俳句が結ぶ

https://weekly-haiku.blogspot.com/2024/01/23.html?fbclid=IwAR0j-hQw5DDpf_kwOK-gRBKe6kiRRcWBVgdhBL4v7LJ9lgMVztIKyWKPUh0 【ブラジル俳句留学記〔23〕

悲観主義から生まれる希望:日本の少子化と世界の俳句を結ぶ私の価値観 中矢温】より

年が明けて1月6日(土)の昼に、サンパウロ市内で美味しい中華料理を御馳走になった。こちらに移住して長い日本人のおじさまたちと歓談しながら幾つかの質問を受け、今の私なりの回答を試みた。その日若者は私ひとりだけだった。いつかこの日を振り返るときのために、歓談の一部始終を書き残しておくことにした。

(Nさん)そうだ、中矢さん。日本社会はどんどん少子化になっていますよね。そして今の若い人たちはあまり結婚をしたがらない傾向にあって、結婚しても子どもをあまり作らない。それは中矢さんから見ても若い人たちの実際の傾向だと思いますか。これからもどんどんこの傾向は続いていきそうですか。

(中矢)……そうですね、全体的な温度感としてはそうかもしれません。いつかのニュースの街頭インタビューで、ある若者が「(パートナーや子どもなど)他人の人生に責任を持つような経済的・心理的余裕がない」という旨の回答をしていたのを覚えています。

(Tさん)でも「産めよ殖やせよ」の時代のときはもっと金がなかったはずですよ。物資も金もなかった。

(Yさん)貧しい国の方が出生率は高いですよね。

(Tさん)経済が少し落ち込まないと、だめなんですかね。「責任を持ちたくない」という言葉だって、色々将来のことを考えて頭のなかで計算しちゃっているからですよね。

(F1さん)経済がよくなると、そういうことを考える余裕ができるんですよね。だから子どもを作らない。経済とセットになるのが教育だと思っています。両者って比例するじゃないですか。

(Tさん)教育によって色々考えすぎちゃうようになるという意味では、教育の仕組みによって若者が自分で自分を苦しめるようになるとも言えますよね。それで男女均等に教育の機会があると、婚期が遅れるのは当然じゃないですか。だからといってパキスタンのように、あるいは明治時代以前の日本のように、「女子は勉強しなくてもいいんだ」という訳でもないんですが……。だって、大学の学部を卒業すれば22歳ですよね、その年齢で数人子どもがいた女性がいたんだから。

(F1さん)少子化対策の一つとして、近年話題になっている教育の無償化については、教育関係者のTさんはどう思いますか。中矢さんの今後の進路をさっき聞いたら、「借りた奨学金を自分で返したい」というのが、社会人になることの一つの理由だと仰っていたけれど。ここブラジルでは公立に進めば教育は無償ですよね。

(Tさん)教育が無償化してもしなくても、学部が終わったら22歳ということには変わりがないでしょう。大学で勉強しながら結婚・出産・子育てはなかなか大変でしょう。それに養育費は教育費だけじゃない。少子化の解決策はそこじゃないと思うな。別の要因があって、子どもを殖やすことに対して稀薄になっているんじゃないかなと思うんです。「産めよ殖やせよ」の時代のように、例えば20歳までには子どもが数人いるような時代が来ないと、日本はだめなんだと思います。こういうベビーブームをもう一度作らなきゃいけないだろうが、日本には恐らく来ないと個人的に思うな。

(Nさん)中矢さん、今の傾向でいくと、日本はどんどん少子化になって、落ち込んでいく。「それは仕方ない」という考え方なのか、あるいは「我々若い世代が頑張って子どもを作ろう」という考え方なのか。後者の考えはなかなか出てこないですか。これからの日本に対して危機感はないですか。

(中矢)私は悲観主義のきらいが強いですし、若者代表としてお話することは難しいかと思うことを先にお伝えさせてください。で、正直に申しますと私は「日本の人口を増加させなければ」という前提の時点で、既に躓いているんです。皆さんが前提とされているこの問いの一個前にいるんですよ。強い言葉でいえば、「日本人というかそもそも人類が絶滅したらだめなのか」という問から考えたいなと思ってしまいます。

(Yさん)日本人が絶滅する訳ないよ。あのね、ところで私は例えばブラジルにこれだけの数の日本人が移住して、他の地域でも日本人は受け入れられてきた一方で、何故受け入れる側になるとこれだけ躊躇するのかが分からないんです。

(Tさん)何が日本人なのかという話ですよね。日本人って元々「雑種」で、国家を定めてから作られた概念じゃないですか。どこまで今の日本人で団結をして、どこまで他の人々を受け入れるかを考えて、どのように今住んでいる人たちを守っていくかを考えないといけないのに、全然政策がないですよね。

(F1さん)保守派を中心として、日本では移民に対して反対意見が根強いですよね。私が興味深いし摩訶不思議に思うのは、ここコロニアの日本人の多くも、日本に移民を受け入れることに対して反対であるということです。自分たち自身はブラジルに受け入れられた身であるのに。日本列島に暮らす人たちだって、他の大陸からやってきた移民のようなものじゃないですか。Tさんのいう「日本人の団結」は、この移民への反対というところなんじゃないのかな。

(F2さん)僕はブラジルに長く暮らして、これからも暮らすだろう皆さんが、日本の少子化をこんなに気にする理由が分からない。それよりはここブラジルの経済や社会がどうなっていくかの方がよっぽど私事じゃないですか。それより貴女、僕たちの議論で発奮して、来年には「子どもができちゃいました!」なんて言わないでよ(笑)。

(Tさん)日本社会の喫緊の問題は、医療や福祉の制度を支える若手がいなくなることですよね。日本人の絶滅といった抽象的な問題ではなく、自分老後に関わる具体的な問題なんでしょうね。日本に暮らした私の両親なんかはいいときに死にましたねえ。

(F2さん)貴女、やっぱりね、この議論で「こんにゃろ」と思って、どんどんどんどん子ども産みなさい(笑)。

(中矢)……こういう大きいお話と自分の人生はなかなかすぐには結びつけられないですねえ。

(F2さん)でも貴女もう24歳の訳だしね。見たところ随分悲観的だけれど、そういう考えは何歳くらいから出てきたのよ。

(中矢)そうですね、中学受験をした小学生の頃から、少子高齢化については授業やニュースで見て来たので、元を辿ればそのころから悲観的なのかもしれません。あとは成長する過程で、少子高齢化に解決の兆しがないことを確認するたびに、この考えを追認してきたという感じでしょうか。どの程度が元来の個性・性格で、どの程度が後天的なのかは断言しがたいですね。

(Tさん)だからやっぱり情報が多すぎるということに戻るんですよね。教育が余りにも浸透してしまっている。「とりあえず今を生きよう」という我武者羅な昔と違って、先を見通せてしまっている。これがやっぱり要因だと私は思いますよね。親も自分たち世代も無謀だったはずですよ。貯金やらマイホームやら完璧になってから子どもを持とうとすると、特に女性は身体的に遅すぎる。或る程度冒険しなくちゃいけないし、足りないものは二人で補いあえばいいじゃない。その勇気までも社会がお膳立てしてあげないといけないのかね。或る程度冒険や失敗をして成長していくのでいいんだという教育をしないといけない。無理をしてできたのが、高度経済成長期だった訳だから。あのねところで中矢さんにはね、日本のいい文化やエッセンスをどうやったら他地域や他言語で残していけるのかということを、例えば貴女の研究している俳句という視点からでいいから、考えていっていただきたい。

(中矢)実は世界の俳句への私の興味関心と、日本の少子高齢化に対しての私の姿勢は結構繋がるところがあるんですよ。俳句は日本発の短詩ではあるんですが、もうとっくに日本の俳句人口より世界の俳句人口の方が多い訳です。日本の俳句界も少子高齢化ですから、きっとこれからも世界の俳句人口の方が増えていくだろうという見立てがあるんです。

(Tさん)じゃあ、正しい俳句を中矢さんが広めていかないと(笑)。

(中矢)実はですね、私は人口の移動だけでなく、文化においても文化を受容する側の国や地域に需要がなければ、供給(伝播)は生まれないと思っているんです。つまり、日本がいくら「正しい俳句」というもの、一つに定められるような何かがあるとは思っていない立場なのですが、これを広めたいと思ってもそれは供給側がコントロールできるものではないと思っています。この面だけを見せたいとか、こう理解してほしいとかそういうものではないと思うんですね。翻訳や普及活動や各種文化的イベントといったその努力や組織が無駄だという意味では決してないのですが、その努力すらも文化の受容と影響のダイナミズムの一糸を成す形で飲みこまれていく訳なんです。で、これからも世界を一人歩きしていくだろう俳句に対して、私は希望を見出したいんです。私が死ぬことは確かだとして、その先に日本の俳句コミュニティが、まるでブラジルにおける日本語の俳人コミュニティのように小さくなる将来が来て、そのときにも私が愛した俳句は、形や様相を変えながら、きっと名前はそのままに、世界のどこかで愛されているんだろうなという未来への確信があるんです。私はその世界の様相を思うと、安堵のような温かい気持ちになれるんですね。あ、勿論その小さくなっていくだろう日本国内における日本語の俳句コミュニティにも、私は温かいものを感じます。決して憐憫のようなものではなく、です。で、ですね、話が長くてすみませんが、先ほどTさんの言われたように、「今の世界の俳句への理解には不足点や誤解がある」という意見もあります。私個人としては、「不足点」や「誤解」という価値判断を下す前に、その差異を楽しみつつ、色々な言語で書かれる俳句の共通性にも目を配りたいんですけれどね。で、まあその「不足点」や「誤解」に対して「日本の正しい俳句」を広めたいと思う方々や実際に活動をされる方々もいて、きっとそちらの方が日本の俳句界の意見としては多数派なのかなという肌感覚はあります。で、私のような静かな傍観者でありたい人間、悪くいえば主体的に変革を起すことを希望せず、そのエネルギーもないような人間からすると、活動する人たちは眩しくて力強い存在で、自分が関わるかはさておいても、少しでもその思いを理解したいという純粋な気持ちがあります。それと同時に私の思いとしては、そもそも俳句が独り歩きしていった起源とその旅路を知りたいと思っていて、例えばそれをここブラジルという地域から考えたいというそういうことなんです。

(F2さん)例えば寿司も、カリフォルニアロールとか、ブラジルでも人気の揚げた寿司とかあって、邪道だというかどうかみたいなことかしらね。ここブラジルでお寿司はもう食べられましたか。

(中矢)はい、クリームチーズと苺の乗った甘いお寿司や、揚げたお寿司(Hot Roll)もいただいて、どちらも個人的には好きでした。いや、やっぱりフルーツは分けて食べたいかもしれません(笑)。

(Nさん)中矢さんの日本に強くこだわらないという考えは、私たちのように日本の外に暮らした人間の考えと通じるところがありますね。歳を重ねると、すっかり行く先が見えて、つい人生を振り返りたくなるんですよ。これは本能的な欲求だと思います。それでもう離れて何十年も経つ日本の将来を心配して、日本に暮らしてきた貴女を捕まえて、色々と聞いたりしてしまうという訳なんです。

(F2さん)老人たちが口うるさくてごめんね!でもこんな機会なかなかなくて、貴重でしょう。

(中矢)はい、有難いです。勉強になりました。

(Nさん)中矢さんがF2さんの言葉が真に分かるようになるには60年くらいかかるんじゃないでしょうか(笑)。中矢さんが我々の歳になったとき、どんな風に考えるんでしょうね。そのとき振り替えることができるよう、今回の議論で感じたことは我々の機関誌でもいいし、是非何かに書いてみてください。記録もね、録ってありますから。

(Tさん)新年会の録音上手くできているか分かりませんが、あとで皆さんにお送りします。

(中矢)あ、録音されていたんですね(知らなかった)?!あの、F2さんにおかれましても、144歳くらいまでどうぞお元気で長生きされてください。

(F2さん)そんな長生き、冗談じゃないよ!(笑)

[補足]

最後の私の言葉に参加者が皆笑った。関西人の性なのだろうか、オチが上手くついて安堵したのを覚えている。実際にこのあとすぐこの昼食会はお開きとなった。

私個人の人生設計は未定だが、仮に会の参加者の方々の望むように、将来の私が婚姻や出産を行なったからといって、どなたが知ることでもなく、どなたのためのものでもなく、24歳の私を裏切るような行為でもないということははっきりと私のために書いておきたい。私の胸中を占めていたのは、会話が噛み合わない度に感じる困惑と、コンフォータブルゾーン(心地よい空間)の外にいるという実感と、久しぶりの中華料理のおいしさだった。

私には悲観主義や絶望だけでなく、ある種の楽観主義があると思うのだが、恐らくそれは伝わらなかった。人類がなかなか滅亡しないように、日本という国家もそう簡単になくなりはしないのだろうという希望的観測がある。ただし、「この世に生れることが幸せかどうかはわからない」という私の考えはやはり悲観的なものであって、参加者の方々との大きな違いだろう。ただし私自身生れてきたからには幸せになりたいし(現に幸せだし)、他者も幸せになってほしいという思いは、参加者の方々と私に共通した考えだろう。

加えて、苦悩や悲観主義からこそ生まれる希望や恍惚、そして耽溺があることを会の皆様には伝えそびれてしまった。が、この特権的なナルシシズムのような幸福は、私だけが分かっていればそれでいいと思う。心の一角を誰にも見せず触れさせず、これまで私は私を守ってきたのだろう。でも同時に語りたいという欲求も同時にあって、私の心の世界の一端や瞬間を俳句形式のなかで昇華させてきたのだろうか。

〔ポルトガル語版〕(escrevi o resumo no português)

Na reunião da restaurante, participei oito pessoas. Eu sou mais nova e outros são idosos. Eles me perguntaram sobre a problema da baixa de natalidade. Tenho uma ideia de tipo de antinatalismo e para mim foi difícil aceitar a ideia mais população nova creio mais felicidade. Também sou egoísta quero viver na minha vida. Um disse que o meu lado de pessimista é resultado da educação superior... A graça de educação, estou feliz porque posso entender o melancólico de inteligentes, escrito em literatura. Alem disso, estou feliz porque pela minha pesquisa posso acreditar que haicai/haikai(meu favorito poema) vai não morrer mesmo que depois o Japão ser extinto no futuro. O mundo incluindo o Brasil já tem fãs do haiku/haicai/haikai. Mesmo tempo, eu acredito que a comunidade de haiku no Japão não vai morrer até o último pessoa morrer, como a comunidade de haiku do imigrantes japoneses no Brasil. 


https://eumag.jp/spotlight/e0712/ 【俳句が結ぶ日本とEU】より

日本語だけのものでなくなった俳句

外国語で俳句を詠むと聞くと、5-7-5の17音節や季語はどうなるのか、そもそも外国語で俳句など作れるのか、と疑問を抱く人も多いだろう。だが、そんな疑問がほとんど意味をなさないほどに、俳句は「Haiku」として世界中で親しまれている。

英語俳句を中心に普及している外国語俳句だが、その解釈や定義には幅がある。季語を入れるべきだと考える人、季節感は各国・地域により違うし、季節がない地域もあるので共通の季語は不要と考える人など、多様だ。また、5-7-5に準じて作る人もいれば、形式は自由に作る人もいる。

いずれにせよ、俳句は短詩のジャンルのひとつとして世界的な広がりを見せている。米英を中心に英語俳句があり、アジアや欧州には諸言語で俳句を作る人がいる。日本でも朝日新聞が英語俳句の紙面を提供し、毎日新聞が英語やフランス語俳句のコンテストを主催している。ジャパンタイムスの「週刊ST」は英語学習サイトで毎週、日本の季節感に関する英語の語彙を定めて英語俳句を募集し、優秀作を紙面で紹介している。日本国内にも英語俳句コンテストを実施する大学や授業に取り入れている大学や高校がある。

詩人ヴァンロンプイと俳句

欧州理事会のヘルマン・ヴァンロンプイ常任議長は、句集『Haiku』(※1)を出版するほどの俳句愛好家である。議長はなぜ俳句に魅せられたのだろうか。本年4月19日、ブリュッセルの欧州連合(EU)日本政府代表部に松山市の観光俳句ポストを設置する記念式典の席上、自身と俳句との邂逅について次のとおり語っている(※2)。

「2004年の夏、俳句との邂逅がありました。[……]俳句は私の性格に合っています。私は自然や季節が好きです。科学者や生態学者としてではなく、美意識がそう仕向けるのです。なるべく少ない単語で自分を明快に表現する簡潔さも好みます。それは私を育んだラテン語の伝統に通じるものです。また、驚きや一見矛盾した見方で物事をとらえる逆説的な表現を好みます。[……]

俳句には私が愛してやまないもうひとつの側面があります。複雑で皮肉に満ちた現代世界に単純さを見出し、競争や抗争と嫉妬に満ちた世間に調和を発見する点です。俳句と出会うはるか以前に、私はこういった生き方を身に着けていました。俳句との出会いはいわば、そんな行動と考え方に王冠を戴いたようなものです。必然だったとも言えるでしょう。俳句の方から近づいてきたのではなく、私が俳句を求めて向かっていったのです」

ヴァンロンプイ議長直筆の俳句短冊(2012年4月、欧州連合日本政府代表部) ©European Council

ヴァンロンプイ議長は政治の舞台でも、俳句を詠んで場をなごませることがある。2011年5月28日、ブリュッセルで開催された日・EU定期首脳協議「絆サミット」の記者会見で、同議長は東日本大震災に見舞われた日本に思いを馳せて次の句を詠んだ。

The three disasters. (三つの災害があった)

Storms turn into a soft wind. (嵐は柔らかな風になり)

A new, humane wind. (新しい、優しい風になった)

(嵐去り後に残るは優しき心――菅直人前首相訳)

日本とEUで行う英語俳句のコンテスト

2010年4月、日本と欧州連合(EU)の定期首脳協議に出席するため、ヴァンロンプイ議長の同職就任後初の来日を記念して、日本の外務省とEUが「日EU英語俳句コンテスト」を主催した。開催に際し、近代俳句の創始者・正岡子規(1867-1902)を生んだ愛媛県松山市が後援に加わり、最優秀賞受賞者1名を松山市が受け入れることになった。

コンテストは3行書きを定型とし、季語の代わりにテーマを設定している。第1回はJapan and the EU relations(日EU関係)、第2回はKizuna – bonds of friendship(絆)、本年の第3回はDawn(曙)だ。日本国内かEU加盟国とクロアチア(2013年加盟予定)内に居住する日本国籍またはEU加盟国およびクロアチアの国籍を有する人であれば、誰でも参加できる。

2011年の第2回コンテストから、日本国内とEU域内それぞれ1句ずつ計2件の最優秀賞を選ぶことになり、EU側1名を愛媛県の道後温泉に招待、日本側1名をベルギーに招待している。過去2回のコンテストには日本から316名、EUから571名、延べ887名が応募した。応募者間の交流を図るべく、フェイスブックにコンテストのファンページも開設している。(※3)

ヨーロッパで学ぶ俳句の普遍性

第2回日EU英語俳句コンテストで日本側最優秀賞を獲得した大湯俊介さんは当時大学4年生だった。2009年のG8ユースサミットにも参加した国際派だ。現在は、趣味で絵を描いたり、焼き物や人形を作ったりする知人・友人の作品をウェブ上で紹介し、社会に広く認めてもらうための事業を企画運営している。

「コンテストのことは外務省のサイトで偶然知りました。特に俳句に興味があったわけではありませんが、欧州と英語俳句という組み合わせが面白かったので、応募しました。パッと句がひらめいて、10分ほどで応募作ができたんです」

コンテストの副賞でベルギーを訪れた大湯さん(2011年9月22日、ブルージュ)©Copyright 1998-2012 Delegation of the European Union to Japan.

Delightful moment / learning how to say thank you / in dozens of languages

これが応募作だ(楽しきかな多言語で言う「ありがとう」――編集部訳)。ベルギーを訪ねたときのことを振り返って、大湯さんは次のように語る。

「2011年9月、最優秀賞の副賞でベルギーに招待されました。出会った俳句関係者の多くは高齢でしたが、欧州の俳句人口の多さに驚き、俳句という表現形式のもつ多面性と普遍性をまざまざと見せつけられました。外国に住む彼らの方が日本の伝統文化について多くのことを知っているのは、新鮮な驚きでした。短い期間でしたが、強烈な体験でしたね。どこかで今の仕事につながっているように思います」

ブリュッセルに俳句ポスト設置

1968年以来、松山市は観光俳句ポストを設置しており、その数は同市内を中心に日本国内101カ所に及んでいる。年間の投函数は約12,000件だ。日本語のほか英語や中国語、韓国語でも受け付け、2カ月ごとに選句して、地元の愛媛新聞紙上で発表している。海外初の俳句ポストはブリュッセルの駐EU日本政府代表部の建物入り口に置かれている。松山市は今後EU域内の他の場所にも設置し、英語俳句コンテストの拡大にもつなげたいとしている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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