https://ameblo.jp/seijihys/entry-12644450811.html【総合芸術家としての蕪村の器】より
1月にある会で、「与謝蕪村」の話を2時間することとなり、雲英英雄さんや高橋庄次さんの本を読み返している。
蕪村は言うまでもなく、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の三大巨星である。
が、芭蕉や一茶と較べると、やや地味な印象がある。人気も芭蕉や一茶に及ばないようだ。
明治になり、忘れ去られていた「蕪村」を再発見したのは正岡子規の手柄である。
子規は蕪村を芭蕉に匹敵する俳人、いや、多くの部分において芭蕉を凌駕する俳人と評した。
今日の蕪村の高名は子規のおかげと言ってもいい。
が、その時、子規は「蕪村」を、近代俳句の写生の見本として称揚したのは、その後の蕪村にとってやや損をしているように思える。
私は俳句講座で、蕪村を紹介する時、「総合芸術家」としての蕪村の器の大きさを強調する。
1、絵師としての蕪村
『夜色楼台図』『鳶鴉図』など国宝・重要文化財指定18点
2、俳諧師としての蕪村
3、詩人としての蕪村
「春風馬堤曲」「北壽老仙を悼む」など、近代詩人の先駆けとしての評価。
この詩の作者の名をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だと言つても、人は決して怪しまないだらう。
しかもこれが百数十年も昔、江戸時代の俳人與謝蕪村によつて試作された新詩体の一節であることは、今日僕等にとつて異常な興味を感じさせる。
実際かうした詩の情操には、何等かある鮮新な、浪漫的な、多少西欧の詩とも共通するところの、特殊な水々しい精神を感じさせる。そして此の種の情操は、江戸時代の文化に全く無かつたものなのである。
―萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』―
「北壽老仙をいたむ」が情感豊かにほとばしり出るリズムをもち、しかも青年のみずみずしい感性をさえ感じるのは、ゆかしい亡魂とだけ向かい合った青年の魂の所産だ。
そこでは意味的な文脈は第二義的なものにしりぞき、ことばの響きの音楽に第一義的な音色を奏でさせる。そして、それが孤児の感受性を蘇生させ、近代抒情詩の初発となる奇跡を生んだ。
―高橋庄次『月に泣く蕪村』―
つまり蕪村は今でいう「マルチアーティスト」であった。
しかも、「絵画」「俳人」「詩人」としてすべての分野において最高峰となった。
これほどの人は日本芸術史上ほとんどいない。
私は、蕪村はそういう大きな視点で見なければいけない、という話をする。
蕪村の、この巨大な器を考えれば、驚嘆するほどの大きな宇宙が見えて来る。
蕪村はそういう目で見るべきだと思う。また、俳句に於いても、実に多彩な面を持っている。
○優れた写生句
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片 釣鐘にとまりてねむる胡蝶かな
五月雨や大河を前に家二軒
芭蕉の俳句は古来の和歌に比して客観的美を現わすこと多し。しかもなお蕪村の客観的なるには及ばず。極度の客観的美は絵画と同じ。蕪村の句は直ちにもって絵画となし得べきもの少からず。
―正岡子規「俳人 蕪村」―
○ロマンあふれる瑞々しい抒情句
夏川を越すうれしさよ手に草履 愁ひつつ岡にのぼれば花いばら
短夜や浅井に柿の花を汲む
鮮新な、ロマン的な西欧詩とも共通する、瑞々しい精神
ロマン的の青春性に富んでいる
―荻原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』―
ゲーテもワーヅワースもまだ生まれていない時代に、東洋の一俳人がロマン的抒情詩を展開した。
―芳賀 徹(仏文学者)「俳句界」―
○三人称俳句、物語性俳句の確立
宿貸せと刀投げ出す吹雪かな
お手討の夫婦なりしを更衣
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
発句はただ『わたくし詩歌』を本道としたためと言わなければならぬ。
蕪村はこの金鎖を破り、発句を自他無差別の大千世界へ解放した 。
―芥川龍之介『芭蕉雑記』―
子規は蕪村の「写生美」を見い出し、詩人・萩原朔太郎は近代詩人やヨーロッパの詩人にも劣らぬ「瑞々しいロマン」を見い出し、作家・芥川龍之介は「一人称」であった俳句の世界を解き放った、映画や舞台を見るような「物語性」を見い出した。
ひょっとしたら、この先も、後世の人々によって、蕪村の新しい魅力が発見されるかもしれない。
蕪村は俳句に於いても、多彩な面を展開し、後世に大きな影響を与えた。
蕪村はそういうことを考え、作品を見るべきだと思う。
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