Facebook清水 友邦さん投稿記事
有名な「死の受容のプロセス」を発表したエリザベス・キューブラー・ロスはナチス‐ドイツによって30万人以上が殺されたマイダネック強制収容所を見学したときに壁に描かれた何十万もの蝶の絵を見ました。
『蝶だった。見ると、いたるところに蝶が描かれていた。
稚拙な絵もあった。精密に描かれたものもあった。
マイダネック、ブーへンヴァルト、ダッハウのようなおぞましい場所と蝶のイメージがそぐわないように思われた。
しかし、建物は蝶だらけだった。別の建物に入った。やはり蝶がいた。
「なぜなの?」わたしはつぶやいた。「なぜ蝶なの?」
エリザベス・キューブラー・ロスはそれから25年間
その問いを問いつづけました。なにか特別な意味があることはたしかでしたが答えがみいだせない自分をもどかしく思っていました。
精神科医として死をテーマにして20冊もの本を書き、世界各地で数多くの講演をしてきたエリザベス・キューブラー・ロスですが晩年、脳梗塞に見舞われて左半身麻痺になりました。7年間介護を受けた後の2004年、78歳で 他界しました。
致命的な病気の宣告をうけたときに人生がおわるのではなく、そのときに人生がほんとうにはじまります。
最悪の事態に直面したときに、人は成長します。
生と死のあいだの人生で父、母、妻、夫、上司、いい人という役割を演じる偽りの自分を生きています。
死が目前にせまったとき自問します。
「死んでいくのは、いったいだれなのか?」
「あらゆる肩書きと役割がなくなった自分とはいったい誰なのか?」
自己探求が始まるのです。
さまざまな役割の層がひとつずつはがれていくと、内奥にひそむ、自分にとって好ましくないものがみえてきます。
自分の内側の暗い側面を否定せず自分の不完全さを自覚をもって受け入れた時、あるがままの本当の自分の全体性に戻ることができます。
「死にゆく人をみるとき、わたしたちがみているのは、もはやかれらの欠点でも、過ちでも、それまでは関心の的だった病状でもなくなっている。みているのは、ただその人だけだ」
死を前にしてエリザベス・キューブラー・ロスは次のように語りました。
愛はあらゆる方法で「ほんとうの自分とはなにか」を教えてくれている。
わたしたちのほとんどは、愛を経験したことがない。
経験してきたのは愛ではなく報酬である。
子供のころ、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、おばあちゃんにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、「愛してもらえる」ことを学んできた。
愛されようとして努力はしたが、それが条件つきの愛であり、偽物の愛であったことに気づかなかった。
いちいち他人からの承認を必要とするような愛をほんとうの愛とよべるだろうか?
わたしがまだ生きているということは、まだ学ぶべきレッスンがあるということ
大事なことは2つ。
愛を与えること。
愛を受け入れること。
「自分を愛していなかったから私は愛を受け入れられなかった。
What do you think love is?
それが最後のレッスンなのよ。
「生きてる間に充分にダンスをして来なかったわ。
だから死んだらすべての銀河でダンスをするつもりよ。」
「蛹を脱ぎ捨て蝶になるように、私たちは物質的エネルギーから精神的エネルギーになるの。完全な存在にね。」
「地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。
蝶が飛び立つさなぎみたいに、
からだはたましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手ばなしてもいいわ。
そしたら、痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。
神さまのお家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように自由に」
(死にゆく子供たちへの手紙)
動画をどうぞ 「最後のレッスン ~キューブラー・ロス かく死せり~」
https://www.youtube.com/watch?v=Tp0eYiAOsZY#t=1971
参考書籍
死ぬ瞬間/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間 新 子供の死/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間 続/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間と臨死体験/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間 エイズ/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間の対話/エリザベス・キューブラー・ロス
死ぬ瞬間の誕生/エリザベス・キューブラー・ロス
死後の真実/E・キューブラー・ロス
生命尽くして/E・キューブラー・ロス
命ある限り/E・キューブラー・ロス
人生は廻る輪のように/エリザベス・キューブラー・ロス
ライフ・レッスン/E・キューブラー・ロス
永遠の別れ/E・キューブラー・ロス・デーヴィッド・ケスラー
キューブラー・ロス 生と死の癒し/卜部文磨
宇宙意識への接近/河合隼雄+吉福伸逸
連想するのはチベット「死者の書」バルド
清水 友邦
2021年5月18日 ·
人は誰でも死にます。
この世を去ります。
死を避けることは誰も出来ません。
しかし、現代社会は死を忌み嫌います。
死は悲しみであり、恐ろしく、最大の不幸だからです。
死は悪であり、負けることであり、ネガティヴなイメージに満ちています。
人は死に対して動揺し、うろたえます。
死と向き合い受け入れることを拒否して逃げてしまいます。
先住民の文化で死とは魂が肉体から解き放たれて自由になることを意味しています。
別な言葉で言えば時間と空間を超えて
存在の形態が変わることです。
風になります
水になります
川になります
雨になります
土になります
花や樹木や岩になります
雲や青空になります
鳥や蝶々になって自由に飛びまわり
星になって輝き
宇宙全体の中に溶け込みます
臨死体験や体外離脱体験、シャーマン意識状態などの非日常的な変性意識の体験をすると、
宇宙に存在するあらゆるものがお互いにつながりあっているという自覚が芽生えます。
この世に偶然はなく、共時性に満ちあふれた深い神秘の世界が現れます。
それまで自分だったと思っていた肉体が機能しなくなった時
自己の本質に気がつく最大のチャンスです。
チベット密教では死の瞬間に法界(本当の世界)からクリヤーライト(根源的な叡智・原初の光明)が輝き現れてくるので、その光と一つになることによって生死のカルマの業から解脱できると教えています。
ところが死にゆく人の意識が眠りこけたままだと肉体の死を迎えても解脱できずに再び転生輪廻を繰り返すのです。
心の本性の上を覆っている偽りの自我を取り去ってしまえば、光明はいつでも輝いています。
肉体の死ではなく自我の死を迎えなければ光明に気づけません。
わたしたちの本質は肉体ではなく光明そのものであり、今ここに変わることなく存在しています。
生きながら死んでいる存在なのです。
自分の本質が身体ではないということを知っている文化が花開くなら、必要以上に死を恐れる必要がなくなるでしょう。
親父が他界したとき私はインドに滞在していました。
カミさんから知らされたとき、すぐに飛行機の予約をしましたが取れませんでした。
長男が帰ってこなければ葬儀ができないというので、再度、航空会社を訪れて父親が亡くなったので急いで帰国しなければならない旨を真剣に話しました。
すると担当者の顔色が変わり、すぐにチケットを手配してくれました。
鉄道も飛行機も親父が死んだというとすぐにチケットが取れたのにはびっくり驚きました。
何事もスムーズに事が運ばないインドですが
日本と違って家族との絆をなによりも大切にする国だということがわかりました。
おかげであっと言う間に帰国できて日本の葬儀にまにあったのです。
母親が他界したとき、坊さんを呼びませんでした。
親父の葬式の坊さんに幻滅したからです。
自分で母にお経をあげて納棺して火葬しました。
死者の遺体が腐敗・白骨化して霊魂が地上から離れるまでの期間を古代では殯(もがり)といいました。
心理的には死による喪失感が癒されるまでの期間となります。
葬祭は遺族にこころの区切りをつけてくれます。
もし悲しみを心に閉じ込めて死から逃げてしまえば殯(もがり)が終わらないことになってしまいます。
悲しみを溜め込んでしまうのです。
母の時には次のように話しかけました。
お母さん
あなたの肉体の活動は停止しました。
この地上の人生は終わったのです。
お母さんお別れです。
お世話になりました。
ありがとうございました。
肉体の死を受け入れて下さい。
それでも私という意識があるのは本当は死んでいないからです。
眩しい光が見えますが怖がらないで
ゆっくりと光の中に入っていってください。
囚われた考えや身体から自由になります。
驚くような音が聞こえるかもしれませんが
今までの考えや執着を手放して
光の方へ歩いてください。
生きていた時の思い出
あらゆる感情
それはもう過ぎ去ってしまいました。
心に浮かぶ古い考えはもう必要ありません。
お母さん
あなたはもう死なないことを知っています。
光輝く世界にくつろいでください。
リラックスしてあるがままにしてください。
目の前で輝く眩しい光の中に入ってください。
お母さんも同じように光輝いていることを知るでしょう。
それは阿弥陀様やお釈迦様が出している光と同じひかりです。
それは地上を終えた魂が必ず出会う光です。
その光はすべての執着から解き放ってくれます。
光の道を歩むとわかります。
本当のお母さんは光なんです。
すべては光だったのです。
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