五島高資小論  石母田星人

http://takagoto5.seesaa.net/article/473696889.html 【五島高資小論  石母田星人】より

 「長歌や短歌などの五七調は七七というリフレイン構造によって完結する。俳句はそのリフレイン構造を放棄して韻律的に尻切れトンボのような形になった。脇に依存しない完結性を持たせるため、切れが用いられる」―。多くの「切れ論」にはこのような表現が登場する。目にするたび思う。七七のリフレイン構造がなぜ完結につながるかを探れば、代用である切れも分かるはずだ、と。しかしそこには誰もあまり触れない。別文芸にまたがるから触れないのではなく、言葉の根源に踏み込んで別の学問の知識が必要になってしまうからだ。こんなところに手をのばしてくれるのが、あらゆる学問に精通した俳人五島高資だ。

 長歌や短歌などにおいてはこの連続する自己生成も最後には七七というリフレインによって一首として一応完結する。このことは五七・五七のあとに七が付くことにより形成される七七というリズムへの変調が、五七の連続性を断ち切る作用によるものと考えられる。このことは遺伝子からの翻訳による蛋白質合成が終止コドンと呼ばれる特別な塩基配列で終了するのに似ている。

 蛋白質の合成は一般に六十四種類のコドンによって制御されている。デオキシリボ核酸(DNA)上のコドンは三つの塩基の組み合わせによって蛋白質を構成する特定のアミノ酸をコードしており、プリン塩基であるアデニン=Aとグアニン=G、ピリミジン塩基であるシトシン=Cとチミン=Tの四種類の塩基によって構成されている。ただし、リボ核酸(RNA)では、Tがウラシル=Uに置換されている。具体的には、まず目的の蛋白質をコードするDNAが、RNAに転写され、さらにそのRNAが翻訳されて蛋白質が合成される。RNAからの翻訳は、開始コドンAUGによって開始され、終止コドンによって蛋白合成は終了する。この終止コドンには、UAA、UAG、UGAの三つのコドンがあり、いずれもアミノ酸はコードされていない。ここで注目すべきことは、Uは、ピリミジン塩基、AとGは、共にプリン塩基であり、つまり、三つの終止コドンすべてに、ピリミジン塩基のあとに、二つのプリン塩基が続くというリフレイン構造が見て取れることである。このことは、リフレイン構造への変調による終止機能の根源が遺伝子レベルにまで遡ることを示唆するものとして興味深い。(「近代俳句の超克『音楽性』という視座から」五島高資)

 翻訳終了の際のヌクレオチドの三つ組暗号の構造、塩基配列に注目した理論。蛋白質は人体の肉や酵素のもと。その組織が根源のところでリフレインの据わりを希求しているというのだ。「仮名序」をルーツに持つ旧態依然とした歌論、俳論や詩学、文学、言語学、韻律学または声楽、音楽理論、音階構造、旋律構造の面などからではなく、直観的に是と感じた生物学からのアプローチをとった。どうだ、これが五島高資だ。

疑問がないわけでもない。ナンセンスコドンのピリミジン塩基と二つのプリン塩基構造が、停止の際の変調スイッチとするならば、アミノ酸グルタミンをコードするCAA、CAGと、アミノ酸アルギニンをコードするCGAのリフレイン構造はどうなのかということになろう。だがこんなことは論の妨げにならない。

 五島はこのあと「リフレイン構造はある事象の終止を示す一方、次の事象の開始を予感させるという本来リフレインが持つ継続性を内包するとも言える。そのことが長歌の後に反歌が続き、あるいは連歌における短句に再び長句がと続くというような循環連鎖構造の発展へと繋がったと考えられる。このことは俳句形式の発生にも重要な関りを持つ(要約)」と書く。

 長歌、短歌においては七七というリフレインによって一応の歌体完結を示すことによりそれぞれの歌体の独立が保証され、俳句は七七という予定調和的な解答を放棄することによって、「切れ」における直感的あるいは無意識的な共有感覚を介して他者の心の内に予期せぬ言外の解答を求めることになった。

 五島の生物学へのアプローチで「切れ」が少し見えてきた感じがしないだろうか。難解な部分を避けて通らず、他分野からの援用を説明に巧みに使い果敢に挑戦する姿勢に頭が下がる。

 さて、一九六八年生まれの五島高資は二十代で俳壇に登場。すぐさま頭角を現し、金子兜太に「根なし草の新人とは違い頼もしい」と言わせている。九五年に現代俳句協会新人賞を受賞し、翌年には句集『海馬』を発行。九八年にはインターネット俳句会「俳句スクエア」を創設。二〇〇〇年にはその類まれなる才で現代俳句協会評論賞を得ている。その後の活躍はご承知の通り。

 インターネット俳句会「俳句スクエア」は当初、五島の作品と評論を掲載する零細なページだったが、「俳句スクエア集」という月例の読者投句欄を開設したことで勢いがつく。手軽に居ながらにして作品を発表できるという魅力的な舞台を整えたことで、世界中の、園児から年配者までの投句が殺到。全国インターネット句会の創成期の牽引役となった。ネット運営と併せて年刊「俳句スクエア」を発刊したのは〇二年から。ネット俳句会の活動を活字として広く江湖に問い、ネットだけではなく紙媒体も併用して使い、活動を後世に正しく残したいとの考えである。「俳句スクエア」の目標には①言葉で以て言葉を超える俳句を目指す②様々な芸術との交流を通して現代俳句の深化を目指す③芭蕉、蕪村、子規につづく第四の俳句復興に寄与する―を掲げている。

  宝貝ならべて東シナ海とする      高資

  黒潮や沈む陸へといなびかり

 五島高資の現在の興味は高天原。彼の故郷五島の福江島に高天原が実在した説を実証しようと取り組んでいる。彼はこの研究でも多くの分野に手を広げ学んでいる。歴史学や考古学だけではなく、地質学、生態環境学、海洋学、民俗学、言語学、文学、人類遺伝学などの学際的で多元的な視野を包括する、空間的要素と時間的要素を統合する新しい次元の総合科学的な見地から古代日本の真相に迫ろうとしている。そしてそれを体現する「地域学」という新しい学問分野をも提唱している。高天原五島・福江実存説の実証は、彼が遠い祖先から与えられた使命なのだろう。

 学説の正当性が証明できれば五島・福江の新たな歴史も動き始める。その上、地域学的視点から中国大陸の少数民族・彝族などにおける七五調の歌の源流にも遡ることができるかも知れない。


https://ooikomon.blogspot.com/2014/08/56_11.html 【「豈」56号、石母田星人「五島高資小論」について・・・】

残暑お見舞い申し上げます。

「豈」56号の「特集●第三次『豈』十年の新撰世代・五島高資」における石母田星人氏の「五島高資小論」についての玉文中、2か所2行にわたる脱落文が生じましたことを、まずお詫び申し上げます。

著者校正のもどり、並びに再校ゲラを確認しましたところ、校了までのゲラには、2か所の脱落文は生じておらず、現在、印刷所に原因を問い合わせているところです。

とりあえずで恐縮に存じますが、読者の方々には、石母田星人「五島高資小論」に以下の脱落部分の文を加えて、訂正の上、お読みいただければ幸甚です。

よろしくお願い申し上げます。

☆「豈」64ページ下段、最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「をとった。どうだ、これが五島高資だ。」

☆65ページ上段最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「評論を掲載する零細なページだったが、『俳句スクエア集』とい」

石母田星人氏並びに読者の方々にはご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます、とともに、時期は遅れて申し訳ありませんが、改めて次号「豈」57号に訂正の上、全文を再掲載させていただくことでご了承をお願いいたしたく存じます。

末筆になりますが、皆様のご健勝、ご自愛を祈念申し上げます。


https://www.hmv.co.jp/artist_%E7%9F%B3%E6%AF%8D%E7%94%B0%E6%98%9F%E4%BA%BA_200000000463026/biography/ 【石母田星人 プロフィール】より

昭和30年宮城県生まれ。平成7年「滝」同人。平成12年「俳句スクエア」同人。平成13年第1回俳句スクエア賞。平成14年第1回滝俳句賞。平成16年句集『濫觴』(ふらんす堂)。平成15年度宮城県芸術選奨新人賞。平成17年第10回加美俳句大賞。平成17年度宮城県文芸賞。現在、「滝」同人、「俳句スクエア」編集長、現代俳句協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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