Facebook「俳句スクエア」交流広場 ·本田 孝義さん投稿記事 ·
朝日俳壇の選者でもあった、俳人の金子兜太さんが昨年亡くなりました。その最晩年の姿を撮ったドキュメンタリー映画が『天地悠々 兜太・俳句の一本道』です。金子兜太さんの生い立ち、戦時中の経験、俳句に対する姿勢などが描かれていて、とてもいいドキュメンタリー映画でした。現在、公共ホールで上映しているようです。次回は、5月29日に上映会があります。
https://tota-tenchiyuyu.com
https://tota-tenchiyuyu.com/works.html 【作品紹介】より
稀有な日本人、ぶれない巨大な原木の貴重な記録。不透明な未来への道標。
社会状況が劇的な変化を遂げる今、先の見えない不安と焦燥を抱える私たちを励まし続けてくれる人がいます。世界で最も短い詩「俳句」に人生を懸けた金子兜太さんです。その兜太さんを2012年から2018年最期を迎える直前まで折にふれて撮り続けたドキュメンタリー映画が完成しました。兜太俳句を縦軸に、最晩年となる足かけ7年間のインタビューを織り交ぜながら構成。兜太さんとの語らいの場を慈しみ、兜太さんに寄り添うように丁寧に撮り進められた貴重な映像記録です。
ありのままの兜太さんは、ときに山間の出で湯に浸かり、一杯のお茶を味わい尽くし、自作を詠み解き、父親直伝の秩父音頭を絶唱し、時世を案じ、平和を模索します。
監督は、NHKのディレクターとしてドキュメンタリー番組「がん宣告」「NHK特集 シルクロード」「チベット死者の書」などで数々の賞を受賞、大ヒット作『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』で知られる河邑厚徳。
産土の秩父に根差した骨太の言葉、映像だからこそ伝わる息遣い、自然体の語り口と深く温かいまなざし。すべて記憶として永く私たちの心にとどまることでしょう。
金子兜太 (かねこ・とうた)
俳人。1919年埼玉県生まれ。東京帝国大学経済学部卒。旧制水戸高等学校在学中に句作をはじめ、加藤楸邨に師事。1943年日本銀行に入行、従軍を経て、終戦後復職。1974年同行を定年退職。1955年第一句集『少年』刊行。1956年現代俳句協会賞受賞。1962年同人誌『海程』を創刊、1985年から主宰に。1983年から現代俳句協会会長、1987年朝日新聞「朝日俳壇」選者。1988年紫綬褒章を受章。1989年「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」選者。2008年文化功労者。2015年中日新聞、東京新聞の「平和の俳句」選者。句集に『暗緑地誌』『遊牧集』『皆之』『両神』『日常』など。小林一茶、種田山頭火の研究家として著書多数。
https://tota-tenchiyuyu.com/director.html 【監督紹介】より
『天地悠々 兜太・俳句の一本道』完成に寄せて
監督・脚本 河邑厚徳
偉い人はたくさんいるが、兜太さんほど多くの人から愛されている日本人を私は知らない。人間喪失の時代、生きとし生けるもの全てを肯定する兜太俳句に励まされる者はますます増えている。私たちが最後に頼れると信じていた存在、兜太さんは昨年の2月20日に98歳で急逝。大きな穴がぽっかり開いた……。
2012年から折にふれ、兜太さんを撮り続けるという貴重な機会をいただいた。兜太さんはぶれることなく泰然としなやかで、ときに笑い、憂い、唸り、唄い、そして詠む。その世界は深く宏大で、語らう至福の時間は永遠に続くものと信じていた。しかし、最期が突然、訪れた。
今こそ、ありのままに生き抜いた兜太さんの映像を記憶として共有したい。その強い想いから『天地悠々 兜太・俳句の一本道』を完成させた。ひとりでも多くの方々に観ていただき、兜太さんのこの記録が不透明な未来への道標となることを切に願う。
河邑厚徳 (かわむら・あつのり)
映画監督、映像ジャーナリスト。1948年生まれ。東京大学法学部卒。NHKに入局以来ディレクター、プロデューサーとして「がん宣告」「NHK特集 シルクロード」「チベット死者の書」等の作品で新しい映像世界を開拓。国内外で数多く受賞すると共に日本におけるTVドキュメンタリーのスタンダードを確立。初の長編ドキュメンタリー映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』(12)も高い評価を得る。『大津波 3・11 未来への記憶』(15)、『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』(16)に続く4本目の長編映画になる。
https://tota-tenchiyuyu.com/comment.html 【コメント】より
温かいメッセージが届いています!
とりわけ亡くなった2月はじめの取材のときに、遠い世からの誘いを内で拒否しながら、表情の上で、この世にとどまる反応をみせる顔や口のうごき、舌のうごきの無音。たいへん迫真的な記録とぞんじます。
現代俳句協会特別顧問宮坂静生
兜太先生が、どこまでも金子兜太であり続けた生きた記録。「人間」の「社会」の「平和」の自由な表現に挑み続けた俳人金子兜太を永遠のものとする映画が誕生した。
俳人夏井いつき
金子兜太の俳句には圧倒的な幻視能力と、それを言葉で解体、創作する力がある。けれども同時に、本人が持っていた山脈のごとき存在の大きさやなだらかさ、温かさやユーモアにも希有なものがあり、それは文学と別に後世に残されるべきだ。この映像のように。
作家/クリエーターいとうせいこう
秩父の山合いの川の中から桃太郎のように生まれ、掬いとられ、あとは自身がその天性を生かしきった人生だったと、この映画は語ってくれました。
元岩波書店専務今井康之
映画の中の一枚の写真が面白く写った。今にも駆け出しそうな幼い兜太さんの手首を御母堂のはるさんの大きな手ががっしりと掴んでいる。思わずはるさんに声を掛けてしまう。「大丈夫。兜太さんはもうどこにも行きませんよ」と。
小児科医/俳人細谷亮太
ほぼ百年、一世紀にも及ぶ生涯をゆったりと歩み、たっぷりと生き切った人・俳人金子兜太さんの生き方はドラマティック。実に魅力的です。愛と勇気のある人・金子兜太さんは今もこの映画の中に生きて居られます。いつでも逢える、嬉しいことです。
俳人黒田杏子
俳句とギター、違う世界で生きておられた金子先生とのご縁を「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」がつないでくれました。山のように大きな人間力、海のように深い精神力、大木のように力強い体力、そこに色彩豊かな花のように明るいユーモアが備わっておられるのだから無敵! いつでも最晩年の先生を身近に想うことができる映画が誕生したことに喜びを感じています。
ギタリスト村治佳織
Facebook鈴木忍さん投稿記事
金子兜太さんが亡くなられてまもなく4か月。朝日俳壇の後任選者が注目されていましたが、なんと、高山れおなさんに決まったとのこと。驚きました!!
各紙の新聞選者で最も若い49歳で、現役の編集者。大抜擢です。偶然にも一昨日お目にかかったばかりでした。
兜太さんの後任とは重責ですが、どのような選句をされるのか今から楽しみです。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15247271.html 【選句は「作者と私との対話」 朝日俳壇、新選者に小林貴子さん】より
朝日俳壇の選者に、現代俳句協会副会長で俳誌「岳(たけ)」編集長の小林貴子さん(62)が4月から加わる。1月に退任し、先月死去した稲畑汀子さんの後任となる。
長野県飯田市生まれ、松本市在住。信州大学在学中の1981年、信州大学学生俳句会と松本市に本拠を置く「岳」俳句会に入って俳句を始め、「岳」主宰の宮坂静生さんに師事した。
82年から97年まで「鷹(たか)」俳句会にも所属。創刊主宰の藤田湘子(しょうし)は「まぎれなく稀(まれ)に見る大型新人」と絶賛した。
俳句を始めたころを、こう振り返る。「文学少女ではあったけれど、社会とうまく接触できず、心の中の泥炭を抱え、硬くうずくまっている状態だった」。だが季語の世界、例えば実物の銀ヤンマ、滝、冬山などと出会うことで心が豊かなもので満たされ、呼吸が楽になっていったという。
だから今も作句の基本は「季語と仲良くすること」だと話す。「その季語に新しいテイストを少しでも盛り込んで、自分なりに新しい地平に出たい」
句風は自在。父の臨終に際して詠んだ〈命終(めいじゅう)の銛(もり)打つは誰(た)そ月の夜〉のような荘厳な句も、〈大阪の夜のこてこての氷菓かな〉といったユーモアあふれる句もある。句集に「海市(かいし)」「北斗七星」「紅娘(てんとむし)」、星野立子賞を受賞した「黄金分割」がある。
選句は「作者と私との対話」と言う。評は「私はこんなふうに心を動かされました」ということを素直に書きたい。選者とは、俳句と読者との架け橋で、作者から受け取ったバトンを読者に手渡す役目でもあると思っている。「気負わず、良い句を見つけて、読者の方々に届けたい」
朝日俳壇の選者になることが決まってから、担当記者の私に来たメールにこうあった。「身の引き締まる思いです。キュッ!」(西秀治)
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