感情

https://note.com/karatchi/n/ncf6af3755af7 【夕凪のもと移ろいゆく感情を共に感じる】より

空の色や雲の形がゆらゆらと移ろうだけでなく、空を眺めた時の心境によって、僕らの感じ方も移ろいゆくものだ

美しい夕焼けを眺めた際に、「お疲れ様、自分!」と今宵の晩酌に浮足立つ人もいれば、「子どもたちが帰ってくる!」とせかせかと夕飯の支度を始める人もいる

こういった感じ方の違いは比較的身近に起こりうることで、想像するのは容易いはず

僕自身は夕焼けを「美しい」と感じることが多いのだけれど、例えばアフリカの砂漠地帯で暮らす人や、肉食の野生動物が周りにいるサバンナのような環境であれば、夕焼けは「死へのカウントダウン」を意味する不吉な光景でもある

日が沈む前に安全な寝床を確保しなければならないし、暗闇に紛れて襲ってくる外敵から身を守らなければならないからだ

「夜の恐怖」を知っていれば、夕焼けはこれから訪れる災いの前触れにしかなりえないと感じる人も世界のどこかにいる

・・・さて

僕が夕焼けを眺めて「綺麗だなぁ 美しいなぁ」と感じるのは、なぜだろう?

少しだけ自分の過去を思い起こしてみようと思うので、お付き合いくださいませ

例えば、子どもの頃に体験した夕焼けの思い出を振り返ってみると、正直そんなに覚えてはいないんよね

夕暮れ時に友達と外でワイワイ遊んでいて、その時キレイな夕焼けが空に”あったような気がする”くらいかな

当時は遊ぶことに夢中で、空を見上げる機会なんて少なかったから、確かなことは分からない

また、中学高校の放課後を思い起こすと、それはちょうど夕焼けが際立つ時間帯だったなぁ

あの頃はサッカー部でバリバリ頑張っていて、夏に練習が終わる頃が、ちょうど夕暮れ時

しんどい練習が終わって、家に帰ってご飯が食べられる!とお腹を空かしてワクワクしていたその時、きっと空にはキレイな夕焼けが”あったはず”なんよね

正直、早く帰ることに夢中で覚えていないけど

・・・こんな感じで、昔は夕焼けにはそこまで関心がなかったのにもかかわらず、今では夕焼けを眺めて感動し、時には涙も流すようになった

『綺麗な夕焼け』は、昔も今も変わらずそこにあったはずなのに、、

つまるところ、夕焼けを綺麗な光景として彩っているのは、僕自身の「思い出」なんよね

思い出とは、過去に重ねてきた「経験」と「感情」のグラデーション

大人になった僕が夕焼けを眺めて感動する時というのは、かつて夕焼け空の下で過ごしていた「過去の自分の感情」を、「現在の自分の感情」に移入している感じ

(なんだかRADWIMPS的な世界観になってきて、伝わりづらかったらごめんなさい汗)

これって、夕焼けを眺めることが僕の中でスイッチになって、現在の僕が過去の自分に対して『共感』(Empathy)を向けているような、そんな感じだ

・・・ちなみに、共感(Empathy)と同情(Sympathy)は、似ているけど違う

「シンパシーを感じる」という日本語の意味は、自分と相手の感情が全く同じ時だ!ということ

それとは違って、お互いの気持ちが同じであろうが別であろうが、相手の感情を自分に移入するのが『共感』なんよね

現在の僕が夕焼けを眺めている時の感情と、過去の僕が夕焼けを眺めていた時の感情は違うから、同情ではなく共感をしているわけだ

過去の自分に共感するって、何だか変な感じだけどね汗

子どもの頃を懐かしんで、楽しかったあの頃を思い返して何だか淋しくなったり、辛かった当時のことを思い出してセンチになったりもする

だけどそれは決してネガティブな時間ではなく、むしろ美しい時間だ

・・・さてさて!ここらでもう終わりにします

大人になった僕が夕焼けを眺めて「綺麗だなぁ」と感動するのは、『共感』をしているからに他ならない

自分の感情を噛みしめるだけでなく、過去の自分や他者の心に共感を向けるという『温かな態度』が、夕焼けをより綺麗に、より美しく魅せているのだと、僕は思うんよね

夕焼けを眺めて喜びを抱く人もいれば、寂しさを覚える人もいれば、死を意識する人もいる

そういった様々な感情を自らに移入して『共感』を示すことは、他者へのより深い理解であったり、多様性の幅を広げることに繋がっていくはずだ

僕はこの1年ほどスマホ片手に自然の風景を撮り回っていて、様々な感情をその風景に重ねてきた

自分の感情だけでなく、他者の気持ちをより深く理解したい時にもね

世界中のどこに住んでいたって似たような風景は観ることができるから、「経験」は共有しやすい

だけど『感情』はそれぞれ違うし、移ろいやすいものでもあるから、丁寧に共有していかないと、伝わらないし受け取れない

同じ感情を抱く瞬間”だけ”を求め続けていたら、きっと相手に同情を求めてしまうし、それは心からの同情ではないから、いつか傷つくのは自分だ

「お前もそう思うだろ?」という同調圧力に従う必要はないし、「私はこう感じます!」と自分に素直になることで、「あなたはそう感じるんですね〜」と、相手の感情に心からの共感を向けることができるんよね

互いに同じ風景を眺め経験をシェアしながら、感情のグラデーションをやわらかく調整し、共に感じようとする姿勢ほど、美しいものはないと僕は思う・・・今週も読んで頂きありがとうございます!では、またいつかどこかで(*^^*)

私も同じ気持ち!と同意することって同調や同情だけど「共感」とごっちゃにしがち

同情はsympathy(共感と和訳されることもあるからややこい)

共感はempathy『感情移入』

共感は他者の中に自分の感情を移し入れて寄り添うことで、主張や気持ちではなく、能力や態度だから、いつでも始められるよ?

— からっち📜@ぬったりとした日常 (@ich_bin_tk) January 30, 2020


https://note.com/daichi_log_a/n/n6a8017076852 【「共感」と「感情移入」の違いについて】より

どうも、こんにちは、ダイチです。

今回は「共感」と「感情移入」について書かせてください。

駄文になるかもしれませんが、感情移入はされないけど、共感はされる文章になるよう頑張りたいと思います。

あなたの「わかる!」は何ですか??

私は読書会を主催したり、参加したりしている人間なので、これまで多くの人の本の感想を聞いてきました。その中でずっと整理できていなかったことがあります。

それは「わかる!」という言葉です。「わかる!」、これめっちゃ読書会で飛び交います。

自分も言います。「それ、わかる!」

少なくとも一度の読書会があったら軽く20回以上は言うでしょう。特に主催してるときなんか、他の参加者よりもコメントする気持ちが高まっているので、「あー、それ、わかります!」って言ってます。息をするように言っています。

おまけに私は「文学ラジオ空飛び猫たち」という文学作品を紹介するpodcastをやっていて、相方と2人のトーク番組なんですが、もう相方の発言に対して「わかる!」とか頻繁に言っています。頻繫に言い過ぎて、9割型編集でカットしています。(9割はちょっと過言だったかも。)

この「わかる」は何なのか。おそらく、この「わかる」ですが「共感」と「感情移入」に分かれます。交じり合っているときもあるかもしれない。

そんな「わかる」に今回は意識を向けて深ぼっていきたいと思います。

共感と感情移入の違いについて 共感と感情移入の違いってなんでしょうか?

これ、似て非なるものだと思うんですよね。

共感というのは、例えば話してくれた相手に対して、その立場を認めるもの。(なんか上から目線に聞こえるが、うまい言葉が見つからない。ニュアンスでわかってくれ!)

つまり、共感には距離があるんです。あなたの立場や考え方はわかります。でも自分は違うかもしれないという状態。自分は違うという可能性を自分が認めている状態でしょうか。ややこしくなってきましたが、ここで難しいのは共感しているけど、自分の考え方が違う場合とほぼ同一だなという場合があると思います。一旦ここ深ぼっていくと迷路にはまりそうなので、スルーしますが、共感とは距離があるという状態だとご理解ください。(あくまでも私の個人の感覚としてです)

そして感情移入です。

もうお分かりだと思いますが、感情移入は0距離です。

相手に対して感情移入していた場合、もう相手=自分です。投影してしまっているという状態です。

いるでしょ? ルフィに感情移入にして自分も海賊王目指しちゃうやつ。(いないか??)

なにせよ、自分もばっこり小説の登場人物に感情移入して、苦しくて涙をボロボロ流すときがあります。もほや、そのときは自分=主人公です。そういう作品が小説にはあります。

これも「わかる!」ですよね。

カズオ・イシグロの名作『日の名残り』で体験した感情移入できなかったこと

さて、ここで整理しますが、「共感」と「感情移入」は距離の違いあるということです。こうなってくると「感情移入」しないけど「共感」するという状況が生まれてきます。

私にとって、わかりやすい例はカズオ・イシグロの「日の名残り」のスティーブンスです。

彼の語りで構成される名作ですが、読んでいると、このスティーブンス、やばいやつであることがわかってきます。

執事として有能そうなこと言ってるけど、多分そこまでではない。

ある仕事仲間の女性が自分に惚れていると思っていたが、退職していなくなり、かなり時間が経った今も、その恋の火が彼女の中にあると思っていたけど違いっていた、など思い込みが激しい部分が見え隠れします。

そして、その姿が哀しい。

ここで彼に共感するけど感情移入はしませんでした。どういう思考で、どうしてそのような行動をしてしまうかは、読んでいればわかります。結果、哀愁を漂わせている姿には共感しますが、彼がどのような人間なのかは理解はできるけど、自分を投影できず感情移入はできない。

なぜなら、自分はそうではないから。

自分が仕事できなかったときはそれなりに素直に認めるし、以前自分のことが好きそうだった女性が他の男と結婚したならもう自分とは結婚したいと思ってくれていないだろうと思うから。

「いや、それはないよ、スティーブンス君」と言いたくなる。

でもこの作品に惹かれてしまうのは、彼のその性格と哀愁なんです。カズオ・イシグロはやり手の小説家ですから、彼の性格が読み手に伝わるように丁寧に物語を描きます。「あれ?こいつ、やばいやつじゃね?」ということを徐々に感じるようにやり、やがて「ああ!やばいやつだ!」と確信に変わります。わかりやすく共感できるんです、だって、彼の立場や考え方が丁寧に描かれた結果、理解できるから。そしてそこまでくると物語から目が離せなくなっている。「こいつ、どうなるんだ?やがて自分のやばさに気づくのか?」

そして迎えるラストの哀愁。なんて完璧な構成なんだろう!!

(※完全に個人の主観です。「日の名残り」をばっこり感情移入して読む方も多くいらっしゃると思います)

私は「日の名残り」を読んだときに、共感と感情移入の違いを明確に感じました。そしてカズオ・イシグロ、すごい!と思いました。

なんとなくですが「共感」と「感情移入」の違いがわかってもらえたかと思います。

(逆に「感情移入」するけど「共感」しないという状況はどういう状態だろうと考えるとうっすら怖いのですが、自分=相手に固執する状態なのではないかと思いました。これは怖いので一旦今回は置いておきます。)

「わかる」を区別しておいたほうがいいかもしれないということ

「わかる!」の話に戻したいんですが、ここには「共感」と「感情移入」という場合があり、重なっている可能性もありますが、自分の「わかる!」はどっち寄りなのか、相手の「わかる!」はどっち寄りなのか、もしかしたら時と場合によっては、しっかり判断しないといけないのかもしれません。

なぜ、ここを深掘りたいなあと思ったかというと、少し前に「他の人がこの作品を『わかる!』と言っているのがわからない」と言っている方と遭遇したからです。強烈な違和感を感じました。「わからない」ってどういうことだろう。で、その時思ったのは、この人は「わかる」を感情移入でしか捉えていないのかもしれないということです。いや、どういうシチュエーションで、どういう感情をもっていて、誰かの「わかる」を「わからない」と感じたのか、あるいは、したかったのか。そこは話を聞いてるそのときには、わかりませんでしたが、誰かの「わかる」を「わからない」とするのは乱暴だなと思ったわけです。例えば、猟奇殺人鬼(例えば、「羊たちの沈黙」のレクター博士のような)についてでも、紐解いていけば、彼の感情を理解でき、やったことは異常だけど、その感情の流れはわかるかもとなる場合もあると思います。

多分「わかる」ということを共感と感情移入をごっちゃにして整理できていないと、誰かの「わかる」が正しくキャッチできない可能性があると思ったのです。例えば、ある人の「わかる」を「わかる」としたくないという感情があったとしたら、それはその人=自分となりたくないという感情があるだけで、ただそれが正しく理解することを邪魔しているのかも、と思いました。別に嫌いな人でも「わかる」としていいと思うのです。その人の立場や考え方は自分とは違うけど認めるということで。

長くなってきましたが、ようやく自分なりの結論です。

「わかる」の中には「共感」と「感情移入」の2種類の、場合によるとベクトルが違う「思い」があるかもしれない。だからちょっと意識して、人の「わかる」に対して、排他的にならないようにしたいな、と思いました。

ああ、書いてみて、これが言いたかったんだと思いました。

感情移入はできずとも共感してもらえると嬉しいです。

こんな駄文を最後までお読み頂き、ありがとうございました!

今後、自分の思考整理のためにこんな駄文を書いていきたいと思いました。

一部の人の気分を害しそうだから「深そうで不快な駄文シリーズ」とかにしようかな。いや微妙か。

次回は多分「本が自分の人生を変えたと言っている人はどこまで本気なんだろう」という攻めた文章を書きたいですが、もはやこのタイトルだけですべてを言ってしまっている気がします。


TAO 自分さがしの旅@ilchi_tao

感情の変化は臓器にも影響を与える。東洋医学では、特定の感情が特定の臓器とつながっているとみる。例えば怒りすぎると肝臓に悪く、喜びすぎると心臓に悪く、心配しすぎ考えすぎると胃に悪く、悲しみすぎると肺に悪く、怖がりすぎると腎臓に悪い。

一指李承憲@ILCHIjp

否定的な感情の扱いに最も効果的な方法は、肯定的な感情を創造することです。否定的な感情によく陥る人は、肯定的な感情をできるだけ頻繁に経験するように努力してみましょう。外部の刺激に受動的に陥るのではなく、自らに肯定的な情報を提供することで、よい感情を引き起こすのです。

作家しりこだま(しりこ)@shiriko1971

心の誓い。それは自分との約束。その約束を果たすまで何年かかるか分からないけど、いつか必ず行動と結果で示す。その為には覚悟を決める。覚悟とは自分の意志を貫くこと。でも、あせってはいけない。自分の歩幅で進めばいい。他人を追い抜かさなくていいし、他人に追い抜かれてもいい。僕の生きる道。

FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事·

▼.すべての感情は、あなたの中に家を探している

瞑想の中で、悲しみや恐れ、予期せぬ怒りや憂鬱などの感情の波が訪れたとき、

その波に寄り添い、呼吸を整え、「手放そう」とするのをやめて、ただありのままに、生きているままに、自分の中で今まさに表現されていることを受け入れることができますか?

抵抗したり、拒否したり、気をそらしたり、自分の経験(今ここ)から離れようとする

自分の衝動に気づくことができますか?

その衝動を自分で裁いたり、恥じたりしないでください。

自分が経験しているのとは違う経験をしたいと思うことは、古来からの習慣であり、切り離そうとする衝動、逃げようとする衝動、「別の場所」への中毒です。

しかし、「あるがまま」に近い状態でいられるかどうか、訪れた感覚に繋がってそっと寄り添ってみてください。

体内のエネルギーを遮断したり、遠ざけたり、否定したりするのではなく、そっと心を開いてみてください。

好奇心旺盛な注意を払って、それを流すことができますか?

自分の中でそれを動かしてみませんか?

それが生まれ、表現しなければならないことを表現し、その海の家であるプレゼンスに戻ってくるように、そのライフサイクル全体に存在していますか?

すべての感情は、あなたの中に家を探しているだけです。

未完成で行き詰まった感情、抵抗されたエネルギー、押しのけられたエネルギー、

否定されたエネルギー、追放されたエネルギーは、実際には消えません。

彼ら(感情)は無意識の闇の中で生き続け、ホームレスのように愛に飢え、人間関係や身体、世界での仕事の糸を引き、喜びの邪魔をしています。

冥界の奥深くで注目を集めようと叫ぶ彼らは、私たちの活力や自己表現力を奪い、反応的になったり、強迫観念に駆られたり、落ち込んだり、不安になったりして、最終的には身体の健康にまで影響を及ぼします...

すべては私たちに耳を傾けさせようとするためです。

しかし、ある日、深い瞑想の中で、私たちは、すべての感情は神聖なものであり、

最も厄介で最も不便で苦痛なものであっても、私たちの中に存在する権利があることを思い出すのです。

そして、自分の感情から逃げるのではなく、そちらに向かうことを思い出すのです。

感情を和らげること。感情を麻痺させたり、無視したりするのではなく、そのたスペースを作ること。

飢えた亡霊、迷子の子供たちは、 私たちの愛、暖かい注意、好奇心、プレゼンスで養われ、私たちの中に保持する環境を与えられて、ようやく休息することができます。

彼ら(感情)は、もはや私たちの人生を引っ張る必要はありません。

彼らは今、いつも憧れていた暖かさと共感を持っています。

私たちの貴重な生命力、プラーナ、聖なるエネルギーの多くは、感情を押しのけ、

「どこか他の場所」に行かせようとする 作業に費やされています。

しかし、彼らはどこに行くのでしょうか?そこには自分しかいません。

感情を押しのけても、それは自分の中に押し込まれるだけです。

自己放棄と抑圧という古くからのパターンを断ち切り、恐怖に満ちた条件付けを超えて、

全く新しいことに挑戦するとき、多くの創造性が解放され、多くの安心感が得られます。

インナーリトリート10月分募集開始しました

https://ws.formzu.net/sfgen/S62299071/

Facebookゴーシュ 直子さん投稿記事  [心がうつっぽい時の対処法🌿]

憂鬱な気持ち 元気がない 鬱っぽい感じを感じる時の対処法は 何と言っても、

シッダマントラを繰り返し、 声に出して歌う ”キールタン”です。

キールタンって、何? 聞き慣れない言葉と 思う方も いるでしょう。

キールタンという言葉は 一般的ではないですね。 歌うヨガ」みたいな感じです。

毎日、聞くだけでもいいので、「聞くヨガ」とも言えます。

インドに実在した ヨガと瞑想のマスター シュリ・シュリ・アナンダムルティ師が作った 

シッダマントラBaba Nam Kevalam  ババナム ケワラム を繰り返し、歌います。

私は、好きな Baba Nam Kevalamをyoutubeでよく 聞いています。

Babaの意味は  宇宙の大いなる無限の愛 Namの意味は、 波動、 エネルギー

Kevalamの意味は それだけすべては 宇宙の大いなる無限の愛

お勧めキールタン

https://music.youtube.com/watch?v=PB7Gny7Rc48&feature=share

先日、オンラインで、この歌を初めて聞いた方が 「なぜだか、涙が出てきた」と言っていました。

リアルでなく、オンラインでも、このシッダマントラのパワーを感じるんですね。

心が安らぎ、不安が消え、安心して来ます。

youtubeで、Baba Nam Kevalam と検索すると歌がたくさん 見つかります。

コメント欄 ↓

私がよく聞いている

you tube リンク あります。

それから、鬱っぽくならないようにするために、

食事に気をつけた方がいいです。

いい記事を見つけました。

↓  こちらです。

..................................

東洋経済オンラインより 抜粋

[メンタル不調時に 食べては行けない食材]

 宮島先生は、かつてうつ病を克服するために、7年間飲み続けた処方薬をやめて、「うつ消し」食を取り入れて、いま元気で活動しています。

 宮島先生が自らの体験から見出した宮島先生の『薬を使わず自分のうつを治した精神科医の うつが消える食事』からご紹介します。

・ 肉や魚のように高タンパク質、高脂肪の食べ物 消化に時間を要します。

肉や魚は、体には負担をかけやすいのです。さらに、高タンパク質、高脂肪の食品は分子構造が複雑なために分解するのに多大な労力を必要とします。そのため、焼き肉やステーキを大量に食べると、胃袋にまるで鉛が入ったような重さを感じるのです。

・ コンビニのお惣菜食品添加物は、摂取すると腸内の悪玉菌を増やしてしまいます。

そのため、防腐剤や合成甘味料、発色剤である亜硝酸ナトリウムを多く使っている食品や総菜は、なるべくなら避けたほうがいいと思います。

Facebook能村 聡さん投稿記事【アフォーメーションの薦め】(加筆再掲)

アフォーメーション(断言・宣誓)とは未来はすでにこうある!と宣言して今この瞬間を生きること。あなたがなりたい自分になる助けになります

過去に縛られたまま、今を後悔と不安不満のまま過去の延長線上でずるずる生きていると嫌な未来を招くだけです。

そして、まだ、起きてもいない未来に対する不安も手放してください。

今腹くくって、宇宙から賜った自由意志をもとにして、自分に正直に生き始めれば未来ビジョンは実現するはずです。

なぜなら未来は今この瞬間が創造し続けているから。

宇宙意識(サムシンググレート・空=大いなる宇宙創造主)とつながることが、今、とても大切です。

般若心経で説かれているように、あなたという存在は、本来は偉大な宇宙意識(空)と統合されている一部(色)なのです。

色即是空空即是色

宇宙意識とつながれば、宇宙はドンピシャに正しいタイミングで、私が必要とするものを、正確に自分に与えてくれる。そのことを信じて、宇宙に委ねます。

そうすれば、すべてのことが、完全にうまくいくのです。

宇宙意識とつながるためには、瞑想などを通じて、ネガティブスパイラルに陥りがちな堂々巡りのエゴに左右されがちな「思考」を休ませて、直観とインスピレーションのスイッチをオンにしてください。

下記にアフォーメーションの実践的な心得を添付します。参考にされてください。手でノートや手帳に書いて、いつでも開けるようにしましょう。

Facebookごとう 孝二さん投稿記事·「落ち込んだ時こそ最大の心の成長のチャンス!」

皆様もこの人生の中で何度かは、落ち込んだ事があるでしょ!

落ち込んだ時こそ最大の心の成長のチャンスです!

落ち込んで辛くて辛くてどうしようもないから、皆、考えるのです!

落ち込む事の全くない順調な人ほど落ち込んだ時のショックは、すざましくちょっとの事では、立ち上がれる事が出来ません!全く何もかも嫌になって、やる気もなくなって自暴自棄になる事で人間は、過去を振り返り、間違いを正し次のステップとして勉強して成長していくのです。

順風万帆である時こそ人間は、油断して成功へのイメージングをも忘れてしまうのです。

そしてスランプに落ち込んでしまいます。

神様から与えられた最高のギフトだと思って、今一度自分の胸に手を当てて考えましょう!

落ち込んだ時でこそしか味わえない、最高の辛さであり、今後のビッグチャンスに向けてへの最高の気付きの時なのです!

好調な時には、全く目に入らなかった事が見えてくるのです!もっともっと考えてください!

こんな時にこそあなたが大きくなるビッグチャンスが芽生えるのです!

あのまま成功していたら何も気付かずに小さな成功を収めていたでしょう!

この気付きがあるからあなたは、一見、遠まわしに見える事ですが、実は、最も近道を選ぶ事になるのです!

今より少しだけ真剣に生きてみては!今、一瞬を!時間を!もっと大切にしてみては!

と言う、今を変えてみる神様の最高のメッセージであり最高のギフトなのです!

さぁ、あなたは、後戻りは出来ません!もう成功しかないのです!

一時のスランプは、これで終わりにしましょう!これからは、成功を自ら選んで生きていきましょう!

今日から少しだけでも、早寝早起きして時間を有効に使ってください!

規則正しく生きる事で宇宙のリズムと共鳴して何事も上手くいく事でしょう!

そして成功と幸せへのイメージをしてエクスタシーを感じるのです!

ホウホウ先生の開運ブログより。

FacebookAyuka Mizoguchiさん投稿記事·

パートナー、家、お金、思想、他者の承認・・・。私たちはこれらを”得る“ことで安心する。でも真の安心は手放せる心の中にある。そして手放した心の中で、平和と自由、無条件の愛がすべて同じことだと知る♪

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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