ミシャクジ

Facebook滝沢 泰平さん投稿記事  古代縄文時代の神であるミシャグジ。

その御神体は、諏訪大社の御神体である守屋山(もりやさん)と言われています。

ミシャグジも大蛇の神と言われており、同じ大蛇の神として日本でももっとも有名なのは、何と言っても奈良県桜井市にある三輪山の大蛇「大物主」。

ただ実際は、この三輪山の大蛇である大物主は、古代日本の太陽神であった男神アマテル「饒速日(ニギハヤヒ)」であったと言われています。

そこで最近になってミシャグジの正体について話題となっているのが、実はニギハヤヒ。

タケミナカタ=ミシャグジ=ニギハヤヒ=諏訪大社の男神というものです。

諏訪大社上社には、男神アマテルであるニギハヤヒが隠されて祀られており、そして反対に諏訪大社下社には、対となるパートナーである女神が祀られていると・・・。

タケミナカタのパートナーである女神は、諏訪の神話に出てくる八坂刀売命(ヤサカトメ)ですが、この女神は記紀神話にも出てこない、諏訪地方独自の女神であります。

ミシャグジがニギハヤヒであるならば、ニギハヤヒの正妻は、月・水の女神である瀬織津姫(セオリツヒメ)。

つまり、タケミナカタとヤサカトメの恋物語は、太陽神ニギハヤヒと月の女神セオリツヒメの恋物語ではないかと言われています。

すると、この御神渡りは、ニギハヤヒとセオリツヒメが結ばれる陰陽統合の神秘現象、神のまぐわいのご神事。

諏訪湖が子宮となれば、新たな龍がまた生まれるのかもしれません。

2018年の御神渡りは、このまま寒波が続けば節分過ぎのタイミングに見られるかもしれないとのこと。

節分・立春、これもまた非常に良いタイミングで御神渡りが出現しそうであり、もし無事に御神渡りが出たら是非とも現地に実際に観に行きたいものです。

(天下泰平ブログ『イエス・キリストの再臨「諏訪湖の御神渡り」』より)


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諏訪には龍神様がいる。諏訪で語り部として活動される神尾修さんが、キブツハウスで「諏訪の龍神さまのお話し」を語ってくれました。

友達も少なく、ごく普通の価値観、競争社会の中で生きてきた神尾さん(76歳)、2年前に

「諏訪の龍神さま」という絵本と出逢い、そこからどっぷり龍の世界に引き込まれて、気づけば諏訪の龍を語る語り部に…。

すると"龍縁"に導かれて様々な出逢いもあって友達も増え、とにかく今が最高に幸せでしかないと、龍との繋がりで人生が180度変わってしまった1人。

でも、神尾さんの諏訪にまつわるお話は、本当に興味深いものばかりだった。

争いもなく理想的平和社会が長く続いた縄文。

やがて渡来人が増え、国づくり、朝廷による日本統一の流れが始まる中、日本全土の縄文は融合、消え去っていく中、日本最大規模の縄文文化を持つ諏訪はなかなか侵略できなかった。

最後の最後まで残った縄文、土着の龍神ミシャクジを祀る諏訪。

その流れは、この世界が日本から始まり、世界に散った日本人がユダヤ・イスラエルから再び帰郷し、この諏訪にやって来て上社を生み出したとも…。

モリヤ(エルサレム)を御神体とする諏訪大社上社。

下社は、その霊力を治めるため、監視するために朝廷が作ったお社とも。

守屋山、諏訪湖に眠る大龍神。僕もまた、かつて諏訪の龍神に導かれてイスラエルへ。

久しぶりにイスラエルから戻った今、諏訪をまた訪ねたいと思っていた際に、この神尾さんのお話はとてもシンクロすることが多かった。

「坊や〜よい子だねんねしな」のイントロと龍の背中に乗った子供の姿で有名な日本昔ばなし。あのモデルは諏訪の龍であったとは驚きでした。

神尾さんは、諏訪大社上社すぐ近くで喫茶店「神州の龍神」を5月末にオープンし、お客様1人でも語りをやっています。諏訪にお越しの際には、是非立ち寄ってみてください。


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日本列島の要石であり、諏訪信仰始まりの聖地「小袋石(おふくろ)」へ。

諏訪大社上社の御神体は守屋山(モリヤ)。

モリヤは、ヘブライ語でユダヤ絶対神である「ヤハウェが見る」という意味であり、古代エルサレムの呼称でもあります。

山そのものが御神体の聖地である守屋山は、頂上ではなく麓に隠された磐座巨石がある。

その巨石こそ、縄文古来の龍蛇神ミシャクジが降りる磐座であり、前宮と本宮を繋ぐ旧参道の間を守屋山に入った奥にある磯並社の裏にある小袋石というもの。

実は今年5月のGW頃、天然シャーマンとして30年間啓示を受け続けている、さとううさぶろうさんに日本列島の天変地異に関わる危機のメッセージが。

その時、うさぶろうさんは、この小袋石の写真を知人から見せてもらったようで、ここから強いインスピレーションを受け取り、連絡をくれました。

驚くべきことに、その時僕はたまたま諏訪湖に来ていたのですが、残念ながら時間がなくて、この小袋石は訪れることが出来ませんでした。

6月、確かに日本は能登半島の珠洲市で大きな地震が起こったり、まだ各地で不可思議な地震や噴火、様々な災害が続いている。

そして7月にイスラエルを訪れると、途中にイスラエルのプレート断層などを案内してくれた現地在住のmisakoさんが、やはり「小袋石」の話を出された。

これまで散々諏訪を訪れても聞いたことがないのに、3ヶ月の間に2回も、それも諏訪とイスラエルで小袋石の名前を聞くとは、もう偶然とは思えず、イスラエルで預かったものを納めるために、いよいよ小袋石へ初訪問。

磯並社まで来ると、ここはもう神域であり、結界が張られていて、縁のない人は簡単には訪れられないようになっている。

そのように諏訪口伝の語り部の方が伝えているのを聞きました。

そして、磯並社から始まり、小袋石にたどり着くまで*磯並社*瀬神社*穂股社*玉尾社

の4つのお社を経由して、最後に御神体となる小袋石がある。

礒並社は、安曇族のご先神である綿津見神であり、瀬神は名前の通り瀬織津姫を祀っている。

穂股社は、戸隠の神である天忍穂耳命を祀っており、ここから先は岩戸の奥、完全なる神域であって、そこに磐座とともに鎮座する最後のお社である玉尾社には、なんと

「饒速日(ニギハヤヒ)」が祀られている。

これは諏訪口伝の伝承でありますが、まさかここでも瀬織津姫に、そして饒速日とも繋がるとは。

太陽神アマテル(アマテル)。

2013年瀬織津姫から始まり、そして饒速日に繋がり、それから数百社にも及ぶ神社や聖地を巡ってますが、その中心は瀬織津姫と饒速日。それにしても、想像以上の大きさと迫力の小袋石。太陽に対して、こちらは月の要素であり、日月(陰陽統合)として祀られている。

さて、この小袋石がまたハンパではない。この巨石がどこから飛んで来たかといえば、なんと八ヶ岳山頂から。

7,500年前、まだ諏訪湖が大海の頃、北横岳が噴火して、その噴石の1つが守屋山麓に飛んで来た。

そして写真にはないですが、この小袋石の真下は、地割れのような断層があり、裏に周るには小さな木の板を渡るほど。

その地割れは、なんと日本最大の断層である中央構造線。九州から茨城まで続いています。

そして、この守屋山は、日本列島を東西に分断するフォッサマグナ糸魚川構造線上にあり、さらにユーラシアプレート、北米プレート、そして、それらに沈み込んだフィリピン海プレートの先端のピンポイントの場所。

7,500年前、大地震と地殻変動で諏訪湖の形状も変わり、もともと繋がっていた霧ヶ峰と守屋山も分断され、日本列島が大きく揺れ動いていたそうです。

そこで八ヶ岳から噴石が飛んで来て、まさかまさかの、このすべての交点にスポッと巨石が鎮座。

すると地殻変動も止まったと、諏訪口伝には残されています。

日本列島、地球クラスの「要石(かなめいし)」とも言われるのが、この小袋石。

ここから諏訪信仰が始まり、守屋山が神の山ら聖地とも呼ばれる所以。

イスラエルまた、世界のプレートが交差する地であり、日本列島とイスラエルは、人間の頭蓋骨ではコメカミに位置するキーとなる場所。

この小袋石にイスラエルから持ち帰ったすべてを収めてお祈り。

南海トラフ、富士山、まだまだ色々と油断できないことはありますが、八ヶ岳と諏訪は、それらともダイレクトに繋がる大事な場所。


https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2008-02-22-1 【石神問答 [柳田国男の昭和]】より

《連載18》

 朝日新聞から完全に離れ、自由の身になった柳田国男は、この年(1933年[昭和8])さまざまな研究会や各地の集会に呼ばれて、農村問題や方言、生活史、伝説、民俗学などをめぐって多くの講演をおこなっている。

 本も何冊か出版した。

 三省堂から『桃太郎の誕生』、岡書院から『地名の話その他』を出版したころ、ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相の座についた。

『桃太郎の誕生』では、昔話の底に潜む神話の位相が〈発見〉されたともいえる。桃太郎は、まさしく〈小さ神〉の出現を示す物語だった。一寸法師や猿蟹合戦などの「五大おとぎ話」はそれぞれ独立した昔話ではなく、ひとつにつながっている。国男は桃太郎に続いて、はなたれ小僧や海神少童、瓜子姫、田螺(たにし)の長者、隣の寝太郎などを論じて、童話のように思われている昔話に、実は神社仏閣が生まれる以前の古信仰の痕跡が含まれていることを論証していった。

 岡書院発行の『地名の話その他』は1916年(大正5)と翌年に雑誌「奉公」に発表した「旅行の話」と26年(大正15)に雑誌「民族」に発表した「地名考説」などをまとめた単行本だった。のちに整理し直されて古今書院から『地名の研究』というタイトルで再発行されることになる。

 柳田を抜きにした民俗学会の創設以来ぎくしゃくしていた折口信夫との溝はすっかり埋まっていた。国男は折口の奉職する国学院大学で2月4日に開かれた「方言研究会」にも機嫌良く出席し、「何のために方言を集めるのか」と題して講演をおこなっている。

「方言をいくつ集めたといっても何にもならないことであって、何のためにしなければならぬかを考えねばならない」と断言する国男は、日本におけるフォークロア──民俗学という言い回しにはまだためらいを覚えている──の展開に自信をもつようになっていた。

〈文化史家や社会記述家が決まったことばかり教えるのを一切の目的としていたのに反して、われわれは別の手段で採集される社会事実を資料として、今日残っているものが、図らずも眼前にどうして今日にいたったかということを明らかにしなければならないのであります。……

 一切の人生事実は言葉をもって輪郭ができている。言語は自身の手段として必要である上に、言葉自身大切な社会事実であると思います。言語をして今日に至らしめたのは社会的原因であります〉

 国男はフォークロアと言語学、歴史学の相関関係を示し、方言の研究が言語の変遷、さらには社会生活の変遷を明らかにする重要な指標となると論じた。

 信州の雑誌「郷土」が、これまでの国男の功績を称えて、前年夏に「石特輯(とくしゅう)号」を発行し、その特装本をかれに献呈したことも、雑誌「民族」の旧同人との関係を修復する大きな要因となった。「石特輯号」には初期の著作『石神(しゃくじん)問答』をめぐる諸論考が集められていた。

『柳田国男伝』にはこう記されている。

〈全篇を「石」のテーマでまとめた誌上には、胡桃沢勘内(くるみざわ・かんない)、小池直太郎ら信州在住の郷土史家多数の寄稿、報告とともに、折口信夫、金田一京助、伊波普猷(いは・ふゆう)、中山太郎、早川孝太郎、佐々木喜善、宇野円空、橋浦泰雄ら旧「民族」の主要な同人が揃って名を連ね、柳田の学問草創の労苦をねぎらい、健康を寿(ことほ)ぐのにふさわしい趣を呈している。表紙中扉の「石」の字は折口の揮毫(きごう)であった〉

 この「特輯号」発刊を記念して、民俗学会は国男の単独講演を開催し、日本の民俗学が事実上、かれの指導下にあることを宣言する。国男が無視しつづけた雑誌「民俗学」は1933年(昭和8)2月号をもって廃刊となった。

こうして、柳田と折口とに分裂していた民俗学界は、柳田のもとに一本化され、紆余(うよ)曲折を経ながら1935年(昭和11)に「民間伝承の会」として動きだしていくのである。

 折口らが1910年(明治43)に発行された柳田の『石神問答』を高く評価したのは、これが単に『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』(1909年刊)や『遠野物語』(1910年刊)とならぶ日本民俗学初発の書物だったからではない。

 石神とはシャグジとかサグジ、シャクジン、シュクジンなどと呼ばれる、男根のようなかたちをした石像物を指している。武蔵野一帯でもみられたこれらの遺物は、実は社(やしろ)ができる以前の古代(縄文期)に残された信仰のなごりだった。

 国男は山中共古(きょうこ)[山中笑(えむ)]などとの往復書簡から、その事実を発見するにいたる。山中は旧幕臣で、維新後、キリスト教牧師を務めるかたわら、各地の民俗を集め、『砂払(すなはらい)』という江戸小百科を出版したことでも知られていた。

 日本人の固有信仰の根源を探ろうとするこうした試みが、日本民俗学を現在の地平まで押し上げてきたことを折口らは自覚していた。雑誌「郷土」が「石特輯号」を発刊したのは、国男のそれまでの業績を称えるためである。

 余談ながら、その後の「石神」(シャグジあるいは宿神)研究の進展からみると、国男の研究は単に始まりでしかなかったことに気づかされる。たとえば中沢新一は2003年に日本人の信仰の根源を探る『精霊の王』を刊行しているが、これは『石神問答』を導入部とする論考なのである。

 中沢はこう書いている。

〈それからしばらくして、私は柳田国男の『石神問答』という本を読むことによって、[民俗学に凝っていた父親の書斎の片隅に置かれていた]この石の神の来歴について、多くのことを知るようになった。この石の神は、日本列島にまだ国家もなく神社もなく神々の体系すら存在しなかった時代の精神の息吹を伝える、「古層の神」の活動のいまに残されるわずかな痕跡を示すものだということを、その熱気にみちた本は伝えようとしていた〉

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]

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