくるように、類型からの脱皮をはかっている。では、それら題材のどういう捉え方によるのかこれから見ていくことにする。

(二)「賞美」の心

芭蕉は二つの季題を通してどのように季節感を捉えているのか。結論から先に言うと、芭蕉は、心象風景や観念を詠まずに、題材そのものの性質を客観的に捉え、やがて時雨と五月雨の持っている「物寂びた」属性を賞美する、いわば「さびJに通ずる季節感に到達したということである。この季節感の変化は幾つかの段れを経て完熟されていく。つまり季節感がまだ表面に現われずに、言語遊戯として遊んでいた寛文延宝年間と、伝統的な季節感が非常に意識されていた貞享年間、それから、自分独自の季節感を築き挙げた元禄年間である。

まず、表ーの時雨の句の、①②③の「しぐれをやもどかしがりて松の雪」「行雲や犬の欠尿村時雨」「一時雨様や降りて小石川」、それから、表二の句の①②③「五月雨に御物遠や月の顔」「降音や耳もすふ成る梅の雨」「五月雨も瀬ぶみ尋ねぬ見馴)||」などはまだ言語遊戯に遊んでいた時期のもので、季節感はあまり重要視されていなしユ。例えば、貞門談林俳諮で、「むかしむかし時雨や染めし猿の尻」といった、季節感を言語遊戯に使ったものと同じであろう

次に貞享年間であるが、周知のように、貞享年間は芭蕉が伝統精神に学ぽうと、風狂の精神で意気込んでいた時期である。そこで例えば、「旅人と我名呼ばれん初時雨」と「五月雨に鳴の浮巣を見にゆかん」の句の「呼ばれん」「ゆかんjという句には、伝統的な季節感で暗いイメージばかりの時雨や五月雨の季節感に積極的に浸ろうと、意気込んでいる心の意志が強く感じられる 。両句とも貞享四年に詠まれており、この時期の芭蕉の精神をよく示してくれるものである。

しかし、芭蕉が伝統的な季節感を求めた結果は「無常感」とか、「物思しユ」といった、観念ではなくて、題材が持っている性質を愛でるといった、「賞美」の心である。例えば「かさもなき我をしぐるるかこは何と」「山城へ井出の龍かる時雨哉J、それから貞享年間ではないが、「作りなす庭をいさむるしぐれ哉」などは、前章の「気象風土」から見たような、時雨の、突然降ってきたり、風を伴って降ったりする風情を趣深く捉えているのである。また五月雨の気象的な性質からも見たように、次の句は五月雨の長く降り続く時間性と、水が増えている量感などが「賞美」の目で描かれている。

五月雨の降りのこしてや光堂

五月雨に鶴の足みじかくなれり

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋

五月雨をあつめて早し最上川

五月雨は滝降りうづみかさ哉

五月雨の空吹おとせ大井川

ここでは当然心象風景は現われず、景物を詠んだ\いわば「景気」の句が多くなっていく。ここまで挙げた句は人事の句ではなく、殆ど景物の句である。特に『猿蓑Jの巻頭の句も幾つかを除いては琵琶湖沿岸の景物であることは既に大谷篤蔵氏の指摘がある。問題は貞享四年の「髪生えて容顔蒼し五月雨Jの陰欝な句の場合である D これは「病中自詠」という前書があり、やはり芭蕉が病気の時に詠んだ句であることがわかる。この句に対して山本健吉氏は

次のように述べている。

この句の凄味は彼の病的感覚とも言うべきで、近代のわれわれには共感の度が大きいし、捨てがたい句であるが、それだけに芭蕉としては本来のものではないであろう。 (!?)

つまり、この句は芭蕉の本来の題材の捉え方から逸しているもので、陰欝に描かれつつも、心象風景を詠んだものとは違って、あくまでも自分を客観化している。

次に、元禄年間を中心とした芭蕉独自の季節感を生み出した時期である。時雨や五月雨の句数もこの時期に一番多い。拙稿の「The meaning of Basho’s shigure」で観念的に時雨を眺めて看取したものとは異なり、芭蕉は時雨に自ら濡れる旅によって、「初時雨猿も小蓑をほしげなり」という感覚的な時雨が生まれたことを述べたことがある。今回は元禄年間にその感覚的な季節感が、時雨と五月雨の本来の持っている物寂びた情趣として現れ、百蕉はそれを美的対象として賞美していたことを述べたいと思う。

例えば、元禄年間の「五月雨や色紙へたぎる壁の跡J(元禄四年)と、「しぐるるや田のあ らかぶのくろむほど」(元禄三年)の句である 。 これらは、長く降り続く五月雨に周りのものが寂びてし 3く色や、初冬の寂莫とした風物のなかに時々通りすぎる時雨に日々黒ずんでいく色を、心情を交えずに詠んでいる句である 。特に、「五月雨や色紙…」の句は「純客観」の句と言われている口ここに出されている時雨と五月雨の物寂びている色は芭蕉が晩年に見出

した「さび」に通ずるものであろう 。

元禄年間ではないが、時雨と五月雨の聴覚的な季節感を賞美したも のに「草枕犬もしぐるるか夜の声」(貞享元年)、「五月雨や桶の輪切る夜の声J(貞享四年)があり、寒寂のなかで聞こえてくる物寂びた音を捉えている。両句とも「夜の声」と表現して、時雨や五月雨による閑寂な夜、その音に交ざって聞こえてくる犬の声や、「桶の輪切る」音によって一層物寂びた雰囲気を増しているのである。和歌的な伝統のなかでは時雨の夜には鹿の泣く声を聞いて自分

の身の上を嘆いたり また五月雨の夜には時鳥の声を聞いて物思いに耽ったのである。それから伝統的な季節感では時雨と五月雨の音はそのまま 涙でもあった。しかし、心象風景を託すことをしない芭蕉においては雨が涙として表現されることはない。

こうして、芭蕉は、従来の類型に填まっていた季節感をもう一度最初から見なおし、題材そのものの属性に充実しようとした。従来の季節感は、まず、人生の悲哀感や無常観というものを心においてそれを題材に託していくものであったから、季節感といっても心象風景といった方がいいようなものであり、本意とされてきたものもそれに即したものであった。芭蕉が、「三冊子」のなかで「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へJOx)と主張したことの意味もこういう場合により明白になり、題材そのものの美に充実せよという芭蕉の意図が伝わってくるのである。談林派の俳人でありながら芭蕉を慕っていた椎本才麿が付 『東日記Jのなかで景物の句に、「五月雨に海をよせ、審には必色を染てをのづからなる風景をしらず」(I引といって類型に填まった句風を非難しつつ主張した「をのずからなる風景Jも芭蕉が言った題材の本質に通ずるものであろう。

よく季語の変革の例として挙げられる「鴬や餅に糞する縁の先」の句がある。これは和歌や連歌で「花さかぬよしをいひて鴬の声ばかりにて春をしるよしを詠ずべし」(2UI(和歌無底抄)と春を告る鳥として類型化していた鴬を、「餅に糞する」と表現したものである。これなどは、多分に意図的な俳諮化が窺える句であるが、時雨と五月雨の場合は芭蕉の季節感の捉え方の変化から自然にそうなったことがわかるものだと思う。

結 び

以上芭蕉における時雨と五月雨の季節感を伝統的な季節感に照らして考察した。要点は、伝統的な季節感では心象風景とマッチするものが主に類型化してきて、芭蕉の場合は時雨と五月雨のもっている性質を賞美したということである。考察の過程で判明でドきたものを次にまとめておく。

一、気象的な考察を通して、時雨と五月雨は日本独特の気象現象として詩歌の素材として親しまれ、独特の季節感を生み出した。

二、時雨の場合は万葉集から多くの用例が見られるが、五月雨は見当らない。万葉集の時雨は主に景物の歌で、勅撰集になってからは「定めなしリ性質が無常の世を象徴することになり、五月雨は平安女流文学のなかで「ながめJという独特の言葉とともに「はれない」思いの象徴となった。

三、時雨と五月雨を通して見ると、和歌的な季節感においては、人生の悲哀感や世の無常観というものを心のなかに置いておいて、それを時雨や五月雨に託した季節感であった。又、それが本意とされてきたことから当然類型化せざるをえなかった。

四、時雨の場合は心象風景といってもそのさらりとした雨足から陰欝に描かれることはないが、五月雨の場合は持続的に降り続くことから、悶々とした陰欝なイメージが主であった。

五、芭蕉において時雨と五月雨の句は、まだ立机していない寛文年間から没年の元禄七年まで分布しており、芭蕉が生涯好んだ季題であることがわかった。句の分布としては、独自の季節感を生み出した元禄年間に最も多い。

六、貞享年間は時雨や五月雨の伝統的な季節感に浸ろうと意気込んでいたことが句風に見られるが、 『猿蓑J以降の元禄年間になると、時雨と五月雨の本来の持っている「物寂びたj属性を賞美する、いわば「さびjに通ずる季節感に到達した。

原裕氏の『季の思想、J(21)によると季節感は、萌芽→充実→固定の過程を経て様式化とともに停滞し、マンネリ化することは避け得ないとしている。言ってみれば、季語の存在自体がそれを示してくれるであろう。しかし、季語のもっている類型化した季節感をそうなるまでの過程を掘り起こしてみることによって日本人の季節感覚を探ることができるのである 。

1、横沢三郎 『俳諮の研究j (角川書店、昭和42)281頁

2、和達清夫監修『日本の気候j (東京堂刊、昭和35)25頁

3、前掲書 36頁

4、特集号「雨の記号学J(『言語生活j、昭和62、 6)

5、拙稿「時雨の伝統一芭蕉以前J(お茶の水女子大学 国語国文学会編 『国文J第

65号) 22頁~27頁

6、拙稿「Themeaning of Basho’s shigure」(『国際東方学者会議紀要』第33冊)

7、拙稿「季節感の類型化と本意J(お茶の水女子大学 『人間文化研究年報』第12

冊掲載予定)

8、順徳院「八雲御抄J(『日本歌学体系j別巻 3、風間書房、昭和39)291頁

9、岡田武松「雨J(東京国文社、大正 5)313頁

10、大後美保 『季節の事典j(東京堂昭和32)

11、国富信一 『気象学一班.] (古今書院、昭和32)

12、貝原益軒著、大森四郎注 『日本歳時記.] (八坂書房、昭和47)70頁

13、有賀長伯 f浜の真砂j(京師 銭屋惣郎版、元禄十年丁丑十一月開板、明和五戊

子六月再刻) 11丁裏

14、池田弥三郎「雨の歌 ・恋の歌」 f池田弥三郎著作集』第 5巻、 160-187頁

15、西村亨 『新考王朝恋詞の研究』(桜楓社昭和56)416-421頁

16、宮本三郎外校注 『校本芭蕉全集.] 7巻(角川書店 昭和41)77頁

17、山本健吉 『百蕉 その鑑賞と批評j (新潮社昭和30年) 126-127頁

18、f校本芭蕉全集J前掲書 175頁

19、伊藤松宇 ・角田竹冷監修 『俳書集覧j11巻(京華社昭和 2)186頁

20、藤原基俊 「和歌無底抄J(『日本歌学体系J第 4巻風間書房昭和38)190頁

21、原裕 f季の思想Ji (永田書房、昭和58)3頁

討議要旨

鶴崎裕雄氏より、季節感の考察を今後韓国の文学にあてはめていく際の展望について、質問があった。発表者は、韓国の文学についてはまだ今後の研究課題であるが、例えば日本で「入相の鐘Jといえば無常感の象徴であるが、ミレーの「晩鐘」では感謝の鐘になる、こういった相違を研究していきたい、と述べられた。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000