https://note.com/love_myurua/n/n8a6e68365e44 【人生の秋】より

Myuruaです。暑さも落ち着き、日中も過ごしやすくなりました。温かい飲み物が美味しく、秋が深まってきているのを感じます。秋といえば、人生にも秋があるという事を最近知りました。先日、婦人科検診を受けたのですが、その時に先生に閉経が近い事を告げられました。

閉経の前後10年間を更年期というそうです。更年期は、『思秋期』とも表現されます。

10代の若い頃が思春期で春だとしたら、私は、人生の秋真っ只中にいます。

ここ1年ぐらい女性ホルモンがどんどん減ることによる心身の変化には気づいていました。

そして、それがあまり楽ではない事にも。

それを緩和する方法を模索してましたが、先生と相談して、大豆から出来たエクオールというサプリメントを摂る事にしました。

エクオールは、女性ホルモンに似た作用があるので、急激に減っている女性ホルモンを補ってくれるそうです。

他にも、ヒーリングでチャクラのバランスを取ったり、気功も効果があるので、YouTubeで気功を流したりしています。

YouTubeにサティさんという気功師がヒーリングチャンネルを開設していて、自律神経を整える気を流しておられるので、タイマー設定をして、流しています。

また、春が好きで、あまり秋に良いイメージを持ってなかったのですが、考えを改めました。

春よりも人生経験という実りが多く豊かな季節だと気づきました。

これから熟成したビンテージワインのように素敵な時間の重ね方をしていきたいと思います。

ここまでお読みくださってありがとうございます。


Facebook相田 公弘さん投稿記事 【老いたるは、なおうるわし】

正法寺住職・愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…

久々に中学時代の同級会に出席しました。かつてそれほど美しくなかった友が、深いしずけさをたたえた美しい人になっていました。反対に美しかった友があまり目だたなくなっていました。何十年か会わなかった間の、一人ひとりの友の生き方に思いをはせたことです。

深い美しさをたたえた友の人生は、必ずしも幸せなものではなかったようです。

“上手に苦労をした人だな”。不幸なできごとを肥料と転じて、人生を深く豊かなものにしてこられたのだな”と思ったことです。

「仏法とは、此方(こちら)の目や耳や頭を変えることじゃ」これは沢木興道老師の言葉です。沢木老師は幼くして両親や、預けられた叔父さんを失い、最後に遊郭街の裏町にある沢木家にもらわれていきました。

ある日、廓(くるわ)遊びをしながら死んだ男の姿を見て、「いつなんどきお迎えがくるかわからん。内緒ごとはできんわい」と悟られ、「両親や叔父が相ついで死んでも目がさめない私のために、菩薩(ぼさつ)がこのような活劇を見せてくれた」と悟り、出家されました。

廓通いをしながら死んだ男さえも菩薩の化身と拝むことができたとき、沢木少年の心には菩薩として、光として刻みこまれてゆくのです。

一般世間では嘲笑ものでしかないことも。

問題は向こうにあるのではなく、どこまでも受けとめる側、自分にあるといえましょう。

女あり 二人ゆく 若きはうるわし 老いたるは なおうるわし 《ホイットマン》

若さ=美しさは自慢にはなりません。

「老いたるは なおうるわし」、皺(しわ)がなくて美しいというのではない。

白髪がなくて美しいというのでもない。

皺の一本一本、白髪の一本一本に、それまでの人生の一つひとつにどう取り組んできたか、その生きざまが、いぶし銀のように光る、人格の輝き、それが「老いたるはなおうるわし」というのです。かつて芸大の学長であった平山郁夫先生と対談したことがあります。

そのときの心に残る言葉として、「一枚の絵は、それまでの人生をどう生きてきたかの総決算」であり、「技ではない。日頃、描き手が身につけたもの、蓄積したものしか出てくるはずがない」と語られたことです。

本命はどこまでも「わが人生をどう生きてきたか」であり、それが一枚の絵の味わいとしておのずからにじみ出るというのです。

早稲田大学の美術の先生で、歌人でもあった会津八一先生は、「御同様(ごどうよう)、気をつけて、美しき人になりたく候」と知人に書き送っておられます。

日々を大切に生きて、美しき人になりたいと思うことです。

《これまで生きてきた人生の総決算の姿が、今の私》『泥があるから、花は咲く』幻冬舎

蓮(はす)の花は、泥の中で咲く。

人生としてそれを考えるなら、泥とは、困難や、つらいこと、不幸なできごと。

しかしながら、蓮の花は、その泥の臭(にお)いや、厳しさを、その身に少しも残さず、きれいな香りを放って咲く。不幸なできごとを肥料と転じて、味わい深く生きてきた人だ。

反対に、つらいことや不幸なことに対し、始終、不平や不満をいい、他人やまわりのせいにしてきた人は、底意地の悪さや、いらやしさ、恨(うら)みなどが顔に出る。

つらいことや不幸なことなど、酸いも甘いも噛(かみ)分けて、善き人生経験を積んできた人の顔には限りない魅力がある。「老いたるは、なおうるわし」

男も女も、老いてますます美しい人でありたい。


https://ameblo.jp/otegami-fan/entry-12767000047.html 【命とは「いま、いま、いま」の連続——青山俊董老師が選んだ人生の結論】より

いただいた、たった一度の人生を何に懸けるのか――。日本を代表する尼僧・青山俊董老師が若き日に選んだ人生の結論は、尼僧として仏法に生涯を捧げることでした。愛知専門尼僧堂での日々の厳しい修行を通して自らを掘り下げながら、多くの雲水の指導、執筆、講演など仏法の伝道に努めてきた青山老師に、その求道の歩みと人間が根を深めるための要訣を伺いました。

・・・・・・・・・・・・・・・

■塩によってぜんざいの甘みが増す

――……お話を拝聴しながら、青山老師が厳しく自己に立ち向かいながら、自らを深く掘り下げていらっしゃる姿が伝わってきました。

〈青山〉

たった一度の命をどう生きるか。結局はそのことに尽きるでしょうね。

選ぶ人生、授かりの人生という話をしましたが、命というのはいま、いま、いまの連続です。いまここを、いただいた命に相応しい生き方として選んでいく。そのことで人間が磨かれ、人間としての根が深まっていくと思います。そして深まるほどに、足らない自分というものに気づいていく。

何事も一所懸命に打ち込もうとする姿勢はもちろん大事だと思いますが、それだけではくたびれてしまいます。しかし、生かされた命ということが本当に分かってくれば、自ずからそれに相応しい生き方をしないではおれなくなる。学ぶほどに足りない自分に気づけば、限りなく学ばないではおれなくなる。

そうすれば学ばせていただくこと自体が大きな喜びですわな。「遊化(ゆけ)」という言葉がありますが、私など毎日、知らなかった、足りなかった、気づかせてもらえたと、その喜びばかりです(笑)。

ー人生が一度きりであることを強く自覚することが、より人生を豊かにしてくれるということなのですね。

〈青山〉

そう思います。人生は一度きり、それをどう生きるかという自覚が生まれれば、吉川英治さんが「我以外皆我が師」とおっしゃっているように、よいことも悪いことも、自分の心次第ですべて人生の根を養う材料にすることができます。

こういうことがございました。私は42歳の時、ならざるを得ない格好でこの尼僧堂の堂頭になりました。開闢(かいびゃく)四恩師(尼僧堂を開いた4人の尼僧)の流れの方で、しかも70歳、80歳の高齢の人が堂頭になるという伝統の中で、若く、四恩師の流れでもない私が堂頭になることに強く反対する一部の方たちがおられ、相当長い間、活動を妨害されました。

古くなった尼僧堂の建物の改築を検討する時にも会議の議長が反対派に取り込まれ「青山さんが堂頭である限り、絶対に手伝わないと言うメンバーがいる。いい顔して手伝う者ばかりではないから、そのつもりでいろよ」という言葉を投げ掛けられ、相当に堪えたこともあります。

そういう中で私を支援してくださった方、心配してくださった方も多くおられました。ありがたいことにたくさんの寄付をいただくこともできましたが、ある教え子から

「堂頭さん、ご苦労が多いですね。しかし、ご苦労されることで人間が大きくなりますね。ぜんざいの甘みを添えるのは砂糖よりも塩が大事だと言いますね」

と言われ、「ああ、全くその通りだな」と教えられました。

それからは反対派の人たちは私の人生の根を深める塩の役を務めてくれたんだと思って、拝んでいくことを決意したんです。

(本記事は月刊『致知』2020年11月号 特集「根を養う」より一部を抜粋・編集したものです)

◇青山俊董(あおやま・しゅんどう)

昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000