一指李承憲@ILCHIjp
「私の人生は生まれた時から芸術であり、私の人生はすべて芸術だ。生きている瞬間も、死ぬ瞬間もすべて芸術だ」
あなたがそう願って選択すれば、人生のすべてを芸術にすることができます。
言葉・名言-ミライノシテン-@mirainoshiten_2
ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない。
カール・グスタフ・ユング
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
素敵な歳を取られた 故、樹木希林さん こんなふうに生きてみたい。
キーワードは「わたしは、私。」
自分自身の評価を他人任せにせず、同質化圧力や、さまざまな制約から自分を解き放ち、あなたはあなたらしくいてくださいと語っています。
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今年、あなたはひとつ歳を取る。 その度に、歳相応にとか、 いい歳してとか、 つまらない言葉が、 あなたを縛ろうとする。 あなたは、耳を貸す必要なんてない。世間の見る目なんて、
いつだって後から変わる。着たことのない服に袖を通して、見たことのない自分に心躍らせる。ほかの誰でもない「私」を楽しむ。年齢を脱ぐ。冒険を着る。わたしは、私。自分らしく装うこと。自分らしく暮らすこと。自分らしく選ぶこと。自分らしく笑うこと。自分らしく食べること。自分らしく生きること。自分の興味を深めること。自分の感性に素直であること。
自分の変化を楽しむこと。自分の言葉を持つこと。自分の人生を楽しむこと。
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■樹木希林さん、幸せって何ですか?
ドラマや映画で観る姿だけでなく、自然体で生きる樹木さんに「これから生きて行くためのヒント」を得た人も多いはず。
●幸せというのは…
「幸せというのは『常にあるもの』ではなくて『自分で見つけるもの』。」
●愉快に生きて
「どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。」
●失敗したらね…
「失敗したらね、そこからスタートなの。あんまり深く考えない。」
●世の中をダメにするのは…
「世の中をダメにするのは老人の跋扈(ばっこ)。時が来たら、誇りを持って脇にどくの。」
●いまなら自信を持ってこう言えます。
「いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします。」
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「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「マイナスの出来事も含めて、自分の栄養かな」「端から見て良さそうに見えているものが、案外その人にとって辛かったりするものがあるから、みんなそれぞれだから」——。
2018年9月15日に逝去した、女優、樹木希林さんの生前の言葉を集めた名言集『樹木希林 120の遺言』(宝島社)より
https://www.youtube.com/watch?v=Ep95r6avrTI
Facebook相田 公弘さん投稿記事「我は咲くなり」
他者評価と自己評価のお話しです。
他人にどう見られているか、他人からどう評価されているかは、いつも気になることです。
ほめられればうれしいし、けなされれば哀しい。
嫌われれば悲観し、好かれていれば心は安らかです。
尊敬されれば生きる勇気が与えられ、反対に軽蔑されたり、無視されれば、生きる自信まで失ってしまう。それが人間なのです。
しかし、他人の評価とは別に、「自分」が存在することも忘れてはなりません。
他人の評価には、たしかに的確なものもあり、それに謙虚に耳を傾けることも重要です。
しかし、他人の評価がすべてではないことも知るべきです。
他人も不完全な人間だからです。「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」 (武者小路実篤)
「幸せはあなたの心が決める」渡辺和子 著 PHPより
坂村真民さんの詩に、
「咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」というものがあります。
坂本龍馬さんは、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」と言いました。
他人の評価は大事です。しかし、それに囚われすぎて自信をなくしてはいけません。
あなたという存在は、この世でたったひとりのあなたなのです。代わりはいません。
他人の評価に振りまわされて、自分の花を、精一杯咲かすことを忘れてはなりません。
我は咲くなり!
※魂が震える話より
Facebook相田 公弘さん投稿記事
相田一人によるみつをの書の解説です。
「ひぐらしの声」
ああ 今年も ひぐらしが鳴き出した ひぐらしの声は 若くして戦争で死んだ
ふたりのあんちゃんの声だ そして 二人のあんちゃんの名を 死ぬまで呼びつづけていた
悲しい母の声だ そしてまた 二人のあんちゃんのことには ひとこともふれず
だまって死んでいった さびしい父の声だ ああ今年も ひぐらしが鳴き出した
みつを
相田一人
父・相田みつをはよく「いのちの詩人」と言われますが、その原点は二人の兄の戦死です。
「戦争」という作品があります。
「どんなに理屈をつけても戦争はいやだな肉親二人わたしは戦争で失っているから」というもので、父の作品には珍しくストレートに感情を露わにしています。
父は6人兄弟の3番目で、長兄次兄は相次いで戦死しました。
著書「いちずに一本道いちずに一ツ事」で「兄の戦死」という章をもうけています。
昭和16年8月31日、次兄の戦死の報せが届きました。
あんなに頼りにしていた次兄はもうこの世にいない、それは大きな衝撃でした。
あの時から父は生、死、命とは何か、自分はどう生きればいいのか真剣に考えるようになったそうです。
みつをの母は、名誉の戦死だからと昼間は気丈に振る舞いましたが、夜、家族だけになると祭壇の写真に向かって泣き叫びました。
戦争がいかに残された家族に影響を及ぼすか、父は体験しているからよくわかるのです。
後日届いた戦友からの手紙によると、朦朧とする意識の中で次兄が残した最期の言葉は
「戦争というものは人間がつくる最大の罪悪だな」でした。
この言葉がいのちの詩人を誕生させたのです。
作品「ひぐらし」は、子どもの死に悲しむ両親のことを詠ったものです。
みつをの父は嘆き悲しむ母とは対照的に、息子たちの死について何も語らずに死んでいきました。
この詩はわが子に先立たれた男親の父の思いをみつをが代わりに綴ったものです。
いのちをテーマにしたたくさんの作品を残し、父は67歳で亡くなりました。
「自分の番~いのちのバトン」はその集大成です。
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